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2015/10/17

生物學講話 丘淺次郎 第十六章 長幼の別(4) 四 幼時生殖(1) アホロートルの例

    四 幼時生殖

 

 通常動物の長幼を區別するには生殖作用の始まる時期を境とし、これに達すれば、已に完全に成長を遂げたものと見做し、まだこれに達せぬものは、なほ生長の途中にあると見做して居る。この標準は大體に於てはまづ間違はないが、詳しく調べると隨分多くの例外を見出だし、しかもその例外の中には、またさまざまに相異なつたものがある。例へば普通の魚類・蛇類・龜類などは、子を産み始めてから後もなほ引き續いて大きくなるが、これは已に身體の構造が一通り完成した後のことであるゆえ、子を産み始める頃を幼時とは名づけられぬ。これに反して、身體の構造がいまだ親とは異なつて、確に幼時と名づくべき頃に子を産めば、これを特に幼時生殖と名づける。次にその例を二つ三つ擧げて見よう。

[やぶちゃん注:「幼時生殖」“paedogenesis”(ペドジェネシス)の訳語であるが、現行では「幼生生殖」或いは「幼虫生殖」が一般的な謂い方である。単為生殖の一種で以下の例で見るように、動物の個体発生中に於いて幼生の体内にある卵巣が外形は幼体のままで成熟し、産出された卵が単為生殖的に発生する現象を指す。次の段の私の冒頭注も参照のこと。]

Ahortl

  [アホロートル

(上)子   親(下)]

[やぶちゃん注:これは学術文庫版では黒く潰れて細部の観察がし難いため、国立国会図書館蔵の原本からトリミングし、補正を加えた。]

 

 メキシコに産する「さんせうううを」の類で、そこの原住民が「アホロートル」と呼ぶものがある。これは形は「ゐもり」の如くで、大きさは「ゐもり」の二倍以上もあるが、常に水中に住み、首の兩側には鰓が總狀がなして、恰もハイカラの襟卷の如くに見えて居る。また尾の幅の廣いのは水を漕いで游泳するに便利なためである。かやうに水中の生活に適した姿のままで、この動物は代々卵を産み、卵からはまたこの通りの子が孵つて、一度も水から外へ出ずに居るから、昔はこれを生長し終つた一種の動物と見なして、特別の學名が附けてあつた。所が今より五十年許りも前に、パリの動物園に飼うてあつたものが、突然池の中央の島に匍ひ上り體形が一變して、陸上生活に適するものとなつた。即ち體の表面に現れて居た總狀の鰓は萎びてなくなり、幅の廣かつた尾は狹くなつて鼠の尾の如き形を呈し、從來別の種類と思はれて居た一種の陸棲「さんせううを」となり終わつた。一體「さんせううを」には陸上に出るものと、水中にのみ生活するものとの二組があつて、生涯水より出ぬ類では、生涯總狀の鰓が外面に現れ、陸上へ出る類では、たゞ幼時だけかやうな鰓があり、生長し終るとなくなる。されば「アホロートル」は、當然水から出ぬ組の一種であると考へられて居たのが、右の經驗によつて實は陸上へ出る種類の幼時であることが知れた。陸上へ出て體形が變つてからの姿が即ち生長の終つたもので、かやうになればまた卵が産むが、水中に居る幼蟲の時代にも常に卵を産み、幼蟲の姿で何代でも生殖し續けることが出來る。これを蛙に比べれば丁度「おたまじやくし」のまゝで、代々卵を産み繁殖することに當るが、成長して後にも幼時にも生殖し得る性質を具へて居れば、何かの事情で陸上へ出られぬ處に住む場合にも自由に繁殖が出來て、種族維持の上には最も好都合である。

