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2015/11/12

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十八章 女の髮について (六)

         六

 

 なほ女の髮に就いて不思議な古い迷信が二三ある。

 メドウサの神話は、それに對應するものを幾つも、日本の民間傳説に有つて居る。そんな物語の主題は、いつも、髮が夜には蛇に變る、そして到頭それは龍か龍の娘だと解る、驚く許り美しい女である。が、古昔は、若い女はどんな女でもその髮は、或る種の苦しい事情の下に居ると、蛇に變ると信ぜられて居つた。例へば、長く抑へ忍んだ嫉妬心の爲めに。

 舊日本時代には、分限者でその妾(メカケ又はアイセフ)をその正妻(オクサマ)と同じ屋根の下に置いて居たものが多かつた。苛酷極はまる家長的訓練が、メカケとオクサマとを日中は見た處では全く和合して、一緒に暮らさなければならぬやうにしても、その二人の心中の憎惡は、夜その髮毛の變形によつて、自づと現れたといふことである。どちらもその長い黑髮が解けて、ひしめいて、相手のそれを嚙まうと力めるのであつた。そして寢て居るその二人の鏡すら、ぶつつかり合ふのであつた。昔の諺は言つて居る、カガミハヲンナノタマシヒ――『鏡は女の魂』【註】――だからである。

 

    註。昔の日本の鏡は金屬で出來てゐ

    て、極めて美しいものであつた。カ

    ガミガクモルトタマシヒガクモルは

    鏡に關する今一つの珍しい諺である。

    恐らくどんな國語で書いてあるもの

    でも、鏡についての最も美しい最も

    人を感動させる物語は、ヂエムズ氏

    が譯した『松山鏡』と呼ばれて居る

    物語であらう。

 

それから、加藤左衞門重氏といふ人についての有名な傳説がある。その妻の髮とその妾の髮とが夜、毒蛇に變つて、互に踠き絡んでひしめいて嚙み合つて居るのを視た。そこで加藤左衞門は己が過失の爲めに斯く存する、その人知らぬ劇しい憎惡を大いに歎き、頭を剃り、高野山の佛教大僧院で僧となり、死ねる日まで、カルカヤといふ名で暮して居たといふのである。

 

