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2015/10/31

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (九)

       九

 

 今度は上記の庭に棲んでゐるウジヤウ、即ち情のあるものに就いて。

 蛙が四種居る。蓮池に棲んで居る三種と、木に棲んで居る一種と。木の蛙は非常に見事な緑色の、頗る可愛らしい小さな奴である。鋭い、殆んどセミの聲のやうな叫びを發する。そして、他國のその同類同樣、その啼くのが雨の前兆だといふので、アマガヘル即ち「雨蛙」と呼ばれて居る。池の蛙はババガヘル、シマガヘルそれからトノサマガヘルと呼ば

れて居る。そのうちで、名を第一に擧げた一種は一番大きくで一番醜い。色が甚だ不快で、且つまた省略しないでのその名は(「ババガヘル」といふは體裁の好い省略である)その色同樣に頗るいとはしいものである。シマガヘル即ち「縞蛙」は前に掲げた物に比ぶればさうでもないが、好くは無い。然し素晴らしい立派な紀念物を死後に殘したさる有名な大名にあやかつて、斯く名づけられたトノサマガヘルこといふのは美しい。その色は靑銅色を帶びた見事な赤である。

 

 この三種の蛙のほかに、庭に大きな見苦しい出眼な奴が棲んで居る。此處ではそれをヒキガヘルと呼んで居るけれども、自分は蝦蟇だと思ふ。『ヒキガヘル』といふ語は、普通蝦蟇(ブル・フロツグ)に與へて居る名である。此奴は殆んど毎日、物を食はせて貰ひに家へはいつて來て、見知らぬ人をも一向恐れねやうに思はれる。家の者共は之を幸運を齎す御客と考へて居る。そしてただ息(いき)を吸ひ込むだけで、部屋の蚊を總てその口の中へ取込む力を有つて居ると信じて居る。庭師や他の者共は大いに之を可愛がつて居るけれども、古昔の化物蝦蟇の物語がある。息を吸ひ込んで、口の中へ蟲では無い、人間を吸ひ込んだといふ蝦蟇である。

 池にはその上多くの小さな魚が棲んで居る。鮮やかな赤い腹をしたヰモリ即ち蠑螈も居る。それからマヒマヒムシと呼ぶ小さな水蟲が澤山居る。それは水面を終終旋囘しで、時を過ごして居るが、餘り迅いのでその形を明白に見分けることは、殆んど不可能である。興奮のあまり目的(あて)無しにあちこち走り廻る人は、マヒマヒムシに例へられる。それから甲に黄色な美しい條文(しま)のある美しい蝸牛が居る。日本の子供は蝸牛にその角を出させる力があると想つて居る面白い歌をうたふ。

   『ダイダイムシ【註】、ダイダイムシ、ツノ チツト ダシヤレ!

    アメカゼ フクカラ ツノ チツト ダシヤレー!

 

    註。ダイダイムシは出雲での名、字

    書での言葉は『デデムシ』。蝸牛は雨

    天を好むと思はれて居る。それで雨

    の時よく出る人は――デデムシノヤ

    ウナと――蝸牛に例へられる。

 

 上流社會の子供の遊び場は、貧民の子供のそれが寺の庭である如く、いつも家の中の庭であつた。小さな子供が植物の不思議な生活と、昆蟲世界の驚く可き事實に就いて、始めて少しく學ぶのは庭に於てであり、また庭に於て彼等は、日本の民間傳説のあんなに面白い部分を成して居る所の彼(あ)の鳥と花との愛らしい傳説と歌とを始めて教はるのである。子供の家庭の訓練は大部分は、母に委せられて居るから、動物に對して親切であれとの教訓は夙に教へ込まれ、その結果は後年強く顯れる。尤も日本の子供は、原始的本能の殘存として、あらゆる國の子供どもの特徴たる殘忍への、あの無意識な傾向を全然脱しては居ない。が、この點に關して男女間の大なる道德的相違は、極く小さな時からして目立つて居る。女の心の優しさは子供の時分にすら見える。蟲や小さな動物を、もてあそぶ日本の小さな女の子は、それを害することは稀で、大抵は相當に慰んだ後で放して遣る。小さな男の子は、親か保護者が見て居ないと、女の子ほどには善良で無い。が、何かむごいことをして居るのを見られると、子供はその行爲は恥づべきことだと思はしめられ、佛教の戒の『むごい事をするとお前の後世は不幸だよ』と言つて聽かせられる。

 池の岩の中の何處かに此家の前の借家人が、多分、この庭へ殘したのであらう――小さな龜が一匹棲んで居る。甚だ可愛らしい。が、一度に幾週間も續いて姿を見せずに居るやうにする。民間神話では、龜はコムピラ【註一】といふ神の召使で、信心深い漁師は龜を見付けると、その背ヘ『金比羅樣の召使』といふ意味の文字を書いて、それからサケを一ぱい飮ませて放す。龜はサケが大變好きだと想像されて居る。