[やぶちゃん注:『メキシコに産する「さんせうううを」の類で、そこの原住民が「アホロートル」と呼ぶものがある』先ず、現在、生物学上は「アホロートル」(axolotl)は種名ではなく、両生綱有尾目イモリ上科トラフサンショウウオ(アンビストマ或いはマルクチサラマンダー)科 Ambystomatidae を構成する種の幼形成熟個体を総称する呼称である(因みに“axolotl”元はアステカ語で多様に変身する神に由来するらしく、原語では「アショロトル」に近い発音であるらしい。それをスペイン語の発音で読んだものを日本語に音写した結果が「アホロートル」である、とネット上にはある。後で検証した)。この「幼形成熟」は“neoteny”の訳語で「幼態成熟」とも訳されるが、現在ではそのまま音写した「ネオテニー」の呼称も一般的になっている。これは動物において性的には完全に成熟した個体(即ち前に出た「幼時(幼生)生殖」が可能な個体)でありながら、見かけ上では非生殖器官に未成熟な形質、即ち、幼生や幼体の性質が残存する現象を指す。そしてこの「アホロートル」から多くの方は一時期流行った流通名としての「ウーパー・ルーパー」(デッチアゲの和製語)を想起されるはずであるが、両生綱有尾目イモリ上科トラフサンショウウオ科トラフサンショウウオ属メキシコサンショウウオ Ambystoma mexicanum の幼形成熟個体(アホロートル)なのである(特に当時盛んに露出され売れ筋であったのはその中の白化個体(アルビノ)であった)。ここでは、この和名異名で「メキシコサラマンダー」とも呼ばれるメキシコ(ソチミルコ湖とその周辺)の固有種 Ambystoma mexicanum の成熟個体及び幼形成熟個体と読み換えてよいでろう(ウィキの「メキシコサラマンダー」も参照にされたい)。なお、荒俣宏「世界大博物図鑑3 両生・爬虫類」の「アホロートル」の項では、インディオはこの「アホロートル」類を、神の世界から『逃げ出した身勝手な神(ショロトル)の変身した』ものとしたこと、また現地の『一般市民にとっては』『梅毒の特効薬と』信じられたと記す。以下、その名の元となった神の太陽の再生神話に関わる伝承記載がる(ピリオドとコンマを句読点に代えた)。『アホロートルaxolotlは、元来アショロトルと発音されたらしい。次のようなアステカ神話が残っている。神々がみずからを犠牲として、太陽を生き返らせようとした時、風(エエカトル)がみなを殺す役目を引き受けた。しかし死をのがれようとして隠れた神が』おり、『彼はトウモロコシ畑にはいりこみ、ふたまたの穂(ショロトル)に』変身したが、『見つけられので、今度は竜舌蘭畑に逃げこみ、ふたまたの竜舌蘭(メショロトル)にな』った。それでも『またもや見つかり、水中に隠れて両生類(アショロトル)になった。けれども結局は捕えられ殺されてしまったという。殺されたショロトルは、太陽と月の栄養となった』とある。荒俣氏はこうした伝承から、この『アステカの神ショロトルが、多重性をそなえた神』であり、『史元斎と再生の神』『遊戯の神』、さらには遊び好きの『水中の妖精』或いは『怪物』などへと変じていったとされ、『これらのイメージのどれもが』実際の幼生成熟個体としての『アホロートルに似合っているのが面白い』と述べておられる。以下、近代の博物誌記載の部分に丘先生の述べておられる事件が記載されている。それは一八六五年九月二十八日(本邦で慶応元年に当たるから丘先生の「五十年ばかり前」(本書の初版は大正五(一九一六)年刊)というのは実に正確である)のことで、『パリの植物園で、その年の3月に生まれた4匹のアホロートルが突然変態をはじめた。鰓を失い、色が変わり、陸地に這い上がったのである。それまではシレドン・ピシフォルミス』Siredon pisciformis『とよばれていたアホロートルは、じつはメキシコ産のメキシコサラマンダー Ambystoma mexicanum にほかならなかったことが判明した』とある。さらにその後には、これより先、かの用不用説で知られるフランスの生物学者ラマルクが自身の進化論に於ける自然環境説に基づき、アホロートルがイモリ同様に変態を行うに違いないと予測していたという事実が示され、このパリの一件以来、その説が再び脚光を浴び、『多くの動物学者たちが人工的に水生のアホロートルを陸生動物に変態させようと試み』、その『鰓を切りとって、無理に肺で呼吸させてみたり、浅い水の中で飼って、たえず空気にさらしてみたりし』、『ついにドイツの昆虫学者マリー・フォン・ショーヴァンが、アホロートルを人為的に陸生動物に変えることに成功したという』という、梅津かずおの「半魚人」の逆を行くような、おとろしけないことが書かれてある。なんとまあこれ、アホロートル受難史とも言える恐ろしい記載ではある。]

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