フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第九章 子供の精靈の――潜戸 (七) | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十章 美保の關にて (一) »

2015/09/20

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第九章 子供の精靈の――潜戸 (八) 第九章~了

       八

 

 御津浦と同じく、海際には漁船が澤山密集して列んで、舳を海の方へ向けてゐる。して、その後にもまた列んでゐるので、やつと無理にその間を通り拔け、濱を越えて、眠さうな、綺麗な異樣な小さな町へ出た。始めて上陸した時に、町の人は皆眠つてゐるやうに思はれた。船尾に坐つてゐる一匹の猫が、唯一の生物と見受けられた。しかもその猫も日本の信仰に從へば、眞正の猫でなくて、お怪け、または猫又かも知れぬ――それは長い尻尾を持つてゐたから。この町に一軒しか無い旅館を發見するのが、なかなか難事であつた。何れの家にも看板はなく、皆、漁師又は農夫の私宅のやうであつた。が、この狹い土地も逍遙の價値があつた。こゝでは、一種黃色の漆喰を用ひて、壁の外面が塗つてある。輝いた晴空の下に於けるこの明かるい黃色は、小さな町に頗る快活な趣を與ヘた。

 たうとう宿屋を見附けると、はいるまでに隨分待たなければならなかつた。障子や戸は皆開けてあるが、誰も寢てゐたり、他出してゐて何の用意もしてはない。たしかに加賀浦には窃盜はゐないのだ。この宿は小丘の上にあつて、本町通(他は唯だ小さな路次に過ぎない)から石段の小さな坂を二つ上つて行かれる。すぐ道の向うに禪寺と神社が殆ど相並んで見える。

[やぶちゃん注:本章は長いので、注を途中に挟み、その後は一行空きとした。

「すぐ道の向うに禪寺と神社が殆ど相並んで見える」これで宿の位置は概ね比定出来ると思い、国土地理院の地図を見たが、これがだめだった。この「禪寺」というのは高い確率で「應海寺(おうかいじ)」という島根町加賀(かか)の臨済宗南禅寺派の寺であると思うのだが、この寺、現在の地図上では加賀の港から東南東五百七十メートルほどの山麓に孤立してあり、「相並んで」神社は存在しない。同地区の神社は應海寺の真西の、遙か谷を挟んだ五百六十メートルも離れたところにある木の山神社と、西北に下って川を渡った向こう側の旧村社と思われる三百三十メートルも離れた加賀神社しか見当たらない。お手上げである。]

 

 漸くのことに、腰に至るまで裸體の、泉の女神のやうな胸をした、若い綺麗な女が驚くほどの速さで宿屋へ戻つてきた。私共の傍を急いで家へ入るときに、笑顏をして低く禮をした。この小さな人物はお嘉代さんといふ給仕女だ。この名は『多年の幸福』といふ意味である。やがてお嘉代さんは立派な着物を全身に纏つて、敷居の處へまた現れ、愛嬌よく私共に入るやうに迎へてくれたので、私共は非常に欣んで入つて行つたさつぱりした、廣い室であつた。杵築大社から戴いた神道の掛物が、床にも壁にも掛けてあつた。一隅に綺麗な禪宗の佛壇があつた。(厨子の形狀とその内部にある崇拜の像などは、宗派に隨つて異る)妙に室が暗くなるのに、俄かに氣が付いて、見廻はすと、戸口や窓や一切の隙間には、私を見ようと思つて、無言で笑顏を帶びた群集がぎつしり立塞がつてゐる。加賀浦にこんなに多くの人民があるとは案外であつた。

[やぶちゃん注:「泉の女神」原文は“a Naiad”。これはギリシャ・ローマ神話ニンフ(nymph)の中でも川・泉・湖に棲むとされる若い女の姿をした水の精ナイアスのことである。ウィキの「ナーイアス」によれば、『各々の泉や川に別のナーイアス』(一人又は複数)『がいる。その泉や川の神の娘とされることが多いが、ホメーロスによればゼウスの娘。オーケアノスの娘とされることもある』。『ナーイアスがいる泉や川の水を飲むと、病気が治る。しかし、水に入ることは』冒瀆と見做され、呪われ、『病気になったり気が狂ったりする』とし、『地方の伝承には頻繁に現れる。また、人間の妻となることがあり、英雄の先祖や妻として系図に姿を現す』ともある。ハーンがこう形容した「お嘉代さん」の乳の形はしかし、どのようなものであったものか? ちょっと気になる……]