[やぶちゃん注:「メドウサの神話」ギリシア神話に登場する女怪メドゥーサ(英語表記(以下同じ)Medusa:ギリシャ語で「女支配者」「女王」の意)は、怪物姉妹ゴルゴン(Gorgon)三姉妹の末の妹。長姉ステノー(Sthenno:「強い女」)・次姉エウリュアレー(Euryale「遠くへと飛ぶ女」)は不死であったが、彼女メドゥーサだけは不死ではないという設定になっている(「シンデレラ」や本邦の「猿の聟入り」などに見るように、末妹だけの運命が異なるのは汎世界的な神話民話類の典型的モチーフである)。以下、ウィキの「メドゥーサ」から引く。『宝石のように輝く目を持ち、見たものを石に変える能力を持つ。かつては見た者を恐怖で石のように硬直させてしまうとされていたが、途中から現在知られている形に解釈される。頭髪は無数の毒蛇で、イノシシの歯、青銅の手、黄金の翼を持っている(腰に蛇をまいた姿や、下半身がイノシシの胴体と馬の下半身になった姿で描かれる事も)』。『海の神であるポセイドーンの愛人であり、ポセイドーンとの間に天馬ペーガソスとクリューサーオール(「黄金の剣」の意)がいる。ペルセウスによって首を切り落とされ退治された』。『本来は、ギリシアの先住民族であるペラスゴイ人(もしくはアナトリア半島)の神話の中で主たる女神の内の』一人で、『また、コリントスでは大地の女神とされて』おり、『ポセイドーンも元はヘレーネス(古代ギリシア人)到来以前から古代ギリシアに存在していた神であり』、二人の『神は夫婦であった』とあり、また、叙事詩「オデュッセイア」によれば、『春の花咲く野で神に略奪された少女としてペルセポネーに近く、「女妖怪」はいわば美しいペルセポネーのもうひとつの面といわれる』とある。『「自分の髪はアテーナーの髪より美しい」と自慢したメドゥーサはゼウスの娘アテーナーの怒りを買い、美貌は身の毛のよだつような醜さに変えられ、讃えられるほどの美しい髪ですら』、一本一本を『蛇に変えられてしまう。しかし、アテーナーはそれで許そうとせず、ペルセウスがメドゥーサを退治しようとした際には、ヘルメースとともに彼を援助している』。『彼女の切り落とされた首から滴り落ちた血はペルセウスによって』二つの瓶に『集められ、アテーナーに献上された。右側の血管から流れて右の瓶に入った血には死者を蘇生させる効果が、左側の血管から流れて左の瓶に入った血には人を殺す力があったとされる。アテーナーは後に、死者を蘇生させるメドゥーサの血をアスクレーピオスに授け、アスクレーピオスはこの血を混ぜた薬を使用した』。『石化された者を戻すには彼女の涙が有効とされている。頭に生えている蛇は「メドゥシアナ」と呼ばれ、引き抜いて単体で動かす事も可能とされる。だが、この蛇は女性に噛みつく事はできず、男性のみを狙うとされる』。一般に知られる伝承では、『元々美少女であったメドゥーサは、海神ポセイドーンとアテーナーの神殿の一つで交わったためにアテーナーの怒りをかい、醜い怪物にされてしまう。これに抗議したメドゥーサの姉達も怪物に変えられてしまう。姉のエウリュアレーとステンノーは不死身であったが、メドゥーサだけは可死であったためペルセウスに討ち取られたとされる。アテーナーはその首を自分の山羊皮の楯アイギスにはめ込んだ』。『別の伝承では、美少女であったメドゥーサは次第に傲慢になっていく。そして、とうとう女神アテーナーよりも美しいと公言してしまう。この発言がアテーナーの怒りを買い、醜い姿に変えられた』。『この伝承では、姉妹が存在する場合としない場合がある。メドゥーサは元は単独の女神であったとも考えられる。この話は機織りの娘アラクネーの物語とも混同されやすく、同一視されることもある』。『醜い姿に変えられたメドゥーサはアテーナー等に手助けされたペルセウスに首を切られるのだが、その際ペルセウスが持っていた盾は、アテーナーから借り受けたアイギスとも言われる』。『メドゥーサは、見るものを石にしてしまう力を持っていて、これまでは誰も退治できなかったのである。ペルセウスは鏡のように磨き抜かれた盾を見ながら、曲刀(ハルペー:癒えない傷を与え不死身殺しの武器とされる)で眠っているメドゥーサの首を掻っ切った。メドゥーサの首からあふれ出た血は、空駆ける天馬ペーガソスを生んだ。また、別伝では、ポセイドーンとメドゥーサの子である黄金剣を持ったクリューサーオールも生まれたとされる』。『ペルセウスが空飛ぶ翼のあるサンダルで海を渡っている際に、包んであったメドゥーサの首から血が滴り落ち、それが赤い珊瑚になった。切り落としたメドゥーサの首から滴る血が砂漠に落ち、サソリなどの猛毒の生き物が生まれたともされる』。『その帰路の途中、ペルセウスは海から突き出た岩に縛り付けられた美女を見つける。彼女の名はアンドロメダーといい、母親カッシオペイアが自分の娘アンドロメダーの方が海のニュムペーより美しいと公言した為、海神ポセイドーンの怒りに触れ、海の怪物ケートス(「鯨」の意だが、実際は海竜の様な姿をした怪物)の生贄にされるため、岩に磔になっているのだと言う。可哀相に思ったペルセウスは美女を助けることを約束する。美女を襲いに来た海の怪物に剣は全く歯が立たず、そこで彼はメドゥーサの首を取り出し、怪物を石に変えた。 ペルセウスは無事に課題を終えたことの感謝の意を含め、加護してくれていたアテーナー女神にメドゥーサの首を贈る。アテーナーは自分の盾であるアイギスにメドゥーサの首をつけ、最強の盾とした』。