 陸に棲む龜即ち「イシガメ」だけが金比羅の召使で、海に棲む龜即ち海龜(タアトル)は海の底の龍王の召使だと言ふ人がある。海龜は、その息で、雲、霧、或は壯麗な宮殿を造り出す力を有つて居ると言はれて居る。それはあの美しい昔のウラシマ傳説【註二】に出て來て居る。どんな龜でも龜は皆、千年の間生きると想像されて居る。

 

    註一。佛教の神でゐるが近年神道の

    爲めにコトヒラ神と同一のものとさ

    れた。

    註二。日本の美術家の手に成つた見

    事な繪を添へた『日本の御伽噺叢書』

    中の、そのチエムバレン教授の飜譯

    を見られよ。

 

 

だから日本美術に於て、及も頻繁に見る長命の徽號は龜である。が、日本土着の繪師及び金屬細工人が最も普通に現す、龜は一種特別な尾を、むしろ小さな尾の群集を有つて居て、藁の雨衣即ちミノの緣のやうに、背後にそれを伸ばして居る。といふ譯でミノガメと呼ばれて居る。ところが、佛寺の神聖な貯水池に飼はれて居る龜は、非常な高齡に達するのがあつて、或る水草がその甲にくつついて、歩くと背後に長く垂れる。ミノガメの神話はその來由は、そんなやうな甲に藻のくつ着いて居る龜の姿を現さうとする古昔の藝術的努力に在つたのだと想はれる。

 

[やぶちゃん注:『アマガヘル即ち「雨蛙」』両生綱無尾目カエル亜目アマガエル科アマガエル亜科アマガエル属ニホンアマガエル Hyla japonica に比定してよいであろう。ウィキの「ニホンアマガエル」には、その『鳴き声は「ゲッゲッゲッゲッ…」「クワックワックワッ…」という表現をされる。鳴くのはすべてオスで、オスの喉には鳴嚢(めいのう)という袋があり、声帯で出した声を鳴嚢で共鳴させて大声を生みだしている』。ハーンも「他國のその同類同樣、その啼くのが雨の前兆だといふ」と命名を記し、我々もそのように理解しているが、『カエルの繁殖期は主に春で、この時期の夜の水田にはたくさんのカエルの声がこだまし、場所によっては集団で大合唱になることもある。この繁殖期の鳴き声は、オスがメスに自分の存在を知らせるためのもので、「広告音(こうこくおん)」と呼ばれる』とる。但し、『普通のカエルは繁殖期の夜に鳴くが、ニホンアマガエルは「雨蛙」の和名の通り、雨が降りそうになると繁殖期でなくとも、昼間でも鳴くのが大きな特徴である。この時の鳴き声は「雨鳴き(あまなき)」「レインコール(Raincall)」などとよばれ、繁殖期の広告音と区別される』。『その他、春先の暖かい日に冬眠から覚めた際や稲刈の際にも、また晩秋には雨と関わりなく、レインコールに似た「クワックワックワッ」という甲高い鳴き方をする』とあって、やはり彼らがしきりに鳴くと必ず雨が降るというわけでは、ない。

「ババガヘル」カエル亜目アカガエル科アカガエル亜科アカガエル属ツチガエル Rana rugosa のこと。体長三~五センチメートルほどで♀の方が♂よりも大きい。背中は灰褐色・黒褐色の斑模様で(腹側は淡褐色)、背中の中央に白い背中線を持つ個体もある。背中には大小の疣(いぼ)状突起が多数並び、大型個体では色とその形状のグロテスクさから「イボガエル」「エボガエル」「クソガエル」などという異名で呼ばれることの方が多い。こでハーンが述べる「ババガエル」の「ばば」も幼児語の「糞」の意である。

「シマガヘル」この和名はトノサマガエルの異名であり、この和名を持つ別種は存在しない。ハーンは三種として挙げておきながら、後の「トノサマガエル」と称するものと(後注を必ず参照されたい)、この「シマガエル」との違いが語られていないことから、私はハーンの言うシマガエルとは、トノサマガエルの大きさが有意に異なり(♀の方が大きい。次注の前の下線部を参照)、繫殖期になるとやはり有意に体表面に違いが出る(次注の後の下線部を参照)、♀と♂の同種個体を別種と勘違いして言っているのではないかとも疑っている。もし、そうだとすれば、ババガエルとの大小の比較が示されない点からトノサマガエルの体色の変化が起こる繁殖期の♂の中でも小型の固体か(やはり後注参照)。

