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2015/10/15

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十五章 狐 (一二)

        一二

 

 靈狐を題材とせる文學は頗る夥しい。古いのは十一世紀からのもある。古い物語や、近代の安價な小説や、歴史的傳説や、通俗のお伽噺の中で、狐は驚くべき役割を演じてゐる。狐については非常に美はしい、非常に哀れな、非常に怖ろしい話も隨分ある。大學者によつて論究された狐の傳説もある。また日本のあらゆる子供の知つてゐる傳説――玉藻ノ前の歷史のやうな――ものもある。玉藻ノ前は鳥羽天皇の美しい寵姫で、その名は諺となつたほどであるが、實は結局九尾金毛の妖狐とわかつたのであつた。しかし、狐の文學の元も興味ある部分は、日本の戲曲に存してゐる。戲曲の中では、通俗滑稽的に反映されてゐる。十返舍一九の膝栗毛の喜劇から次に拔いたもののやうに――

 〔喜多八と彌次が、江戸から大阪へ向つて旅行してゐる。赤坂の少し手前で、喜多八はよい宿を取つておくために一ト足先きへ急ぐ。彌次はゆつくりと歩いて行つて、路傍に老婆が出してゐる茶店に一寸休んだ〕

 老婆。御茶を召上がりませ。

 彌次。難有う。これから次の驛へは――赤坂へは、どれ位あるだらう?

 老婆。まあ一里位で御座います。しかし御伴侶樣がなくては、今晩こゝで御泊になつた方がよろしう御座いますよ。途中に惡るい狐がゐまして、道中のお方を誑ましますから。

 彌次。それは怖い話だ。しかし僕は行かなくちやならん。伴侶が先きへ行つて待つてゐるんだ。

 〔茶代を拂つてから、彌次は出掛けたが、夜は眞暗で老婆から聞かされた話のために、大いにびくびくしてゐる。可なり歩いてから、不意にこんこんと狐の啼く聲がした。いよいよ怖くなつて、彼は聲の有らん限り絶叫した〕

 彌次。僕の側へ來て見ろ、狐め、すぐ殺してやるから!

 〔喜多八も老婆から話をきいて、喫驚したので、彌次を待たうと決心して、暗黑の中で、『僕が待つて居ないと、我輩兩人とも、屹度誑されてしまふだらう』と、獨り言をいつてゐる。突然彌次の聲が聞えたので、大聲で彼を呼ぶ〕

 喜多八。おい、彌次さん。

 彌次。君、そこで何してるんだ?

 喜多八。僕は先きへ行かうと思つたんだが、怖くなつたから、立止まつて、君を待りことにしたんだよ。

 彌次。(狐が喜多八に化けて、誑まさうとするのだと思つて)僕を誑まさうとしてるだらう?

 喜多八。變なことをいふねえ!僕はうまい餅を君に食べさせうと思つて、買つてきてるんだよ。

 彌次。馬糞は食べられないよ!

 

    註。狐に人に馬糞を食べさせて、餅を

    食べてゐると思はせたり、湯に浴る積

    りで下水溜に入らせたりして。面白が

    つてゐるものと、一般に信ぜられてゐ

    る。

 

 喜多八。疑つてはいかんよ!――僕は實際喜多八だよ。

 彌次。(猛烈に喜多八に眺びかかつて)さうだ、貴樣は僕を欺くために喜多八に化けたのだ。

 喜多八。君は何うしたんだ?僕を何うするといふんだ?

 彌次。殺してやるんだ!(喜多八を倒す)

 喜多八。やあ?ひどい目にやられた。どうかゆるしてくれ。

 彌次。實際怪我をしたといふなら、責樣本當の姿を見せてくれ。(兩人相もがく)

 喜多八。何をするんだ?そこへ手をやつて。

 彌次。責樣の尻尾を觸はつて見るんだ。すぐ尻尾を出さなけりや殺すぞ!(手拭を取出し、喜多八の兩手を背後で縛りつけて、追ひ立てて行く)

 喜多八。どうか解いてくれ!まづ解いてくれ!

