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2015/11/06

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十七章 家の内の宮 (五)

        五

 

 殆んど總ての出雲の住宅にカミダナ即ち『神々の棚』がある。この上へ普通は神々の名の書いてある牌(その牌の少くも一枚は近くの神社が供給したもの)と、その崇拜者を守護してやるとの、或る神の名に依つて爲された約束の書いてあるのが一番多い、オフダ即ち神聖な文句若しくは護符とが入つて居る、小さな神道の社(ミヤ)が載せてある、宮が無ければ、その牌或はオフダが或る順序に、最も神聖なものを中位に置いて、ただ置いてある。

 

    註。カミ即ち『上に在す方々』」即

    ち『神々』とタナ即ち「棚」の意。

    後の方の初文字タは、トツクリ即ち

    『德利』のトが複合名詞オミキドツ

    クリでは、ドツクリになるやう、複

    合名詞ではドに變る。

 

カミダナに像のあることは極く稀である。ぞれは原始神道は猶太、或は囘々教の律法の如く像をば堅く排斥したからである。そして神道の神體繪圖は比較的近代の――殊に兩部神道時代の――もので、その起原は佛教に在ると考へなければならぬ。何か像があるとすれば、それは多分杵築でつい近年造られたやうなものであらう。即ち杵築の大社に關して前に掲げた一篇の述べた、大國主神と事代主神との、あの小さな對の像であらう。神道の古事記に見えて居る事件を現した掛物は、これまたその起原は近時のもので、この方は神像よりかもつと普通である。通例カミダナが置いてあるその部屋のトコ即ち床の間を占めて居る。が、より開けた階級の人達の家にはそれは無い。大抵はカミダナの上にはオフダが幾つか入つて居る、質素なミヤのほか何も無い。鏡【註】若しくはゴヘイ――神棚の直ぐ上に吊るしてあるか、或は時にその中ヘミヤを置いて置く箱のやうな、枠組に吊下げてあるかする小さなシメナハに着いて居る、ゴヘイは除いて――のあることは極、極く稀にしか無いことである。

 

    註、鏡は、女神の徽號として、種々

    な神社の祕密な一番内部の宮の中に

    置いてある。然し神社で一般公衆の

    眼の前に普通置いてある、金屬の鏡

    は實は神道起原のものでは無くて、

    眞言宗の佛心の徽號として日本ヘ輸

    入されたものである。鏡が神道では

    女神の徽號であるが如くに、劍が男

    神の徽號である。が然し、男神或は

    女神の眞の徽號はどんな場合と雖も、

    人目に曝すことは無い。

 

シメナハと紙のゴヘイとが神道の眞の表象で、オフダもマモリも全く近代のものである。家の内の宮の前ばかりでは無い、出雲では殆んど總ての家の門口の上にも、シメナハが吊してある。普通は稻藁の細い綱である。が、高位の神官、例へば杵築の大社の宮司の如き人、の屋敷の前のは、その大きさ重さ驚くべきものがある。出雲を旅する者が必ずその記憶に殘す、第一の不思議な事實の一つは、この徽號的な藁繩が遍く存在して居ることで、時には田のまはりにすら見ることがある。然しこの神聖な徽號が壯大に飾附けられるのは、新年と、神武天皇が日本の帝位に即き給うた日と、そして天皇の誕生日との大祭の時である。この時は幾哩にわたる街路が、悉く船のケエブルほども太いシメナハで花綵飾される。

 

[やぶちゃん注:以下、底本及び原本の附図を示す。画像の質(特に退色や裏の透け)がやや異なるので、最初のもの(1)は底本である国立国会図書館デジタルライブラリーの画像からトリミングして補正(ノンブルを消去)したものを示し、次の(2)は“Project Gutenberg” “Hearn, Lafcadio, 1850-1904 ¶”の原文の当該箇所の画像をダウンロードして補正した訳本のキャプションは以下に電子化して示した(画像の右から)。なお、図キャプションの英文を原文の注の後ろにを附して電子化しておいた。同電子テクストにはキャプションは含まれておらず、ネット上では本キャプションの原文電子化は行われていない模様である。]

 

Glimpses_of_unfamiliar_japan1

[やぶちゃん注:(1)。底本では原文の図の総見出しである“SACRED OBJECTS (SHINTŌ).”が訳されていない。「神聖なる対象物(神道)」の謂いである。平井呈一氏の訳では『神道の神具』とある。]


Glimpses_of_unfamiliar_japan1proto

[やぶちゃん注:(2)]

 

1.杵築大社の火鑽。

 

2.オミキドツクリ。即ち神に捧ぐる酒を容れる器。

 

3.クチサシ即ちオミキドツクリの口止め。(他の表象的なる形式あれども、このもの恐らくは最も普通なると共に最も古きものならん)

 

4.サムパウ、即ち神道の神への御供物を載せる臺。三寶はまた家庭にての禮拜に用ひ、また或る種の家庭儀式にも用ふ。

 

