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2015/10/23

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (四)

        四

 

 佛教では萬有を、木石の如き、情を有たぬ物ヒジヤウと、それから人間禽獸の如き、情を有つて居る物ウジヤウとに分つ。この區別は、自分の知つて居る限りでは、物に書かれた庭園哲理には表明されて居らぬ。が、これは便利な區別である。自分の小領土の民間傳説は、生きて居ないものと生きて居るもの兩方に關係がある。で、自然の順序として、自分のヤシキの入口に近い、そして第一の庭の門に接して居る、珍しい灌木から始めることにして、非情を初に考察してもよからう。

 殆んど總ての古いサムラヒ屋敷の表門の内側に、それも普通は住宅そのもの入口に近く、大きな獨特な葉を有つた小さな木が屹度在る。出雲でのこの木の名はテガシハで、自分の門の樹にも一本ある。その學名は何であるか自分は知らぬ。またこの日本名の語原も十分確かには知つて居ない。が然し、手の枷といふ意味のテガシといふ語がある。そしてこのテガシハの葉の恰好は手の恰好に稍々似て居る。

 さて、昔時、サムラヒがそのダイミヤウに隨(つ)いて、江戸へ行く爲め自分の家を去らなければならぬ時、丁度出立の前に、燒いたタヒ【註】をテガシシハの葉に載せて、その前へ置くのが習慣であつた。

 

    註。タヒ(學名セラヌス・マアギナ

    リス)。呼ぶ美事なパアチは、それ

    は出雲海岸に沿うて極普通な魚で、

    日本の魚類中最も美味なものとして、

    正當に珍重されて居ゐばかりでは無

    い、その上また幸運の徽號と考へら

    れて居る。これは婚禮の時また祝賀

    の折の儀式的な贈物でゐる。日本人

    はこれをまた『魚類の王』と呼んで

    居る。

 

この暇乞の食事後、その上へ鯛を載せて供へたその葉は、出で行つた士を無事に歸らせる呪符として、門の上へ吊るされるのであつた。手柏の葉についてのこの面白い迷信は、その由來は、その恰好に在るばかりでは無い、その動き樣に在つた。風が搖すぶると、その葉は――尤も我が西洋風(ふう)にでは無く、掌を地に向けて手を穩やかに上下に振つて、友人に來いと日本人が合圖する樣に――手招きするやうに思へたのである。

 大抵の日本の庭に見出さるゝ今一つの灌木は、ナンテン【註一】で、それには餘程珍らしい信仰がある。

 

     註一。學名ナンディナ・ドメスチカ。

 

惡るい夢を、不運の前兆の夢を見た時は、翌朝早くそれを南天に囁かねばならぬ。するとその夢は決して本物にはならぬといふ。

 

     註二。出雲で云ふには、一切の夢

     の中で一番目出度いのは、かの聖

     山フジの夢である。吉兆の順序で

     それに次ぐのは鷹を夢見ることで

     ある。三番目に一番好い夢の主題

     は茄子である。日又は月の夢を見

     るのは甚だ緣起が好い。が、星の

     夢を見るのはもつとも緣起が好い。

     若い妻には星を吞むと夢見るは最

     も幸運である。美しい兒の母とな

     ことを意味するからである。牛の

     夢を見るのは吉兆である。馬の夢

     を見るのは緣起は好いが旅行を意

     味する。雨か火の夢を見るのは善

     い。西洋でもさうのやうに、日本

     でも『逆さになる』と思はれて居

     る夢が少しある。だから、自分の

     家が燒けることを、或は葬式か、

     或は死んだことを、或は死人の幽

     靈と話したことを夢見るのは善い。

     女には善い夢で男が見ると、反對

     になる夢が少しある。例へば、鼻

     血が出ると夢見るのは女には善い

     が、男にはこれは甚だ惡い。多く

     の金錢を夢見るは損失の來る前兆

     である。鯉或は何か淡水の魚を夢

     見るのは一番緣起が惡るい。これ

     は妙である。日本の他の地方では

     鯉は幸運の徽號であるから。

 

この優美な植物には變種が二つある。一つは赤い實を結び、一つは白い實を結ぶ。後者は稀である。兩種類とも自分の庭に植えて居る。この普通な方の變種が(恐らく夢見る人の便宜の爲めに)緣に近く植ゑられて居り、他のは、小さな枸櫞樹(シトロンツリイ)と共に、庭の眞ん中の小さな花床を占めて居る。此非常に雅美な枸櫞樹は、その芳(かん)ばしい實の不思議な恰好からして『佛手柑』【註一】と呼ばれて居る。

