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2015/10/31

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (一〇)

       一〇

 

 夏の始には蛙が驚く許り澤山で、暗くなつてからは言語に絶して騷々しい。が、多くの敵の攻擊を受けてその數が減るに連れて、週一週とその夜の喧噪が弱くなる。蛇の、中に

は長さたつぷり二尺はある蛇の、大家族がその群落へ時折侵入する。被害者は屢々憫れな叫び聲を發する。と、出來る場合には何時も、家の者誰かが直ぐに返事する。自分の下女の爲め生命の助かつた蛙は澤山居る。下女は竹の杖を輕く叩いて、蛇にその犧牲を放さざるを得ぬやうにするのである。此等の蛇は泳ぎが上手である。庭のあたりで勝手な振舞ひをするが、暑い日にだけ出て來る。自分の家の者は誰一人、その一匹も害しようとか殺さうとか考へもせぬ。もつとも、出雲では、蛇を殺すのは不吉だといふ。或る百姓が『原因(いはれ)無しに蛇を殺すと、後(あと)でその蓋を取るとコメビツ〔炊(ひさ)ぐ米を容れて置く箱〕の中にその首がありますよ』と自分に確言した。

 然し蛇は割合に蛙を食ふことが少い。圖々しい鳶と鴉とが、その最も執念深い驅逐者である。それにまたクラ(庫)の下に棲んで居る頗る可愛らしい鼬が居て、家の主人が見張りして居る時でも、躊躇なしに池から魚でも蛙でも取る。その上に自分の禁獵場で密獵する猫が一匹居る。瘦せせこけた浮浪者で、大盜人で、自分は色々と手段を講じで無賴を直(なほ)さうとしたが駄目である。一つにはこの猫が不行狀であるのと、また一つにはそれが偶々長い尾を有つて居るのとで、ネコマタ即ち化猫だといふ惡評を受けて居る。

 出雲には生まれ落つるから、尾の長い小猫が居るには居る。が、尾を長くした儘で生長せしめられることは滅多に無い。猫は本來化物になる傾向を有つて居るもので、この變態傾向は、其尾を子猫時代に切らなければ阻止することが出來ぬ。猫は、尾があらうが尾が無からうが、魔物で、屍骸を踊らせる力を有つて居る。猫は恩知らずである。『犬に三日物を食はせると、その親切を三年間覺えて居る。猫に三年間物を食はせても、その親切を三日で忘れる』と日本の諺は言うて居る。猫はいたづら者で、疊を破り、シヤウジに穴を明け、トコノマの柱でその瓜を磨ぐ。猫は呪を蒙つて居る。猫と毒蛇だけが佛陀が死なれた時泣かなかつた。だから猫と毒蛇とはゴクラクの至福を受けることは出來ぬ。こんなやうな理由と、また語るには餘りに多い他の理由とで、猫は出雲では大して可愛がられぬから、その生涯の大部分は餘儀なく戸外で過ごす。

 

[やぶちゃん注:「二尺」六〇・六センチメートル。

「原因(いはれ)無しに蛇を殺すと、後(あと)でその蓋を取るとコメビツ〔炊(ひさ)ぐ米を容れて置く箱〕の中にその首がありますよ」どう見ても日本語としておかしい。ホラー性を高めようとしたとしても不自然さの方が気になって良くない。――「原因(いはれ)無しに蛇を殺すと、後(あと)でコメビツ〔炊(ひさ)ぐ米を容れて置く箱〕の、その蓋を取ると、中に、その首がありますよ」――でよかろうに。

