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2015/09/22

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十二章 京都及びその附近に於る陶器さがし 風景スケッチ(その4)

M678

図―678

 

 寺院や道路には、過去に於る壮麗を物語るものが多かった。朽ちた鳥居が灌木類と草とのこんがらかった内に立ち、海水がその底部まで来たり(図678)、面白い形をした古い石橋が、そこへ行っている道路がまるで見えないのに、広い河にかかっていたりした。比較的近い時代に、陸地が低下したに相違なく、人間の仕事の痕跡は故にのみ込まれて了っている。我々が和歌山へ戻った時には、月が上り、空気は生き生きする程涼しくて、景色も実に気持よかった。翌日はドクタアも一緒に海岸へ行き、そこで我々は大いに泳いだ。

 

 私は、老婦人たちが著しくよい顔立をしているのに気がついた。非常に優しく、母性愛に満ち、そして利巧そうな顔である。事実私は、日本で私が訪れた多くの土地の中で、ここに於る程立派な、そして智的な老婦人が多い場所は無いともいい度い。子供達もまた非常に可愛らしく、一般的な文化と典雅の気分が、旅行者を直ちに印象づける。恰も三日にわたる先祖祭の時に当ったので、子供は皆美しくよそおい、夜になると奇麗な色の提灯を持って歩くのだった。街々には仮小屋が立ち並び、かかる叫び声と陽気さとの活躍は、それ等のすべてを支配するこの上なしの礼譲と丁重さとが無かったら、殆ど取りのぼせる位であったろう。一晩、我々は花火を見に行った。それは高さ二十フィートに近い、筵でつくった大きなかこいの内で行われた。花火はいずれも簡単だが非常に美しく、群衆が驚嘆して発する音は、我国の人々が同様の場合に出す音と、全く同じであった。

[やぶちゃん注:彼らの和歌山行は明治一五(一八八二)年の八月下旬、神戸を和歌山に向けて発ったのは八月二十五日か遅くとも二十六日と考えられる(磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の叙述から推定)。一方、同明治一五(一八八二)年八月末の旧暦を見てみよう。

 新暦八月二十六日(土)  旧暦七月十三日

    同二十七日(日)  旧暦七月十四日

    同二十八日(月)  旧暦七月十五日

    同二十九日(火)  旧暦七月十六日

    同 三十日(水)  旧暦七月十七日

    同三十一日(木)  旧暦七月十八日

である。後のモースの叙述から、一行は和歌山を八月三十一日に発っていることが判っている。本文のここまでの叙述と本段落の謂いから、この美しい花火と上気するハーン一行の恍惚としたシークエンスは明治一五(一八八二)年八月の旧暦のお盆の中日に当たる二十八日か、盆踊りなどの後夜祭祭事が行われるケースが多い旧暦十六日相当の翌二十九日の情景ではないかと私は推定する。大方の御批判を俟つ。

「二十フィート」凡そ六・一メートル。]
 
 

M679

図―679

 

 和歌浦では、漁師が網に渋を引く為に、松の樹皮を煮ていた。何故舟の帆にも渋引きをしないのかと聞くと、帆は渋を引くとよくもたぬと答えた。図679は、その簡単な渋引場である。岸に引き上げられた漁船の形は、日本の他の場所に於るのと、多少異っていた。国々によって、舟に目立つ相違がある。もっとも、すべて著しく乾燥した舟で、荒い海に卵殻のように浮ぶ点は同一である。

 

 どこへ行っても、都会の町々の騒音の中に、律動的な物音があるのに気がつく。日本の労働者は、働く時は唸ったり歌ったりするが、その仕事が、叩いたり、棒や匙でかき廻したり、その他の一様の運動である時、それは音調と律動とを以て行われる。これ等の音は、呻きの連続であることもあり、本当の歌であることもある。金箔師や魚刻み人は、必ず一種独特の拍子で、叩いたり刻んだりする。生の魚を調理する奇妙な一方法は、それを石の臼で糊状になる迄こするのである。臼は地上に置かれ、杵は長い棒であるが、仕事をする者は立ったままで、素敵な勢で働く。かきまぜる動作には、一種異様な口笛を吹くような音が伴うが、これが長くかき廻すことと、短くかき廻すこととによって中断される動作と、完全に一致する。鍛冶屋の手伝が使用する金槌は、それぞれ異る音色を出すように出来ているので、気持のよい音が連続して聞え、四人の者が間拍子を取って叩くと、それは鐘の一組が鳴っているようである。労働の辛さを、気持のよい音か拍子かで軽めるとは、面白い国民性である。

 

 田舎の町で人々が、如何に目立たぬように、外国 人が来たことを、お互に知らせ合うかを見ることは興味がある。彼等は、彼が彼等の戸口の前を過ぎる余程前から、彼の近づくことを知るらしい。屢々子供が走って行ってお母さんに知らせたり、お母さんが子供達の注意をこの不思議な光景に向けたりするが、それをするのに彼等は決して大声を出したり、指さしたりしない。東京、京都その他の大都会では、外国人も注意を引く程珍しくはないが、而も東京のような大都会でも、片隅へ行くといくらか注意を引き、また都会へ出て来た田舎者は、外国人に興味を持つことでそれと知られる。

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