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2015/10/04

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十一章 杵築のことゞも (一一)

       一一

 

 しかし何んなに可愛がられたお人形も、遂には磨滅したり、または數百年も經つと、破損してくる。して、お人形が、全く死んだものと見倣されねばならぬ時、その殘骸は依然として損敬を與へられ、決して不敬に放棄されない。またすべて社祠の神聖なる品が、役に立たなくなつた場合に於ける如く、燒き捨てたり、或は淸流へ投じたりなどしない。それから土中へ埋める事もしない。それを何うするか、讀者はなかなか想像が出來ないだらう。

 それは荒神へ捧げられる。これは半ば神道、半ば佛教の神祕的な神で、昔の佛教の方の像では、澤山の手を有つてゐたが、出雲の神道の荒神には何等藝術的形式は無いやうだ。が、殆どあらゆる神社、又は多くの寺院の境内には、榎といふ樹木が植ゑてある。これは荒神に取つて神聖で、百姓達はその中にこの神が住み玉ふものと信じてゐる。で、彼等はいつも榎の前で荒神に向かつて祈を捧げる。して、普通その木の前に小さな祠が置かれ、また小さな鳥居が立つてゐる。かやうな荒神の祠の前、その神木の根元、或は樹の洞穴に――もし洞穴があれば――哀れな人形の遺骸が、屢々並べてあるのだ。が、人形はその所有者の存命中は、滅多に荒神に捧げられない。かやうに曝されてゐるのは、大概貧乏な女が死んでから、その所持品の中に發見されたものに相違ない――彼女の娘時代、或はまた彼女の母や彼女の祖母の娘時代の無邪氣な紀念品なのだ。

 

