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2015/09/17

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第九章 子供の精靈の――潜戸 (二)

       二

 

 御津浦は山を背にして、斷崖に取卷かれた深い小灣の奥にある。山麓には狹い一帶の濱があるのみだ。して、此村の存在するのは、その事實に因る。それはこの邊の海岸には濱が稀れだから。人家は崖と海の間に集まつて、苦しげに壓搾された光景を呈して、且つ何となく大抵は船の破片で建てたやうな印象を與へる。小さな街、或は寧ろ小路は、小舟や小舟の髑髏といふべきものや、小舟の材木で滿ちてゐる。して、到る處に家屋よりも遙かに高い竹竿から、大きな、輝いた、褐色の漁網を吊るして乾してある。濱の曲線に沿ふて、また小舟が相並んでつゞいてゐるので、舟を越えねば水際には行かれまいと思はるゝほどであつた。宿屋はないが、車夫が何處かで加賀浦へ行く舟を僦ひに行つた間、私は或る漁師の家で休憩した。

 十分も立たぬ内に、その家の周圍に、半裸の大人や、全裸の子供など、二三百人が集まつてきた。彼等は建物を閉塞した。彼等は外人を見るため、戸口に一杯に立つたり、窓ヘ上つたりして、室の光りを暗くした。漁家の老主人が抗辯しても駄目であつた。激語を吐いたが、群衆は夥しくなるばかりであつた。で、障子を。悉く閉めた。が、紙に孔があつた。すると、すべて下方の孔では、好寄心に富める人々が交代して覗いて見る。上方の高い處の孔から、私は少々外を覗いて見た。群集は人好きのする相貌でなく、むさくるしく、愚鈍な、頗る醜い顏だ。しかし温和で無言だ。中に一人二人の綺麗な顏がある。他の概して粗末な顏の間に伍しては、異彩を放つて見えた。

 車夫は遂に舟を雇ふことに成功した。して、私は車夫と私の包圍者全部に伴はれて、濱邊へ突貫を成し就げた。濱の上の小舟を取除けて私共に通路が開かれ、それから私共は何等の故障もなく舟に乘り込んだ。私共の船頭は、櫓を漕ぐ者が二人だ――腰に唯六尺を卷いた老人が艫に居り、舳には全身着物を纒つて、松蕈の如き笠を被つた老婦人が居る。無論二人とも漕ぎ出した。どちらの方が強いとも、どちらが一層上手に漕ぐとも言ひにくいだらう。私共乘客は舟の眞中の蓆の上に東洋風に坐る。眞赤に燃えた炭火を澤山備へた火鉢が、煙草を御吸ひなさいと云はんばかりに据ゑてある。

 

[やぶちゃん注:この章を読むと、なんだか無暗にぞくぞくしてくる自分を感じる。――その実景が実際に見える――と言ってもよいのだ。ハーンは名作「ゴジラ」の監督本多猪四郎(ほんだいしろう/「いのしろう」と呼ばれることが多いが、正しくは「いしろう」である)先生のように、こうしたモブ・シーンが実に上手い。ロケ地も、まさにあの初代「ゴジラ」が最初に上陸する「大戸島」に設定した伊勢志摩のロケ地、石鏡(いじか)に似た漁村のように感じられ、故本多監督にこのシークエンスを撮ってもらいたかった気がしてくるぐらいなんである。因みに本多先生は日本初の本格水中撮影(先生の監督デビュー作である一九四九年の短編ドキュメンタリー「日本産業地理大系第一篇 国立公園伊勢志摩」に於いてで、それが先生の初劇映画である一九五一年の「青い真珠」でも遺憾なく発揮されている)をなさった監督としても知られる(私は初代一九五四「ゴジラ」をこよなく愛する真正ゴジラ・フリークなんである。どれくらいフリーキーかというと――まずは私のシナリオ分析で総合学習用の授業案でもあるメタファーとしてのゴジラをご覧あれかし――)。大いなる脱線で悪しからず。

