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2015/10/13

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十五章 狐 (五)

       五

 

 妖狐には三つの惡癖があるものとして、出雲では特に恐れてゐる。第一は復讐のため、又は單なる惡癖のため、魅惑によつて、人を欺くことである。第二には家來として、ある家の内に住み込むので、近隣からその一家は怖いものと思はれる。第三の最も惡るいのは、惡靈となつて、人の身體に入つて、狂亂苦惱に陷らしめることだ。この惱みを狐憑きといふ。

 人を欺くために妖狐が最も好んで粧ふのは、美しい女の姿だ。その次には靑年の形を假りて、異性を迷はすことである。狐の女の奸計について書かれたり、話された物語は數ヘ切れない。して、かの狡猾な手管にのせて、男を擒にし、一切財産を奪ひとる種類の危險な女は言語道斷の侮辱なる「狐」といふ語によつて一般から呼ばれてゐる。

 狐は決して眞に人間の形を帶びるのではなく、一種の磁石力によつて、或は魔法的毒氣を擴げて、實際人間の形のやうに人をして信ぜしめるのだといふ人も澤山ある。

 狐は必ずしもいつも惡るい目的のために、女に化けるといふのではない。次のやうな話が幾つもあるし、また一つの極めて立派な劇もある。ある狐が美女の形になつて、男と結婚し、子供を生んだ――それは全く以前に受けた恩惠に對する感謝からであつた――家庭の幸福はたゞその夫婦の間に出來た子供の、奇異なる肉食的性癖のために擾されただけであつた。單に惡魔的目的を果すためには、女の形が必ずしもいつも最上の假粧ではない。全然女の魅力に無感覺な男もあるのだ。しかし狐の方でも決して、假粧の方法には窮しない。彼はプローテウス【譯者註】よりも更に多くの形に化ける。加之、彼は人をして彼の思ひ通りに、見たり、聞いたり、想像したりさせ得る。彼は人をして時問と空間を離れて物を見させる。彼は過去を思ひ起こさせ、未來を悟らせる。彼の力は西洋思想の輸入によつて破壞されてゐない。その證據には、僅かに數年前のこと、彼は幽靈列車を東海道線の上に走らせ、それがために非常に機關手を迷はし、怖れしめたではないか?しかしすべての妖怪と同樣に、彼は好んで淋しい處へ出沒する。夜間彼は提燈の燈のやうな、奇怪なる狐火を危險な場所の邊に使ひ廻らせるのが好きだ。この惡戯を防禦するには、交叉した指間にダイヤモンド形の空隙を存するやう兩手を合はせ、狐火の方に向つて、單に空隙を通して息を吹き、或る佛教の文句を唱へると、如何なる遠方からでも怪火を消すことが出來る。

 しかし狐が惡戲の力を發揮するのは、夜ばかりではない。白晝でも彼は人を誘惑して、屹度殺されさうな場所へ行くやう導いたり、或はある幻影を浮ばせ、又は地震が起こつたと思はせ、人を怖がらせてそこへ行くやうにすることもある。隨つて古風な百姓は、何か非常に奇怪なことを見ても、自身の眼の證據を容易に信じない。一八八八年に起こつた磐梯山の素晴らしい爆裂――大火山を吹き飛ばして斷片とならしめ、二十七万哩の面積を荒癈に歸せしめ、森林を倒し、河流の方向を轉ぜしめ、數個の村落を其住民とともに埋めた、災害の最も興昧と價値ある目擊者は、一人の農夫であつた。彼は恰も芝居を眺めてゐる如く平氣に、附近の山嶺から全慘劇を見守つてゐた。彼は灰煙と蒸氣の眞黑な柱が二萬尺の高さへ立騰つて、その絶頂で傘のやうに擴がり、太陽を遮蔽したのを見た。それから湯よりも熱い不思議な雨が、彼の身體の上にふりそゝぐのを感じた。やがて一切暗黑になつた。脚下の山が根元まで搖れるのを感じた。世界が破裂する音かと思はれる雷鳴を聞いた。それでも彼は一切萬事の終熄するまでじつとしてゐた。彼は初めから怖がらないことに決心したのであった――彼の目に見え、耳に聞えるものは、悉く狐の魔法によつて、行はれた瞞着だと考へたので。

