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2015/09/09

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第七章 神國の首都――松江 (二二) / 第七章~了

       二二

 

 家へ歸つてから、私は今一度小さな障子を開けて、外の夜景を眺める。螢が長く光るやうに、橋の上を提燈がちらちらする。黑ずんだ流れの上に澤山の燈影が慄へてゐる。對岸の家の廣い障子が、外からは見えぬランプの薄黄色の光を浴びて、その明るい面に優美な婦人の影法師の動くのが見える。私は日本でガラスが一般に採用されるやうなことのないのを熱望に堪へない――面白い映像がなくなるから。

 暫く市街の聲に耳を澄ませる。暗黑を渡つて洞光寺の大きな鐘が、その柔味のある佛教的な。雷聲を轟かすや、一杯機嫌で散歩に出た人々の歌や、夜の行商人の長い朗かな呼聲が聞える。

 『温飩やい、蕎麥やい』是は熱い蕎麥を賣る者が最後に巡るのである。

 『占判斷、待人緣談、矢せ物、人相、家相、吉凶の占』これは賣卜者の聲。

 『飴湯』子供が好いてゐて、琥珀色をした、旨い糖液の水飴を賣る者の音樂的な聲。

 『甘粥』米で作つた甘酒をうる者の金切聲。

 『河内國瓢丹山戀の辻占』小さなぼんやりした繪がついて、美しい色をした戀占の紙片を賣りあるくのである。この紙片を火か、ランプの近くで持つてゐると、目に見えないインキで書いてある文字が現れてくる。その文字はいるも戀人に關したことで、時には常人が知りたくないことも知らせる。幸運者によい文句が當ると、尚一層幸運の自信を增し、不運な人は斷然絶望し、嫉妬を抱いてゐる者には、猶その念が募ってくるのである。

 全市から夜の空へ、沼の大きな蛙が發するぶつぶつの音や、遠雷のやうな音が立上ぼる――舞妓の小さな太鼓の響である。橋の上に澤山の下駄の音が瀑布のやうに絶えず響く。新しい光が東の空に上ぼる。白い水煙を隔てて非常に大きく、物すごく、靑ざめた月が、峯々の背後から輪轉して上ぼる。すると、また多くの拍手が聞える。橋から通行人が『お月さま』を拜むのである。

 何處かの苔むした癈寺の境内で、影ごつこや、鬼子つこの遊戯をしてゐる子供等の夢をみやうと思って、私は寢に就く。

    註。古事記の神話によると、『月の神』

    は男神である。然し學者だけが讀みう

    る古代日本文で書かれた古事記のこと

    を、一般人民は毫も知らない。だから

    彼等は丁度古代希臘の牧歌作者と同樣、

    月に向つて「お月さま」と呼ぶ。

 

[やぶちゃん注:「洞光寺」「とうこうじ」と濁らずに読まれたい。既出既注

「温飩」「うどん」。「饂飩」に同じい。

「賣卜者」「ばいぼくしや」。報酬を得て占いをする占い師のこと。

「甘粥」甘酒の別称。「あまがゆ」以外にこれで「あまがい」とも読むようである。

「河内國瓢丹山戀の辻占」東大阪市近鉄瓢箪山駅前ジンジャモール瓢箪山のブログの「ひょこタンヒストリー53 恋の辻占盛衰記」に驚くほど詳しい解説が記されてある! 必見! またこの記事やその他の情報から「瓢丹山」は瓢箪山で、現在の大阪府東大阪市瓢箪山町にある、まさに恋占(こいうら)知られる瓢箪山稲荷神社を指すことが判った。ウィキの「瓢箪山稲荷神社」を見ると、この瓢箪山というのは自然の丘陵ではなく、『社本殿の背後にある小丘は、通称「瓢箪山古墳」とよばれる、古墳時代後期』の六世紀末頃に『作られた双円墳で、山畑古墳群の中で最大・最古のもの』とあり、『そのヒョウタンに似た形状から、古墳および一帯の地名が「瓢箪山」と呼ばれるようになった』とある。創建は天正一一(一五八四)年で、『豊臣秀吉が大坂城築城にあたり、巽の方(大坂城の南東)三里の地に鎮護神として伏見桃山城から「ふくべ稲荷」を勧請したことが由緒とされる』。恋占については、『江戸時代から近くの東高野街道において辻占いの風習があったが、明治時代初めごろに宮司が「辻占」を創始し、「淡路島かよふ千鳥の河内ひょうたん山恋の辻占」として日本全国に知られるようになった』とある。