 (兩人はやがて殆ど赤坂へ達した。すると、彌次は犬を見付けたので、それを呼んで、喜多八を近く犬に引きずりよせた。狐が如何に化けの皮を被つてゐても、犬は看破するものと信ぜられてゐるから。しかし犬は喜多八に一向頓着しない。彌次はそこで喜多八を解いて詫びを述べる。兩人とも先刻、恐れたことを笑ひ合ふ)

 

[やぶちゃん注:「靈狐を題材とせる文學は頗る夥しい。古いのは十一世紀からのもある」ハーンが何を指しているのか不詳。「今昔物語集」には多くの妖狐説話が載るが、古く見ても同書の成立は一一二〇年代以降、十二世紀の成立と推測されている。それ以前の仏教説話の孰れかを指すか。識者の御教授を乞う。
 
「玉藻ノ前」ハーンの述べる如く、日本史史上(ルーツ上では後の引用で見るように中国の殷代まで遡るとされるが)の最高最強最悪の妖狐で、凄絶な美しさを保持した妖怪である。能「殺生石」を始めとして人形浄瑠璃や歌舞伎、近代怪奇小説など多くの文学作品の主人公ともなった。以下、
ウィキの「玉藻前より引いておく。『平安時代末期に鳥羽上皇に仕えた二尾あるいは九尾の狐が化けたという伝説上の絶世の美女。玉藻御前(たまもごぜん)ともいう』。『玉藻前の伝説は、最も早いものでは史書の』「神明鏡」(しんめいかがみ:神武天皇から後花園天皇までの年代記で上下二巻。作者未詳。南北朝時代末期に成立して永享二(一四三〇)年まで書き継がれた)の『鳥羽院の条に見られる。次いで能の『殺生石』、御伽草子の『玉藻の草子』がある。近世には浄瑠璃に仕組まれ、紀海音の『殺生石』、 近松梅枝軒・佐川藤太合作の『玉藻前曦袂』(たまものまえあさひのたもと)が知られる。 高井蘭山の『絵本三国妖婦伝』では、それまで簡略に片付けられていた唐土・天竺の条が増補された。これが好評を博したことで玉藻前の物語が流行し、玉藻前を題材とした浄瑠璃や歌舞伎、小説が盛んに作られた。その伝説の概要は、およそ以下のようなものである。ただし以下の内「九尾(江戸期以前は双尾七尋)」及び「妲己始め他国伝承との同一視」は明らかに江戸期以降「追加された」設定である』(「七尋」は約十二・六メートル)。『最初は藻女(みずくめ)と呼ばれ、子に恵まれない夫婦の手で大切に育てられ、美しく成長した』。十八歳で『宮中で仕え、のちに鳥羽上皇に仕える女官となって玉藻前(たまものまえ)と名乗る。その美貌と博識から次第に鳥羽上皇に寵愛され、契りを結ぶこととなった』。『しかしその後、上皇は次第に病に伏せるようになり、朝廷の医師にも原因が分からなかった。しかし陰陽師・安倍泰成(安倍泰親、安倍晴明とも)が玉藻前の仕業と見抜く。安倍が真言を唱えた事で玉藻前は変身を解かれ、白面金毛九尾の狐の姿で宮中を脱走し、行方を眩ました』。『その後、那須野(現在の栃木県那須郡周辺)で婦女子をさらうなどの行為が宮中へ伝わり、鳥羽上皇はかねてからの那須野領主須藤権守貞信の要請に応え、討伐軍を編成。