「ネコマタ」ウィキの「猫又から引く。『猫又、猫股(ねこまた)は、日本の民間伝承や古典の怪談、随筆などにあるネコの妖怪。大別して山の中にいる獣といわれるものと、人家で飼われているネコが年老いて化けるといわれるものの』二種があるという。『中国では日本より古く隋時代には「猫鬼(びょうき)」「金花猫」といった怪猫の話が伝えられていたが、日本においては鎌倉時代前期の藤原定家による』「明月記」には天福元(一二三三)年八月二日に南都(現在の奈良県)に於いて『「猫胯」が一晩で数人の人間を食い殺したと記述がある。これが、猫又が文献上に登場した初見とされており、猫又は山中の獣として語られていた。ただし『明月記』の猫又は容姿について「目はネコのごとく、体は大きい犬のようだった」と記されていることから、ネコの化け物かどうかを疑問視する声もあり』、『人間が「猫跨病」という病気に苦しんだという記述があるため、狂犬病にかかった獣がその実体との解釈もある』。また「徒然草」(鎌倉末期成立)にも「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなると人の言ひけるに」と記されてある。『江戸時代の怪談集である『宿直草』や『曾呂利物語』でも、猫又は山奥に潜んでいるものとされ、深山で人間に化けて現れた猫又の話があり』、『民間伝承においても山間部の猫又の話は多』〻、『山中の猫又は後世の文献になるほど大型化する傾向にあり』、貞享二(一六八五)年成立の「新著聞集」に載る『紀伊国山中で捕えられた猫又はイノシシほどの大きさとあり』、安永四(一七七五)年成立の「倭訓栞」では、『猫又の鳴き声が山中に響き渡ったと記述されていることから、ライオンやヒョウほどの大きさだったと見られている』。文化六(一八〇九)年成立の「寓意草」で『犬を咥えていたという猫又は』全長九尺五寸(約二・八メートル)もあったと記す。一方、民間伝承では『越中国(現・富山県)で猫又が人々を食い殺したといわれる猫又山、会津(現・福島県)で猫又が人間に化けて人を誑かしたという猫魔ヶ岳のように、猫又伝説がそのまま山の名となっている場合もあ』るが、『猫又山については民間伝承のみならず、実際に山中に大きなネコが住みついていて人間を襲ったものとも見られている』という。『一方で同じく鎌倉時代成立の』「古今著聞集」の『観教法印の話では、嵯峨の山荘で飼われていた唐猫が秘蔵の守り刀を咥えて逃げ出し、人が追ったがそのまま姿を晦ましたと、この飼い猫を魔物が化けていたものと残したが、前述の『徒然草』ではこれもまた猫又とし、山に棲む猫又の他に飼い猫も歳を経ると化けて人を食ったり拐ったりするようになると語っている』。『江戸時代以降には、人家で飼われているネコが年老いて猫又に化けるという考えが一般化し、前述のように山にいる猫又は、そうした老いたネコが家から山に移り住んだものとも解釈されるようになった。そのために、ネコを長い年月にわたって飼うものではないという俗信も、日本各地に生まれるようになった』。『江戸中期の有職家・伊勢貞丈による『安斎随筆』には「数歳のネコは尾が二股になり、猫またという妖怪となる」という記述が見られる。また江戸中期の学者である新井白石も「老いたネコは『猫股』となって人を惑わす」と述べており、老いたネコが猫又となることは常識的に考えられ、江戸当時の瓦版などでもこうしたネコの怪異が報じられていた』。『一般に猫又の「又」は尾が二又に分かれていることが語源といわれるが、民俗学的な観点からこれを疑問視し、ネコが年を重ねて化けることから、重複の意味である「また」と見る説や、前述のようにかつて山中の獣と考えられていたことから、サルのように山中の木々の間を自在に行き来するとの意味で、サルを意味する「爰(また)」を語源とする説もあ』り、『老いたネコの背の皮が剥けて後ろに垂れ下がり、尾が増えたり分かれているように見えることが由来との説』などもあると記す。『ネコはその眼光や不思議な習性により、古来から魔性のものと考えられ、葬儀の場で死者を甦らせたり、ネコを殺』せば七代祟る、など『と恐れられており、そうした俗信が背景となって猫又の伝説が生まれたものと考えられている』。『また、ネコと死者にまつわる俗信は、肉食性のネコが腐臭を嗅ぎわける能力に長け、死体に近づく習性があったためと考えられており、こうした俗信がもとで、死者の亡骸を奪う妖怪・火車と猫又が同一視されることもある』とする。『江戸時代には図鑑様式の妖怪絵巻が多く制作されており、猫又はそれらの絵巻でしばしば妖怪画の題材になって』おり、元文二(一七三七)年刊の佐脇嵩之「百怪図巻」などでは、『人間女性の身なりをしなた猫又が三味線を奏でている姿が描かれているが、江戸時代当時は三味線の素材に雌のネコの皮が多く用いられていたため、猫又は三味線を奏でて同族を哀れむ歌を歌っている』のであるとか、『もしくは一種の皮肉などと解釈されている』(リンク先に当該図が載る)。『芸者の服装をしているのは、かつて芸者がネコと呼ばれたことと関連しているとの見方もある』とある。