「トノサマガヘル」一応、アカガエル科アカガエル亜科トノサマガエル属トノサマガエル Pelophylax nigromaculatus に比定しておく(恐らくはそれで正しいと思うが、注の後半を参照されたい)。ウィキの「トノサマガエル」によれば、『本州(関東平野から仙台平野にかけてを除く)、四国、九州と、中国、朝鮮半島、ロシア沿海州に分布する。また、北海道の一部(札幌市、江別市など)にも国内外来種として人為分布している』。体長は♂が三・八~八・一センチメートルであるのに対し、♀は六・三~九・四と明らかに『メスの方がオスより大きい』。『後肢が長く、跳躍力が強い。背面の皮膚は比較的滑らか』で、『体色はオスは背面が茶褐色から緑色、メスは灰白色。背中線上に明瞭な白または黄色の線がある。背面に黒い斑紋があり、斑紋同士がつながっていることが多い。種小名 nigromaculatus 「黒い斑紋の」の意。繁殖期のオスでは、斑紋が不明瞭になり、全体的に体色が黄色がかる』(下線やぶちゃん)。さて、何故、私が「一応」と比定に断りを入れたかというと、同ウィキの最後にも書かれているように、私は日本中のトノサマガエルはトノサマガエルだと、つい今年の三月まで思い込んでたからである。事実は異なる。少なくとも東日本にしか住んだことのない私が見なれていたそれは――トノサマガエルPelophylax nigromaculatus ではなく、ダルマガエルPelophylax porosus ――だったからである。以下、引用する。戦前の一九三〇年代までは、『日本全国にトノサマガエルが分布していると考えられていた』。昭和一六(一九四一)年に、『西日本の一部の個体群がトノサマガエルではないことがわかり(ダルマ種族と呼ばれた)、さらにその後、関東平野から仙台平野にかけて分布しているカエルもトノサマガエルではないまた別のカエル(関東中間種族と呼ばれた)であることが判明した。これらの互いによく似た「トノサマガエル種群」とされたカエルたちは、同所的に分布する地域では交雑個体が発見されるほど近縁であり、分布が重ならない場合でも交雑実験を行うとある程度の妊性が認められた。このため同種なのか別種なのか分類が混乱し』、一九六〇年代には、『関東中間種族は、トノサマ種族とダルマ種族の雑種であると考えられていた』。ところが一九九〇年代になって『分子生物学的手法などを用いた研究が行われるようになった結果、雑種起源説は否定されつつあ』り、『今世紀に入ってからも、どの分類群に名前を与えるべきか、などの点で若干の混乱が残っている』。また、本種群は『かつてはアカガエル属Rana)に分類されていたが、独立したトノサマガエル属(Pelophylaxとして扱うことが主流となっている』。『一例として現在日本爬虫両生類学会が推奨している分類と和名を挙げる』としてリストされてある。少し配置を変えて以下に示す。

 トノサマガエル属 Pelophylax

   トノサマガエル  Pelophylax nigromaculatus

   ダルマガエル  Pelophylax porosus

    トウキョウダルマガエル Pelophylax porosus porosus

    ナゴヤダルマガエル  Pelophylax porosus brevipodus

私がその事実を知った瞬間が「耳嚢 巻之十 蛙かはづを吞候事」の注に示されてある。よろしければご覧あれ。最後にウィキの「ダルマガエル」もリンクしておく。

「此處ではそれをヒキガヘルと呼んで居るけれども、自分は蝦蟇だと思ふ。『ヒキガヘル』といふ語は、普通蝦蟇(ブル・フロツグ)に與へて居る名である」「ヒキガヘル」「蝦蟇」「蝦蟇(ブル・フロツグ)」(三番目は「ブル・フロツグ」がルビ)の内、二番目は「がま」或いは「がまがえる」と訓じているものと思われる。これは失礼乍ら、不可通な訳である。ここでハーンは「ヒキガエル」ではなく「蝦蟇」であり、「ヒキガエル」というのは英語で普通は「蝦蟇」とは異なる「ブル・フロツグ」“bullfrog”のことを指す、と言っているからである。即ち、

 

〇 「ヒキガヘル」≠「蝦蟇」 「蝦蟇」≠「ブル・フロツグ」

 

であるのに、訳者が“bullfrogを「蝦蟇」と訳してしまったその脇に「ブル・フロツグ」とルビを振ってしまった結果、上記の関係に反する、

 

× 「蝦蟇」=「ブル・フロツグ」

 

が同時に示されてしまって、論理的に意味不明となってしまったのである。英和辞典を引く前から想像出来てしまうのだが、bullfrog”とは、まさに「牡牛の蛙」で、

ナミガエル亜目アカガエル科アカガエル亜科アカガエル属ウシガエル Rana catesbeiana

のことであり、ハーンは実は、

 

――松江の人々が呼んでいる「ヒキガエル」っていうは、主に水中を好む「ウシガエル」のことだろう?――でも、こいつはそうじゃじゃなくて一目瞭然――“a toad”だよ!――背中は疣だらけで、図体がでかい割に後ろ脚の跳躍はすこぶる弱くて、うろうろ這い歩く、専ら陸に棲んでるあの「ガマ」じゃないか!