三浦介義明、千葉介常胤、上総介広常を将軍に、陰陽師・安部泰成を軍師に任命し』、八万余りの『軍勢を那須野へと派遣した』。『那須野で、既に九尾の狐と化した玉藻前を発見した討伐軍はすぐさま攻撃を仕掛けたが、九尾の狐の術などによって多くの戦力を失い、失敗に終わった。三浦介と上総介をはじめとする将兵は犬の尾を狐に見立てた犬追物で騎射を訓練し、再び攻撃を開始する』。『対策を十分に練ったため、討伐軍は次第に九尾の狐を追い込んでいった。九尾の狐は貞信の夢に娘の姿で現れ許しを願ったが、貞信はこれを狐が弱っていると読み、最後の攻勢に出た。そして三浦介が放った二つの矢が脇腹と首筋を貫き、上総介の長刀が斬りつけたことで、九尾の狐は息絶えた』。『だが九尾の狐はその直後、巨大な毒石に変化し、近づく人間や動物等の命を奪った。そのため村人は後にこの毒石を『殺生石』と名付けた。この殺生石は鳥羽上皇の死後も存在し、周囲の村人たちを恐れさせた。鎮魂のためにやって来た多くの高僧ですら、その毒気に次々と倒れたといわれている。南北朝時代、会津・元現寺を開いた玄翁和尚が、殺生石を破壊し、破壊された殺生石は各地へと飛散したと伝わる』。『玉藻前の経歴は中国古代王朝殷にまで遡る。殷の最後の王である紂の后、妲己の正体は齢千年を経た九尾の狐であり、王の妾であった寿羊という娘を食い殺し、その身体を乗っ取って王を惑わせたとされる。王と妲己は酒池肉林にふけり、無実の人々を炮烙の刑にかけるなど、暴政を敷いたが、周の武王率いる軍勢により捕らえられ、処刑された。またこの処刑の際に妲己の妖術によって処刑人が魅せられ首を切ることができなくなったが、太公望が照魔鏡を取り出して妲己にかざし向けると、九尾の狐の正体を現して逃亡しようとした。太公望が宝剣を投げつけると、九尾の体は三つに飛散したといわれている』。『しかしその後、天竺の耶竭陀(まがだ)国の王子、班足太子(はんぞくたいし)の妃・華陽夫人として再び現れ、王子へ千人の首をはねるようにそそのかすなど暴虐の限りを尽くしたが、耆婆(きば)という人物が夫人を魔界の妖怪と見破り、金鳳山中で入手した薬王樹で作った杖で夫人を打つとたちまち九尾の狐の正体を現し、北の空へ飛び去って行ったとされる』。『また周の第十二代の王、幽王の后、褒姒も九尾の狐とされる。褒姒がなかなか笑わないので、幽王はさまざまな手立てを使って彼女を笑わそうとし、ある日何事もないのに王が烽火(のろし)を上げ、諸侯が集まったという珍事に初めて笑ったといわれ、それを機に王は何事もないのに烽火を上げ、諸侯が烽火をみても出動することが無くなり、後に褒姒により后の座を追われた申后の一族が周を攻めたとき、王は烽火を上げたが諸侯は集まらず、王は殺され、褒姒は捕虜にされたが、いつの間にか行方知れずとなっていたという『』。