[やぶちゃん注:何か……この条は……哀しい……

「荒神」三宝荒神ともいう。竈神(かまどがみ)及び地神のこと。地主神・山の神をもいう。激しい性格の祟り易い神であるのが通例(「ブリタニカ国際大百科事典」の記載)。ウィキ荒神には、『日本の民間信仰において、台所の神様として祀られる神格の一例』とし、『多くは仏教の尊格としての像容を備えているが、偽経を除けば本来の仏典には根拠がなく、核となったのは土着の信仰だったと思われる。現在では純粋に神道の神として説明されるケース(後述)もあるが、それらは江戸国学以降の思弁によって竈神を定めたものにすぎない。神道から解くにしても仏教から解くにしても、「荒神」という名称の由来も、民俗学が報告する様々な習俗や信仰形態、地方伝承なども、十分に説明できる説は存在しない。極めて複雑な形成史をもっていると考えられている』。『荒神信仰は、西日本、特に瀬戸内海沿岸地方で盛んであったようである』と地域の集中性を指摘し、『荒神信仰には後述するように大別すると二通りの系統があ』って『屋内に祀られるいわゆる「三宝(寶)荒神」』と『屋外の「地荒神」である』とある(以下、主に「地荒神」と民間信仰のみの記載部分を引用した)。『地荒神は、山の神、屋敷神、氏神、村落神の性格もあり、集落や同族ごとに樹木や塚のようなものを荒神と呼んでいる場合もあり、また牛馬の守護神、牛荒神の信仰もある』。『御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教、道教、陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神は牛頭天王の眷属神だとしている』。『牛頭天王は、祇園会系の祭りにおいて祀られる神であり、インドの神が、中国で密教、道教、陰陽思想と習合し、日本に伝わってからさらに陰陽道と関わりを深めたものである。疫神の性格を持ち、スサノオ尊と同体になり、祇園会の系統の祭りの地方伝播を通して、鎮守神としても定着したものである』。『地荒神は、屋外に屋敷神・同族神・部落神などとして祀る荒神の総称である。中国地方の山村や、瀬戸内の島々、四国の北西部、九州北部には、樹木とか、大樹の下の塚を荒神と呼んで、同族の株内ごとにまた小集落ごとにこれを祀る例が多い。山の神荒神・ウブスナ荒神・山王荒神といった習合関係を示す名称のほか、地名を冠したものが多い。祭祀の主体によりカブ荒神・部落荒神・総荒神などとも称される』。『旧家では屋敷かその周辺に屋敷荒神を祀る例があり、同族で祀る場合には塚や石のある森を聖域とみる傾向が強い。部落で祀るものは生活全般を守護する神として山麓に祀られることが多い。樹木の場合は、地主神、作神(さくがみ)であり、牛馬の安全を守るが、甚だ祟りやすいともいう。また祀る人たちの家の火難、窃盗を防ぐという』。以下、「民間習俗における荒神信仰」の項。『子供の「お宮参り」の時に、鍋墨(なべずみ)や紅などで、額に「×」、「犬」と書くこと言う。悪魔よけの印で、イヌの子は良く育つということに由来するとされ、全国的にでは無いが、地方によって行われる所がある』。『古文献によると、この「あやつこ(綾子)」は紅で書いたとある、だが紅は都の上流階級でのみ使われたことから、一般の庶民は「すみ」、それも「なべずみ」で書くのが決まりであったという。この「なべずみ」を額に付けることは、家の神としての荒神(こうじん)の庇護を受けていることの印であった。東北地方で、この印を書くことを「やすこ」を書くと言う。宮参りのみでなく、神事に参列する稚児(ちご)が同様の印を付ける例がある』。『「あやつこ(綾子)」を付けたものは、神の保護を受けたものであることを明示し、それに触れることを禁じたのであった。のちには子供の事故防止のおまじないとして汎用されている。柳田國男の『阿也都古考』によると、奈良時代の宮女には「あやつこ(綾子)」の影響を受けたと思われる化粧の絵も認められ、また物品にもこの印を付けることもされていたらしい』。荒神の『語源は不明である』が、『日本の古典にある伝承には、和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)を対照的に信仰した様子が記されている。民間伝承でも、温和に福徳を保障する神と、極めて祟りやすく、これの畏敬(いけい)の誠を実現しないと危害や不幸にあうと思われた類の神があった。後者は害悪をなす悪神であるが祭ることによって荒魂が和魂に転じるという信仰があった。そこでこの「荒神」とはこの後者をさしたものではないかとの説もある。ただし同様な思想はインドでも、例えば夜叉・羅刹などの悪神を祀りこれを以って守護神とする風習があったり、またヒンドゥー教(仏教からすれば外道の宗教)の神が、仏教に帰依したとして守護神・護法善神(いわゆる天部)とされたことも有名であり、純粋に仏教の枠内でも悪神を祀って善神に転じるということはありうる。神仏習合の文化の中で、陰陽師(おんようじ)やその流れを汲む祈祷師(きとうし)が、古典上の(神道の)荒ぶる神の類を、外来の仏典に基づく神のように説いたことから発したのではないかとの説、古来からいう荒魂を祀って荒神としたのではないかという説もある』とある。人形と荒神の密接な関連を示す記事は見当たらなかった。識者の御教授を乞うものである。]

 

 

Sec. 11

But even the most beloved dolls are worn out at last, or get broken in the course of centuries. And when a doll must be considered quite dead, its remains are still entitled to respect. Never is the corpse of a doll irreverently thrown away. Neither is it burned or cast into pure running water, as all sacred objects of the miya must be when they have ceased to be serviceable. And it is not buried. You could not possibly imagine what is done with it.

It is dedicated to the God Kojin, [6]—a somewhat mysterious divinity, half-Buddhist, half-Shinto. The ancient Buddhist images of Kojin represented a deity with many arms;—the Shinto Kojin of Izumo has, I believe, no artistic representation whatever. But in almost every Shinto, and also in many Buddhist, temple grounds, is planted the tree called enoki [7] which is sacred to him, and in which he is supposed by the peasantry to dwell; for they pray before the enoki always to Kojin. And there is usually a small shrine placed before the tree, and a little torii also. Now you may often see laid upon such a shrine of Kojin, or at the foot of his sacred tree, or in a hollow thereof—if there be any hollow—pathetic remains of dolls. But a doll is seldom given to Kojin during the lifetime of its possessor. When you see one thus exposed, you may be almost certain that it was found among the effects of some poor dead woman—the innocent memento of her girlhood, perhaps even also of the girlhood of her mother and of her mother's mother.

 

 

6 Not to be confounded with Koshin, the God of Roads.

7 Celtis Wilidenowiana. Sometimes, but rarely, a pine or other tree is substituted for the enoki.

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