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2015/09/05

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第七章 神國の首都――松江 (一四)

        一四

 

 一隊の巡禮者がやつてくる。黃色な藁の蓑かさをきて、松蕈の狀をした大きな黃色な藁の笠を被つて、下方へ曲つた笠の緣が半ば顏を隱してる。皆金剛杖を突いてゐる。下肢を自由にするため、着物を十分捲くり上げて居る。上肢は一種名狀し難い恰好の白木綿の脚絆で包んである。數世紀前にも、この種の服裝をこの種の旅人が着てゐたのである。而して、今この全家相携へて漂浪し、子供は父の手に縋りながら、彼等が列をなして過ぎるのを諸君が見る通りに、百年も經た日本の繪本の色褪せた紙面に、彼等が奇異な列をなして通るのを諸君は見るでせう。

 折々彼等は店頭に立止つて、珍しい物どもを眺める。眺めるのは面白いが、買ふ金錢はない。

 私は驚異すべき事實や、面白いとか、並外づれたとかの光景に接し慣れたので、もし別段變つたことの起らぬ日には、何となく不滿足を感ずるほどである。――しかし、そんな空虛の日は稀である。それは私の場合では、天氣があまり惡くて、外出の出來ない日に限る。その譯はいつも極く僅の金錢で、珍品異物を眺める快樂が得られるからである。この快樂は昔から長い間の日本に於て、一般人民の主要な快樂の一となつてをつた。それは國民が代々珍々な物を作り、又求めることに一生を過ごしたからである。實際面白く娯んでくらすといふのが、赤ん坊時代に驚嘆の眼を開くから始まつて、日本人の一生涯の主眼であると思はれる。人々の顏に靜と堪へ忍んで期待するやうな、一種の何ともいへない樣子がある。――何か面白いものが出てくるのを待つてゐるやうな風情。もし出て來ねば旅行して求める。彼等は驚くべき健脚で倦むことを知らざる巡禮者である。そして神々を喜ばせると同樣に、立派な珍らしい物を見て、自ら楽しむために巡禮に出るのだと私は思ふ。それは神社佛閣は皆一個の博物館である。して、國中の山といふ山、谷といふ谷には社寺や奇觀があるからである。

 自作の米さへ食べられぬ極貧の農夫でも、一ケ月ほどの巡禮が出來る。稻にまだ左程世話の要らない季節中、散千の貧乏百姓が巡禮に出掛ける。これは、昔から誰でも少しづゝ巡禮者を助けるのが、習慣となつてゐるから、出來得るのだ。で、彼等は巡禮者ばかりを泊めて、單に彼等の食物を煮る薪の代だけを求める、木賃宿といふ特別の宿に就て、雨露を凌ぎ安眠を得ることが出來る。

 が、澤山の貧民共は、一ケ月以上、更に長い時日のかかる巡禮、例へば三十三ケ所の觀音へ、又は八十八ケ所の弘法大師へ巡禮に廻はる。それらは多くの月日を要するのであるが、それでも、日蓮宗の大袈裟な千ケ寺巡禮に比べると、何でも無い。それには二三十年かかることもある。若い頃から始めて、靑春が疾くの昔に過ぎてから、やつと終はることもある。しかし松江に男や女の中に幾名も、この素晴らしい巡禮を成就して、日本全國を見物し、しかも單に乞食をしたばかりでなく、一種の行商を營みつゝ、旅費を拂つて行つたものがある。

 この巡禮を行はんとするものは、御厨子の形の小さな箱を肩に負つて、その中へ豫備の衣類と食料を貯へておく。彼はまた小さな眞鍮の銅鑼を持ち、町や村を通る折、絶えず南無妙法蓮華經と誦へながら、それを鳴らして行く。彼はまた一卷白紙の書册を携帶し、それに彼が訪問する寺々の僧が、朱色の寺印を捺す。巡禮が終はつてから、この千ケ寺の印譜は、當人の家に取つて、代々の什物となる。

 