「僦ひ」「やとひ」と読む。「僦ふ」は「雇ふ」に同じい。

「六尺」「六尺褌(ふんどし)」の略。但し、この場合の「尺」は一般に我々が耳にすることが多い「曲尺」(かねじゃく:大工が用いる直角に曲がった金属製の物差である「差し金」の計量単位に基づく一尺を約三十・三センチメートル相当とするもの)の「尺」ではなく、「鯨尺」(くじらじゃく:江戸時代から主に呉服の布地の長さを測るのに用いられていた尺。鯨尺一尺は三十七・八七九センチメートルほどで(明治の事後規定値)、普通の曲尺の凡そ一・二五倍で、曲尺一尺は鯨尺では八寸に相当した。呼称はその和裁用物差が当初は鯨の髭を用いていたことに由来すると伝える)の尺であるから、鯨尺六尺は約二百二十八センチメートル相当を意味する。通常の六尺褌の長さはウィキ六尺褌によれば約百八十から長いもので三百センチメートル程度(幅は約十六から三十四センチメートルほど)の晒(さら)しの布を用いることからほぼ平均値となる鯨尺六尺が愛称となった。赤のイメージが強いが、本来的には祭儀上の潔斎を意味す白を基調としていたと思われ、その後に呪術的な魔除けとしての対になる赤フン(対になる点で二軍を示してプラグマティクでもあった)が生まれたものであろう。しばしば赤フンは海の鮫除けとして効果があると言われるが、鮫が赤色を忌避するという事実は私は聴いたことがなく、これは海士(あま)が鮫に襲われた際に褌を解いて流してそれに鮫が気をとられているうちに逃げおおせることが出来るというのが事実であろうと考えている。閑話休題。無論、このシーンでも私はこの僻村の貧しい漁師には白のそれを穿かせる。

「松蕈」「まつたけ」と読む。但し、原文は“a mushroom”であるから、最早、異様な高価稀少価値概念を属性として保持してしまっている松茸は現代の読者には特異的感覚を引き起こすので、単に「蕈(きのこ)」の方がよい。平井呈一氏も『キノコ』とされている。]

 

 

Sec. 2

Mitsu-ura stands with its back to the mountains, at the end of a small deep bay hemmed in by very high cliffs. There is only one narrow strip of beach at the foot of the heights; and the village owes its existence to that fact, for beaches are rare on this part of the coast. Crowded between the cliffs and the sea, the houses have a painfully compressed aspect; and somehow the greater number give one the impression of things created out of wrecks of junks. The little streets, or rather alleys, are full of boats and skeletons of boats and boat timbers; and everywhere, suspended from bamboo poles much taller than the houses, immense bright brown fishing-nets are drying in the sun. The whole curve of the beach is also lined with boats, lying side by side so that I wonder how it will be possible to get to the water's edge without climbing over them. There is no hotel; but I find hospitality in a fisherman's dwelling, while my kurumaya goes somewhere to hire a boat for Kaka-ura.

In less than ten minutes there is a crowd of several hundred people about the house, half-clad adults and perfectly naked boys. They blockade the building; they obscure the light by filling up the doorways and climbing into the windows to look at the foreigner. The aged proprietor of the cottage protests in vain, says harsh things; the crowd only thickens. Then all the sliding screens are closed. But in the paper panes there are holes; and at all the lower holes the curious take regular turns at peeping. At a higher hole I do some peeping myself. The crowd is not prepossessing: it is squalid, dull-featured, remarkably ugly. But it is gentle and silent; and there are one or two pretty faces in it which seem extraordinary by reason of the general homeliness of the rest.

At last my kurumaya has succeeded in making arrangements for a boat; and I effect a sortie to the beach, followed by the kurumaya and by all my besiegers. Boats have been moved to make a passage for us, and we embark without trouble of any sort. Our crew consists of two scullers—an old man at the stem, wearing only a rokushaku about his loins, and an old woman at the bow, fully robed and wearing an immense straw hat shaped like a mushroom. Both of course stand to their work and it would be hard to say which is the stronger or more skilful sculler. We passengers squat Oriental fashion upon a mat in the centre of the boat, where a hibachi, well stocked with glowing charcoal, invites us to smoke.

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