 

     註一。テブシユカン。學名シトルス・

     サアコダクチリス。

 

その近くに、靑銅のやうな光澤(つや)のある槍と尖つた葉の一種の月桂樹がある。日本人はユヅリハと呼んで居るもので古い士屋敷の庭には、殆んど手柏と同じく普通のものである。

 

     註二。『ユヅル』は他人に讓與する

     の意で、『ハ』は葉である。ヘボン

     の字書に據ると、その植物學上の

     名はダフニフイルム・マクロポオ

     ダムである。

 

後から生えるその新葉が充分に發育しないうちは、古葉は一枚も決して落ちぬから、緣起の好い木だとされて居る。といふのは、斯くしてユヅリハは、その息子が一家の長として、後を嗣ぐことが充分出來る程に強壯な成人にならないうちに、父が亡くならないやうにとの希望を象徴して居るからである。だから毎正月、讓葉の葉をば羊齒の葉と交へて、その時出雲の何處の家の前にも吊るすシメナハに着ける。

 

[やぶちゃん注:「テガシハ」「テガシハ」これはハーンが「大きな獨特な葉を有つた」と言っている以上、所謂、柏の葉、現在の被子植物門双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属カシワ Quercus dentata と思う。現在、知られた和名のものに、これに酷似する裸子植物門マツ綱マツ目ヒノキ科コノテガシワ(児の手柏)Platycladus orientalis があり、「テガシワ」を調べるとこの「コノテガシワ」だと記してあり、また、中国原産ではあるが江戸時代には渡来している。しかしあれはどう見ても「大きな獨特な葉を有つた」とは言わないし、ここでハーンが描出する対象として読むことは私には到底出来ないからである。識者の御教授を乞うものではある。

「タヒ(學名セラヌス・マアギナリス)」これはハーンの誤りで、

Serranus marginalis (Bloch 1793)

 は、

条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目スズキ目スズキ亜目ハタ科マハタ属アカハタ Epinephelus fasciatus

の今や用いられることのなくなったシノニムで、通常、我々日本人が鯛と言って想起するマダイは、

スズキ亜目タイ科マダイ亜科マダイ属マダイ Pagrus major

である(ウィキの「マダイ」よれば、属名「パグルス」はギリシャ語でタイを意味する「パグロス」のラテン語形で、種小名はラテン語で「大きい」を意味する「マヨル」に由来するとある)。

「パアチ」西洋の読者に向けた注だから仕方がないと言えばないが、ハーンも絶対的に魚の知識に乏しい西洋人の一人と言わざるを得ない。タイはパーチ“perch”の仲間ではない。パーチは、

スズキ亜目ペルカ(パーチ)科ペルカ(パーチ)属 Perca

に属する淡水魚類の総称である。ウィキの「パーチ」によれば、『ヨーロッパの河川や湖沼に生息するカワメバルの総称で、広義にペルカ属(パーチ属) Perca の』三種を『総称するが、狭義には』、ヨーロッパからアジアにかけてユーラシア大陸に幅広く分布する淡水魚のヨーロピアン・パーチ(Perca fluviatilis)を指すとある。ウィキの「ヨーロピアンパーチ」の写真をご覧あれ。およそ、本邦の気品ある鯛とは似ても似つかぬ、零落した売春婦のような装いである。

「徽號」「きごう」と読み、普通は旗印・徽章(きしょう)の謂いであるが、原文は確かに“an emblem”ではあるが、ここではもう以降、原義である「象徴」或いは同じ発音の「記号」と読み換えた方が分かりがいい。

「ナンテン」「學名ナンディナ・ドメスチカ」キンポウゲ目メギ科ナンテン亜科ナンテン属ナンテン Nandina domestica 。中国原産とされ、本邦では西日本に広く自生しているものの、これらは古えに渡来した栽培種が野生化したものとされている(ウィキの「ナンテン」に拠る)。白い果実は稀で、私も一度しか見たことがない。