「髮が夜には蛇に變る」怨念に限らず、《女←→蛇体》の変容は、道成寺伝承や上田秋成の「雨月物語」の「蛇性の淫」(こちらの元は中国の民間伝承に基づく異類婚姻譚「白蛇伝」)、後にハーンの挙げる謡曲や説教節等になった「刈萱(かるかや)」伝説(後述)など枚挙に暇がない。但し、私は髪が蛇となるものよりも(というより、ハーンの言う最後には「龍か龍の娘だと解る」という設定の話柄の例を直ぐに思い出せないでいる。向後、良い例が見つかった場合はここに追記する)、妬心から指が蛇になったり(例えば「発心集」の「母妬女手指成虵事(母、女(むすめ)を妬み、手の指、虵(くちなは)に成る事)」)、女自体が蛇体に変ずる(例えば「沙石集」の「七 妄執に依つて女蛇と成る事」)という説話の方が先に想起された。前者は私の電子テクスト「新編鎌倉志卷之七」の「蛇谷」で「発心集」の正規本文も示して詳細な考証も附してあり、後者は「鎌倉攬勝考卷之一」の「蛇谷」で全文と語注を附してあるので、未見の方は合わせてご覧頂きたい。なお、私の愛読書の一冊で近世以降から近現代までを対象に絞られるものの、高田衛「女と蛇 表徴の江戸文学誌」(一九九九年筑摩書房刊)はお薦めの一冊である。

「メカケ又はアイセフ」「妾(めかけ)又は愛妾」。

「オクサマ」「奥樣」。

「カガミハヲンナノタマシヒ」「鏡は女の魂」。但し、原文には「は」はなく、「鏡(かがみ)女の魂」である。

「カガミガクモルトタマシヒガクモル」「鏡が曇ると魂が曇る」。「刀は武士の魂、鏡は女の魂」とか「鏡と操は女が持つもの」といった成句もある。《刀―武士(男)》との対句であるのは極めて論理性があって、古くはハーンが指摘するように鏡は青銅製であったから、絶えず刀と同じく手入れして磨かないと表面が曇って映らなくなったのである。それに中国文学に於ける主題の一つである、真実を移し出すところの「明鏡」という思想も影響を与えているに違いない。言うまでもないが、ハーンが女の魂として女の女たるもののシンボルとしてその美と命の「髪」(或いは「古事記」から考えれば髪を換喩するところ「櫛」にも神聖性を広げるべきではある)とともに、ここで女の化粧に欠かせぬ、女が女としての自負をそこに見るところの「姿見」たる「鏡」を挙げるのは、すこぶる的を射ているのである。