そして』七五三年、若藻(わかも)という十六、七歳の『少女に化け、彼女に惑わされた吉備真備の計らいによって、阿倍仲麻呂、鑑真和尚らが乗る』第十回目の『遣唐使船に乗船。嵐に遭遇しながらも来日を果たしたとされる』(第九回の遣唐使に来日という説もあるという)。また遙かに具体的現実的には、『玉藻前のモデルは、鳥羽上皇に寵愛された皇后美福門院(藤原得子)ともいわれる。摂関家などの名門出身でもない彼女が皇后にまで成り上がり、自分の子や猶子を帝位につけるよう画策し中宮待賢門院(藤原璋子)を失脚させ、崇徳上皇や藤原忠実・藤原頼長親子と対立し保元の乱を引き起こし、更には武家政権樹立のきっかけを作った史実が下敷きになっているという(ただし、美福門院が実際にどの程度まで皇位継承に関与していたかについては諸説ある)』とある。

「十返舍一九の膝栗毛」浮世絵師で戯作者でもあった十返舎一九(じっぺんしゃいっく 明和二(一七六五)年~天保二(一八三一)年)の享和二(一八〇二)年から文化一一(一八一四)年にかけて初刷りされた、知られた滑稽本「東海道中膝栗毛」であるが、実は私は読んだこともなく、本書を所持もしていない。しかし、かく注してきた以上、原本を掲げずんばなるまいと思った。そこで自分のデータベース内を捜して見たところ、かなり以前にネットで採取した、パブッリク・ドメインの大正一五(一〇二六)年國民圖書株式會社刊「近代日本文學大系」第十八巻「東海道中膝栗毛」のPDF版を見つけた。そこでそれを視認して注末に電子化しておいた。読まれると分かるが実はハーンが抄出しているようなこんなあっさりとした顛末ではなくて、彌次郎が異様に延々と赤坂宿に着いても猜疑心を持ち続け、それがまた、すこぶるつきで面白い。正直、今度、本を買って最初から読みたくなった。

「誑まし」通常、「誑」は「だぶらかす」と訓ずるが、ここは河合氏は一貫して「だます」と訓じている。

「下水溜」「げすいだまり」と読むか。原文は“a cesspool”で、これは地下に設置した汚水或いは汚物溜めの槽を指すから、ここはそれ、知られた肥溜めでよかったんではないかと、河合先生、私は思いますよ。

   *

〇十返舎一九「東海道中膝栗毛」の当該箇所原文

[やぶちゃん注:同四編の「御油より赤坂へ十六丁」とあるすぐ後のシークエンスである。「御油」は御油宿(ごゆしゅく)で東海道五十三次の三十五番目の宿場で現在の愛知県豊川市御油町にあった。松並木が美しいことで今も知られる。「赤坂」は現在の愛知県豊川市赤坂町にあった東海道五十三次の三十六番目の宿場町で、御油宿や吉田宿(次の三十四番目の宿場で現在の愛知県豊橋市中心部)とともに飯盛女を多く抱えていたことで知られ、「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」と言われたほど、活気のある宿場町であった(ここはウィキのそれぞれの宿の記載を参照した)。本訳に合わせて、ト書き(底本は二行割注であるが、これも本書に合わせて〔 〕で同ポイントで示した)や台詞ごとに改行を施して比較し易くしておいた。読みは必要と私が判断したもののみのパラルビとした。台詞の頭の話者名は底本ではポイント落ちの右寄せあるが、同ポイントで示しておいた(一部の字でも同じ処置を施した箇所がある)。踊り字「〱」は正字化した。読点の有無は底本のママである。「喜多八」は「北」で表示される。]

 

彌次郎兵衞(やじろべゑ)、あまりに草臥(くたび)れければ、先づ此(こ)の所はづれの茶店に腰をかけたるに、あるじの婆(ばゝ)、

 「アイ茶ァまいりませ。」

彌「モシ赤坂まではもう少しだの。」

婆「アイたんだ十六丁おざるが、お前ひとりなら、此(こ)の宿(しゆく)に泊らしやりませ。此(こ)のさきの松原(まつばら)へは、わるい狐が出をつて、旅人衆(たびうどしゆ)がよく化(ばか)かされ申すわ。」

彌「そりやァ氣(き)のねえはなしだ。しかし爰(こゝ)へ泊りたくても、つれが先へ行つたから仕方がねぇ。エヽきついこたァねえ。やらかしてくれよう。アイおせわ。

ト〔茶代を置き、此の所を立ち出で行くに、暗さは暗し、うそ氣味惡く、眉毛に唾をつけながら行く。はるか向うにて狐の鳴く聲、〕

 「ケン、ケン。」

彌「ソリヤ鳴きやァがるわ。おのれ出(で)て見ろ。ぶち殺してくれう。」

ト〔力み返つてたどり行くに、北八も先ヘかけぬけ、此の所まで來りしが、これもこゝへ狐が出るといふ話を聞き、もしも化されてはつまらぬと、彌次郎をまち合はせ、つれ立ち行かんと思ひ、土手に腰をかけ、煙草のみゐたりけるが、それと見るより、〕

