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2015/09/15

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第八章 杵築――日本最古の社殿 (一三)・(一四)

        一三

 

 次の事實をも、私は聞いた――

 毎年大社は新しい火鑽を受ける。が、それは杵築で作るのでなく、熊野で作る。そこではその作り方の慣例が、神代から傳つてゐる。最初の出雲國造は、宮司となつたとき、大社の火鑽を太陽の女神の弟で、今、熊野の宮に祀つてある神の手から受けた。で、その時代から大社の火鑽は唯だ熊野【譯者註一】で作られた。

 最近まで杵築の宮司に新しい火鑽を渡す式は、卯の日祭といふ祭の日に、大庭(おほば)の【譯者註二】神社で行はれた。卯の日祭といふ古式は十一月に何處でも行はれたものであつたが、維新後は廢絶して、たゞ神々と人間の母、伊弉册の神を祀れる出雲大庭にのみ行はれた。

 毎年この祭にに當つて、國造は二枚重ねの餅を献品として大庭へ携へて行く。大庭で龜太夫といふ男が出迎へる。この男が熊野から火鑽を持つてきて、大庭の神官へ渡したのだ。傳記によれば、龜太夫の役目はやゝ滑稽じみたもので、神官は誰もその役目を引受けることを欲しないから、人を雇つたのである。龜太夫の任務は、國造の献品に對して、文句を插むのだ。で、この地方では今でも兎角、謂はれもなく疵をつけたがる人のことを『龜太夫のやうだ』といふ。

 龜太夫は餅を調達して、批評を始める。『今年のは昨年のより餘程小さい』と言ふ。神官が答へて『いや、それは大變御見當違ひです。實際餘程大きいのです』といふ。『色が昨年のほど白くありません。また粉が細かく碾いてないやうです』とか、種々このやうな假想的缺點に對して、神官は懇到なる説明又は陳謝をする。

 この式が了つた後、式に用ひられた榊の枝は、人々がそれを競ひ求め、呪符の功驗があるといふので、高價で賣れる。

    譯者註一。八束郡熊野村にある、國幣中社熊野神社を指す。

    譯者註二。熊野の隣村、八束郡大庭村。

 

[やぶちゃん注:「大庭の神社」「八束郡大庭村」これは現在の島根県松江市大庭町にある神魂(かもす)神社のことと思われる。ウィキ神魂神社によれば、『本殿は現存する日本最古の大社造りで国宝』で、『現在は伊弉冊大神(イザナミ)を主祭神とし、伊弉諾大神(イザナギ)を配祀するとしているが、これは中世末期ごろからのもので、それ以前の祭神は不明である。時代が下って寛文年間ごろの新嘗会祝詞には、熊野大神・大己貴命などの神名が見えるが、現在では記録上わかる範囲内で、より古いほうの説に従っている』。『社伝によれば、天穂日命がこの地に天降って創建したものと伝えられるが、『延喜式神名帳』、国史や『出雲国風土記』に当社は記載されておらず、文献における初見は』承元二(一二〇八)年の鎌倉将軍下文(当時は第三代将軍実朝)であり、『実際の創建は平安時代中期以降とみられている』。『当社は出雲国府に近い古代出雲の中心地であり、社伝では、天穂日命の子孫が出雲国造として』第二十五代に至るまでは『当社に奉仕したという。出雲国造家は現在は出雲大社の宮司家であるが、国造家の代替わりのときの「神火相続式」「古伝新嘗祭」は、明治初年までは当社に参向して行われていた』(下線やぶちゃん)。因みに、本神社の神紋は『二重亀甲に「有」の文字』であるとある。「亀」に「有(ゆう)」――亀太夫……ただの偶然か?……