 

と言っているんである。即ち、ハーンは、

これはウシガエル Rana catesbeiana じゃあなくて、

ナミガエル亜目ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエル Bufo japonicus

だ、と主張している

のである。

 但し、訳者が“bullfrog”が、ヒキガエルと異なる種であるウシガエルだと知らなかったのは無理もないと言えば、無理もないのである。

 何故か?

 当時の日本にはウシガエルは棲息しておらず、同じほどに大きな蛙といった雑な説明の英英辞典などがあったりすればこれ、生物学者でない限り、分からなかったであろうからである。

 現在の我々にはウシガエルは食用ガエルという通名でもすこぶる親しいものであるが、実は、

「ウシガエル」が本邦に齎されたのは、まさに本訳書の出たその大正七(一九一八)年のことだった

のである。当時の東京帝国大学動物学教授渡瀬庄三郎(彼はこうした悪しき外来種移入を積極主導した生物学者の風上にも置けない人物として私は嫌いである)が主導して食用の蛙としてアメリカのルイジアナ州ニューオリンズから十数匹を導入したのがそれで、この時、アメリカザリガニも本種の養殖用の餌として輸入されたのである。その最初の移入地こそが私が今住む大船であり、細かく言えば私がやはり独身時代に数年を過ごした鎌倉市岩瀬なのであった。その後、洪水によってそこの養殖池が氾濫、ウシガエルは勿論、アメリカザリガニも流出し、全国に播き散らされ、かくも繁栄するに至ったのである。ウシガエルとアメリカザリガニの元凶濫觴は、ここ大船の岩瀬なのである

 閑話休題。ウィキの「ニホンヒキガエル」から引いておく。ナミガエル亜目ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエル Bufo japonicusは、『低地から山地にある森林やその周辺の草原などに生息し、農耕地、公園、民家の庭などにも広く生息する』。『本種は都市化の進行にも強い抵抗力を示し、東京の都心部や湾岸地域でも生息が確認されている』。基本的には夜行性で昼間は石や倒木の下などで休んでいることが多い。『ヤマカガシは本種の毒に耐性があるようで好んで捕食』、『ヤマカガシの頚部から分泌される毒は、本種の毒を貯蓄して利用していることが判明している』。『本種を含め、ヒキガエル類は水域依存性の極めて低い両生類である。成体は繁殖の際を除いて水域から離れたまま暮らしており、とりわけ夏季には夜間の雑木林の林床や庭先等を徘徊している姿がよくみられる。体表のイボや皺は空気中における皮膚呼吸の表面積を最大化するためと考えられている。また後述のように、繁殖に必要とする水域規模もまた、相対的に小さくて済むようになっている。

食性は動物食で、昆虫、ミミズなどを食べる』。『繁殖形態は卵生。繁殖期は地域変異が大きく南部および低地に分布する個体群は早く』(屋久島では九月)、『北部および高地に分布する個体群は遅くなる傾向があ』る。『池沼、水たまり、水田などに長い紐状の卵塊に包まれた』千五百~一万四千個(種によって差がある)もの卵を産む。『多数個体が一定の水場に数日から』一週間の『極めて短期間に集まり繁殖』行動をとり、これが昔から「ガマ合戦」「蛙合戦」と称された。『繁殖期のオスは動く物に対して抱接しようとし、抱接の際にオスがメスを絞め殺してしまうこともある』とある。『大柄な姿に反してヒキガエルの幼生期間は短く、仔ガエルに変態した時の体長はわずか』五~八ミリメートルしかないが、『これは、水の乏しい地域で短期間しか存在しない水たまり等でも繁殖できるよう進化がすすんだためと考えられている』とある。

