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2015/09/06

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第七章 神國の首都――松江 (一五)

        一五

 

 私もまた種々巡禮をせねばならぬ。それはこの市の周圍に、湖水の向ひに、或は山を越えて、非常に古い神聖な場所があるから。

 杵築大社――『底津石根に宮柱ふとしり、高天の原に氷木たかしりて』古代の神によつて建てられた、聖所中の至聖所――その祭司は太陽の女神から系統を引いたと云はれる場處。それから一畑の寺、盲者に明を與へ玉ふ藥師如來の有名な堂――その高い山の上ヘは、六百四十の石段を踏んで、達せられる一畑藥師。それから、淸水寺、千年來、壇前の神聖なる火が絶えず燃えてゐる、十一面觀音の寺。それから神聖な蛇が三寳の上に永久にとぐろを卷いて横はれる佐陀神社。それから、世界の造り主、神々と人問の父母なる伊弉諾、伊弉册の宮のある大庭村。それから戀人達が結婚を祈りに行く八重垣神社。それから加賀浦、加賀の潛戸さま――すべてこれ等を私は見物に行かうと思ふ。

 が、就中加賀浦へ!是非とも私は加賀浦へ行かねばならぬ。

 そこへは滅多に舟で詣る者がない。また船頭ももし『髮毛三本を動かす』ほどの風があつたなら、行つではならぬ。だから加賀へ遊ばうと思ふものは、極めて靜穩の季節――日本海岸では頗る稀れな――を待つか、或は陸で行かねばならぬ。しかも陸路は困誰だ。が、私は加賀を見ねばならぬ。何故といふに、加賀浦には、海岸の巨窟に有名な石地藏の像があるからだ。毎夜子供の亡靈が高い洞窟へ攀ぢ上つてきて、像の前へ小石を積み重ね、それで毎朝柔かな砂濱に小さな跣の新しい痕――幼兒の亡魂の痕を見受けるとのことだ。また洞内に婦人の胸から出るやうに、乳の流れる一つの岩があつて、その白い流れは絶えることなく、まぼろしの子供達が、それを吸ふのだといはれてゐる。參詣者は子供の履く小さな草履を持參して、洞の前へ献げておく。それは小さな亡靈が嶮しい岩角によつて足を傷けないためだ。また參詣者は疊んである小石が倒れないやうに、地を踏むのに注意する。もしそれが倒れると子供等が泣くから。

 

[やぶちゃん注:以下、実際に以後でハーンが赴く場所なので禁欲的に注する。

「杵築大社」出雲大社の別名。なお、出雲大社は「いづもおおやしろ」と読むのが正しい。

「底津石根に宮柱ふとしり、高天の原に氷木たかしりて」「古事記」の「上つ卷」の大国主の神話に出る、彼の根の堅州国(かたすくに)訪問の終りの方に出る、素盞嗚(すさのを)が自身の娘の須勢理毘売(すせりひめ)を大国主(厳密にはこの言上げによって大国主の名を称することとなる)に与える言上げの台詞の殆んど最後の文句である。原文は、

「於底津石根宮柱布刀斯理於高天原氷椽多迦斯理而居」

で一般に、

「底津石根(そこついはね)に宮柱(みやばしら)布刀斯理(ふとしり)、高天(たかま)の原(はら)に氷椽多迦斯理(ひぎたかしり)て居(を)れ。」

と読む。意味を採り易く漢字を変えると、

「底津石根(そこついはね)に宮柱(みやばしら)太(ふと)しり、高天(たかま)の原(はら)に氷椽(ひぎ)高(たか)しりて居(を)れ。」

で、これは私の娘の須勢理毘売を正妻とし、宇迦能(うかの:出雲郡宇迦郷)山の麓に、

「地の底の大磐石(だいばんじゃく)の上に突き届くよう、太い宮柱を掘り立てて、高天原(たかまがはら)に届かんばかりの棟木(むなぎ)を高々と大空へと挙げて、そこへ住め!

この野郎! といった意味である。

「一畑の寺」「盲者に明を與へ玉ふ藥師如來の有名な堂」「一畑藥師」「一畑」は「いちばた」と読む。既注。薬師瑠璃光如来本尊を本尊とする島根県出雲市小境町にある醫王山(いおうざん)一畑寺(いちばたじ)。

「淸水寺」「千年來、壇前の神聖なる火が絶えず燃えてゐる、十一面觀音の寺」島根県安来市清水町にある天台宗瑞光山清水寺(きよみずでら)であろう。本尊十一面観世音菩薩。