 

 日本の家屋は、熱暑の季節中、微風の通ふやうに一切開放したまゝだ。窓の役目をする障子も、また他の季節に於ては室と室を劃する不透明の屛障も、すべて取除けられて、建物の骨格の外は、床から天井に至る間に、何も殘つてゐない。住居の中は文字通りに障壁無しで、何れの方向へでも見通し得られる。宿屋の主人は群集がうるさいから表の方を閉めた。無言で笑顏を帶びた群集は背後へ行く。背後を閉めると、家の左右へ集まる。で、左右とも閉めねばならなくなつたから、暑さは堪へ難くなつた。すると、群集は穩和な抗議をした。

[やぶちゃん注:「屛障」「へいしやう(へいしょう)」と読み、広義には間仕切りや目隠しなどとして用いられる調度具類である、屏風・衝立・障子・几帳・壁代・幔幕など総てを指すが、ここでは「室と室を劃する不透明の」と述べており、何より、原文で「襖」のことと分かる。]

 

 そこで主人は癪に障つて、議論と理窟で群集を叱つた。しかし大聲を立てない。(この邊の人は怒つても大聲を立てない)主人が云つたことを、語意を強めて飜譯すると、次のやうなことである。

『あなた方は、まあ非道いことなさる。何が珍らしいもんだ。

 『芝居だねし。

 『輕業だにやし。

 『角力だなし。

 『何が面白いもんか。

 『御客樣だぜ、こりや。

 『今御食べなさる時ね、見るのは惡いことだ。御歸なさる時ねは見てもえい』

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、原文を見て頂ければ分かる通り、「芝居だねし」以下、「だにやし」「だなし」は総て「~でなし!」という否定形の当地の方言である(訳者落合氏は松江生まれであるからいい加減なものではあるまい)。「御歸なさる時ねは見てもえい」は――お帰りなさる時にゃ、これ、見てもええ――と許諾して懐柔しているのである。]

 

 しかし戸外で、柔かな笑聲が懇願をつゞけてゐる。氣をきかして、宿の女達にばかり願つてゐる。亭主の方はなかなか感動されぬから。して、願ふ方もまた理窟を言つた――

 『おばさん!

 『お嘉代さん!

 『障子開けてごしやつしやい! 見せてごしやつしやい。

 『見たてゝも、見て減(へ)るもんだねわね。

 『だけん、見せんやうにせんでもえいわね。

 『早、だけん、開けて』

[やぶちゃん注:「見たてゝも」見たとしても。

「見て減るもんだねわね」見たからって言って減るもんじゃあ、ねえわね。]

 

 この無邪氣な、おとなしい人達に見らるゝのが、私としては別に厭らしくも、煩さくもないから、家を閉ぢることは欣んで差止めたいが、主人自身に迷惑を感じてゐるらしいから、私は干渉することを欲しなかった。しかし群集は立ち去らない。段々増加してきて、私の出て行くのを待つてゐる。後方の高い窓には、その障子紙に散個の孔があつた。すると、孔へ達しようと、小さな人影の上るのが映つた。やがて何れの孔にも、人の眼が覗いてゐた。

 私が窓に近寄ると、覗いてゐた者どもが、こつそりと地面へ下りて、きやつと弱い笑聲を立てて逃げる。が、また直ぐ戻つてくる。これほど面白い群集は、想像することも出來ないだらう。大抵男兒も女兒も暑いから半裸體であるが、蕾の如く新鮮で、淸潔だ。驚く許り綺麗な顏も澤山あつて、あまり快感を與へないやうな顏は極く僅かだ。が、大人や老婦人は何處に居るのか知らん。實際これは加賀浦の人達でなくて、賽ノ河原の者のやうだ。男兒は小さな地藏さんのやうだ。

[やぶちゃん注:このハーンの慈愛に満ちた描写は素晴らしい!]