 

    謬者註。希臘神話の豫言の神。豫言

    を聽くために行く者がある、樣々

    に形相を變へて逃げる。

 

[やぶちゃん注:「また一つの極めて立派な劇もある」安倍晴明の奇怪な出生譚としてしられる人形浄瑠璃及び歌舞伎の「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」、通称「葛の葉(くずのは)」を指すか。但し、私の記憶する限りでは、阿部保名(あべのやすな)と葛の葉(実は白狐)の間に出来た童子丸(後の阿部晴明)が肉(しし)食いを好むといふ描写は出てこないように思われる。同外題を御存じない方はウィキの「葛の葉」を。

「プローテウス」、ギリシア神話の海神。ウィキの「プローテウス」によれば、『ナイル川河口の三角州沖合に浮かぶパロス島でアザラシの世話をしている。ポルキュース、ネーレウスとともに「海の老人」と呼ばれ、彼ら同様にポントスとガイアの子とされることもあるが、アポロドーロスではプローテウスは外されており、ポセイドーンの子とする説が紹介されている。古い甕絵には魚の尾を持つ身体から、獅子や鹿、蝮が顔をのぞかせている姿で描かれている。カール・ケレーニイによれば、彼ら「海の老人」はポセイドーン以前のギリシアの海の支配者であった』。『予言の能力を持つが、その力を使う事を好まないため、プローテウスの予言を聞くためには、捕まえて無理矢理聞き出さねばならない。しかし、他の物に変身する能力をも有するため、捕まえること自体が至難の技である』とある。

「奇怪なる狐火」訳では省略されている原注(後掲原文末参照)にある“The Will-o'-the-Wisp”とは、「ウィル・オー・ザ・ウィスプ」と読み、汎世界的に見られる鬼火伝承の名の一つである。ウィキウィルオウィスプによれば、『青白い光を放ち浮遊する球体、あるいは火の玉。イグニス・ファトゥス(愚者火)とも呼ばれる。他にも別名が多数あり、地域や国によって様々な呼称がある。 夜の湖沼付近や墓場などに出没する。近くを通る旅人の前に現れ、道に迷わせたり、底なし沼に誘い込ませるなど危険な道へと誘うとされる』。『その正体は、生前罪を犯した為に昇天しきれず現世を彷徨う魂、洗礼を受けずに死んだ子供の魂、拠りどころを求めて彷徨っている死者の魂、ゴブリン達や妖精の変身した姿等ある』。『その名は「一掴みの藁のウィリアム(松明持ちのウィリアム)」の意。それを裏付ける伝承が下記のものである。 死後の国へ向かわずに現世を彷徨い続ける、ウィル(ウィリアム)という名の男の魂だという』。『生前は極悪人で、遺恨により殺された後、霊界で聖ペテロに地獄行きを言い渡されそうになった所を、言葉巧みに彼を説得し、再び人間界に生まれ変わる』。『しかし、第二の人生もウィルは悪行三昧で、また死んだとき死者の門で、聖ペテロに「お前はもはや天国へ行くことも、地獄へ行くこともまかりならん」と煉獄の中を漂うことになる。それを見て哀れんだ悪魔が、地獄の劫火から、轟々と燃える石炭を一つ、ウィルに明かりとして渡した。この時にウィルは、この石炭の燃えさしを手に入れる。そして、その石炭の光は人々に鬼火として恐れられるようになった』。現代では、本邦の人魂や快火と同様に、『球電(自然現象)と言う稲妻の一種、あるいは湖沼や地中から噴き出すリン化合物やメタンガスなどに引火したものであるとされる』とある。

