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2015/10/06

甲子夜話卷之一 46 加藤淸正一番鑓の事

46 加藤淸正一番鑓の事

加藤淸正、其子某〔名忘〕に語たりと聞く。曰ふ、我秀吉公に從て、はじめて一番鑓をせしとき〔何處なりしやこれを忘。志豆ケ嶽なりしや〕、坂を上ると向ふに敵あり。夫と行合て戰はじまる。其時の胸中は、何か向ふは闇夜(クラヤミ)の如にて一向分らず。其時目をねむり、念佛を唱て、其闇の中に飛込て鑓を入れたるに、何か手ごたへしたると覺へしが、敵を突留たるなり。夫よりようようと敵味方も見分たり。後にて聞けば、其時の一番鑓なりしと云へりと。

■やぶちゃんの呟き

 この話、確かに何処かで別に読んだ記憶があるのだが、重い出せぬ。思い出したら追記する。

「加藤淸正、其子某」ウィキの「加藤清正」を見ると、百助(養子)・虎熊・忠正(次男)・忠広(三男・慶長一六(一六一一)年の清正死去により十一歳で加藤家を継いだが、寛永九(一六三二)年)五月、江戸参府途上の品川宿で入府を止められて池上本門寺にて改易の沙汰を受けた)といった男子を確認出来る。「名忘」(な、わする)とあるが、本家断絶となったので、原話の話者自体が名(忠広とは限らない)を出すのを憚ったものか。

「何處なりしやこれを忘」これも恐らくは話者が忘れたと言っているのであろう。筆録者の静山ではあるまい。但し、「志豆ケ嶽なりしや」は話者或いは静山の付注とも孰れにもとれる。

「志豆ケ嶽」「しづがたけ(しずがたけ)」は賤ヶ岳の戦いを指す。天正一一(一五八三)年に近江国伊香郡(現在の滋賀県長浜市)の賤ヶ岳付近で行われた羽柴秀吉と柴田勝家との戦い。参照したウィキ賤ヶ岳の戦いによれば、『織田勢力を二分する激しい戦いとなり、秀吉はこの戦いに勝利することによって織田信長の作り上げた権力と体制の継承者となることを決定づけた』とある。この戦闘で清正は敵将山路正国を討ち取るという武功を挙げて秀吉より「賤ヶ岳の七本槍」(他は福島正則・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟屋武則・片桐且元)の一人とされて三千石の所領を与えられている(ここはウィキの「加藤清正」に拠る)。但し、ウィキ賤ヶ岳の戦いには、清正は『「七本槍」を話題にされるのをひどく嫌ったなどの逸話が伝えられて』いるとある。

「覺へし」ママ。

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