北「オイオイ彌次さんか。」

彌「オヤ手前(てめへ)なぜこゝにゐる。」

北「宿とりに先へ行かうと思つたが、爰へは惡い狐が出るといふ事だから、一緒に行かうと思つてまち合はせた。」

ト〔いふに彌次郎心づき、こいつ、きやつめが北八に化けたなと思ひければ、わざと弱みを見せず、〕

彌「糞を食らへ。そんなで行(い)くのぢやァねぇわ。」

北「オヤお前何をいふ。そして腹が減(へつ)たらう。餠(もち)を買つて來から食ひあせえ。」

彌「ばかァぬかせ。馬糞(ばふん)が食はれるものか。」

北「ハヽヽヽハヽコレ己(おれ)だわな。」

彌「己(おれ)だも凄(すさ)まじい。北八にその儘だ。よく化けやァがつた。畜生め。」

北「アイタヽヽヽヽ。彌次さんコリヤどうする。」

彌「どうするもんか、ぶち殺すのだ。」

ト〔うつかりした所をぐつと突き倒して、彌次郎その上へのり懸り、おさへる。〕

北「あいたあいた。」

彌「痛かァ性體(しやうたい)現はせ現はせ。」

北「アレサ、尻(しり)へ手をやつてどうする。」

彌「どうするももんか。尻尾に出せ。出さずばかうする。」

ト〔三尺手拭をとき、北八が手を後へ廻してしばる。北八をかしく、わざと縛られてゐると、〕

彌「サアサア、先へ立つてあるけあるけ。」

ト〔北八をくゝり、後から捕へて、おつたておつたて、あか坂の宿にいたる。はやいづれの旅籠屋にも客を泊めて、門に立ちゐる女も見えず。彌次郎は宿からむかひの人が、もはや出さうなものと、うろつくうち、〕

北「コウ彌次さん、いいかげんに解(と)いてくんな。外聞のわるい。人がきよろきよろ見て惡いわな。」

彌「エヽ糞くらへ。ハテ宿はどこだ知らん。」

北「ナニ己(おれ)はこゝにゐるものを、誰(だれ)が先へ宿を取つておくものだ。」

彌「まだぬかしやァがる。畜生め。」

〔このうち、向うより來る宿屋の男、〕

 「あなた方は當宿(たうしゆく)お泊りではおざりませぬか。」

彌「きさま迎ひの人か。」

やどや「ハイおさやうでおざります。」

彌「それ見たか。此の化けぞこなひめ。」

ト〔北八を杖にて一つくらはせる。〕

北「アイタヽヽヽヽ。どうしやがる。」

〔宿屋の男きもを潰し、〕

 「あなた方、外のお連樣はまだお跡でおざりますか。」

彌「ナニもうわつち一人(ひとり)さ。」

やどや「ハァそれでは聞違(きちが)ひました。私方(わたくしかた)のお泊りは十人樣と承りました。」

ト〔此の男は、匇々行き過ぎる。又ある旅籠屋の店先にて、〕

ていしゆ「お泊りかな、もし。」

ト〔かけよつて摑へる〕

彌「イヤ連れの者が先へ來た筈だが。」

北「その連れはおいらだわな。」

彌「エヽいけしぶとい奴だ。もういい加減に尻尾を出しをれ。イヤまてまて。彼所(あそこ)に犬がゐる。コヽヽヽ、シロ、コヽヽヽ、オヽシキシキシキ。ハヽァ犬が來ても、いけしやァしやァとして居るから、さては狐ではねぇ。ほんたうの北八か。」