「僅かに數年前のこと、彼は幽靈列車を東海道線の上に走らせ、それがために非常に機鬪手を迷はし、怖れしめた」「偽汽車(にせきしゃ)」と呼ばれる、本邦に蒸気機関車が導入されて鉄道が普及し始めた明治期に日本各地で実際にあったと噂された近代怪異譚の一つの型である。ウィキの「偽汽車」によれば、『偽汽車の話は、主に狐や狸など変化能力を持つ獣の仕業とされ、それらが汽車に化けている内に本物の汽車に撥ねられ、死体となって発見されるといったものが多い。民俗学者・柳田國男の著書『たぬき』の中にも、汽車に化けた狢が線路上で本物の列車にはねられる等の記述が多く見られ、民話研究家・佐々木喜善も『東奥異聞』に「偽汽車」の題の一文を寄せている』。以下、典型例として、常磐線での説話を以下のように載せる。『明治時代、東京都葛飾区亀有など各地で、夜遅くに汽車が線路を走っていると、しばしば怪現象が起きた。汽車の前方から汽笛が聞こえてきたかと思うと、その汽車の走っている線路上を、逆方向からこちらへ向かって別の汽車が走って来る。機関士は「危ない、衝突する!」と慌てて急ブレーキをかけるが、その瞬間、あちらの汽車は忽然と姿を消してしまうのである。このような怪現象が続いたある晩のこと』、一人の『機関士が汽車を走らせていると、件の偽汽車が現れ、こちら目掛けて走ってきた。機関士は「こんなものは幻覚に決まっている」と、ブレーキをかけずにそのまま汽車を走らせた。衝突するかと思われたそのとき「ギャッ!」という叫び声と共に、偽汽車は消え去った。翌朝にその辺りを調べたところ、汽車に轢かれた狢の死体が見つかった。それを見た人々は、線路を引かれたために棲み処を壊された狢が、機関車となって人々を化かしていたのだろうと噂し、この狢を供養するため、亀有の見性寺に塚を作った。現在ではこの塚の石碑が、見性寺の境内に「狢塚」の名で残されている』。また、狛江市公式サイト内の「語り継ぐむかし」の「小田急電車と大入道」に、『東京では品川区や大田区で、明治五年に東海道線が開通してまもない頃、タヌキの化けた汽車に何回か汽車を止められた機関士が、思いきって汽車を走らせたところタヌキがひかれていたという話が伝えられている。調布市や西多摩の羽村町などにも同様の型の話があり、調布では京王線開通(大正二年)後まもなくのこと、女の人やマツの木などに化けて電車を止めたタヌキ(またはムジナ)が電車にひかれる話になっている。また、羽村の話では明治の中頃、やはり女に化けたムジナが、青梅線の蒸気機関車にひかれたという』とある。私は偽汽車の話を何話も知っているが、以上のように概ね、化けるのは狸であって狐ではなく、多くが実際の汽車に轢かれて愚かな狸が死ぬという結末である。但し、所持する松谷みよ子「現代民話考3 偽汽車・船・自動車の笑いと怪談」の巻頭を飾る「偽汽車考」を読むと、狐も参戦していることが判る。そこでは先の引用にも出る民俗学者佐々木喜善の大正一五(一九二六)年刊の「東奥異聞」の「偽汽車」という一文の中に、『陸中和賀郡の後藤野で狐が汽車に化けて運転手をなやませ』たが、遂に狐が『轢死した話や、大正十一年二十一日の万朝報』(よろずちょうほう:日刊新聞。明治二五(一八九二)年十一月に『都新聞』を辞した作家黒岩涙香が東京で創刊した本邦最初の本格的ゴシップ誌として知られるが、反体制誌・社会主義思想誌としての性格も忘れてはならない。但し、日露戦争開戦の当初、黒岩は非戦論を唱えていたものの、世論が開戦に傾くにつれて主戦論に転じため、非戦を固持した同志の幸徳秋水・堺利彦・内村鑑三が相次いで退社していまい社運も傾き、黒岩の死後(大正九(一九二〇)年)は凋落の一途を辿った。昭和一五(一九四〇)年十月に『東京毎夕新聞』に吸収廃刊となった。以上はウィキの「萬朝報」に拠る)『に、中央本線と篠の井間の潮沢で、同じように汽車に化けた狐が轢死した記事が掲載れているのを紹介し』ているとある。以下、喜善の考証が記されてあるが、その中で彼は「偽汽車」の『発生を明治十二、三年といっている』とある。松谷はここで明治五(一八七二)年の鉄道開通から狐や狸が『何故に六、七年沈黙を守っていたのか』と疑義を提示した後、その真相について、『日本初の鉄道は、実は日本人ではなく、英国人によって運転されていた』事実を挙げ、『明治十二年四月十三日から初めて昼間だけ日本人が運転するようになり、神戸から大津までの鉄道も明治十三年には西洋人の機関士も追々御雇の期満ちて解約されていった』ことを示して、『日本の鉄道は明治十二、三年頃よりようやく日本人の手によって運転されるようになったのであった。ここに至って狸も狐も昼寝から起ち上り、偽汽車を走らせはじめたのではなかったか』と推理されておられる。蓋し、名探偵と言うべき見解であろう。以下、夥しい「偽汽車」の採話が並ぶが、ところどころに狸でなく狐が化けたという例が見られる。最後に轢死するパターンが多いことから、狐より呆けた感じの狸の方を変化とする話が多いのかも知れないと私は勝手に納得している。因みに、この「偽汽車」の悲劇的な轢死の歴史こそが、文明に駆逐抹殺されてゆく日本古来の妖怪変化のメルクマールであったと私はやはり勝手に思っていることも言い添えておこう。なお、ハーンの本篇の記載時制は明治二四(一八九一)年と推定出来るので、その「僅かに數年前」となると、明治二十年前後となるが、同時期を明確にクレジットする記事は調べ得なかった。識者の御教授を乞うものである。