「ヂエムズ氏が譯した『松山鏡』と呼ばれて居る物語」「ヂエムズ氏」は誤訳で「ヂエムズ夫人」でなくてはならない(これでは当時の邦訳の読者はまず男性訳者と誤解するからである)。明治一八(一八八五)年から明治二五(一八九二)年にかけて弘文社から刊行された「ちりめん本『日本昔噺シリーズ』Japanese fairy tale series)英語版」の中の“No. 10 The Matsuyama mirror”(「松山鏡」ジェイムズ夫人(Mrs. T.H. James訳述(小林永濯画)明治一九(一八八六)年とあるのがそれである(和紙に縮緬加工がなされていない少し大判の平紙本版の同書もある)。古本販売サイトの画像り)である。参照した「明治大学中央図書館『新収貴重書展』解説・目録」によれば、「ちりめん本」とは『和紙を使用した木版多色刷の挿絵入りの本を縮緬(ちりめん)加工し、布のようなやわらかな風合いに仕立てた欧文和装本のことで、明治時代に初めて弘文社から出版された。これをはじめて手がけたのは長谷川武次郎という人物で、彼の英語への興味と海外の文化への興味から、さまざまな来日外国人と交流する中で、英文による「昔噺集」が生まれた。ちりめん本は土産品としても外国人に大いにもてはやされ、英語版のほかに、独・仏・蘭・西語版も出版された。また、海外の出版社との共同出版も行われた』とある。リンク先の目録を見ると、このジェイムズ夫人は同シリーズでこの後、「因幡の白兎」「野干の手柄」「玉の井」「鉢かづき」「竹箆太郎」「羅生門」「大江山」「養老の瀧」などを手掛けている。実は、この後の明治三一(一八九八)年以降の同シリーズの続編で、ハーンLafcadio Hearn名義)も「猫を描いた少年」(The Boy Who Drew Cats)・「団子をなくしたおばあさん」(The Old Woman Who Lost Her Dumpling)・「ちんちん小袴」(Chin Chin Kobakama)・「化け蜘蛛」(The Goblin Spider)・「若返りの泉」(The Fountain of Youthの英訳を手掛けている。ただ、このジェイムズ夫人(Mrs. T.H. James)なる婦人が如何なる人物なのかが、邦文のネット記載では分からない。そこでさらに調べてみたところ、英語版ウィキになんと弘文社社主長谷川武次郎の記載、“Hasegawa Takejirōがあることが判明した(このウィキ記事には邦版がない。本邦市井の児童文学研究のレベルの低さが知れる気がする)。その“Japanese Fairy Tale Series”の項に“In 1885, Hasegawa published the first six volumes of his Japanese Fairy Tale Series, employing American Presbyterian missionary Rev. David Thomson as translator. As the series proved profitable, Hasegawa added other translators beginning with James Curtis Hepburn for the seventh volume, including Basil Hall Chamberlain, Lafcadio Hearn, and Chamberlain's friend Kate James, wife of his Imperial Japanese Naval Academy colleague, Thomas H. James.”とあって、彼女はバジル・ホール・チェンバレン(彼は明治六(一八七三)年にお雇い外国人として来日して翌年から明治一五(一八八二)年までは東京海軍兵学寮(後の海軍兵学校)で英語を教授、次いで明治一九(一八八六)年になって東京帝国大学外国人教師となった)の海軍兵学校での教師時代の同僚であったトーマス・H・ジェームズの妻で、友人であったケイト・ジェームズであることが判った。何故、日本昔話の訳者の事蹟が日本語のサイトで容易に判らないだろう?! まさに日本の知的探求度の絶望的な状況が良く分かる。諸君! ウィキを馬鹿にする前に、貧しい本邦のアカデミズムの現実を馬鹿にしたまえ! 閑話休題「松山鏡」の話である。京都外国語大学図書館の「学生図書館わたしの好きな昔話小川遥香本書松山鏡本)(PDF)に載る、京都外国語大学付属図書館ホームページよりの梗概引用を孫引きする。『昔、越後の松山で幼い娘と両親が暮らしていた。ある日、父が仕事で都へ行き、妻への土産に鏡を買ってきたが、彼女はそれを大事にしまい込み、数年後、母に似て美しく成長した娘には自惚(うぬぼ)れさせないために見せずにいた。その後、母は病にかかり、いまわの際に母が死んでも鏡の中に母の姿を見て、いつまでも見守っていることをわかって欲しいと娘に鏡を渡した。娘は母の死後、言いつけ通り毎日鏡の中の元気でずっと若い頃の母に話し続け、それに慰められ育った。娘の行為を不審に思った父は、事情を聞くと娘の健気さが不憫(ふびん)で、それは母に似た娘自身の顔だとはとても言えなかった』。小川氏はこのオチの部分を問題にしている。確かに気になる。『鏡の中の美しい自分の姿を知った娘は母が危惧したように自惚れ、やがてその美しさで自分の身を滅ぼしてしまうのだった』と、彼女はなかなか残酷な結末の例を提示している(しかし彼女の主張するように寧ろ本来の昔話の教訓性や残酷性からはそれもありだと思う)。例えば翻案にめでたしめでたし系の楠山正雄松山鏡があるが、どうもこれを読むと最後がとってつけた如くで如何にも嘘臭いことからも小川氏や私の感懐が分かって貰えることであろう(リンク先は青空文庫)。個人的にはハーンがこれを「鏡についての最も美しい最も人を感動させる物語」だと絶賛しているのはまさにここでぷつりと話が断ち切られている故であって――後のこと知りたやとは思へど、思ふて見ゆるはいとものすごく、或は又、陳腐極まりなきお説教ならんとぞ思ふ――のである。……