[やぶちゃん注:「カミダナ」「東京都神社庁」公式サイト内の神棚をおまつりしましょう」の解説に基づいて記す。最初の定義は神棚は神社で受けた神札をまつる神聖な場所である。神を棚にまつる風習は古く、天照大神が父伊邪那岐命より授けられた宝物を棚に祀ったことが神話にも語られているとし(これを起源とするということか)、第二定義は伊勢神宮の神札である「神宮大麻(じんぐうたいま)」(「天照皇大神宮」名義)をまず祀り、次いで地域の氏神、その他各家庭で崇敬する神社の神札を祀るとする(ちょっと驚いたのだがこの三枚(或いは五枚)の札を並べずに重ねて祀ってよいとある)。礼拝は神社の参拝と同じく「二拝二拍手一拝」とあり、現行の鉄則のように記してあるが、伊勢神宮や出雲大社といった古社で行う古作法には「二拝四拍手一拝」もあるようである。ハーンも以下の篇で述べるが、神棚の祀る位置は南向きか東向きで、目線よりも高い位置、座敷・居間・鴨居などを利用して棚を造作し、その中央に神殿を構え、神殿の両側には繁栄の象徴である榊(さかき)を活け、神殿の正面に注連繩(しめなわ)を張って神聖な結界を示す、とある。

「オフダ」「御札」。前注参照。

「ミヤ」「宮」。これは神社のミニチュアのように我々は考えているが、もし、本来の祭祀がハーンの言うように神道の濫觴が家庭内の信仰を起源とし、或いはその起源が神社庁の言うように天照大神の伊耶那岐の御殿内に於ける棚の上への祭祀であったとするなら、寧ろ、これは、単純素朴にして質素に祀られたものの方が原形であり、そこから荘厳(しょうごん)したものが生じ、それが通常の神社のさらなる原型となったと考えたほうがしっくりくるように私には思われる。

「後の方の初文字ト」底本ではこの「ト」が「タ」となっていて、意味が判らない。原文をみれば分かる通り、ここは複合した際に後の“to”が “do”と連濁することを西洋人に説明しているわけで(当該箇所にはただ単に“t”とあるのが訳者の錯誤を誘ったものであろう)、ここは「ト」としないと日本人には意味が通じぬ。例外的に訂した。

「オミキドツクリ」「御神酒德利」。

「猶太」ユダヤ教。

「囘々教」イスラム教。

「兩部神道」既注

「前に掲げた一篇の述べた、大國主神と事代主神との、あの小さな對の像」「第八章 杵築――日本最古の社殿 (五)」を参照されたい。

「ゴヘイ」「御幣」。ウィキの「御幣」をベースに記す。神道の祭祀で用いられる幣帛(へいはく:これは現行では神道祭祀に於いて神に奉献する神饌以外のものを総称するが、実際には神饌をも含む表現と捉えた方が古文献を読む際にはよい。「みてぐら」「幣物(へいもつ)」とも)の一種で、二本の紙垂を竹又は木で出来た幣串(へいぐし)に挟んだものである。幣束(へいそく)・幣(ぬさ)ともいう。『通常、紙垂は白い紙で作るが、御幣にとりつける紙垂は白だけでなく五色の紙や、金箔・銀箔が用いられることもある』。『かつて、神に布帛を奉る時には木に挟んで供えていたが、それが変化したのが今日の御幣である。その由来から、元々は神に捧げるものであったが、後に、社殿の中に立てて神の依代あるいは御神体として、あるいは祓串』(はらいぐし)『のように参拝者に対する祓具として用いるようになった』。『なお、長い棒や竹の先端に幣束を何本か取付けたもののことを、特に梵天(ぼんてん)という。紙が普及する以前は、ヤナギ、ニワトコ、ヌルデ、クルミ、マツなどの木の肌の一部を薄く削ぎ、渦状にちぢらせて残し垂らしておく飾り棒削り掛けも、御幣、幣の古い形の祭具として用いられた』もので、『削り花(削花、ハナとも)、穂垂(ほたれ)、掻垂(かいたれ)とも』称し、『アイヌにも同様のイナウがある』。因みにアイヌのイナウは本当に美しく、私は直に自然の霊気を感ずるものである。