「この惡戯を防禦するには、交叉した指間にダイヤモンド形の空隙を存するやう兩手を合はせ、狐火の方に向つて、單に空隙を通じて息を吹き、或る佛教の文句を唱へると、如何なる遠方からでも怪火を消すことが出來る」この呪(まじな)い、昔、ジャンケンをする際に、私の友だちたちがよくやっていたものと酷似する(私はやったことはない)。この呪術について起原やこの狐火を消す効力などにつき、御存じの方は、是非とも御教授を願いたい。

「一八八八年に起こつた磐梯山の素曖らしい爆裂」明治二十一年七月十五日に発生した福島県耶麻郡猪苗代町・磐梯町・北塩原村に跨る会津磐梯山の大噴火。ウィキ磐梯山によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を省略した)、この爆裂は『後に磐梯型との噴火形式名称が残るほど世界的に有名な噴火』で、『七月十五日の水蒸気爆発により小磐梯が山体崩壊を起こし、発生した爆風と岩屑なだれにより北麓の集落(五村十一集落)が埋没するなどの被害を及ぼし四百七十七人の死者を出した。なお、マグマ由来物質は検出されていないためマグマ水蒸気噴火では無い。この噴火は明治になってからの近代日本初の大災害であり、政府が国を挙げて調査、救済、復旧を実施した。調査は、関谷清景、菊池安らにより行われた。学術的調査としては、当時としては珍しいアンケートの手法が採られており、かなり詳細な噴火の経過や被害状況、写真が収集され論文としてまとめられている。復旧に当たっては義援金は三万八千円(現在の貨幣価値で約十五億円に相当)が集まり、復興を支えた。また、噴火前年の一八八七年に結成された日本赤十字社初の災害救護活動となり、さらに赤十字活動における世界初の平時救護(それまでは戦時救護のみ)ともなった。現在、五色沼近くに「平時災害救護発祥の地の記念碑」が建立されている。この山体崩壊で生じた土地の多くは当時の官有地であったため民間の資金と労力を利用した植林事業が行われ、泥流堆積地の七割を三十一年かけ』て緑化した、とある。