北「知れた事。わりい洒落だ。」

彌「ハヽヽヽヽ。サァお前の所へ泊りやせう。」

ト〔心解けて北八が縛めをもとくと、宿屋の亭主、〕

 「サァお入(はい)りなさませ。ソレお湯をとつて來い。お座敷はえいかな。」

北「アヽとんだ目にあつた。」

ト〔足を洗ふ。此のうち、宿の女荷物を座敷へ運ぶ。二人も座敷へうち通りて、〕

彌「ホンニ北八料簡しや。おらァ實(じつ)に、ほんたうの狐だと思ひつめた。」

北「ばかばかしい目にあつた。未だに此(こ)の手首がひりひりする。」

彌「ハヽヽヽヽ倂し待てよ。斯(か)うはいふものの、やつぱりこれが、化かされてゐるのぢやァねえか。どうやらをかしな心もちだ。」

ト〔無上に手を叩き、〕

 「御亭主(ごていしゆ)々々々。」

ていしゆ「ハイお呼びなさりましたか。」

彌「コレ、どうも合點(がてん)が行かぬ。こゝはどこだ。」

ていしゆ「ハイ、赤坂宿(あかさかじゆく)でおざります。」

北「ハヽヽヽヽ彌次さんどうしたのだの。」

彌「エヽ未(ま)だはぐらかしてゐやァがる。」

ト〔いひつゝ眉毛をぬらして、〕

 「御亭主さん、なんとこゝの内(うち)は、卵塔場(らんたふば)ぢやァねぇか。」

ていしゆ「エゝ何ヲおつしやる。」

北「ハヽヽヽヽおもしれえおもしれえ。」

ト〔此の内、勝手より宿の女、〕

女「お湯にお召しになさりませ。」

北「サア彌次さん、先づ、湯にでも入(い)つて氣を落ちつけるがいいよ。」

彌「畜生めが、糞壺(くそつぼ)へいれようと思つて、その手を食ふものか。」

ていしゆ「ナニ湯は淸水(しみづ)でおざりますから綺麗でおざります。マァお出でなさりませ。」

ト〔勝手へゆく。女、茶をくんで來り、〕

 「モシ御さびしかァ、女郎さんがたでもお呼びなさりませ。」

彌「ばかァいふな。石地藏を抱いて寢るこたァ嫌だ。」

女「ホヽホヽヽ異なことをおつしやります。」

北「そんなら先へ入(はひ)りやせう。」

ト〔北八湯殿へ行く。このうち亭主また座敷へ出で、〕

ていしゆ「時にお客樣へ申し上げます、今晩は、私方(わたくしかた)に少し祝ひ事がおざいrますから、御酒(ごしゆ)を一ツあげませう。」

ト〔いふうち、勝手より酒肴もり出る。〕

彌「お構ひなさるな。何ぞおめでたい事かの。」

ていしゆ「ハイおさやうでおざります。私(わたくし)の甥めに嫁を貰ひました。今晩婚禮をいたさせますから、お喧(やかま)しうおざりましよ。」

ト〔いひすてて、立つて行く。北八ふろより上り、〕

北「何だ、おごりかけるの。」

彌「こゝの内に婚禮があるといふ事だ。コリヤいよいよきやつめがはぐらかすに極(きま)つた。もう水風呂(すゐふろ)へも入(はひ)るめえ。」

北「エヽお前もいいかげんにしな。さりとは、執念深(ぶけ)えこつた。」

彌「イヤイヤ、めつたに油斷はならぬ。この硯(すずり)ぶたも、こんなに甘(うま)さうに見えても、性(しやう)は馬のくそや犬の糞だらう。」

北「ホンにさうだから、お前は見てゐなせえ。こいつは有りがてぇ。お辭氣(じぎ)なしにやらかしやせう。」

ト〔北八手酌にて、さつさつと吞みかける。彌次郎例の意地がきたなく、流石にみてもゐられず、まじまじして、〕

彌「いめえましい。氣を惡くさしやアがる。」

北「氣遣(きづけへ)はねぇ。一ぱい吞みなせぇ。」

彌「イヤイヤ馬の小便だらう。ドレ匀ひをかゞして見せや。ムウムウこりやほんたうのやうだ。どうも堪(こた)へられぬ。エヽまゝよ、やらかせ。」

ト〔一ぱい注いで吞み舌打ちしながら、〕

 「酒だ酒だ。ドレドレ肴(さかな)。オツト此の玉子はどうも色合ひが氣にくはねぇ。海老にしよう。カリカリカリこいつはほんたうの海老だ海老だ。」

ト〔引掛け引掛け、差いつ押へつさつさつと吞みかける。此の内[やぶちゃん注:意味不明の箇所があるので中略する。]離れ座敷でははや婚禮の杯ごと始まりしと見え、謠の聲する。〕