 

 食事の間、私は梨や大根の小片などを、障子の孔から外へつき出して面白がつた。初めは人々が大いに躊躇したり、銀聲の笑ひを洩してゐたが、やがて小さな手の影法師が、用心深げに屆いてきて、一つの梨は消失する。それからまた第二の梨も攫まないで、宛然幽靈がそれを我が物としたかの如く手柔かに、取られて了う。その後は、ある老婦が『魔法使ひ』といふ言葉を叫んで、恐慌を起こさうと務めたにも關らず、躊躇は止つた。食事が終つて、障子も取除けられる頃には、お互に仲の好い間柄となつた。群集はまた元の通り四隅から靜かに觀察を續けた。

[やぶちゃん注:「銀聲」「ぎんせい」であろうが、私は使ったことも見たこともない。甲高い賑やかな声ととっておく。]

 

 私は御津浦と加賀浦の若い人達ほど、二つの村民の容貌に顯著な差異を見たことはない。しかもたゞ一時間の航程を隔てるだけだ。日本の僻阪では、西印度のある島々に於ける如く、僅かばかり隔離せる住民間に、特種な容貌の發達を示してゐて、山の此側(こちら)の村民は極めて美しいのに、彼側の部落では、全然人好きのせぬ顏が多いこともある。が、この國の何處に於ても、私は加賀浦の一少女ほど綺麗なのを見たことはない。

[やぶちゃん注:この段落は特定の地域に対するハーン個人の好き嫌いに左右された面相上の差別的発言が含まれている。そうした意識への批判的視点を失わずに読まれたい。

「僻阪」見かけない熟語で、調べても出てこない。僻地と同義で既に使用例のある「僻陬」の誤植ではあるまいか? 大方の御批判を俟つ。

 なお、底本では次の段落との間は一行空きがあるので、二行空けを施しておく。]

 

 

 『お歸りの時ね、見てもえい』私共が灣へ下りると、村中のものが、久しく外出したこともない古老まで一緒になつてついてきた。下駄の音の外に聲を立てもしない。かやうにして私共は舟へ護送された。濱邊に引上げてあつた舟といふ舟には、若い者どもが輕く攀ぢ上つて、船首(へさき)や船緣(ふなべり)に坐つて、不思議なな『見ても減るものでね者』を凝視した。して、皆、微笑してゐた。しかし、相互にさへも。言葉を發しない。兎も角、誰も寢てゐるといふ感じを私に與へた。柔かで、温和で、且つまた奇異で、恰も夢に見る光景であつた。して、舟が靑く光つた水の上を走つて去るとき、私が願望すると、半圓形に列んだ小舟の上に、村民が皆控へて、まだ見詰めてゐた。子供の細い褐色の脚は、舳からぶら下がり、天鵞絨の如く黑い頭はじつと日光を受け、男兒の顏は地藏さんの如き笑顏をして、黑い優しいすべての眼は、まだ倦きることなく、『見ても減るものでね者』を注視してゐた。この光景が、あまりにも迅速に段々と遠くなつて行つて、掛物の幅ほどに小さくなつたとき、私はこの最後の眺めを買つて、床の間へ掛けて、折々それを觀賞したいものだと、空望を描いた。が、次の瞬間に、舟は岩の岬を囘つて、加賀浦は永遠に私の眼から消えた。一切萬物は、このやうに失せ去るのだ。

[やぶちゃん注:「空望」音なら「くうばう(くうぼう)」だが、どうも気に入らない。「そらのぞみ」も私は嫌いだ。「からのぞみ」と訓じておく。]

 

 たしかに、最も長く記憶に殘り、いつまでも浮んでくる印象は、最も一時的なものだ。私共は分間よりは瞬間を、時間よりはは分間を遙かに數多く覺えてゐる。それから、全一日を記憶してゐる人があるだらう?人の一生に於て、記憶されたる幸福の總量は、秒間が積んで作つたものだ。徴笑ほど果敢ないものがある?しかも消え失せた微笑の記憶が、いつ減びる?またその記憶が喚び起す、やさしい恨が、いつ滅びる?

[やぶちゃん注:落合氏のハーンの感懐を伝えんとする訳は痛いほど分かる。分かるがしかし、今や、古びた。平井氏の訳を示す。

   《引用開始》

 おもえば、人間の記憶に長くとどまる印象というものは、たしかにそれは刹那的なものが多いようである。なるほど、われわれは分よりも秒、時よりも分の方を多く記憶している。誰がまる一日のことを記憶しているものがあろう。一生のうちに憶えている幸福の総計も、すべてこの秒が積み上げたものなのだ。微笑ほどはかないものはない。しかも、いちど消えた微笑のその思い出は、いつになったら消えるのだろう。あるいはその思い出が呼び起す、あの惻々とした愛惜の思い、あれはいつになつたら消えるだろう。

   《引用終了》

老婆心乍ら、「惻々」とは、可愛そうに思うさま、憐れみ哀しむさまをいう。]

 