[やぶちゃん注:「松蕈の孃」は「まつたけのなり」と訓じたい。

「隱してる」はママ。

「娯んで」老婆心乍ら、「たのしんで」(楽しんで)と読む。

「木賃宿」ウィキの「木賃宿」より引用しておく。木賃宿(きちんやど)は『日本の宿泊施設の種類の一つ』で、『本来の意味は、江戸時代以前の街道筋で、燃料代程度もしくは相応の宿賃で旅人を宿泊させた最下層の旅籠の意味である。宿泊者は大部屋で、寝具も自己負担が珍しくなく、棒鼻と呼ばれた宿場町の外縁部に位置した。食事は宿泊客が米など食材を持ち込み、薪代相当分を払って料理してもらうのが原則であった。木賃の「木」とはこの「薪」すなわち木の代金の宿と言うことから木賃宿と呼ばれた。木銭宿(きせんやど)ともいう。また、商人宿、職人宿などを含む場合もある』。『宿場制度のなくなった明治以後は単に安価で粗末な宿泊施設や安宿を意味する言葉となった』。明治二〇(一八八七)年に公布された『「宿屋営業取締規則」においては、木賃宿を宿泊施設の一形態として、「賄(まかない)を為さず木賃その他の諸費を受けて人を宿泊せしむるもの」と定義している。場所も街道から都市部のいわゆる貧民街に増加し、労働者や無宿人を畳一枚程度で雑魚寝させる貧民の巣窟となった。明治末期に横山源之助、幸徳秋水などが調査を行い、体験記録を残しているが、「見るにも聞くにもただただ驚き恐るるのほかなき別世界、黄泉にもかかる生き地獄のあるべきや」と表現されるものであった。「やど」を逆にした「ドヤ」という言葉ができるのもこの頃である。この形態の木賃宿は現代まで存続し、簡易宿所となった』とある。「ブリタニカ国際大百科事典」では慶長一九(一六一四)年の令から「旅人、驛家に投じて、その柴薪を用ふれば、木賃鐚錢(びたせん)三文を出し」と引いている。現在の五十円程度か。個人ブログかと思われる「懐かしの別府ものがたり」のNo1150 旅籠専業はわずか6軒 明治35年新撰豊後温泉誌を読む木賃が多かった当時の宿」を見ると、十二年後の温泉の木賃宿のケースであるが、『木賃料は上等―下等が12銭―8銭、ほかに蒲団・敷蒲団の料金などもあった』とある。現在で換算すると二千四百円から千六百円になる。因みに現在の簡易宿泊所は表示では一泊千円というのをよく見かける。

「三十三ケ所の觀音」不勉強で知らなかったが、これは「西国三十三ヶ所(さいごくさんじゅうさんしょ/さいこくさんじゅうさんしょ)」で、近畿二府四県と岐阜県に点在する三十三箇所の観音の霊場を巡礼する本邦では最も古い巡礼行の一つである。細かくはウィキの「西国三十三所」を参照されたい。

「千ケ寺巡禮」当初から強い権力志向とファンダメンタリズムを持つ日蓮宗には個人的に興味も関心もあまり起ったことがないのでよく知らなかったが、これは「千箇寺参り」と呼ばれるもので、「ブリタニカ国際大百科事典」によれば、日蓮宗信者が祖先追善や自己の罪障消滅のために、手に団扇太鼓 (うちわだいこ) 、首に頭陀袋(ずだぶくろ)、背に十界曼荼羅(じっかいまんだら:日蓮宗の本尊とされる日蓮が創始した曼荼羅図で、中央に「南無妙法蓮華経」の題目を大書し、その周囲に十界を描き込んで、それを「法華経」の真実を図示したものとしたもの。中央と周囲との関係は久遠成仏の本仏と迹門〔しゃくもん:天台宗・日蓮宗に於いて法華経二十八品の前半である序品(じょぼん)から安楽行品にまでの十四品を指し、この世に垂迹した仏(釈尊)が一切衆生それぞれに対応して様々に説いた部分とされ、ここで言う「本仏」=「本門」の対語〕としての世界の一体不二の妙理を示すものという)の木札をつけた箱という姿で、題目を称えつつ、身延山をはじめとして同宗の寺院千ヶ寺を選んで巡拝する行事を指すという。但し、これは日蓮宗で特に知られるようになったもので、他宗でも誓願を以って選んだ千ヶ寺を巡礼するという難行は、それ以前(日蓮宗誕生以前)にも存在したように思われる。交通手段の発達しかけた当時に於いてはそれを果たしたという若者がいたとしても、必ずしも不思議ではなく、宗派教団内に於いてもそうした事実(かどうかは不詳であるが)は何より格好の宣伝効果を持ったであろうことは想像に難くない。]