「全市から夜の空へ、沼の大きな蛙が發するぶつぶつの音や、遠雷のやうな音が立上ぼる――舞妓の小さな太鼓の響である。」この訳では、明らかに蛙の声と芸妓の打つ小太鼓の音の両方が聴こえることになのであるが(少なくとも私はそのようにしか読めない)、原文を見ると、“From all over the city there rises into the night a sound like the bubbling and booming of great frogs in a marsh—the echoing of the tiny drums of the dancing-girls, of the charming geisha.”で(実は原文引用の底本としている gutenberg のHTML版では、この“marsh”の綴りが“march”となっており、原本画像を調べたところ、誤植であることが判ったので訂してある)、これは私のような英語の苦手な人間が読んでも、「沼の大きな蛙が發するぶつぶつの音」が「舞妓の小さな太鼓の響」の直喩であることが分かり、また、「遠雷のやうな音」に相当するのが、どうも“the echoing”の箇所らしいことぐらいは分かる。そもそもこの日本語、「全市」中に「沼」がそこたらじゅうにあるということになって、どうもこの訳、しっくりこないのである(運河様の川はが多く走っているがそれを「沼」とは呼ばない。なお、宍道湖は周辺は浅いものの、最深部は六・四メートルあって、「宍道沼」――一般的に水深五メートル以内のものを「沼」と呼称する――とは絶対に呼ばない)平井呈一氏は『町の中心地から夜の空へと、なにか沼にでも住む大きな蛙でも鳴くような音がのぼる、これは町の舞妓や芸者がたたく小さな太鼓のひびきだ。』とあって、実にすんなりと読めるのである。

「お月さま」原注原文を見て頂くと分かるように“O-Tsuki-San, or 'Lady Moon,'”であって、ハーンは、日本人は「お月さん」或いは「月婦人」と月を女性名で呼ぶ、日本人は月を女だと思っている、と述べているのである。これは恐らく、ハーンが「おつきさま」の対として「おてんとうさま」があって、太陽は神道の神の天照大神で女性であるから、全く同様の敬称を前後につける月も女性と日本人は認識していると理解したものであろう。そこに「古事記」月の男神である月讀(つくよみ:「古事記」では伊弉諾(いさなぎ)が黄泉国から逃げ帰ることに成功して日向の海岸で禊(みそぎ)をした際に右目から生まれたとされる。言わずもがな乍ら、左目からは天照大神、鼻からは建速須佐之男(はやすさのを=すさのを)が生まれたとする)、ところが「日本書紀」では、伊弉諾と伊弉冉(いさなみ)の間に生まれたという説、「古事記」は逆に左目から生まれたという説、右手に持った白銅鏡から生成したとする話などとあって一定しない。以上は一部、ウィキの「ツクヨミ」を参考にした)を男神の証拠として引くのであるが、実は月讀を男神(天照大神の弟ともされる)で天照大神の弟などとするのは後世の国学者などによる解釈説であって、実際にはその性別は記紀の孰れにも述べられていない。加えて「お~さん」の敬語表現を以って本邦での絶対的限定女性呼称とする訳にはいかないようにも思われ、ややこのハーンの謂いには違和感を覚える。寧ろ彼はここでギリシャ神話を引き合いに出しているように(ハーンの母はギリシャ人である)、同神話で太陽がヘリオス或いはアポロンという男神であり、月の女神がアルテミス(アポロンの姉ともされる)であるという事実との強い共時性を感じ取っているとは言えまいか?(なおウィキの「太陽神」には、『太陽神といえばギリシア神話やエジプト神話に登場する男神が想像されるが、ブライアン・ブランストンを始めとする神話学者の中には、太陽神は男神よりも女神の方が主流であると論ずる向きがある。男神がギリシア神話やエジプト神話などの著名な神話に登場することが原因となり、太陽神=男神という解釈が生まれたというのである。「太陽=男=光」と「月=女=闇」の二元性は、オルペウス教やグノーシス主義の思想を源とするヨーロッパ地方の説話に少なからず見受けられるが、例外として、太陽が女神で月が男神となっている北欧神話、バルト神話の存在は注目に値するものである。日本神話の天照大神も太陽神・女神であるが、対をなす月神の月読命は性別が明らかでない(一般には男神)』とある) そうしてまた、そこには背後にハーンの母親に対する強い思慕の念(父像を殊更に排除拒否した)が隠れていることが強く感じられるのである。因みにラテン語では太陽は“sol”で男性名詞、月は“lūna”で女性名詞であり、当然の如く、現代フランス語でも“le soleil”(太陽)は男性名詞、“la lune”(月)は女性名詞ではある。]