「化物蝦蟇」江戸後期の読本や歌舞伎などに登場する盗賊忍者自来也(じらいや:児雷也とも書く)の蝦蟇の妖術が有名。ウィキの「大蝦蟇」には、『大蝦蟇(おおがま)は、江戸時代の奇談集『絵本百物語』、北陸地方の奇談集『北越奇談』などに見られる巨大なガマガエルの怪異』。『妖山中に棲息する野生動物は通常の野外のものよりもずっと巨大なものもあることから、このような巨大なガマの伝承が生まれたと考えられている』。『また、ガマガエルが妖怪視されたことについては、カエルが長い舌で虫などを捕える様子が、あたかも虫がカエルの口の中に吸い込まれるようにも見えるため、こうしたカエルやガマが人間の精気を吸うなどの怪異のあるものと考えられたとの解釈もある』とし、「絵本百物語」の「周防の大蟆(すおうのおおがま)」『本文によれば、周防国の岩国山(現・山口県岩国市)の山奥に住む大蝦蟇で、体長は』約八尺(約二・四メートル)で、『口から虹のような気を吐き、この気に触れた鳥や虫たちを口の中へと吸い込み、夏には蛇を食べるとある』。『また挿絵ではこの蝦蟇は槍を手にしているが、この槍で人を襲ったとの説もある』(リンク先に槍を持った絵図有り)。「北越奇談」には『越後国村松藩(現・新潟県中蒲原郡村松町)で、藤田という武士が河内谷の渓流で釣り場を捜していたところ、山深くの淵のそばに突起だらけの』三畳ほどの『岩場を見つけ、絶好の釣り場と思い、その上でしばらく釣り糸を垂れていた』。『川向かいでも別の武士が釣りをしていたが、その武士は急に帰り支度を始め、藤田に手真似で「早く帰れ」と示して逃げ去った。藤田も不安を感じ、釣り道具を片付けてその武士を追って理由を尋ねたところ「気づかなかったか? 貴行が先ほどまで乗っていたものが、火のように赤い目玉を開き、口をあけてあくびをしたのだ」と恐れながら答えた』。暫くして再び二人して『元の場所へ戻ってみたところ、藤田の乗っていた岩とおぼしきものは跡形もなく消え失せていた。あれは岩ではなく大蝦蟇であり、突起と思ったものは蝦蟇のイボだったと推測されたという』とある。因みに後者「北越奇談」は私の愛読書で、そのうち電子化して注を施したいと思っているものである。

「鮮やかな赤い腹をしたヰモリ即ち蠑螈」これは両生綱有尾目イモリ亜目イモリ科イモリ科Salamandridae イモリ(トウヨウイモリ)属Cynopsのアカハライモリ Cynops pyrrhogaster を指している。フグと同じ猛毒のテトロドトキシン(tetrodotoxinTTX)を持つ(危険を感じた際に目の後部にある突起から粘液を出し、その中に含まれているとされるが、起原は不明。フグ毒同様、摂餌対象の中に含まれる藻か或いはそこに含まれる細菌などが合成するものとは思われる)。また、この腹部の赤色について、ウィキの「アカハライモリ」には、『腹の赤黒の斑点模様は毒をもつことを他の動物に知らせる警戒色になっていると考えられている。陸上で強い物理刺激を受けると横に倒れて体を反らせ、赤い腹を見せる動作を行う』とあるが、私は正直言うと、こういう警戒色説とか、視覚的脅迫行動習性説にはかなり胡散臭いものを感じている(忌まわしいローレンツの「攻撃」の亡霊としてである)。なお、「蠑螈」(音は「エイゲン」)は中国・日本ともに古くは「蜥蜴(とかげ」)の意にも用いられるので要注意である。

「マヒマヒムシ」後の運動行動から判るように昆虫綱鞘翅(コウチュウ)目飽食(オサムシ)亜目オサムシ上科ミズスマシ科 Gyrinidae のに属する甲虫の一群、ミズスマシ類を指す。本邦には三属十七種ほどが知られる。

「甲に黄色な美しい條文(しま)のある美しい蝸牛」私は陸生有肺類が実は苦手で、これはぴんと来ない。そもそもが貝類の専門家でないハーンの言う、黄色い縞とはどの方向にどのようにある「縞」なのかが、実は良く分からない。螺頂から放射状にある「縞」とするのが普通であろうから、そうなると私の持つ多くの貝類図鑑でこれはと思うのは、分布域から見ると、腹足綱有肺目真有肺亜目柄眼下目マイマイ上科オナジマイマイ科オナジマイマイ亜科マイマイ属のコガネマイマイ種群(Euhadra sandai group)に属するダイセンニシキマイマイEuhadra sandai daisenica 辺りかその周辺の仲間らしくは見える(同種は吉良図鑑によれば中国山地の高地に分布するとされ、「高地」というのが気にはなる)。識者の御教授を乞う。

「ダイダイムシは出雲での名、字書での言葉は『デデムシ』」柳田國男の「蝸牛考」(改訂版・一九九〇年ちくま文庫刊「柳田國男全集」第十九巻)の蝸牛(かたつむり)の異名分布リストには「デデムシ・デンデンムシ系」の中に『ダイダイムシ・ダェダェムシ』として『島苑、松江市附近』とあるのと一致する(なお、私は現在、「蝸牛考」初版の電子化注をブログ・カテゴリ「柳田國男」で行っている)。