 或る一個人の微笑に對する愛惜の念は、一般の人情に幾分共通である。が、ある地方民全體の微笑、抽象的性質として見たる微笑に對する愛惜の念は、たしかに稀有の感じであつて、それは心で人民が恰も彼等の拜する石地藏の如く、永久に微笑してゐる、この東洋に於てのみ經驗せられることだと、私は思ふ。して、この貴重な經驗は既に私のものとなつた。私は加賀浦の微笑を名殘惜しく感じてゐる。

 同時に、妙に凄い佛教の傳説が思ひ出された。甞て佛陀が徴笑んだ。すると、その微笑の不可思議な光りによつて、無限の世界が照らされた。しかし、そこへ或る聲が聞えた。『これは眞實ではない!これは永續する譯に行かない!』して、光りは消えた。

[やぶちゃん注:この最後の部分、所謂「拈華微笑」の話をハーン流に皮肉に曲解したように思われてならないのだが、私の不勉強のせいだろうか? 私のトンデモ電子テクスト「無門関 全 淵藪野狐禅師訳注版」の「第六則」を引いておく。

   ※

 

  六 世尊拈花

 

世尊、昔、在靈山會上拈花示衆。是時、衆皆默然。惟迦葉尊者破顔微笑。世尊云、吾有正法眼藏、涅槃妙心、實相無相、微妙法門、不立文字、教外別傳、付囑摩訶迦葉。

 

無門曰、黄面瞿曇、傍若無人。壓良爲賤、懸羊頭賣狗肉。將謂、多少奇特。只如當時大衆都笑、正法眼藏、作麼生傳。設使迦葉不笑、正法眼藏又作麼生傳。若道正法眼藏有傳授、黄面老子、誑謼閭閻。若道無傳授、爲甚麼獨許迦葉。

 

頌曰

 

拈起花來

尾巴已露

迦葉破顔

人天罔措

 

淵藪野狐禪師書き下し文:

 

  六 世尊拈花(ねんげ)

 

 世尊、昔、靈山(りやうぜん)の會上(ゑじやう)に在りて、花を拈じて衆に示す。是の時、衆、皆、默然たり。

 惟だ迦葉尊者のみ、破顔微笑(みしやう)す。

 世尊云く、

「吾に、正法眼藏(しやうぱふげんざう)、涅槃妙心、實相無相、微妙法門有り、不立文字、教外別傳、摩訶迦葉(まかかせふ)に付囑(ふしよく)す。」

と。

 

 無門曰く、

 

「黄面(わうめん)の瞿曇(ぐどん)、傍若無人。良を壓して賤と爲し、羊頭を懸げて狗肉を賣る。將に謂はんとす、多少の奇特、と。只だ、當時の大衆、都てが笑ふごとくんば、正法眼藏、作麼生(そもさん)か傳へん。設(も)し迦葉をして笑はざらしめば、正法眼藏、又、作麼生(そもさん)か傳へん。若し正法眼藏に傳授有りと道(い)はば、黄面の老子、閭閻(りよえん)を誑謼(かうこ)す。若し傳授なしと道(い)はば、甚麼(なん)と爲(し)てか獨り迦葉を許す。」

と。

 

 頌して曰く、

 

花を拈起して

尾巴(びは)已に露はる

迦葉破顔

人天措(お)く罔(な)し

 

淵藪野狐禪師訳:

 

  六 世尊、蓮を捻(ひね)る

 

 世尊が、昔、霊鷲山(りょうしゅうざん)での説法の際、そこにあった一本の蓮の花を手にとると、黙ったまま、その茎をそっと捻って面前に示した。この時、会衆は皆、理由(わけ)が分からず、ただ默っているばかりであった。

 しかし、ただ迦葉尊者だけが、相好を崩して、にっこりと微笑んだ。

 それを見た世尊は、即座に言った。

「私には、深く秘められた不可思議不可得の真理(まこと)に透徹する眼、瞬時に迷いの火を吹き消す不可思議不可説の悟りの心、その実体実相が無体無相であるところの真実在、摩訶不思議の微妙玄妙なるまことの仏の道へと入る門が、確かに在(あ)るのだが――その不立文字、教外別傳のすべてを、この摩訶迦葉に委ねることとしよう。」

 

 無門、商量して言う。

「金色(きんじき)、ゴータマ、傍若無人。良民捕囚し、奴隷と成し、羊頭懸げて、狗肉を売る――そのありがたい悪どさを、褒めて言うなら、ご自身の、『あ、お釈迦様でも~、あ、御存知あるめえ~!』ほどの奇特殊勝じゃ!――

 

 閑話休題。

 だか、もし、世尊が拈花した際、当時の霊鷲山上の会衆全員が、一斉に破顔微笑(みしょう)したとしたら――世尊は、一体、その『正法眼藏』を、どのように伝えたというのであろうか?