「八束郡熊野村にある、國幣中社熊野神社」現在は八束郡八雲村熊野になっている。「み熊野ねっと」内の雅子氏文になる「全国熊野神社参詣記」の同神社のページをリンクしておく。そこを見ると、現在は毎年十月十五日に「鑚火(さんか)祭」として行われており、『出雲国造の子孫である出雲大社宮司が古式に則り』、『熊野大社に出向き』、『神聖な火をおこす「ヒキリウス」と「ヒキリキネ」を拝受する「火継ぎ」の儀式が行われる。祭は「亀太夫神事」(かめだゆうしんじ)から始まり、この儀式は、出雲大社から熊野大神に供えられる長さ1メートルの細長い伸べ餅のできばえについて亀太夫といわれる神職が色や大きさなどをやかましく言い、ようやく承知して餅を熊野大神にお供えすると、新しい「ヒキリウス」「ヒキリキネ」が授けられ』、『「すめかみを よきひにまつりしあすよりは あけのころもをけころもにせむ 」』『という神楽歌と琴板の楽に合わせ百番の舞いが奉納される』とあってハーンの語ったほぼそのままの形が今も残っていることが判る(下線やぶちゃん)。中海・宍道湖・大山圏域観光連携事業推進協議会公式サイトである観光用の「山と海と湖のシンフォニー、神々のふるさと山陰」の熊野神社」も参照されたい。

「龜太夫」私は正直言うと、「ひきり」の神事よりも、このトリック・スター(明らかにその滑稽の底には怨念を持った零落した古い神の面影があるように私には思われるのである)のルーツの方に異常に興味が惹かれる。是非とも御存じの方の御教授を得たい。]

 

 

Sec. 13

These things I learn:

Each year the temple receives a new fire-drill; but the fire-drill is never made in Kitzuki, but in Kumano, where the traditional regulations as to the manner of making it have been preserved from the time of the gods. For the first Kokuzo of Izumo, on becoming pontiff, received the fire-drill for the great temple from the hands of the deity who was the younger brother of the Sun-Goddess, and is now enshrined at Kumano. And from his time the fire-drills for the Oho-yashiro of Kitzuki have been made only at Kumano.

Until very recent times the ceremony of delivering the new fire-drill to the Guji of Kitzuki always took place at the great temple of Oba, on the occasion of the festival called Unohimatauri. This ancient festival, which used to be held in the eleventh month, became obsolete after the Revolution everywhere except at Oba in Izumo, where Izanami-no-Kami, the mother of gods and men, is enshrined.

Once a year, on this festival, the Kokuzo always went to Oba, taking with him a gift of double rice-cakes. At Oba he was met by a personage called the Kame-da-yu, who brought the fire-drill from Kumano and delivered it to the priests at Oba. According to tradition, the Kame-da-yu had to act a somewhat ludicrous role so that no Shinto priest ever cared to perform the part, and a man was hired for it. The duty of the Kame-da-yu was to find fault with the gift presented to the temple by the Kokuzo; and in this district of Japan there is still a proverbial saying about one who is prone to find fault without reason, 'He is like the Kame-da-yu.'

The Kame-da-yu would inspect the rice-cakes and begin to criticise them. 'They are much smaller this year,' he would observe, 'than they were last year.' The priests would reply: 'Oh, you are honourably mistaken; they are in truth very much larger.' 'The colour is not so white this year as it was last year; and the rice-flour is not finely ground.' For all these imaginary faults of the mochi the priests would offer elaborate explanations or apologies.

At the conclusion of the ceremony, the sakaki branches used in it were eagerly bid for, and sold at high prices, being believed to possess talismanic virtues.

 

 

 

        一四

 

 國造が大庭へ行つた日か、歸つた日に、殆どいつも天候が暴れた。この旅行は出雲では最も荒天の季節(新暦の十二月)に當るのであるが、民間の信仰に於ては、この暴風は、國造の尊嚴なる人格と妙に聯關せるものであつて、國造はやゝ龍宮の王に似た性質を有つてゐる譯になる。それは兎に角、この季節の定期暴風は、この國では依然『國造荒れ』と呼ばれる。それで、出雲では大嵐の際に到着したり、出立する客に向つて、『まあ、國造さまのやうだ!』と、面白く挨拶する。

 

 

Sec. 14

It nearly always happened that there was a great storm either on the day the Kokuzo went to Oba, or upon the day he returned therefrom. The journey had to be made during what is in Izumo the most stormy season (December by the new calendar). But in popular belief these storms were in some tremendous way connected with the divine personality of the Kokuzo whose attributes would thus appear to present some curious analogy with those of the Dragon-God. Be that as it may, the great periodical storms of the season are still in this province called Kokuzo-are [18]; it is still the custom in Izumo to say merrily to the guest who arrives or departs in a time of tempest, 'Why, you are like the Kokuzo!'

 

18 The tempest of the Kokuzo.

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