「一切の夢の中で一番目出度いのは、かの聖山フジの夢である。吉兆の順序でそれに次ぐのは鷹を夢見ることである。三番目に一番好い夢の主題は茄子である」所謂、「一富士二鷹三茄子」について、ウィキ初夢では、『江戸時代に最も古い富士講組織の一つがあった「駒込富士神社」の周辺に鷹匠屋敷(現在の駒込病院)があり、駒込茄子が名産であったため、当時の縁起物として「駒込は一富士二鷹三茄子」と川柳に詠まれた』とし、『江戸時代初期にはすでにあり、それぞれの起源は次のような諸説がある』とする。まずは『徳川家縁の地である駿河国での高いものの順。富士山、愛鷹山、初物のなすの値段』、『富士山、鷹狩り、初物のなすを徳川家康が好んだ』から、或いは『富士は日本一の山、鷹は賢くて強い鳥、なすは事を「成す」』とし、また、『富士は「無事」、鷹は「高い」、なすは事を「成す」という掛け言葉』、『富士は曾我兄弟の仇討ち(富士山の裾野)、鷹は忠臣蔵(主君浅野家の紋所が鷹の羽)、茄子は鍵屋の辻の決闘(伊賀の名産品が茄子)』などとある。因みに四以降は『四扇(しおうぎ、よんせん)、五煙草(多波姑)(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう)』という「俚言集覧」の記載を引き、『一説として、一富士二鷹三茄子と四扇五煙草六座頭はそれぞれ対応しており、富士と扇は末広がりで子孫や商売などの繁栄を、鷹と煙草の煙は上昇するので運気上昇を、茄子と座頭』『は毛がないので「怪我ない」と洒落て家内安全を願うという』などとする。

「『逆さになる』と思はれて居る夢」逆夢(さかゆめ)で、現実になる事実とは逆のことを見る夢で正夢(まさゆめ)の対語である。

「鼻血が出ると夢見る」血の穢れを逆手に取った面白い夢判断だと私は思うのだが、現行の妖しいげな夢占いサイトでは鼻血が出る夢は社会運や金運の上昇を暗示しているなどとあって、最早、古典的な男女の差は語られていない。実に嘆かわしいことである、と私は思うね。ふふふ

「枸櫞樹(シトロンツリイ)」これは音で「くえんじゆ(くえんじゅ)」と読むが、本来はミカン属レモン Citrus limonと類縁関係にあるムクロジ目ミカン科ミカン属シトロン Citrus medica を指す。ハーンはこの後、これを「佛手柑」(ぶつしゆかん(ぶっしゅかん))、「テブシユカン。學名シトルス・サアコダクチリス」と記すから、これはミカン属シトロンの変種であるブッシュカン(仏手柑)Citrus medica var. sarcodactylis を指していることが判明するウィキブッシュカンによれば、『ミカン科ミカン属の常緑低木樹で、「カボス」「ユズ」などと同じ香酸柑橘類の一種で』『インド東北部原産。果実は芳香があり濃黄色に熟し、長楕円体で先が指のように分かれる。名称はその形を合掌する両手に見立て、「仏の手」と美称したもの。暖地で観賞用に栽植される』。『身が少ないので生食には向かず、一般的に砂糖漬けなどで菓子にしたり、乾燥させて漢方薬にしたりして利用され』。日本における二〇一〇年の収穫量は五・六トンあるが、『その全てが鹿児島県において生産されている』とある。私も鹿児島(私の亡き母の故郷は鹿児島である)で砂糖漬のそれを食したことがある。

「月桂樹」クスノキ目クスノキ科ゲッケイジュ属ゲッケイジュ Laurus nobilis であるが、これは以下に示す全くの別種であるユキノシタ目ユズリハ科ユズリハ属ユズリハ Daphniphyllum macropodum の誤認である。但し、現在でもそう思っているひとが多く、ハーンを批判は出来ない。調べてみると、ゲッケイジュ Laurus nobilis の本邦への移入は明治三八(一九〇五)年頃とあり、これはハーン小泉八雲の逝去の翌年に当たるから、彼の家にあったには絶対に真正の月桂樹であり得ないと言ってよい。

「ユヅリハ」「ダフニフイルム・マクロポオダム」前掲通り、ユキノシタ目ユズリハ科ユズリハ属ユズリハ Daphniphyllum macropodum 。見た目でもゲッケイジュ Laurus nobilis とは全然異なり、真正のそれを知っているはずのハーンが何故こんなことを述べているのか、聊か理解に苦しむ。但し、ユズリハは確かに「譲葉」で、ウィキユズリハには由来をまさに、『春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することから』、『その様子を、親が子を育てて家が代々続いていくように見立てて縁起物とされ、正月の飾りや庭木に使われる』とある。