「加藤左衞門重氏といふ人についての有名な傳説がある。その妻の髮とその妾の髮とが夜、毒蛇に變つて、互に踠き絡んでひしめいて嚙み合つて居るのを視た。そこで加藤左衞門は己が過失の爲めに斯く存する、その人知らぬ劇しい憎惡を大いに歎き、頭を剃り、高野山の佛教大僧院で僧となり、死ねる日まで、カルカヤといふ名で暮して居たといふのである」「カルカヤ」は「刈萱/苅萱」。本伝承の本来の話柄のクライマックスは、この妬心から髪が蛇と化して争うシークエンスにあるのではなく、ずっと後の出家後の苅萱道心とその一子石童丸(いしどうまる)の数奇な邂逅の物語にあるので注意されたい。謡曲「苅萱」、説教節「かるかや」(寛永八(一六三一)年のそれは説経正本テキストでは最古のものとされる)、浄瑠璃「苅萱桑門筑紫車榮(かるかやどうしんちくしのいえずと)」といった文芸作品で広く知られるが、そればかりではなく、琵琶語り・浪花節・盆踊りの口説き唄としても語られて全国的に流布した伝承である。元は中世の高野山に於いて活躍した高野聖の中の萱堂聖(かやどうひじり)と呼ばれた一派が布教や勧進のために伝えた話であると言われる(ここまでは主に個人サイト「娘への遺言」の「雑学の世界・補考」にある石童丸に拠った)。以下、ウィキ石堂より引く。『加藤左衛門尉繁氏は、妻と妾の醜い嫉妬心(上辺は親し気に振る舞いながら髪の毛が蛇と化して絡み合う様子)を見て世の無常を感じ、領地と家族を捨てて出家し、寂昭坊等阿法師、苅萱道心(かるかやどうしん)と号して、源空上人(法然)のもとで修行し、高野山に登った』。『その息子である石童丸は、母とともに父親探しの旅にでる。旅の途中に出会った僧侶から父親らしい僧が高野山に居ると聞く。高野山は女人禁制 母を麓の宿において一人で山に登り、偶然父親である等阿法師に出会うが、父親である等阿法師ははるばる尋ねてきた息子に、棄恩入無為の誓のために、自分があなたの父親ですと名乗ることはせずに、あなたが尋ねる人はすでに死んだのですと偽りを言い、実の父親に会いながらそれと知らずに戻った。石童丸が高野山から戻ると母親は長旅の疲れが原因ですでに他界していた。頼る身内を失った石童丸はふたたび高野山に登り、父親である等阿法師の弟子となり、互いに親子の名乗りをすることなく仏に仕えたという哀話』である。因みに、親子が庵主したとされ、今にその絵解きを伝え、さらに二人がそれぞれに刻んだとされる二体の地蔵菩薩像「苅萱親子地蔵」を安置する長野県長野市北石堂町(善光寺の手前右手にある)の浄土宗苅萱山院号寂照院西光寺(通称「かるかやさん」)で私は学生時代に、住職より親しくこの伝承を伺ったことがあり、一度、詳しく伝承自体を調べたこともある。]

 

There are also some strange old superstitions about women's hair.

   The myth of Medusa has many a counterpart in Japanese folk-lore: the subject of such tales being always some wondrously beautiful girl, whose hair turns to snakes only at night; and who is discovered at last to be either a dragon or a dragon's daughter. But in ancient times it was believed that the hair of any young woman might, under certain trying circumstances, change into serpents. For instance: under the influence of long-repressed jealousy.

   There were many men of wealth who, in the days of Old Japan, kept their concubines (mekaké or aishō) under the same roof with their legitimate wives (okusama). And it is told that, although the severest patriarchal discipline might compel the mekaké and the okusama to live together in perfect seeming harmony by day, their secret hate would reveal itself by night in the transformation of their hair. The long black tresses of each would uncoil and hiss and strive to devour those of the other;and even the mirrors of the sleepers would dash themselves togetherfor, saith an ancient proverb, kagami onna-no tamashii,'a Mirror is the Soul of a Woman.' [7] And there is a famous tradition of one Kato Sayemon Shigenji, who beheld in the night the hair of his wife and the hair of his concubine, changed into vipers, writhing together and hissing and biting. Then Kato Sayemon grieved much for that secret bitterness of hatred which thus existed through his fault; and he shaved his head and became a priest in the great Buddhist monastery of Koya-San, where he dwelt until the day of his death under the name of Karukaya.

 

7 The old Japanese mirrors were made of metal, and were extremely beautiful. Kagami ga kumoru to tamashii ga kumoru ('When the Mirror is dim, the Soul is unclean') is another curious proverb relating to mirrors. Perhaps the most beautiful and touching story of a mirror, in any language is that called Matsuyama-no-kagami, which has been translated by Mrs. James.

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