「四海波しづかにして、國もをさまつ時津風(ときつかぜ)、枝をならさぬ御代(みよ)なれや、あひに相生(あひおひ)の松こそめでたかりけれ。」

北「ヤンヤア。」

彌「コウ喧(やかま)しいわえ。」

北「喧しいはいいかと思やァ、やみくも獨りでくらふやつさ。ハヽヽヽヽ。」

彌「おらア正直化(ばか)された氣になつて居たが、今思やァ、さうでもねぇ。とんだ苦勞をさせやァがつた。」

北「エヽお前の苦勞したよりかァ、おらァしばられて、へんちきな目にあつた。ハヽヽヽヽ。」

   *

以下、まだ続くが、ここでようやっと弥次郎の狐に化かされ続けているという神経症的関係妄想が終わり、話は新婚夫婦の初夜に纏わるドタバタ劇へと転じている。少しだけ注しておく。

・「たんだ」は「ただ」と同義で、ほんの・たったの意の副詞。

・「十六丁」一・七四キロメートル。

・「氣のねえ」気が進まない、気乗りのしないの意。

・「うそ氣味惡く」の「うそ」は「薄(うす)」の転じた形容詞や形容動詞に附す接頭語。何となく、の意を添える。

・「ケン、ケン」「引」は現在の長音符の代わりであろう。「ケーン、ケン」。

・『彌「糞を食らへ。そんなで行(い)くのぢやァねぇわ。」』この弥次郎の台詞は完全に相手を狐と断じて、狐が騙して馬糞を食わせことを先に言上げして呪的に有利に立ち、「騙そうとするお前(狐)の言う通りに素直に従うと思ったら大間違いだ! 俺はお前なんかとは一緒には行かねえ!」と言っているのであろう。

・「己(おれ)だも凄(すさ)まじい」とは「己だ」と言うその謂い方も「凄まじい」(とんでもないほど)までに北八そっくりじゃねか! よくぞ、そこまで化けおおせたもんだ! しかし騙されねえ! という弥次郎の威嚇である。

「三尺手拭」長さが鯨尺三尺(一メートル十四センチ弱)ほどの木綿の布で、鉢巻・頬かぶり・置手拭・腰帯など、多様に使えた手拭い。

・「匇々」は「そうそう」で「早々」に同じい。

・「いけしぶとい」の「いけ」は現行の「いけ好かない」「いけしゃあしゃあ」の「いけ」同じ接頭語で、卑しめ罵る意を表す形容詞・形容動詞などに附して、さらにその程度を強める意を表す。

・「縛め」「いましめ」。

・「料簡」「れうけん(りょうけん)」はここでは勘弁・許すことのこと。

・「倂し」「しかし」。

・「卵塔場」「卵塔」は狭義には卵形をした僧侶の墓石であるが、ここは広義の墓場・墓地の意。

・「おごりかけるの」おごるとでもいうんかい、の意。「かける」はある作用を及ぼす、し始めるの意の補助動詞的用法であろう。

・「この硯ぶたも、こんなに甘さうに見えても、性は馬のくそや犬の糞だらう」恐らくは部屋に常備された漆塗りか何かの上品な硯蓋(すずりぶた)が、羊羹か何かのように見え、それも畜生の糞の錯覚だと言っているのである。関係妄想もここまで来ると異様というより実に面白いではないか。

・「いめえましい」いまいましい、くやしい、の謂いであろう。

・「へんちき」近世口語の形容動詞で、変なこと、へんてこだ、の意。現行の「へんてこりん」のルーツである。]

