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« 不思議な川邊で   立原道造 | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十四章 八重垣神社 (一) »

2015/10/09

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十三章 心中 (三) / 第十三章~了

       三

 

 この悲劇の記事は、明日の山陰新聞に載るであらうが、私の友人なる該新聞の記者は、同情ある人々が最早、花と樒の枝を捧げて、新墓を飾つたといふことを私に話した。それから彼は、日本の長い封筒から、美しい文字の滿面に書かれた、長く卷いた、輕い薄い紙を取出し、私の前へそれを擴げて、つけ加へた――

 『彼女はこの手紙を樓主に遺して置いたのです。これは新聞へ發表するため、私共が貰ひました。非常に立派に書いてあります。女のかく手紙の言葉は、男のと異つて、女は特別の言菓や文句を使ひます。例へば男の言葉では、その人の地位により、また場合により、私とか、我とか、予とか、僕とか申しますが、女の言葉では妾(わらは)と申します。それから、女の言葉は非常に柔かです。そんな柔かな、愛嬌のある言葉は、とても他國語には譯されないものと思ひます。ですから、私は手紙のただ大意をお話申上げるだけです』

 して、彼は徐々と、次のやうに通譯してくれた――

 『書置のこと。

 御存じの通り、去年の春このかた、田代樣とわりなきおん仲と相成り候處、前世の因緣 應報のため、夫婦となること相叶はず、止むなく今日冥途へ旅立申し候。

 不束者の妾に對し、御親切なる御取扱いを戴き、且つまたいろいろ母や妹を御助け下されしにも係らず、誠に海山の御恩の萬分の一をも御返し申上げず。大罪人と御憎み下され候はんも御尤もの儀に存上候。

 さぞ言語道斷の非行と御思召され候ことと恐入り候へ共、事情止むを得ざる次第、何卒御勘辨下され候様願上候。妾冥途に參り候ても、海山の御慈悲は決して忘却致間敷、草葉の蔭より御禮申上ぐべく候。返へす返へすも御宥るし下され度願上候。

 猶申上度こと山々に御座候へ共、今は心も心ならず急がれ候まゝ、惜しき筆相納め申候。亂筆御免下さるべく候。かしく。

                かねより

      ―――――樣

 

 私の友人は脆い白紙を封筒に收め乍ら、霎時無言の後、批評の言葉を加へた。『これはいかにも心中の手紙です。それで貴下に面白いだらうと思ひました。それから、もはや日も暮れかけましたが、墓がどうなつてゐるか、私は行つて見ようと思ひます。いかがです、貴下も御出でになりませんか?』

 私共は長い白い大橋を渡つて、陰氣な寺町を通つて、妙興寺の古い墓場の方へ向つた、――すると、歩いてゐる内に段々暗くなつて、細い月が今しも寺の屋根の上にかかつた。

 忽然遠い聲――朗かな美しい男聲――が星空の下で歌ひ出した。鳥の囀るやうな、不思議な魅力と調子に富んだ歌――かの民衆的感情を現した日本の歌調で、鳥の歌から學び得たやうに思はれる。或る愉快な職人が、家へ歸つて行く道すがら歌つてゐるのだ。冴えた霜夜に一つ一つの音が、私共の耳に顫へながら迫まつてくる。しかし私には文句はわからない。

 『あれは何です?』と、私は友人に問ふた。

 彼は答へた。

 『戀歌です――

    指して行けとや、あの家(や)をさして、

           行けば近寄る、主(ぬし)のそば』

 