 逆に、もし、世尊が拈花した際、そこにいたあの、摩訶迦葉を破顔微笑させることが出来なかったとしたら――世尊は、一体、その『正法眼藏』を、どのように伝えたというのであろうか?

 いや、そもそも、その『正法眼藏』が、伝授可能なものであるとするならば、金色のゴーダマは衆生を誑(たぶら)かしたことになる。

 いや、また逆に、その『正法眼藏』が伝授不可能なものであるとするならば、どうして迦葉だけに伝授することを許す、などということが出来るのであろうか?」

 

 次いで囃して言う。

 

flower クニャット ヒネッタラ

hipノアナマデ マルダシネ!

カショウニイサン smile good

nobody テダシハ サ・セ・ナ・イ・ワ!

 

[淵藪野狐禪師注:「頌」の起句の末にある「來」の字は、文末にあって語勢を強める助字=置字と判断して読まなかった。]

   ※

ハーン先生に怒られそうだ。大方の御叱正を俟つ。]

 

 

Sec. 8

As at Mitsu-ura, the water's edge is occupied by a serried line of fishing-boats, each with its nose to the sea; and behind these are ranks of others; and it is only just barely possible to squeeze one's way between them over the beach to the drowsy, pretty, quaint little streets behind them. Everybody seems to be asleep when we first land: the only living creature visible is a cat, sitting on the stern of a boat; and even that cat, according to Japanese beliefs, might not be a real cat, but an o-bake or a nekomata—in short, a goblin-cat, for it has a long tail. It is hard work to discover the solitary hotel: there are no signs; and every house seems a private house, either a fisherman's or a farmer's. But the little place is worth wandering about in. A kind of yellow stucco is here employed to cover the exterior of walls; and this light warm tint under the bright blue day gives to the miniature streets a more than cheerful aspect.

When we do finally discover the hotel, we have to wait quite a good while before going in; for nothing is ready; everybody is asleep or away, though all the screens and sliding-doors are open. Evidently there are no thieves in Kaka-ura. The hotel is on a little hillock, and is approached from the main street (the rest are only miniature alleys) by two little flights of stone steps. Immediately across the way I see a Zen temple and a Shinto temple, almost side by side.

At last a pretty young woman, naked to the waist, with a bosom like a Naiad, comes running down the street to the hotel at a surprising speed, bowing low with a smile as she hurries by us into the house. This little person is the waiting-maid of the inn, O-Kayo-San—name signifying 'Years of Bliss.' Presently she reappears at the threshold, fully robed in a nice kimono, and gracefully invites us to enter, which we are only too glad to do. The room is neat and spacious; Shinto kakemono from Kitzuki are suspended in the toko and upon the walls; and in one corner I see a very handsome Zen-but-sudan, or household shrine. (The form of the shrine, as well as the objects of worship therein, vary according to the sect of the worshippers.) Suddenly I become aware that it is growing strangely dark; and looking about me, perceive that all the doors and windows and other apertures of the inn are densely blocked up by a silent, smiling crowd which has gathered to look at me. I could not have believed there were so many people in Kaka-ura.

In a Japanese house, during the hot season, everything is thrown open to the breeze. All the shoji or sliding paper-screens, which serve for windows; and all the opaque paper-screens (fusuma) used in other seasons to separate apartments, are removed. There is nothing left between floor and roof save the frame or skeleton of the building; the dwelling is literally unwalled, and may be seen through in any direction. The landlord, finding the crowd embarrassing, closes up the building in front. The silent, smiling crowd goes to the rear. The rear is also closed. Then the crowd masses to right and left of the house; and both sides have to be closed, which makes it insufferably hot. And the crowd make gentle protest.

Wherefore our host, being displeased, rebukes the multitude with argument and reason, yet without lifting his voice. (Never do these people lift up their voices in anger.) And what he says I strive to translate, with emphasis, as follows:

'You-as-for! outrageousness doing—what marvellous is?

'Theatre is not!

'Juggler is not!

'Wrestler is not!

'What amusing is?

'Honourable-Guest this is!

'Now august-to-eat-time-is; to-look-at evil matter is.

Honourable-returning-time-in-to-look-at-as-for-is-good.'