「龜はコムピラといふ神の召使」既注であるが、再掲する。海上交通の守護神金比羅は、もとインド神話の怪魚クンビーラ(マカラ)で、ガンジス川に棲む鰐を神格化した水神とされ(日本では蛇型とされる)、本来はこのクンビーラの上にガンジス川を支配する女神ガンガーが乗るとされたが、洒落のようだがインドの石窟寺院では亀の上にそのクンビーラが、そのまた上にガンガーが乗った形象を作るという記載をネット上で見かけたことから考えると、伝来過程でクンビーラが亀と一体化してしまったものと思われる。

「イシガメ」この和名は、狭義には半水棲で淡水に棲息する爬虫綱カメ目潜頸亜目リクガメ上科イシガメ科イシガメ属ニホンイシガメ Mauremys japonica を指す。ハーンはここで、“tortoise” “turtle”を使い分けてはおり、前者は主に陸生のカメ類を、後者は本文にあるように「海龜(タアトル)」、主に海産のカメ類を指す英語ではある。しかし、こう主張する人の言に従えば、先に記された漁師の「信心深い漁師は龜を見付けると、その背ヘ『金比羅樣の召使』といふ意味の文字を書いて、それからサケを一ぱい飮ませて放す」という行動はお門違いと言うことになる。いろいろな見解をなるべく採ろうした結果ではあろうが、私は何となく、アカデミズムのインキ臭い、実にいやな臭いがすると言っておきたい。ハーンに、というより、そう限定主張する御仁に対して、である。

「海龜は、その息で、雲、霧、或は壯麗な宮殿を造り出す力を有つて居ると言はれて居る。それはあの美しい昔のウラシマ傳説に出て來て居る」ちょっと待てや! こんなん、読んだ外国人は浦島太郎は亀の造り出した幻像の龍宮で幻像の乙姫に逢い、それを愛したということになるで?! そんな大蝦蟇まいたような幻術じゃったとしたら、白髪になった浦島太郎はもっと救われへんがな! ハーンはん! ちょっといい加減にしなはれや!……これはどうみても、妖気によって蜃気楼生み出すとされる大蛤と大亀を一緒くたにしてしまったトンデモ解説にしか見えない(人語を操り、巨大化し、浦島を載せては海底深く或いは洋上遠き地へと易々と連れ去る点からは確かに大亀がそうした妖術を操るというべきではあろうが)私。も浦島伝説には個人的に殊の外、興味があり、人よりは異伝を多く渉猟しているつもりだが、こんな話は聴いたことがない。御存じの方は是非とも御教授を乞うものである。

「日本の美術家の手に成つた見事な繪を添へた『日本の御伽噺叢書』中の、そのチエムバレン教授の飜譯」書名原文は“The Japanese Fairy Tale Series”。なんと素晴らしいことか! サイト「学校法人京都外国語大学創立60周年記念稀覯書展示会 文明開化期のちりめん本と浮世絵」の8.8 The Fisher-Boy Urashima.『浦島』(Urashima, and French, Portuguese, Spanish eds.がそれにかなり忠実なものらしい。挿絵も同じ小林永濯(えいたく)のもの! 一見するに若かず!

「ミノガメ」蓑亀。緑色の淡水藻を甲羅に纏い、それが蓑のように体部の後ろに棚引いたものであって、種名でも何でもない。しかも自然界で藻が附着することは往々にしてあるが、このように絵に描いたよう人間の見た目で綺麗につくことはまずあり得ない。私の寺島良安和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類の「みのかめ 綠毛龜」をまるごと、私の注も含めて引いておく(原文は原典からで、〔 〕部分は私が補正・補注したもの。図は平凡社東洋文庫のものを使用している)。

   *

Mino_2

みのかめ       綠衣使者

綠毛龜       【俗云蓑龜】

ロツ マ゜ウ クイ

 

本綱綠毛龜今惟蘄州以充方物養鬻者取自溪澗畜水

[やぶちゃん字注:底本では「蘄」の(くさかんむり)は(へん)の上のみであるが、正字とした。]

缸中飼以魚鰕冬則除水久久生毛長四五寸毛中有金

線脊骨有三稜底甲如象牙色其大如五銖錢者爲眞他

龜久養亦生毛但大而無金線底色黃黑爲異爾

△按太〔→大〕抵畫工所圖龜皆有長毛如綠毛龜而本朝希有

之者也稱光帝應永廿七年河州獻綠毛龜蓋久畜生

毛者非也尋常水龜冬藏泥中春出時甲上被藻苔靑

綠色如毛捕之數撫而不脱經月則毛落如常

 

