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2015/10/28

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十五章 東京に関する覚書(7)「すみれ」/「天井」/「馬鹿」

 董(すみれ)のことを一般的にスモー トリ グサと呼ぶが、スモー トリは「相撲取り」で、子供達が花をひっかけ合わせ、両方に引いてどっちが負けるかを見て遊ぶからである。

[やぶちゃん注:まず原文を示す。

 

The common name for violets is sumo-tori-gusa, sumo-tori meaning "wrestler," as the children play with the flowers by hooking them together and pulling them apart to see which one yields.

 

狭義の「スミレ」はキントラノオ目スミレ科スミレ属スミレ Viola mandshurica を指すが、類似種や近縁種も多く、一般にはそれらも十把一絡げで「スミレ」と呼称しているからスミレ属スミレ Viola の仲間を指すとするのが賢明であろう。「相撲取り草」はスミレの異称であるが――これ、実はこれが何と!――「すみれ」の語源説の有力な一つらしいのである!――「相撲取れ!」の「すもうとれ」が「すまいつれ(すまいっれ)」となり、「すまいっれ」が「すみれ」へと転訛したというのである!――これは眼から鱗で、私は個人サイト「別府街角ウオッチン」の「草木名の話」の中のスミレ」で初めて知った。そこではこの遊びについて、『スミレの花の基部は筒状になって、ここに蜜をためる。これを距(きょ。もと、鳥の蹴爪(けづめ)のこと。)という。かつて子供たちは、スミレの距が後方へ突出しているのを互いに引っ掛けあって遊んだ。また伊勢地方では、むかしスミレの花を太郎坊、ジロボウエンゴサクの花を次郎坊とよび、二つの花の距を引き合って遊んだ、という。このとき、子供たちは「相撲(すまひ)とれ、相撲とれ」と、はやし立てて遊んだ。その「相撲とれ」が転化して「スミレ」となり、それが花の名前に転用されたと思われる』ともある。私は以前、牧野富太郎が「植物一家言」の中で、「すみれ」は花の形から「墨入れ」(大工さんが用いる道具「墨繩」)であるという説を読み、無批判にそのまま納得し続けていたのであるが、上記のリンク先のこれへの疑問提示から、これは確かにおかしいことも納得した。正直言うと私は実は牧野があまり好きではない。何故なら彼は、私が尊敬してやまない南方熊楠のことを「ろくな論文も書いていない」と批判したからである。牧野は熊楠が『ネイチャー』に多くの英文の学術論文を発表していることを知らなかったのであるが、そもそも小学校中退の非アカデミストあったにも拘わらず、遂には理学博士の学位を得た「日本の植物学の父」となった牧野が、かくもおぞましいインキ臭いアカデミスト的批判をしたことが許せないからである。ともかくもこのリンク先の記載をお読みあれ! 恐るべき緻密な考証が展開されていて、感激すること疑いなし! である!]

 

 Ceiling を意味する日本語はテンジョウで、直訳すれば「天の井戸」となり、我々の語と同じ語原から来ている。

[やぶちゃん注:邦語の「天井」の語源はネット検索によれば、火事を防ぐ呪(まじな)いとして井戸の形に作ったからという説、囲炉裏の上部の屋根に当たる部分に井桁(いげた)の棚が組んであったからという説、まさにモースが字解する「天の井戸」の意の宗教的用語説などがあるものの、確証はないようである。ウィキ天井を見ると、中国では、『小さな中庭を中心に四方部屋を配し、あるいは一方が壁となった中庭の三方に部屋を配して、周囲につながった屋根を作る場合がよくあり、その時に庭の上にできる屋根のない四角い空間を「天井」とよぶ。建築様式によっては居住空間の上にこの「天井」を配して、天窓とする例もある。なお、日本語でいう天井のことを、中国語では「天花板」という』とあるから、共通語源とはちょっと考え難いと私は思う。一方、英語の“ceiling”は中世英語の動詞“ceil”(羽目板張りをする)の動名詞形とされるから、説としては日本語の「天井」の同語源の一つとは言えそうだ。なお、英語のそれは「天井板」や「船の内張り板」の他にも、「価格・賃金・料金などの最高限度額」の意でも用いられ、明らかに上方の物理的論理的な境界を指している。]

 

 Fool の日本語はバカ。これは直訳すると「馬鹿(うましか)」である。Sea-sickness はフナヨイ「船酩酊」。

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