[やぶちゃん注:「山陰新聞」現在発行されている株式会社山陰中央新報社の朝刊紙『山陰中央新報』の前身。ウィキの「山陰中央新報」によれば、『前身は、自由民権運動の機関紙として創刊された』『山陰新聞』(明治一五(一八八二)年~昭和一六(一九四一)年)であるとある。後、後発の『松陽新報』との競争に敗れて経営に行き詰まり、昭和一五(一九四〇)年に『読売新聞』の傘下に入ったが(会長には正力松太郎が就任)、翌年十二月には『戦時報道統制によって『山陰新聞』と『松陽新報』が合併して島根新聞社となり』、昭和一七(一九四二)年一月からは題号が『島根新聞』となった.敗戦後の昭和二〇(一九四五)年十二月には『読売新聞』との合同が解消されて、翌年二月には正力が会長を辞任、『正力の会長辞任によって、『松陽新報』のオーナーであった田部家が経営権を掌握した』。昭和二四(一九四九)年十月に夕刊島根新聞社が設立、昭和二八(一九五二)年に『山陰新報』に改題し、更に昭和三二(一九五七)年十月に『島根新聞』に復題した後、昭和四八(一九七三)年三月に現在の『山陰中央新報』題号となったとある。因みに昨日(二〇一五年十月八日附)の同紙には『アイルランドで小泉八雲展 故郷で初、認知度向上に期待』という記事が掲載されてある。

「樒」老婆心乍ら、「しきみ」と読む。アウストロバイレヤ目マツブサ科シキミ Illicium anisatum ウィキの「シキミ」の「伝承」の項によれば、樒は『俗にハナノキ・ハナシバ・コウシバ・仏前草という。弘法大師が青蓮華の代用として密教の修法に使った。青蓮花は天竺の無熱池にあるとされ、その花に似ているので仏前の供養用に使われた。なにより年中継続して美しく、手に入れやすいので日本では俗古来よりこの枝葉を仏前墓前に供えている。密教では葉を青蓮華の形にして六器に盛り、護摩の時は房花に用い、柄香呂としても用いる。葬儀には枕花として一本だけ供え、末期の水を供ずる時は一葉だけ使う。納棺に葉などを敷き臭気を消すために用いる。茎、葉、果実は共に一種の香気があり、日本特有の香木として自生する樒を用いている。葉を乾燥させ粉末にして末香・線香・丸香としても使用する。樒の香気は豹狼等はこれを忌むので墓前に挿して獣が墓を暴くのを防ぐらしい。樒には毒気があるがその香気で悪しきを浄める力があるとする。インド・中国などには近縁種の唐樒(トウシキミ)』(シキミ属トウシキミ Illicium verum)『があり実は薬とし請来されているが日本では自生していない。樒は唐樒の代用とも聞く。樒は密の字を用いるのは密教の修法・供養に特に用いられることに由来する』。『古代にはサカキと同様に神社でも用いられたといわれるが、神式での榊(=サカキ)のように』「梻」と書く『国字もある。現在でも京都市の愛宕神社などの神事には榊でなく、シキミが使われている。シキミを挿した水は、腐りにくいのである』とあり、何故、水が腐敗しにくいかといえば、恐らくは同種が全草が有毒だからであろう。『花や葉、実、さらに根から茎にいたる全てが毒。特に、種子にアニサチン』(γ-アミノ酪酸受容体に作用して神経毒性を呈する猛毒)『などの有毒物質を含み、特に果実に多く、食べれば死亡する可能性がある程度に有毒で』、『実際、下記のように事故が多いため、シキミの実は植物としては唯一、毒物及び劇物取締法により劇物に指定』『されている』ことと関係するように思われる。『中毒症状は嘔吐、腹痛、下痢、痙攣、意識障害等で、最悪は死亡』に至る(『シキミの種子はややシイの実に似ている(なれていれば間違えない程度)ため、誤って食べて死亡した例』もあると記載されている)。また「名称に関して」の項には、『地方によりシキビ、ハナノキ(カエデ科にも別にハナノキがある)、ハナシバなどともいう。学名にはリンネが命名したIllicium anisatum L.と、シーボルトが命名したI. religiosum Sieb. et Zucc."religiosum"は「宗教的な」という意味)が存在するが、リンネのものが有効となっている』。『シキミの語源は、四季とおして美しいことから「しきみ しきび」となったと言う説、また実の形から「敷き実」、あるいは有毒なので「悪しき実」からともいわれる。日本特有の香木とされるが』、「真俗仏事論」には『供物儀を引いて、「樒の実はもと天竺より来れり。本邦へは鑑真和上の請来なり。その形天竺無熱池の青蓮華に似たり、故に之を取りて仏に供す」とあり、一説に鑑真がもたらしたとも言われる』ともあり、『中国では莽草(ピン音:mǎngcǎo)、厳密には日本莽草(ピン音:rìběn mǎngcǎo)と呼ばれている。生薬としては日本でも莽草(ボウソウ)の名称を使う』ともある。