「神聖な蛇が三寳の上に永久にとぐろを卷いて横はれる佐陀神社」島根県松江市鹿島町佐陀宮内にある佐太神社(さだじんじゃ)のことであろう。

「伊弉諾、伊弉册の宮のある大庭村」「伊弉諾」は「いさなき」(私は当時の濁音発音を疑っている)、「伊弉册」は「いさなき」(同前)と読む。後者は「伊弉冉」「伊邪那美」「伊耶那美」「伊弉弥」などが一般的であるが、こうも書く(以下の引用を参照)。「宮」とは現在の松江市大庭町にある神魂神社(かもすじんじゃ)。ウィキ神魂神社によれば、『現在は伊弉冊大神(イザナミ)を主祭神とし、伊弉諾大神(イザナギ)を配祀するとしているが、これは中世末期ごろからのもので、それ以前の祭神は不明である。時代が下って寛文年間ごろの新嘗会祝詞には、熊野大神・大己貴命などの神名が見えるが、現在では記録上わかる範囲内で、より古いほうの説に従っている』。『社伝によれば、天穂日命がこの地に天降って創建したものと伝えられるが、『延喜式神名帳』、国史や『出雲国風土記』に当社は記載されておらず、文献における初見は』承元二(一二〇八)年の『鎌倉将軍下文であり、実際の創建は平安時代中期以降とみられている』。『当社は出雲国府に近い古代出雲の中心地であり、社伝では、天穂日命の子孫が出雲国造として』二十五代まで『当社に奉仕したという。出雲国造家は現在は出雲大社の宮司家であるが、国造家の代替わりのときの「神火相続式」「古伝新嘗祭」は、明治初年までは当社に参向して行われていた』とある。また、ここの本殿は現存する日本最古の大社造で国宝である、とある。

「八重垣神社」現在の松江市佐草町にある素盞嗚(すさのを)と櫛稲田姫(くしなだひめ)を主祭神とする神社で、二神の故事から縁結びの神社として信仰を集める。先の大庭町に馬蹄形に囲まれた中心部、神魂神社の西北西約一キロメートルに位置する。

「加賀浦」これは「かかうら」と濁らない(以下の通り、現在の行政上の地名でも清音)。松江市島根町加賀(かか)にある湾。

「加賀の潛戸」これは「かかのくけど」と読む(「加賀」の清音は前注参照)。松江市北部の旧島根町に属した日本海に面する潜戸鼻(くけどのはな)の先端部にある。ウィキ加賀の潜戸によれば、『佐太大神(佐太神社の祭神)の出生地といわれる』とある。『潜戸とは洞窟のことであり、安山岩、凝灰岩の岩盤が地殻変動に伴って断層や亀裂を発生させ、その割れ目に沿って日本海の荒波や強風が岩盤を長い歳月をかけて浸食していったことによって形成されたものである。海寄りの新潜戸と陸寄りの旧潜戸があり、自然的な特徴だけでなく、文化的価値観も全く異なるのが特徴である』とし、新潜戸(しんくけど)は三つの入り口があり、『中がトンネルのように連結された』全長二百メートルにも及ぶ『海中洞窟となっている。洞内は広』い。この新潜戸は「出雲国風土記」によれば、『佐太大神の生誕地と記されている。そのため、古くは加賀神社が鎮座し、神域となっていた。現在でもこの洞窟の中に旧社地を示す祠が設けられている。洞門は大神誕生の際、母神が金の矢を射通して作ったと語り継がれている』。一方、旧潜戸(きゅうくけど)の方は幅五・五メートルというかなり狭い入口の洞穴であるものの、『内部が広大なのが特徴で』、ハーンが述べる如く、『中には仏になった子供らが親を慕い小石を積み上げたと伝えられる賽の河原があり、独特の無常観を呈する。堤防から内部へ潜入するための遊歩道、トンネルが設けられている』とある。島根半島四十二浦巡り再発見研究会公式サイト「島根半島四十二浦巡り」内の加賀浦も詳しく必見である。ここの地図を見て頂ければ、陸路での訪問が極めて困難であることが判る。現在でも潜戸観光遊覧船による訪問が唯一の手段であるらしい。]

 

 

Sec. 15

I too must make divers pilgrimages, for all about the city, beyond the waters or beyond the hills, lie holy places immemorially old.

Kitzuki, founded by the ancient gods, who 'made stout the pillars upon the nethermost rock bottom, and made high the cross-beams to the Plain of High Heaven'—Kitzuki, the Holy of Holies, whose high-priest claims descent from the Goddess of the Sun; and Ichibata, famed shrine of Yakushi-Nyorai, who giveth sight to the blind—Ichibata-no-Yakushi, whose lofty temple is approached by six hundred and forty steps of stone; and Kiomidzu, shrine of Kwannon of the Eleven Faces, before whose altar the sacred fire has burned without ceasing for a thousand years; and Sada, where the Sacred Snake lies coiled for ever on the sambo of the gods; and Oba, with its temples of Izanami and Izanagi, parents of gods and men, the makers of the world; and Yaegaki, whither lovers go to pray for unions with the beloved; and Kaka, Kaka-ura, Kaka-noKukedo San -all these I hope to see.

But of all places, Kaka-ura! Assuredly I must go to Kaka. Few pilgrims go thither by sea, and boatmen are forbidden to go there if there be even wind enough 'to move three hairs.' So that whosoever wishes to visit Kaka must either wait for a period of dead calm—very rare upon the coast of the Japanese Sea—or journey thereunto by land; and by land the way is difficult and wearisome. But I must see Kaka. For at Kaka, in a great cavern by the sea, there is a famous Jizo of stone; and each night, it is said, the ghosts of little children climb to the high cavern and pile up before the statue small heaps of pebbles; and every morning, in the soft sand, there may be seen the fresh prints of tiny naked feet, the feet of the infant ghosts. It is also said that in the cavern there is a rock out of which comes a stream of milk, as from a woman's breast; and the white stream flows for ever, and the phantom children drink of it. Pilgrims bring with them gifts of small straw sandals—the zori that children wear—and leave them before the cavern, that the feet of the little ghosts may not be wounded by the sharp rocks. And the pilgrim treads with caution, lest he should overturn any of the many heaps of stones; for if this be done the children cry.

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