 

 

Sec. 22

At home again, I slide open once more my little paper window, and look out upon the night. I see the paper lanterns flitting over the bridge, like a long shimmering of fireflies. I see the spectres of a hundred lights trembling upon the black flood. I see the broad shoji of dwellings beyond the river suffused with the soft yellow radiance of invisible lamps; and upon those lighted spaces I can discern slender moving shadows, silhouettes of graceful women. Devoutly do I pray that glass may never become universally adopted in Japan—there would be no more delicious shadows.

I listen to the voices of the city awhile. I hear the great bell of Tokoji rolling its soft Buddhist thunder across the dark, and the songs of the night-walkers whose hearts have been made merry with wine, and the long sonorous chanting of the night-peddlers.

'U-mu-don-yai-soba-yai!' It is the seller of hot soba, Japanese buckwheat, making his last round.

'Umai handan, machibito endan, usemono ninso kaso kichikyo no urainai!'

The cry of the itinerant fortune-teller.

'Ame-yu!' The musical cry of the seller of midzu-ame, the sweet amber syrup which children love.

'Amail' The shrilling call of the seller of amazake, sweet rice wine.

'Kawachi-no-kuni-hiotan-yama-koi-no-tsuji-ura!' The peddler of love- papers, of divining-papers, pretty tinted things with little shadowy pictures upon them. When held near a fire or a lamp, words written upon them with invisible ink begin to appear. These are always about sweethearts, and sometimes tell one what he does not wish to know. The fortunate ones who read them believe themselves still more fortunate; the unlucky abandon all hope; the jealous become even more jealous than they were before.

From all over the city there rises into the night a sound like the bubbling and booming of great frogs in a marsh—the echoing of the tiny drums of the dancing-girls, of the charming geisha. Like the rolling of a waterfall continually reverberates the multitudinous pattering of geta upon the bridge. A new light rises in the east; the moon is wheeling up from behind the peaks, very large and weird and wan through the white vapours. Again I hear the sounds of the clapping of many hands. For the wayfarers are paying obeisance to O-Tsuki-San: from the long bridge they are saluting the coming of the White Moon-Lady.[10]

I sleep, to dream of little children, in some mouldering mossy temple court, playing at the game of Shadows and of Demons.

 

10 According to the mythology of the Kojiki the Moon-Deity is a male divinity. But the common people know nothing of the Kojiki, written in an archaic Japanese which only the learned can read; and they address the moon as O-Tsuki-San, or 'Lady Moon,' just as the old Greek idyllists did.

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