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2015/11/15

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十九章 英語教師の日記から (九)

 

       九

 

 私は教師の方で嚴に失する事があれば、學生の方で中々容赦しないと云つて置いたが、  この事は英人や米人の耳に變にきこえるかも知れない。トム・ブラウンの學校は日本に存在しない、それより通常の公立學校は、ヂ・アミチスの『クオレ』にあんなに面白く寫してある理想的伊太利の學校によほど似て居る。その上日本の弛徒は一種の獨立を享有してゐてそれを當然と心得て居る、これは西洋の人が嚴しい訓練に必要と考へて居る事と全く反對である。西洋では教師は生徒を放校するが、日本では丁度それ程生徒が教師を放逐する事がある。各公立學校は熱心な元氣のよい小共和國で校長と教師はそれに對して單に大統領と内閣の關係を有するのである。實際校長と教師は東京の文部省の推薦によつて縣廳が任命したのではあるが事實に於ては彼等の能力及び人格が學生によつて認められて始めてその地位を維持するのである、もし能力なり人格なりに缺くるところがあると思はれる場合には一種の革命的運動によつて放逐されがちである。生徒は彼等の力を時々濫用するとよく云はれて居る。しかしこの説は嚴格なる英國風の訓練を非常に過信して居る西洋人の目から出るのである。(これについて、横濱の英字新聞が樺の棒主義を輸入する事を主張した事を思ひ出す)私の觀察は私につぎの事を知らしめた、そして多く經驗をつんだ他の人々もさう信じで居る、即ち教師に反抗する生徒の大概の場合に於て、道理が生徒側にあるのである。生徒が嫌ふ教師を侮辱したり、或は教場で邪魔をしたりする事は殆んどない、ただその教師の止められるまでは學校に出ないのである。個人的感情は私の知り得る限りではこんな要求の第二の原因となる事は、時にはあるかも知れぬが、第一原因となる事は殆んどない。擧動が冷淡であるとか、或は更に進んで不親切であると云はれる教師でも、教師としての資格、或は公平の念があると生徒の信じて居るうちは、生徒はその教師に服し又尊敬する、そして生徒は教師の不公平を發見するに鋭敏なると共に、その才能を認むる事も鋭敏である。又一方に於ては教師の性質がよいと云ふだけでは智識の不充分な事及び智識を傳へる熟練の不足と云ふ事を償ふ事にはならない。私は近傍のある公立學校で化學の教諭を止めて貰ひたいと生徒の要求した例を聞いた。この不平を述べる時、彼等は打明けて云つた『私共はこの先生が好きです。先生は親切です。先生のできるだけをつくして居られるのです。が先生は私共の習ひたいと思ふだけ私共に教へる事はできません。質問に答へる事ができません。先生のなさる實驗の説明ができません。前の先生はこんな事は皆できました。私共は別の先生が欲しいのです』調べて見ると生徒側の云ひ分は全く事實ときまつた。この若い教師は大學の卒業生であつた。よい推薦を受けて來たのであるが教へようとする科學の周到なる知識と教師としての經驗とを缺いてゐた。日本では教師が學位があるので成功するとはきまらない、ただ實際の知識とその知識を容易に又充分に傳へる技倆とによつて成功するのである。

    譯者註一。Thomas Hughes(1823―1897)
    の小説Tom Brown's School-Days に表
    はれた Rugby の學生生活、それには
    爭鬪も友情も、惡戲も勉強もある。

    譯者註二。Cuoré これは日本にも『愛
    の學校』『學童日誌』など種々の飜譯も、
    拔萃もあつて人の知るところ、イタリー
    の小説家 Edmondo De Amicis(1846―)
    の作。

[やぶちゃん注:「生徒が教師を放逐する事がある」本邦では明治時代から主に旧制中学や高校などで校長や教諭の排斥運動や同盟休校が度々起きており、後の大正デモクラシーの時代になると現代の学生運動のルーツとすべき極めて組織的且つ大規模なものが発生し始め、と同時に学校・体制側も停学退学処分の強い手段に訴えるようになってゆく。

「トム・ブラウンの學校」「Thomas Hughes(1823―1897)の小説Tom Brown's School-Days に表はれた Rugby の學生生活」トマス・ヒューズ(Thomas Hughes 一八二二年~一八九六年 英語版ウィキ“Thomas Hughes”に拠ったが、「譯者註」の示す生没年とは孰れも一年ずれている。本訳者の誤りである。以下、参照)はイギリスの弁護士で作家。専ら、この学校を舞台とする青年小説の嚆矢とされる本作、正式書名“Tom Brown's School Days”(「トム ・ブラウンの学校生活」一八五七年作)によって知られる。私は読んだことがない。「岩波ブックサーチャー」の岩波文庫版前川俊一訳「トム・ブラウンの学校生活」のキャッチ・コピーによれば、『本当のジェントルマンを作り上げるための全人的教育制度をもって誇るパブリック・スクールの生活が作者』(ここに生没年が記されてあるが、英語版ウィキと同一である)『自身の体験に基づいていきいきと描かれ』、しかも、『この教育の成果は』、『本篇の主人公トム・ブラウンの成長の過程が雄弁に物語る』ように書かれてある。『少年社会のあふれるユーモアと』、『底を流れるキリスト教精神と』、『スポーツ精神の調和が高い香りを放っている名作』とある。大井靖夫氏の論考「トマス ・ヒューズ『トム・ブラウンの学校生活』再読」(PDF)がシノプシスも含め、参照するによい。――『底を流れるキリスト教精神』――ハーンの比較提示の仕方が妙に皮肉に見えるのもよく判るというものである。