 

 

Sec. 12

Vast is the literature of the subject of foxes—ghostly foxes. Some of it is old as the eleventh century. In the ancient romances and the modern cheap novel, in historical traditions and in popular fairy-tales, foxes perform wonderful parts. There are very beautiful and very sad and very terrible stories about foxes. There are legends of foxes discussed by great scholars, and legends of foxes known to every child in Japan— such as the history of Tamamonomae, the beautiful favourite of the Emperor Toba—Tamamonomae, whose name has passed into a proverb, and who proved at last to be only a demon fox with Nine Tails and Fur of Gold. But the most interesting part of fox-literature belongs to the Japanese stage, where the popular beliefs are often most humorously reflected—as in the following excerpts from the comedy of Hiza-Kuruge, written by one Jippensha Ikku:

 

[Kidahachi and Iyaji are travelling from Yedo to Osaka. When within a short distance of Akasaka, Kidahachi hastens on in advance to secure good accommodations at the best inn. Iyaji, travelling along leisurely, stops a little while at a small wayside refreshment-house kept by an old woman]

 OLD WOMAN.—Please take some tea, sir.

 IYAJI.—Thank you! How far is it from here to the next town?—Akasaka?

 OLD WOMAN.—About one ri. But if you have no companion, you had better remain here to-night, because there is a bad fox on the way, who bewitches travellers.

 IYAJI.—I am afraid of that sort of thing. But I must go on; for my companion has gone on ahead of me, and will be waiting for me.

[After having paid for his refreshments, Iyaji proceeds on his way. The night is very dark, and he feels quite nervous on account of what the old woman has told him. After having walked a considerable distance, he suddenly hears a fox yelping—kon-kon. Feeling still more afraid, he shouts at the top of his voice:-]

 IYAJI.—Come near me, and I will kill you!

[Meanwhile Kidahachi, who has also been frightened by the old woman's stories, and has therefore determined to wait for Iyaji, is saying to himself in the dark: 'If I do not wait for him, we shall certainly be deluded.' Suddenly he hears Iyaji's voice, and cries out to him:]

 KIDAHACHI.—O Iyaji-San!

 IYAJI.—What are you doing there?

 KIDAHACHI.—I did intend to go on ahead; but I became afraid, and so I concluded to stop here and wait for you.

 IYAJI (who imagines that the fox has taken the shape of Kidahachi to deceive him).—Do not think that you are going to dupe me?

 KIDAHACHI.—That is a queer way to talk! I have some nice mochi [14] here which I bought for you.

 IYAJI.—Horse-dung cannot be eaten! [15]

 KIDAHACHI.—Don't be suspicious!—I am really Kidahachi.

 IYAJI (springing upon him furiously).—Yes! you took the form of Kidahachi just to deceive me!

 KIDAHACHI.—What do you mean?—What are you going to do to me?

 IYAJI.—I am going to kill you! (Throws him down.)

 KIDAHACHI.—Oh! you have hurt me very much—please leave me alone!

 IYAJI.—If you are really hurt, then let me see you in your real shape! (They struggle together.)

 KIDAHACHI.—What are you doing?—putting your hand there?

 IYAJI.—I am feeling for your tail. If you don't put out your tail at once, I shall make you! (Takes his towel, and with it ties Kidahachi's hands behind his back, and then drives him before him.)

 KIDAHACHI.—Please untie me—please untie me first!

 

[By this time they have almost reached Akasaka, and Iyaji, seeing a dog, calls the animal, and drags Kidahachi close to it; for a dog is believed to be able to detect a fox through any disguise. But the dog takes no notice of Kidahachi. Iyaji therefore unties him, and apologises; and they both laugh at their previous fears.]

 

14 Cakes made of rice flour and often sweetened with sugar.

15 It is believed that foxes amuse themselves by causing people to eat horse-dung in the belief that they are eating mochi, or to enter a cesspool in the belief they are taking a bath.

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