But outside, soft laughing voices continue to plead; pleading, shrewdly enough, only with the feminine portion of the family: the landlord's heart is less easily touched. And these, too, have their arguments:

'Oba-San!

'O-Kayo-San!

'Shoji-to-open-condescend!—want to see! 'Though-we-look-at,

Thing-that-by-looking-at-is-worn-out-it-is-not!

'So that not-to-hinder looking-at is good.

'Hasten therefore to open!'

As for myself, I would gladly protest against this sealing-up, for there is nothing offensive nor even embarrassing in the gaze of these innocent, gentle people; but as the landlord seems to be personally annoyed, I do not like to interfere. The crowd, however, does not go away: it continues to increase, waiting for my exit. And there is one high window in the rear, of which the paper-panes contain some holes; and I see shadows of little people climbing up to get to the holes. Presently there is an eye at every hole.

When I approach the window, the peepers drop noiselessly to the ground, with little timid bursts of laughter, and run away. But they soon come back again. A more charming crowd could hardly be imagined: nearly all boys and girls, half-naked because of the heat, but fresh and clean as flower-buds. Many of the faces are surprisingly pretty; there are but very few which are not extremely pleasing. But where are the men, and the old women? Truly, this population seems not of Kaka-ura, but rather of the Sai-no-Kawara. The boys look like little Jizo.

During dinner, I amuse myself by poking pears and little pieces of radish through the holes in the shoji. At first there is much hesitation and silvery laughter; but in a little while the silhouette of a tiny hand reaches up cautiously, and a pear vanishes away. Then a second pear is taken, without snatching, as softly as if a ghost had appropriated it. Thereafter hesitation ceases, despite the effort of one elderly woman to create a panic by crying out the word Mahotsukai, 'wizard.' By the time the dinner is over and the shoji removed, we have all become good friends. Then the crowd resumes its silent observation from the four cardinal points.

I never saw a more striking difference in the appearance of two village populations than that between the youth of Mitsu-ura and of Kaka. Yet the villages are but two hours' sailing distance apart. In remoter Japan, as in certain islands of the West Indies, particular physical types are developed apparently among communities but slightly isolated; on one side of a mountain a population may be remarkably attractive, while upon the other you may find a hamlet whose inhabitants are decidedly unprepossessing. But nowhere in this country have I seen a prettier jeunesse than that of Kaka-ura.

 

'Returning-time-in-to-look-at-as-for-is-good.' As we descend to the bay, the whole of Kaka-ura, including even the long-invisible ancients of the village, accompanies us; making no sound except the pattering of geta. Thus we are escorted to our boat. Into all the other craft drawn up on the beach the younger folk clamber lightly, and seat themselves on the prows and the gunwales to gaze at the marvellous Thing-that-by-looking- at-worn-out-is-not. And all smile, but say nothing, even to each other: somehow the experience gives me the sensation of being asleep; it is so soft, so gentle, and so queer withal, just like things seen in dreams. And as we glide away over the blue lucent water I look back to see the people all waiting and gazing still from the great semicircle of boats; all the slender brown child-limbs dangling from the prows; all the velvety-black heads motionless in the sun; all the boy-faces smiling Jizo-smiles; all the black soft eyes still watching, tirelessly watching, the Thing-that-by-looking-at-worn-out-is-not. And as the scene, too swiftly receding, diminishes to the width of a kakemono, I vainly wish that I could buy this last vision of it, to place it in my toko, and delight my soul betimes with gazing thereon. Yet another moment, and we round a rocky point; and Kaka-ura vanishes from my sight for ever. So all things pass away.

Assuredly those impressions which longest haunt recollection are the most transitory: we remember many more instants than minutes, more minutes than hours; and who remembers an entire day? The sum of the remembered happiness of a lifetime is the creation of seconds. 'What is more fugitive than a smile? yet when does the memory of a vanished smile expire? or the soft regret which that memory may evoke?

Regret for a single individual smile is something common to normal human nature; but regret for the smile of a population, for a smile considered as an abstract quality, is certainly a rare sensation, and one to be obtained, I fancy, only in this Orient land whose people smile for ever like their own gods of stone. And this precious experience is already mine; I am regretting the smile of Kaka.

Simultaneously there comes the recollection of a strangely grim Buddhist legend. Once the Buddha smiled; and by the wondrous radiance of that smile were countless worlds illuminated. But there came a Voice, saying: 'It is not real! It cannot last!' And the light passed.

« 小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第九章 子供の精靈の――潜戸 (七) | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十章 美保の關にて (一) »