「ヂ・アミチスの『クオレ』」「Cuoré」「日本にも『愛の學校』『學童日誌』など種々の飜譯も、拔萃もあつて人の知るところ、イタリーの小説家 Edmondo De Amicis(1846―)の作」イタリア王国(当時)の作家エドモンド・デ・アミーチス(Edmondo De Amicis 一八四六年~一九〇八年。底本の大正一五(一九二六)年第一書房刊「小泉八雲全集」刊行時には鬼籍に入って既に十八年も経過しているのに生きていることになっている。不審)の代表作で、統一イタリア(後述)の教育用に書かれた愛国小説“Cuore”(「クオーレ」。イタリア語版ウィキを見ても原文や訳文にあるような“é”のアッチェント・アクート(フランス語のアクサンテギュー)はなく、原本表紙画像にもない)。ウィキの「エドモンド・デ・アミーチス」によれば、イタリア統一運動(中世以降のイタリアは小国に分裂しており、それぞれの小国がまた欧州大国を後ろ楯として権力抗争を繰り返していたが、一八六一年にイタリア王国が建国されて統一は一応の成立を見た)の時代に育ったアミーチスは、一八六〇年十四歳の時にはイタリア統一運動の英雄『ジュゼッペ・ガリバルディの千人隊(赤シャツ隊)に志願したほどの愛国者であった(幼少として断わられる)』。本作を『初めて日本語訳したのは教育者の三浦修吾で、彼が「愛の学校」というサブタイトルをつけた』とある(調べてみたところ、三浦の初回翻訳は明治四五(一九一二)年六月(大正改元前))。私は小さな頃に児童向けに書かれたものを読んだきりでそれも忘れてしまった(私には感動した記憶も面白かった記憶も残念ながら全くない)。されば、ウィキの「クオーレ」から引いておく。『アミーチスの代表作で、「クオーレ」とはイタリア語で心(心臓の意味もある)を指す言葉である』。小学校三年生の十歳のエンリーコ少年の、新学期の十月から翌年七月までの学校での一学年十ヶ月を『過ごした日記が書かれている。舞台となるこの小学校はトリノにある。「先生のお話」として、各月にパドヴァ、フィレンツェ、ジェノヴァなどの少年の物語が挿入されている(これらは統一前の各国を代表している)』。その挿話中の一つである、五月パートにある、『"Dagli Appennini alle Ande"(アペニン山脈からアンデス山脈まで)は日本語で「母を尋ねて三千里」』『などの題名で独立した物語としても愛読される』(私はよほどひねくれているものか、この「母を尋ねて三千里」も嫌いである)。

「樺の棒主義」原文“the birch”。「樺の鞭(むち)」とした方が遙かに分かり良い。“birch”はブナ目カバノキ科カバノキ属 Betula に属する落葉広葉樹である樺(かば)の木の類の総称。樺の木の枝で出来た鞭は、西洋では古くから生徒の処罰(映画などを見ていると主に足の脹脛辺りをひっぱたくように思われる。傷が見えにくい箇所でしかも柔らかく痛い箇所であり、ある種の異常なサデイズム志向がよく窺われると私は思う)に用いた。]

 

 

.

   I have said that severity on the part of teachers would scarcely be tolerated by the students themselves,—a fact which may sound strange to English or American ears. Tom Brown's school does not exist in Japan; the ordinary public school much more resembles the ideal Italian institution so charmingly painted for us in the Cuoré of De Amicis. Japanese students furthermore claim and enjoy an independence contrary to all Occidental ideas of disciplinary necessity. In the Occident the master expels the pupil. In Japan it happens quite as often that the pupil expels the master. Each public school is an earnest, spirited little republic, to which director and teachers stand only in the relation of president and cabinet. They are indeed appointed by the prefectural government upon recommendation by the Educational Bureau at the capital; but in actual practice they maintain their positions by virtue of their capacity and personal character as estimated by their students, and are likely to be deposed by a revolutionary movement whenever found wanting. It has been alleged that the students frequently abuse their power. But this allegation has been made by European residents, strongly prejudiced in favour of masterful English ways of discipline. (I recollect that an English Yokohama paper, in this connection, advocated the introduction of the birch.) My own observations have convinced me, as larger experience has convinced some others, that in most instances of pupils rebelling against a teacher, reason is upon their side. They will rarely insult a teacher whom they dislike, or cause any disturbance in his class: they will simply refuse to attend school until he be removed. Personal feeling may often be a secondary, but it is seldom, so far as I have been able to learn, the primary cause for such a demand. A teacher whose manners are unsympathetic, or even positively disagreeable, will be nevertheless obeyed and revered while his students remain persuaded of his capacity as a teacher, and his sense of justice; and they are as keen to discern ability as they are to detect partiality. And, on the other hand, an amiable disposition alone will never atone with them either for want of knowledge or for want of skill to impart it. I knew one case, in a neighbouring public school, of a demand by the students for the removal of their professor of chemistry. In making their complaint, they frankly declared: 'We like him. He is kind to all of us; he does the best he can. But he does not know enough to teach us as we wish to be taught. lie cannot answer our questions. He cannot explain the experiments which he shows us. Our former teacher could do all these things. We must have another teacher.' Investigation proved that the lads were quite right. The young teacher had graduated at the university; he had come well recommended: but he had no thorough knowledge of the science which he undertook to impart, and no experience as a teacher. The instructor's success in Japan is not guaranteed by a degree, but by his practical knowledge and his capacity to communicate it simply and thoroughly.

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