〇やぶちゃんの書き下し文

 

みのがめ       綠衣使者

綠毛龜       【俗に蓑龜と云ふ。】

ロツ マ゜ウ クイ

 

「本綱」に、『綠毛龜は、今、惟だ蘄州(きしう)より以て方物〔(はうもつ):特産品。〕に充つ。養ひて鬻ぐ者、溪澗より取りて水缸〔(すゐかう)〕の中に畜ふ。飼ふに魚-鰕(ゑび)を以てす。冬は則ち水を除く。久久にして毛を生ず。長さ四~五寸。毛の中に金線有り。脊骨に三稜有り。底甲、象牙の色のごとし。其の大いさ、五銖錢〔(ごしゆせん)〕の者を眞と爲す。他の龜も久しく養へば亦、毛を生ず。但し大にして金線無く、底色、黃黑なるを異と爲すのみ。』と。

△按ずるに、大抵、畫工の圖する所の龜、皆、長毛有りて綠毛龜のごとし。而も本朝希有の者なり。稱光帝の應永廿七年、河州〔=河内〕より綠毛龜を獻ず、と。蓋し久しく畜ひて毛を生ずるは非なり。尋常の水龜、冬、泥中に藏(い)れ、春、出づる時、甲の上に藻苔を被(かつ)ぐ。青綠色にして毛のごとし。之を捕へて數(しばしば)撫ぜて脱け〔ざるも〕、月を經れば、則ち毛落ちて常のごとし。

 

[やぶちゃん注:これは広く淡水産のカメ類(潜頸亜目リクガメ上科イシガメ科Geoemydidaeの仲間等)に藻類が付着したものであろうと思われるが、「脊骨に三稜有り」という叙述は、椎甲板と肋甲板に三対の筋状隆起(キールと呼称する)を持っているイシガメ科のクサガメChinemys reevesii等を思わせる。なお、この如何にも日本人好みのウラシマタロウガメ(私の造和名・浦島太郎亀)が好きで好きで、遂に自分で拵えちゃった有名人をご存知だろうか。南方熊楠、その人なんである。今、それを読んだ確かな資料を思い出せないでいるが、南方熊楠邸保存顕彰会常任理事の中瀬喜陽氏による「南方熊楠と亀」にその事実記載があったと記憶する。熊楠の悪戯っぽい笑みが、私にはよく見える。

「蘄州」は現在の湖北省蘄春県周辺。

「水缸」の「缸」は十升は入るという素焼きの大きな甕(かめ)。もたい。「みずがめ」と訓じてもよい。

「五銖錢」は中国古代の貨幣。前漢の武帝により鋳造されて以降、唐代に廃止されるまで中国史で最も長期に亙って流通した。私が実見したものは直径二・五センチメートル程のものであった(五銖錢は時代によって大きさも重量も著しく変化した)。実はアオイ科のゼニアオMalva sylvestris var. mauritianaの花はこの五銖錢の大きさであるという。ゼニアオイの花は凡そ二・五から三センチメートルほどである。しかし、そうなると♂で二十センチメートル、♀で三十センチメートルとなるクサガChinemys reevesiiは、その幼体と言って逃げるしかない苦しい状況に陥る。時珍の記述にある、この真の緑毛亀はかなり小さな個体群で、それはその大きさで成体であるように読める。クサガメ説はカメの首宜しく引っ込めた方がいいのかも知れない。

「稱光帝の應永廿七年」の称光天皇は室町期、第百一代天皇。武力でなく仁知によって国が治まる瑞兆とされる緑毛亀の効も空しく、病弱で、不和であった後小松天皇に院政を敷かれ、愛弟の小川宮との死別等も重なり、精神障害を患った幸薄い天皇である。応永二十七年は西暦一四二〇年で、実権は将軍足利義持。義持はやはり不和であった父の義満の掣肘からやっと開放された後で(義満は応永十五年死去)、応永二三(一四一六)年の上杉禅秀の乱では、これに連座したとして弟の義嗣を幽閉した上、二年後に殺害し、それに関わって細川満元や斯波義重の義嗣への加担を疑うことで、有力守護への牽制を行う等、幕政の保守化を促進させた。

「尋常の水龜」は「水龜」の項で同定したハナガメ(シナガメ)Ocadia sinensisはなく、特定種を指さない「普通の淡水産カメ類」の謂いととってよい。

   *]

 

 

   Now of the ujō or things having desire, which inhabit these gardens.