「猫は呪を蒙つて居る。猫と毒蛇だけが佛陀が死なれた時泣かなかつた。だから猫と毒蛇とはゴクラクの至福を受けることは出來ぬ」「宗教情報センター」の「宗教こぼれ話」の第九回「イスラームは猫好き、仏教は猫嫌い?によれば、猫は泣くどころか、涅槃の場に居なかったらしい。『涅槃図に猫が描かれないのは、病床に就いた釈迦のために』実母である摩耶夫人が『薬袋(本当は衣鉢袋)を』投じたものの、それが『沙羅樹の枝に掛かっ』てしまい、それを取りに釈迦のために行こうとした『ネズミを猫が捕まえて食べたからという伝承が有力』のようだとする(参考注に二〇一一年大法輪閣刊竹林史博「涅槃図物語」とある)。また、その以外にも、『猫が一生懸命に顔を洗っていて、お釈迦様の最後に間に合わなかったからだとか諸説がある』らしい(ここでも参考注で二〇〇九年二月八日発行の『北海道新聞』の山本徹淨「仏教伝来と猫」とある)。しかし、記事の筆者が述べるように、猫は本邦への仏教伝来に重要な役割を担った。それは『遣唐使船で中国から経典を運ぶときには、ネズミに経典がかじられないよう猫を船に積ん』で守ったからである。なお、ハーンは猫以外に「毒蛇」を挙げているが、ここには四十巻本「大般涅槃経」に、『釈迦が入滅したときには竜、金翅鳥(きんじちょう/鳳凰)、象、獅子、孔雀、オウム、水牛、牛、羊、毒蛇、マムシ、サソリなどのほか、極楽に住む人面鳥身の迦陵頻伽(かりょうびんか)鳥などまで集まったと書かれてい』るとあるから、ハーンの言う「毒蛇」は少なくとも釈迦の涅槃には立ち会ったのである。泣かなかったから永久に極楽浄土から追放となったのだとすれば、仏の慈悲のなんと、狭量なことだろう!]

 

 

 Early in summer the frogs are surprisingly numerous, and, after dark, are noisy beyond description; but week by week their nightly clamour grows feebler, as their numbers diminish under the attacks of many enemies. A large family of snakes, some fully three feet long, make occasional inroads into the colony. The victims often utter piteous cries, which are promptly responded to, whenever possible, by some inmate of the house, and many a frog has been saved by my servant-girl, who, by a gentle tap with a bamboo rod, compels the snake to let its prey go. These snakes are beautiful swimmers. They make themselves quite free about the garden; but they come out only on hot days. None of my people would think of injuring or killing one of them. Indeed, in Izumo it is said that to kill a snake is unlucky. 'If you kill a snake without provocation,' a peasant assured me, 'you will afterwards find its head in the komebitsu [the box in which cooked rice is kept] 'when you take off the lid.'

   But the snakes devour comparatively few frogs. Impudent kites and crows are their most implacable destroyers; and there is a very pretty weasel which lives under the kura (godown) and which does not hesitate to take either fish or frogs out of the pond, even when the lord of the manor is watching. There is also a cat which poaches in my preserves, a gaunt outlaw, a master thief, which I have made sundry vain attempts to reclaim from vagabondage. Partly because of the immorality of this cat, and partly because it happens to have a long tail, it has the evil reputation of being a nekomata, or goblin cat.

   It is true that in Izumo some kittens are born with long tails; but it is very seldom that they are suffered to grow up with long tails. For the natural tendency of cats is to become goblins; and this tendency to metamorphosis can be checked only by cutting off their tails in kittenhood. Cats are magicians, tails or no tails, and have the power of making corpses dance. Cats are ungrateful 'Feed a dog for three days,' says a Japanese proverb, 'and he will remember your kindness for three years; feed a cat for three years and she will forget your kindness in three days.' Cats are mischievous: they tear the mattings, and make holes in the shoji, and sharpen their claws upon the pillars of tokonoma. Cats are under a curse: only the cat and the venomous serpent wept not at the death of Buddha and these shall never enter into the bliss of the Gokuraku For all these reasons, and others too numerous to relate, cats are not much loved in Izumo, and are compelled to pass the greater part of their lives out of doors.

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