「羊齒の葉と交へて、その時出雲の何處の家の前にも吊るすシメナハに着ける」ハーンはこの叙述から見ると、羊歯の葉裏の夥しい胞子をユズリハのそれと類感的に感じたかのようにここでは読めてしまうが、実際的には羊歯は「裏白(うらじろ)」と言うように、羊歯は葉の裏面が有意に白く、神道の「清め」に通ずる故に特に選ばれているものである。]

 

 

Sec. 4

By Buddhism all existences are divided into Hijo things without desire, such as stones and trees; and Ujo things having desire, such as men and animals. This division does not, so far as I know, find expression in the written philosophy of gardens; but it is a convenient one. The folk- lore of my little domain relates both to the inanimate and the animate. In natural order, the Hijo may be considered first, beginning with a singular shrub near the entrance of the yashiki, and close to the gate of the first garden.

Within the front gateway of almost every old samurai house, and usually near the entrance of the dwelling itself, there is to be seen a small tree with large and peculiar leaves. The name of this tree in Izumo is tegashiwa, and there is one beside my door. What the scientific name of it is I do not know; nor am I quite sure of the etymology of the Japanese name. However, there is a word tegashi, meaning a bond for the hands; and the shape of the leaves of the tegashiwa somewhat resembles the shape of a hand.

Now, in old days, when the samurai retainer was obliged to leave his home in order to accompany his daimyo to Yedo, it was customary, just before his departure, to set before him a baked tai [6] served up on a tegashiwa leaf. After this farewell repast the leaf upon which the tai had been served was hung up above the door as a charm to bring the departed knight safely back again. This pretty superstition about the leaves of the tegashiwa had its origin not only in their shape but in their movement. Stirred by a wind they seemed to beckonnot indeed after our Occidental manner, but in the way that a Japanese signs to his friend to come, by gently waving his hand up and down with the palm towards the ground.

Another shrub to be found in most Japanese gardens is the nanten, [7] about which a very curious belief exists. If you have an evil dream, a dream which bodes ill luck, you should whisper it to the nanten early in the morning, and then it will never come true. [8] There are two varieties of this graceful plant: one which bears red berries, and one which bears white. The latter is rare. Both kinds grow in my garden. The common variety is placed close to the veranda (perhaps for the convenience of dreamers); the other occupies a little flower-bed in the middle of the garden, together with a small citron-tree. This most dainty citron-tree is called 'Buddha's fingers,' [9] because of the wonderful shape of its fragrant fruits. Near it stands a kind of laurel, with lanciform leaves glossy as bronze; it is called by the Japanese yuzuri-ha, [10] and is almost as common in the gardens of old samurai homes as the tegashiwa itself. It is held to be a tree of good omen, because no one of its old leaves ever falls off before a new one, growing behind it, has well developed. For thus the yuzuri-ha symbolises hope that the father will not pass away before his son has become a vigorous man, well able to succeed him as the head of the family. Therefore, on every New Year's Day, the leaves of the yuzuriha, mingled with fronds of fern, are attached to the shimenawa which is then suspended before every Izumo home.

 

6 The magnificent perch called tai (Serranus marginalis), which is very common along the Izumo coast, is not only justly prized as the most delicate of Japanese fish, but is also held to be an emblem of good fortune. It is a ceremonial gift at weddings and on congratu-latory occasions. The Japanese call it also the king of fishes.

7 Nandina domestica.

8 The most lucky of all dreams, they say in Izumo, is a dream of Fuji, the Sacred Mountain. Next in order of good omen is dreaming of a falcon (taka). The third best subject for a dream is the eggplant (nasubi). To dream of the sun or of the moon is very lucky; but it is still more so to dream of stars. For a young wife it is most for tunate to dream of swallowing a star: this signifies that she will become the mother of a beautiful child. To dream of a cow is a good omen; to dream of a horse is lucky, but it signifies travelling. To dream of rain or fire is good. Some dreams are held in Japan, as in the West, to go by contraries. Therefore to dream of having ones house burned up, or of funerals, or of being dead, or of talking to the ghost of a dead person, is good. Some dreams which are good for women mean the reverse when dreamed by men; for example, it is good for a woman to dream that her nose bleeds, but for a man this is very bad. To dream of much money is a sign of loss to come. To dream of the koi, or of any freshwater fish, is the most unlucky of all. This is curious, for in other parts of Japan the koi is a symbol of good fortune.

9 Tebushukan: Citrus sarkodactilis.

10 Yuzuru signifies to resign in favour of another; ha signifies a leaf. The botanical name, as given in Hepburns dictionary, is Daphniphillum macropodum.

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