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2015/10/22

橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(11) 昭和十一(一九三六)年 二十四句

 昭和十一(一九三六)年

 

   赤間の陵

 

繪卷に見しこれの干珠(かんじゆ)島を秋潮に

 

秋潮に滿珠(まんじゆ)島は蒼き珠なせり

 

秋の潮哀しき御幸ありしところ

 

秋潮の底ひの官にゆきし帝(みかど)

 

みゆきましゝこの秋潮にみさゝぎを

 

秋潮の瀨の鳴るかたにみさゝぎを

 

早鞆を落つる秋潮音しづめよ

 

日のひかり秋の渦潮射て深く

 

[やぶちゃん注:「赤間の陵」山口県下関市阿弥陀寺町にある阿彌陀寺陵に治定されている安徳天皇陵。ここにはかつて安徳天皇の怨霊を鎮めるために源頼朝の命により建てられた阿彌陀寺があったが、明治のおぞましき廃仏毀釈により廃され、先に出た安徳天皇を祀る、現在の「赤間神宮」となった(ウィキの「赤間神宮」によれば、廃仏毀釈後は「天皇社」と改称、『歴代天皇陵の治定の終了後、安徳天皇陵は多くの伝承地の中からこの安徳天皇社の境内が』明治二二(一八八九)年七月に安徳天皇の「擬陵」として公式に治定されたとある。「天皇社」は明治八(一八七五)年十月に「赤間宮」に改称、昭和一五(一九四〇)年八月に官幣大社に昇格するとともに「赤間神宮」と改称されたとあるから、多佳子が訪れた折りは「赤間宮」であったことが判る)。参照したウィキの「安徳天皇」によれば、現代になって『新たな社殿造営のため、御影堂解体が行われた際に、本殿床下に五輪塔の存在が確認されたことにより、数十箇所の陵墓の伝承地の中から、阿弥陀寺に隣接するものが陵墓とされ阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)とされた』『赤間神宮は安徳天皇や二位尼が竜宮城にいたという建礼門院の見た夢(『平家物語』「六道之沙汰」)にちなみ、竜宮城を再現した竜宮造りとなっている』とある。またここは平家一門をも祀り、かの小泉八雲の「耳なし芳一」の舞台でもある。

 一句目の「繪卷」は「平家物語絵巻」か。私は親しく見たことがない。

 二句目三句目に出る「干珠島」「滿珠島」は先の赤間神宮からは壇ノ浦を経て、東北へ七~八キロメートル隔った関門海峡の瀬戸内海側の入口附近にあり、句順から見て、この二島を見た後に赤間宮を訪れたと考えられる。ウィキ満珠島・干珠島によれば、『山口県下関市長府沖、瀬戸内海(周防灘)中の』二つの『無人島であり、原生林が満珠樹林・干珠樹林として国指定の天然記念物となっている』。忌宮(いみのみや)神社(山口県下関市にあり、仲哀天皇が熊襲平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡とされる)の『飛び地境内であり、祭神の神功皇后が住吉大神の化身である龍神から授けられた二つの玉、潮干珠(しおひるたま)・潮満珠(しおみつるたま)から生まれたという伝説がある島。また、彦火火出見尊が海神より授かった潮満瓊(しおみつたま)と潮涸瓊(しおひのたま)を両島に納めたという伝説もある』。『二島は至近距離にあり、伝説ではどちらが満珠島か干珠島かはっきりしていないが、忌宮神社では沖の大きい方を満珠島、岸に近い小さい方を干珠島と呼んでいる。土地台帳と天然記念物指定文書では沖側の島が干珠、国土地理院の地図や海図、国立公園指定では岸に近い側の島が干珠となっており、公式にも定かではない』。『源平合戦最後の決戦である壇ノ浦の戦いで、源義経率いる源氏軍が拠点とした』とある。多佳子の歴史詠嘆は上代に遡り、そこから源平へと連絡させるものと思われ、この八句はそうした連関性から非常に上手く作られた連作として読める。

 七句目の「早鞆」は「はやとも」と読み、関門海峡の大瀬戸の中で幅が狭い壇ノ浦と和布刈(めかり:福岡県北九州市門司区。関門橋の九州側。御崎突端に旧暦元旦未明に三人の神職らが松明・手桶・鎌を持って社前の関門海峡の海岸に入って若布を刈り獲り、神前に供える「和布刈神事」で知られる和布刈神社があるが(私は中学一年の時に松本清張の「時間の習俗」でこの魅力的な神事を知った)、ここは壇ノ浦の戦いの前夜に平家一門が酒宴を開いた場所と伝えられている)の間の「早鞆の瀬戸」のこと。]

 

   或る事件八句

 

つめたき手宣誓書けり墨うすく

 

冬の日は遠く判事の㒵をまぢか

 

わが證言正しかれども心ひゆる

 

わが手足冷ゆるに心昂りぬ

 

書記あはれ凍てたる墨に筆つぎぬ

 

冷ゆる壁時計正しく時をきざむ

 

わが生くはこれなる穢土か床(ゆか)冷ゆる

 

わが歩み正しく階にさむき光(かげ)

 

[やぶちゃん注:「或る事件」不詳。明らかに多佳子自身が参考人の一人として聴取を受けているが、年譜には一切載らない。識者の御教授を乞うものである。]

 

ひかりつゝ雲去り空が碧く凍てぬ

 

暖爐もえ風荒れの海夜も荒るゝ

 

犬とゐてけものゝ香あり煖爐もゆ

 

うばたまの霧金色にともるは檣

 

[やぶちゃん注:破調になるが私は「檣」を「ほばしら」と訓じたい。]

 

地下涼し靑き車體が扉あけてゐる

 

涼しき走輪闇ゆき地下の驛となる

 

霧にこもりロウンヂの爐によむひとり

 

[やぶちゃん注:「ロウンヂ」ラウンジ (Lounge)。ここは居宅の客間であろう。櫓山荘か。]

 

霧ごもり電話神戸をよんでゐる

 

[やぶちゃん注:以上、『馬醉木』掲載分。多佳子、三十七歳。]

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