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« 鮎の歌   立原道造   (Ⅴ) | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十五章 狐 (一四) »

2015/10/17

鮎の歌   立原道造   (Ⅵ) / 「鮎の歌」~了

       Ⅵ

 

 山をくだつて來ると、見馴れた村は僕に見知らぬ景色にかはつてゐた。斜めな陽ざしをうけて、長いかげを道の上に引いてゐる樹木や家々の姿が、微妙な光に彫り出されてそれは陽氣なしやれたものにおもはれた、長い重い夏の日を僕が何度も歩いた道のどこにこんなものが隱れてゐたのかとふと樂しく疑つたほどに。小石さへも長いかげを引いてゐた。しづかな短い草がそこにはあつた。……そんなとき、僕は前から思ひ描いてゐたことのつづきのやうに、しかも全く思ひがけなく! 道のほとりに立つてこちらを見てゐる少女を、その景色のなかに見出したのだ。鮎だつた、黃いろな着物の、あのころの姿とすこしもかはらない鮎なのだつた! 偶然と言つてもいい、僕に運命を與へたもののフアンタジイのたはむれと言つてもいい。しかしそこには謎めいたものがなかつた。僕の心臟はすなほに激しく打ちだした、今まで打つことを忘れてゐたのを氣づいたかのやうに――

 

《おこつていらつしやる?》 《いいえ、ちつとも……》 《……》 《僕は海を見て來た、それはすばらしかつた、僕は旅をして來た!》 《私たちは今どんな風にしてお會ひしてゐるのか知つていらつしやらないのね。いいえ、いいえ。なぜそんなおはなしをなさるの?》 《そしてひとつの岬であの花を見た、それはここに咲いてゐるやうな淡い花ではなかつた》 《なぜあなたはおこつて下さらない? 私がどうなつてしまふかわからないくらゐに。それはあなたのやさしさでも何でもなくてよ。なぜあなたは私を見ていらつしやるのにそんな靑い海を見るやうな眼をなさるのだらう?》 《おまへはけふもやはり僕があのころしてゐたやうに羊飼と娘の物語や星の物語をするのを待つてゐるやうな眼をしてゐる。しかしもう僕にはそれが出來ない……》 《……あなたはなぜほんたうにおこつて下さらない? どうしてそんなにしづかに私の方を見ていらつしやるのですか? 白い鳩が私の肩にとまつてゐるのですか? それとも私をお忘れになつてしまつたのですか?》 《おまへは死んでゐたのだ、だが、死と別れとはちがふのだらう。おまへがそんなやさしい眼で僕の眼を見てゐても僕の心のなかを覗いてゐてもおまへにはおまへの死はわからないのだらう?》……僕たちは默つたままで幾足も幾足も歩いてしまつた、僕にはみなわかつてゐた、こんな時間のことが。僕はそれをはじめて會つた日にすら用意してゐた! それをおもひ出さずに。今、それをおもひ出した、しかしそれが何にならう!

 やつと僕は鮎にしあはせかどうかとたづねた。その答は、どうかわからない。しあはせなのか……それともふしあはせなのかも知れないと言ふのだつた。僕は、悲しみのためにあはれにも瘠せほそつてしまつた少女の腕を空想した、それをたしかめたいとおもつた。そのとき鮎はちひさい獸のやうに身がるに身をひるがへして僕のそばを逃れた。鮎の家のまへに僕たちは立つてゐた。戸が重く開いてまた閉ぢられた。さよなら! の言葉もなしに。

 僕たちは別れた。

 

         *

 

 僕は、村はづれの、そこで道がふたつに分れてしまふ、叢に腰をおろして、ぼんやりとA山の方をながめてゐた。たつた今、この眼のまへに、この心をあんなに波打たせて、立つてゐた、そして今は自分と三百メートルも離れてゐない場所のひとつの部屋に、僕の知ることの決して出來ないおもひをおもつてゐる、鮎! それだけが僕の考へを超えて、僕の考へをどぎつく押しすすめてゐた。しかし、僕は、たしかにA山だけをながめてゐた、それだけだつた。そして、A山は僕の眼のまヘで夕ぐれ近い空に、何の前ぶれもなく音もなく小爆發をした。羊飼の手を離れて空にのぼつて行く緬羊の仔のやうな噴煙――そんなことを考へた。「汝(なれ)は牧者ぞ……汝(なれ)にゆだぬ、み空の鍵は!」そんな言葉をずつと前に「花散る里」といふ詩のなかに書きつけたことを考へた。

 これでいいのだらうか? だがこれでいいのだらうか?……僕は、鮎とただひと目會つた、そしてみじかい言葉をかはした、といふばかりのよろこびが、その苦痛のかげに高まつて來て、そして苦痛は自然な甘い憂愁にかはるのを、ぼんやりと手もつけられずに見てゐた。黃昏が迫つて來た。

 僕は、分かれ道を北の道にえらぶと、ずんずんと前の方に進んで行つた。村の境に出、それからまたもつととほくに出て……。何があつたのだらう、長かつた村のくらし。そして今、何かあつたのだらうか? そして今、何かがをはる。……きつと、そんなことを低くゆつくりと考へこんでゐた。ずんずんと歩いてゐた。……熟れない木の實であつても、投げあげろ、もぎとれ、もぎとれ。……くりかへしくりかへし意味のない呟きはだんだんと口に出て、疲れた調子でうたふやうになつた。そして、ずんずんと前の方に歩いて行つた、をはつたのだらうかと、あたかも何かを仕上げようと努めてゐるかのやうに、その物語めいた自然なひとときにまだ何かをつけ加へようと悶えてゐるかのやうに!……

 

       結びのソネツト

         溢れひたす闇に――。曉と夕の詩・第七番。

 

  美しいものになら ほほゑむがよい

  涙よ いつまでも かわかずにあれ

  陽は 大きな景色のあちらに沈みゆき

  あのものがなしい 月が燃え立つた

 

  つめたい! 光にかがやかされて

  さまよひ歩くかよわい生きものたちよ

  己は どこに住むのだらう――答へておくれ

  夜に それとも晝に またうすらあかりに?

 

  己は 嘗てだれであつたのだらう?

  (誰でもなく 誰でもいい 誰か――)

  己は 戀する人の影を失つたきりだ

 

  ふみくだかれてもあれ 己のやさしかつたのぞみ

  己はただ眠るであらう 眠りのなかに

  遺された一つの憧憬に溶けいるために

 

[やぶちゃん注:「緬羊」「めんやう(めんよう)」。羊毛を採取するために飼う家畜の羊。

「花散る里」実際に存在する立原道造の散文詩(物語詩)。後日、電子化する。【2015年10月18日追記】ここに全文を電子化した。

結びのソネツト」この箇所のみ、太字は他で代替した傍点ではなく、実際の太字であるので注意されたい(「あつた」は傍点「ヽ」である)。

「曉と夕の詩・第七番」本作が構想執筆された昭和一二(一九三七)年(一月と推定されている)の年末十二月に刊行された第二詩集「曉と夕の詩」のⅦ」である「溢れひたす闇にと比較すると(リンク先は私の電子テクスト)、

・第二連二行目が「さまよひ歩くかよわい生き者たちよ」と「もの」が漢字表記となっている。

・第三連一行目「己は 嘗てだれであつたのだらう?」の「あつた」の傍点が抹消されている。

・最終連一行目が「ふみくだかれてもあれ 己のやさしかつた望み」と「のぞみ」が漢字表記となっている。

という表記上の些細な三点を除き、全く同一の詩篇となっている。]

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