   There are four species of frogs: three that dwell in the lotus pond, and one that lives in the trees. The tree frog is a very pretty little creature, exquisitely green; it has a shrill cry, almost like the note of a semi; and it is called amagaeru, or 'the rain frog,' because, like its kindred in other countries, its croaking is an omen of rain. The pond frogs are called babagaeru, shinagaeru, and Tono-san-gaeru. Of these, the first-named variety is the largest and the ugliest: its colour is very disagreeable, and its full name ('babagaeru' being a decent abbreviation) is quite as offensive as its hue. The shinagaeru, or 'striped frog,' is not handsome, except by comparison with the previously mentioned creature. But the Tono-san-gaeru, so called after a famed daimyo who left behind him a memory of great splendour is beautiful: its colour is a fine bronze-red.

   Besides these varieties of frogs there lives in the garden a huge uncouth goggle-eyed thing which, although called here hikigaeru, I take to be a toad. 'Hikigaeru' is the term ordinarily used for a bullfrog. This creature enters the house almost daily to be fed, and seems to have no fear even of strangers. My people consider it a luck-bringing visitor; and it is credited with the power of drawing all the mosquitoes out of a room into its mouth by simply sucking its breath in. Much as it is cherished by gardeners and others, there is a legend about a goblin toad of old times, which, by thus sucking in its breath, drew into its mouth, not insects, but men.

   The pond is inhabited also by many small fish; imori, or newts, with bright red bellies; and multitudes of little water-beetles, called maimaimushi, which pass their whole time in gyrating upon the surface of the water so rapidly that it is almost impossible to distinguish their shape clearly. A man who runs about aimlessly to and fro, under the influence of excitement, is compared to a maimaimushi. And there are some beautiful snails, with yellow stripes on their shells. Japanese children have a charm-song which is supposed to have power to make the snail put out its horns:

       Daidaimushi, [22] daidaimushi, tsuno chitto dashare!

       Ame haze fuku kara tsuno chitto dashare! [23]

   The playground of the children of the better classes has always been the family garden, as that of the children of the poor is the temple court. It is in the garden that the little ones first learn something of the wonderful life of plants and the marvels of the insect world; and there, also, they are first taught those pretty legends and songs about birds and flowers which form so charming a part of Japanese folk-lore. As the home training of the child is left mostly to the mother, lessons of kindness to animals are early inculcated; and the results are strongly marked in after life It is true, Japanese children are not entirely free from that unconscious tendency to cruelty characteristic of children in all countries, as a survival of primitive instincts. But in this regard the great moral difference between the sexes is strongly marked from the earliest years. The tenderness of the woman-soul appears even in the child. Little Japanese girls who play with insects or small animals rarely hurt them, and generally set them free after they have afforded a reasonable amount of amusement. Little boys are not nearly so good, when out of sight of parents or guardians. But if seen doing anything cruel, a child is made to feel ashamed of the act, and hears the Buddhist warning, 'Thy future birth will be unhappy, if thou dost cruel things.'

   Somewhere among the rocks in the pond lives a small tortoiseleft in the garden, probably, by the previous tenants of the house. It is very pretty, but manages to remain invisible for weeks at a time. In popular mythology, the tortoise is the servant of the divinity Kompira; [24] and if a pious fisherman finds a tortoise, he writes upon his back characters signifying 'Servant of the Deity Kompira,' and then gives it a drink of saké and sets it free. It is supposed to be very fond of saké.

   Some say that the land tortoise, or 'stone tortoise,' only, is the servant of Kompira, and the sea tortoise, or turtle, the servant of the Dragon Empire beneath the sea. The turtle is said to have the power to create, with its breath, a cloud, a fog, or a magnificent palace. It figures in the beautiful old folk-tale of Urashima. [25] All tortoises are supposed to live for a thousand years, wherefore one of the most frequent symbols of longevity in Japanese art is a tortoise. But the tortoise most commonly represented by native painters and metal-workers has a peculiar tail, or rather a multitude of small tails, extending behind it like the fringes of a straw rain-coat, mino, whence it is called minogamé. Now, some of the tortoises kept in the sacred tanks of Buddhist temples attain a prodigious age, and certain waterplants attach themselves to the creatures' shells and stream behind them when they walk. The myth of the minogamé is supposed to have had its origin in old artistic efforts to represent the appearance of such tortoises with confervae fastened upon their shells.

 

22 Daidaimushi in Izunio. The dictionary word is dedemushi. The snail is supposed to be very fond of wet weather; and one who goes out much in the rain is compared to a snail,—dedemushi no yona.

23 Snail, snail, put out your horns a little it rains and the wind is blowing, so put out your horns, just for a little while.

24 A Buddhist divinity, but within recent times identified by Shintō with the god Kotohira.

25 See Professor Chamberlains version of it in The Japanese Fairy Tale Series, with charming illustrations by a native artist.

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