「霎時」既注であるが、「せふじ(しょうじ)」と読み、「暫時」に同じい。暫くの間。一寸の間。

「それで貴下に面白いだらうと思ひました。」原文は“So I thought it would interest you.”。平井呈一氏も『ですから、きっとあなたにもおもしろかろうかと思いましてね。』と訳しておられる。しかしちょとした生理的なものであるが私なら――……それで……貴方も興味を持たれるか、と思いまして……――と訳す。

「妙興寺」松江市寺町にある日蓮宗の寺院。大川の川向うの、ハーンの借家からは直近である。]

 

 

Sec. 3

My friend who writes for the San-in Shimbun, which to-morrow will print the whole sad story, tells me that compassionate folk have already decked the new-made graves with flowers and with sprays of shikimi. [3] Then drawing from a long native envelope a long, light, thin roll of paper covered with beautiful Japanese writing, and unfolding it before me, he adds:—'She left this letter to the keeper of the house in which she lived: it has been given to us for publication. It is very prettily written. But I cannot translate it well; for it is written in woman's language. The language of letters written by women is not the same as that of letters written by men. Women use particular words and expressions. For instance, in men's language "I" is watakushi, or ware, or yo, or boku, according to rank or circumstance, but in the language of woman, it is warawa. And women's language is very soft and gentle; and I do not think it is possible to translate such softness and amiability of words into any other language. So I can only give you an imperfect idea of the letter.'

And he interprets, slowly, thus:

'I leave this letter:

'As you know, from last spring I began to love Tashiro-San; and he also fell in love with me. And now, alas!—the influence of our relation in some previous birth having come upon us-and the promise we made each other in that former life to become wife and husband having been broken -even to-day I must travel to the Meido.

'You not only treated me very kindly, though you found me so stupid and without influence, [4] but you likewise aided in many ways for my worthless sake my mother and sister. And now, since I have not been able to repay you even the one myriadth part of that kindness and pity in which you enveloped me—pity great as the mountains and the sea [5]— it would not be without just reason that you should hate me as a great criminal.

'But though I doubt not this which I am about to do will seem a wicked folly, I am forced to it by conditions and by my own heart. Wherefore I still may pray you to pardon my past faults. And though I go to the Meido, never shall I forget your mercy to me—great as the mountains and the sea. From under the shadow of the grasses [6] I shall still try to recompense you—to send back my gratitude to you and to your house. Again, with all my heart I pray you: do not be angry with me.

'Many more things I would like to write. But now my heart is not a heart; and I must quickly go. And so I shall lay down my writing-brush.

'It is written so clumsily, this.

'Kane thrice prostrates herself before you.

'From KANE.

'To—-SAMA.'

'Well, it is a characteristic shinju letter,' my friend comments, after a moment's silence, replacing the frail white paper in its envelope. 'So I thought it would interest you. And now, although it is growing dark, I am going to the cemetery to see what has been done at the grave. Would you like to come with me?'

We take our way over the long white bridge, up the shadowy Street of the Temples, toward the ancient hakaba of Miokoji—and the darkness grows as we walk. A thin moon hangs just above the roofs of the great temples.

Suddenly a far voice, sonorous and sweet—a man's voice-breaks into song under the starred night: a song full of strange charm and tones like warblings—those Japanese tones of popular emotion which seem to have been learned from the songs of birds. Some happy workman returning home. So clear the thin frosty air that each syllable quivers to us; but I cannot understand the words:

 Saite yuke toya, ano ya wo saite;

 Yuke ba chikayoru nushi no soba.

'What is that?' I ask my friend.

He answers: 'A love-song. "Go forward, straight forward that way, to the house that thou seest before thee;—the nearer thou goest thereto, the nearer to her [7] shalt thou be."'

 

2 Joro: a courtesan.

3 Illicium religiosum.

4 Literally: 'without shadow' or 'shadowless.'

5 Umi-yama-no-on.

6 Kusaba-no-kage.

7 Or 'him.' This is a free rendering. The word 'nushi' simply refers to the owner of the house.

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