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2015/09/09

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第八章 杵築――日本最古の社殿 (プロローグ)

 

      第八章 杵築――日本最古の社殿

 

 神國といふのは日本の尊稱である。しかも神國の中で、最も神聖な土地は出雲の國である。こゝへ高天ケ原の靑い空から、諸神と人間の祖先で、國土を造り玉ふた、伊弉諾、伊弉册の兩神が始めて來て、暫く住んだ。何處か、この國の境上の成る場處へ伊弉册命が葬られ、して、國から夜見の國へと、伊弉諾命は彼女の跡を追つて行つたが、伴ひ歸ることを得なかった。して、この不思議な冥界へ彼が降つたこと、それから彼が冥界で遭遇した事柄は、古事記に載つてゐるではないか? して、あらゆる冥府に關する原始的の傳説の中で、この話は最も怪異なものの一つである――アツシリヤのイシユター冥府降りの傳説に比してさへ、遙かに凄いものである。

 出雲が特に神々の國であり、また今日その子孫によって崇敬される伊弉諾、伊弉册の民族の搖籃地であつたと同樣に、出雲の中でも、杵築は特に神々の都會であつて、且つその古い社殿は古代の信仰、神道といふ偉大な宗教の本家本元である。

    註。古事記は日本の古語で書かれた

    現在の最も古い書だ。チエムバレン

    教授によつて、譯註を澤山加へて立

    派に譯してある。

 

 して、杵築を訪ねることは、私が杵築に關する傳説を知つてから以來、私の最も熱心なる願望であつた。して、歐洲人で杵築を訪ねたものは甚だ乏しいことと、またその大社殿へ昇殿が許されたのは一人もないといふことを發見して、その願望は一層強くなつた。實際、大社の境内へ近寄ることさへ許されなかつたものもある。が、私は私の親友で、また杵築の宮司を親しく知つてゐる西田千太郎氏からの紹介狀を有つてゐるから、幾らか、もつと幸運だらうと信ずる。假令私が昇殿――日本人の中でも少數にのみ與へらるゝ特權――を許されないにしても、少くとも宮司、即ち太陽の女神から系統を引いた家柄の千家尊紀氏に面會の光榮を有つこととなるだらう。

    註。千家氏の系圖に、私が杵築で贈

    られた珍らしい小册に錄してある。

    千家尊紀氏は杵築の第八十一代目の

    國造に當る。その家系は國造六十五

    代と地神十六代を遡つて、天照大神

    及びその弟素戔嗚尊に達する。

 

[やぶちゃん注:「杵築」既注であるが再掲しておくと、ハーンは「きづき」と読んでいるが、正しくは「きつき」と清音で読む。島根県出雲市大社町杵築(きづき)東にある出雲大社の別称。

「アツシリヤのイシユター冥府降りの傳説」「イシユター」は現在のイラク一帯にあった古代メソポタミア(「アツシリヤ」=アッシリアはメソポタミア北部を占める地域或いはそこにあった王国の名)の神話に於いて広く尊崇された性愛・戦争・金星の女神である「イシュタル」のこと。イシュタルは新アッシリア語名で、シュメール神話におけるシュメール語の「イナンナ」に相当するとウィキの「イシュタル」にある。彼女は恐らく「ギルガメシュ叙事詩」の登場人物の一人として人口に膾炙するが、その「冥府降りの傳説」というのは、本邦の「伊弉諾の黄泉国下り」やギリシャ神話の「オルフェウスの冥府下り」と似たもので、例えば個人サイト「a by-road」内の「イシュタルの冥界くだりの記載では、夫(であると同時に息子であったとする記載もある。近親相姦は神話中ではごく普通である)タンムーズが亡くなり、彼を復活させるために不老不死の「命の水」を求めて下界へ降りていくとあり、西川魯介氏のサイト「うたたねチャーリー」内の「冥府下り」には「イナンナの冥府下り」と「イシュタルの冥府下り」に異型の二話が示されてある。孰れも読ませて戴いたが、ハーンではないが、私も偏愛する本邦の伊弉諾の黄泉国来訪と呪的逃走神話の話の方が、遙かにずっと確かに「凄い」。

「チエムバレン教授によつて、譯註を澤山加へて立派に譯してある」「古事記」既出既注

「西田千太郎」(文久二(一八六二)年~明治三〇(一八九七)年)は教育者。郷里島根県で母校松江中学の教師を務め、この明治二三(一八九〇)年に着任したハーンと親交を結んだ(当時は同校教頭であった)。ハーンの取材活動に協力するだけでなく、私生活でも助力を惜しまなかった。「西田千太郎日記」は明治前期の教育事情や松江時代のハーンを伝える貴重な資料となっている。ハーンと逢って七年後に惜しくも三十六の若さで亡くなった(「講談社「日本人名大辞典」に拠った)。