「二十七万哩」三十二万千八百六十八・八キロメートル。

「二萬尺」六千六十・六メートル。これは大袈裟過ぎ。先のウィキの記載によれば、噴煙の推定高度八百メートルである。

「瞞着」老婆心乍ら、「まんちやく(まんちゃく)」と読み、騙(だま)す・誤魔化すことの謂いである。]

 

 

Sec. 5

Goblin foxes are peculiarly dreaded in Izumo for three evil habits attributed to them. The first is that of deceiving people by enchantment, either for revenge or pure mischief. The second is that of quartering themselves as retainers upon some family, and thereby making that family a terror to its neighbours. The third and worst is that of entering into people and taking diabolical possession of them and tormenting them into madness. This affliction is called 'kitsune-tsuki.'

The favourite shape assumed by the goblin fox for the purpose of deluding mankind is that of a beautiful woman; much less frequently the form of a young man is taken in order to deceive some one of the other sex. Innumerable are the stories told or written about the wiles of fox- women. And a dangerous woman of that class whose art is to enslave men, and strip them of all they possess, is popularly named by a word of deadly insult—kitsune.

Many declare that the fox never really assumes human shape; but that he only deceives people into the belief that he does so by a sort of magnetic power, or by spreading about them a certain magical effluvium.

The fox does not always appear in the guise of a woman for evil purposes. There are several stories, and one really pretty play, about a fox who took the shape of a beautiful woman, and married a man, and bore him children—all out of gratitude for some favour received—the happiness of the family being only disturbed by some odd carnivorous propensities on the part of the offspring. Merely to achieve a diabolical purpose, the form of a woman is not always the best disguise. There are men quite insusceptible to feminine witchcraft. But the fox is never at a loss for a disguise; he can assume more forms than Proteus. Furthermore, he can make you see or hear or imagine whatever he wishes you to see, hear, or imagine. He can make you see out of Time and Space; he can recall the past and reveal the future. His power has not been destroyed by the introduction of Western ideas; for did he not, only a few years ago, cause phantom trains to run upon the Tokkaido railway, thereby greatly confounding, and terrifying the engineers of the company? But, like all goblins, he prefers to haunt solitary places. At night he is fond of making queer ghostly lights, [8] in semblance of lantern-fires, flit about dangerous places; and to protect yourself from this trick of his, it is necessary to learn that by joining your hands in a particular way, so as to leave a diamond-shaped aperture between the crossed fingers, you can extinguish the witch-fire at any distance simply by blowing through the aperture in the direction of the light and uttering a certain Buddhist formula.

But it is not only at night that the fox manifests his power for mischief: at high noon he may tempt you to go where you are sure to get killed, or frighten you into going by creating some apparition or making you imagine that you feel an earthquake. Consequently the old-fashioned peasant, on seeing anything extremely queer, is slew to credit the testimony of his own eyes. The most interesting and valuable witness of the stupendous eruption of Bandai-San in 1888—which blew the huge volcano to pieces and devastated an area of twenty-seven square miles, levelling forests, turning rivers from their courses, and burying numbers of villages with all their inhabitants—was an old peasant who had watched the whole cataclysm from a neighbouring peak as unconcernedly as if he had been looking at a drama. He saw a black column of ashes and steam rise to the height of twenty thousand feet and spread out at its summit in the shape of an umbrella, blotting out the sun. Then he felt a strange rain pouring upon him, hotter than the water of a bath. Then all became black; and he felt the mountain beneath him shaking to its roots, and heard a crash of thunders that seemed like the sound of the breaking of a world. But he remained quite still until everything was over. He had made up his mind not to be afraid—deeming that all he saw and heard was delusion wrought by the witchcraft of a fox.

 

8 The Will-o'-the-Wisp is called Kitsune-bi, or 'fox-fire.'

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