 

 

Sec. 14

Here come a band of pilgrims, with yellow straw overcoats, 'rain-coats' (mino), and enormous yellow straw hats, mushroom-shaped, of which the down-curving rim partly hides the face. All carry staffs, and wear their robes well girded up so as to leave free the lower limbs, which are inclosed in white cotton leggings of a peculiar and indescribable kind. Precisely the same sort of costume was worn by the same class of travellers many centuries ago; and just as you now see them trooping by -whole families wandering together, the pilgrim child clinging to the father's hands—so may you see them pass in quaint procession across the faded pages of Japanese picture-books a hundred years old.

At intervals they halt before some shop-front to look at the many curious things which they greatly enjoy seeing, but which they have no money to buy.

I myself have become so accustomed to surprises, to interesting or extraordinary sights, that when a day happens to pass during which nothing remarkable has been heard or seen I feel vaguely discontented. But such blank days are rare: they occur in my own case only when the weather is too detestable to permit of going out-of-doors. For with ever so little money one can always obtain the pleasure of looking at curious things. And this has been one of the chief pleasures of the people in Japan for centuries and centuries, for the nation has passed its generations of lives in making or seeking such things. To divert one's self seems, indeed, the main purpose of Japanese existence, beginning with the opening of the baby's wondering eyes. The faces of the people have an indescribable look of patient expectancy—the air of waiting for something interesting to make its appearance. If it fail to appear, they will travel to find it: they are astonishing pedestrians and tireless pilgrims, and I think they make pilgrimages not more for the sake of pleasing the gods than of pleasing themselves by the sight of rare and pretty things. For every temple is a museum, and every hill and valley throughout the land has its temple and its wonders.

Even the poorest farmer, one so poor that he cannot afford to eat a grain of his own rice, can afford to make a pilgrimage of a month's duration; and during that season when the growing rice needs least attention hundreds of thousands of the poorest go on pilgrimages. This is possible, because from ancient times it has been the custom for everybody to help pilgrims a little; and they can always find rest and shelter at particular inns (kichinyado) which receive pilgrims only, and where they are charged merely the cost of the wood used to cook their food.

But multitudes of the poor undertake pilgrimages requiring much more than a month to perform, such as the pilgrimage to the thirty-three great temples of Kwannon, or that to the eighty-eight temples of Kobodaishi; and these, though years be needed to accomplish them, are as nothing compared to the enormous Sengaji, the pilgrimage to the thousand temples of the Nichiren sect. The time of a generation may pass ere this can be made. One may begin it in early youth, and complete it only when youth is long past. Yet there are several in Matsue, men and women, who have made this tremendous pilgrimage, seeing all Japan, and supporting themselves not merely by begging, but by some kinds of itinerant peddling.

The pilgrim who desires to perform this pilgrimage carries on his shoulders a small box, shaped like a Buddhist shrine, in which he keeps his spare clothes and food. He also carries a little brazen gong, which he constantly sounds while passing through a city or village, at the same time chanting the Namu-myo-ho-ren-ge-kyo; and he always bears with him a little blank book, in which the priest of every temple visited stamps the temple seal in red ink. The pilgrimage over, this book with its one thousand seal impressions becomes an heirloom in the family of the pilgrim.

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