「千家尊紀」(安政六~七・万延元(一八六〇)年〔誕生月日を特定出来なかったのでやむなくかく記した〕~明治四四(一九一一)年)は「せんげたかのり」と読み、第八十一代出雲国造(いずものくにのみやつこ)で出雲大社宮司・従三位。出雲郡生まれ。通称、福千代麿。第七十九代千家尊澄の三男で先代第八十代千家尊福(たかとみ)の弟あったが、この代替わりは少し複雑な理由がある。当時、神道派が設立した神道事務局(新政府の教部省内に置かれた尊皇愛国思想と国家神道の教化を主目的とした宗教統制機関である大教院内に生まれた神道派の内組織)は「伊勢派」と千家の属する「出雲派」が激しく対立し、結果的には伊勢派が勝利してしまう(この尊福関連の記載は以下の引用を含め、ウィキ千家尊福に拠る)。尊福はこの時、彼の考える神道の在り方と政府の推し進める国家神道とが、宗教的見解に於いて基本的な相違点を持っていることを痛感、『神道事務局から独立した形での教化活動を進めねばならないと考えた』。明治一五(一八八二)年に『神官が教導職に就くことを禁ずる通達が出たこともあり、尊福は出雲大社教会』(いずもおおやしろきょうかい)『を独立して「神道大社派」を設立。国造職を弟の尊紀に譲り、自らは管長として精力的に全国を歴訪し、布教に専念した』ことによるものであった。尊紀は父尊澄に師事して宮司職に就いた。ウィキ出雲国造によれば、『出雲国造家の称号と出雲大社の祭祀職務は、南北朝時代に入るまで一子相伝であったが』、康永年間(一三四〇年頃)以降、『千家氏(せんげし)と北島氏(きたじまし)の二氏に分かれ、それぞれが出雲国造を名乗るようになった』とあり、『明治時代には、千家氏・北島氏ともに男爵として遇されたが、出雲大社自体は神社本庁の傘下(社格は官幣大社)となり、千家氏は出雲大社教』、『北島氏は出雲教と、それぞれ宗教法人を主宰して分かれ、出雲大社の宮司は千家氏が担った。戦後、神社が国家管理を離れた後は、出雲大社は神社本庁包括に属する別表神社となり、宗教法人出雲大社教の宗祠として、宮司は千家氏が担』っているとある(なお、千家家系図及び当主その他の情報は近現代・系図ワールド」に異様に詳しい。興味のある方はどうぞ)。ハーンの以下の出雲大社以下の参拝は「八雲会」公式サイトの松江時代の略年譜によって明治二四(一八九〇)年九月十三日と十四日であることが判った。当時、尊紀は宮司となって八年目、未だ満三十歳であった。ハーンは四十。因みに、この翌十月には富田屋旅館を出て末次本町の借家に移り、翌年初めには後に妻となる元士族の娘小泉セツが住み込み女中となって(その後の結婚は事実婚らしく、同会年譜では月日を附さずに同明治二十五年中に結婚とある)、翌年五月には松江城の見える北堀町塩見繩手に転居している。

 

 

Chapter Eight Kitzuki: The Most Ancient Shrine of Japan

 

SHINKOKU is the sacred name of Japan—Shinkoku, 'The Country of the Gods'; and of all Shinkoku the most holy ground is the land of Izumo. Hither from the blue Plain of High Heaven first came to dwell awhile the Earth-makers, Izanagi and Izanami, the parents of gods and of men; somewhere upon the border of this land was Izanami buried; and out of this land into the black realm of the dead did Izanagi follow after her, and seek in vain to bring her back again. And the tale of his descent into that strange nether world, and of what there befell him, is it not written in the Kojiki? [1] And of all legends primeval concerning the Underworld this story is one of the weirdest—more weird than even the Assyrian legend of the Descent of Ishtar.

Even as Izumo is especially the province of the gods, and the place of the childhood of the race by whom Izanagi and Izanami are yet worshiped, so is Kitzuki of Izumo especially the city of the gods, and its immemorial temple the earliest home of the ancient faith, the great religion of Shinto.

Now to visit Kitzuki has been my most earnest ambition since I learned the legends of the Kojiki concerning it; and this ambition has been stimulated by the discovery that very few Europeans have visited Kitzuki, and that none have been admitted into the great temple itself. Some, indeed, were not allowed even to approach the temple court. But I trust that I shall be somewhat more fortunate; for I have a letter of introduction from my dear friend Nishida Sentaro, who is also a personal friend of the high pontiff of Kitzuki. I am thus assured that even should I not be permitted to enter the temple—a privilege accorded to but few among the Japanese themselves—I shall at least have the honour of an interview with the Guji, or Spiritual Governor of Kitzuki, Senke Takanori, whose princely family trace back their descent to the Goddess of the Sun. [2]

 

1 The most ancient book extant in the archaic tongue of Japan. It is the most sacred scripture of Shinto. It has been admirably translated, with copious notes and commentaries, by Professor Basil Hall Chamberlain, of Tokyo.

2 The genealogy of the family is published in a curious little book with which I was presented at Kitzuki. Senke Takanori is the eighty- first Pontiff Governor (formerly called Kokuzo) of Kitzuki. His lineage is traced back through sixty-five generations of Kokuzo and sixteen generations of earthly deities to Ama-terasu and her brother Susanoo-no- mikoto.

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