「シメナハ」「注連繩」。ウィキの「注連縄」より引く。『注連縄(しめなわ)は、神道における神祭具で、糸の字の象形を成す紙垂(しで)をつけた縄をさす。標縄・七五三縄とも表記する』。『現在の神社神道では「社(やしろ)」・神域と現世を隔てる結界の役割を持つ。また神社の周り、あるいは神体を縄で囲い、その中を神域としたり、厄や禍を祓ったりする意味もある。御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)として神がここに宿る印ともされる。古神道においては、神域はすなわち常世(とこよ)であり、俗世は現実社会を意味する現世(うつしよ)であり、注連縄はこの二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印にもなる』。御旅所(神社の神幸祭に於いて神(一般には神体を乗せた神輿であることが殆んどである)が巡幸の途中に休憩或いは宿泊する場所、或いは神幸のその目的地を指す)や神霊の存在を感じさせる『山の大岩、湧水地(泉水)、巨木、海の岩礁の「奇岩」などにも注連縄が張られる』。『また日本の正月に、家々の門や、玄関や、出入り口、また、車や自転車などにする注連飾りも、注連縄の一形態であり、厄や禍を祓う結界の意味を持ち、大相撲の最高位の大関の中で、選ばれた特別な力士だけが、締めることができる横綱も注連縄である。現在でも水田などで雷(稲妻)が落ちた場所を青竹で囲い、注連縄を張って、五穀豊穣を願う慣わしが各地に残る』。起源としては神話上は『天照大神が天岩戸から出た際、二度と天岩戸に入れないよう太玉命が注連縄(「尻久米縄」)で戸を塞いだのが起源とされ』、『神道の根幹をなす一つであ』る稲作信仰に於いては『縄の材料は刈り取って干した稲藁、又は麻であり、稲作文化と関連の深い風習だと考えられ』これは『古くから古神道にも』認識されている表象である。古神道に於いては『神が鎮座する(神留る・かんづまる)山や森を神奈備といい信仰した。後に森や木々の神籬(ひもろぎ)や山や岩の磐座(いわくら)も、神が降りて宿る場所あるいは神体として祀られ、その証に注連縄がまかれた』。「巻き方・注連方(しめかた)」の項。『縄を綯(な)う=「編む」向きにより、左綯え(ひだりなえ)と右綯えの二通りがある。左綯えは時計回りに綯い、右綯えは逆で、藁束を星々が北極星を周るのと同じ回転方向(反時計回り)で螺旋状に撚り合わせて糸の象形を作る』。『左綯え(ひだりなえ)は、天上にある太陽の巡行で、火(男性)を表し、右綯えは反時計廻りで、太陽の巡行に逆行し、水(女性)を表している。祀る神様により男性・女性がいて、なう方向を使い分ける場合がある』。『大きなしめ縄は、細い縄を反時計回り(又は逆)にまわしながらしめ、それを時計回り(又は逆)に一緒にしていく』。『注連縄・注連飾りには、大根締め、ゴボウ締め、輪飾りなど色々な種類の形式がある。 大根締めは両端がつぼまり、ゴボウ締めは片側のみが細い』。本来は『稲や麻などの藁や、葛の茎を煮て抽出した繊維』を用いるが、『神道としては、米を収穫したあとの藁ではなく、出穂前の青々とした稲を刈り取って乾燥させたものが本来の姿である。また、心材としてお米を収穫したあとの藁(芯わら)も使用するが、太さが必要な際には多くの芯わらを使用する。麻と糠を概ね』一対五の『割合で混ぜてよく揉んで油分を抜くことで注連縄に適した材質が生まれる』という。なお、「日本書紀」には、『弘計天皇の項に「取結縄葛者」とあり、葛縄が大変重要な建築資材であったことが記され』、『また、江戸時代に、国学者塙保己一・塙忠宝親子が天帝の葛天氏は葛縄や糸や衣の発明者であったと講談し、葛縄や葛布が神聖視されたことを示した』とある。なお、注連飾りの『本来の意義は、各家庭が正月に迎える年神を祀るための依り代とするものである。現在でも注連飾りを玄関に飾る民家が多く見られる。形状は、神社等で飾られる注連縄の小型版に装飾を加えたもので、注連縄に、邪気を払い神域を示す紙垂をはじめ、子孫の連続を象徴するダイダイの実やユズリハの葉、誠実・清廉潔白を象徴するウラジロの葉などのほか、東京を中心にエビの頭部(のレプリカ)などが添付されることが多い』。『これとは別に、東日本を中心に、長さ』数十センチメートルほどの『細い注連縄を、直径』数センチメートル程度の『輪形に結わえて、両端を垂らした簡易型の注連縄が広く見られる。これは京言葉で「ちょろ」、東京方言などで「輪飾り」、東海地方などで「輪締め」などと呼ばれている。近畿地方では台所の神の前に飾る程度だが、東日本では、門松に掛ける(東京周辺など)、玄関先に掛ける、鏡餅に掛けるなど、非常に広く用いられる。一般家庭では、本来の注連縄の代用とされる場合も多い』とある。これも正直言えば、神社の御大層なものがルーツではなく、農民が田の神に捧げた豊穣祈願の敬虔な藁一本こそが私はプロトタイプだと思う。

「鏡は、女神の徽號として、種々な神社の祕密な一番内部の宮の中に置いてある」「女神」は無論、光りを反射するところから太陽神のシンボルとしての天照大神である。ウィキの「神鏡」によれば、その『意義に関しては、一般的には太陽を鏡で指していると言われる。これは、鏡で日の光を反射した際、それを正面から見ると太陽のように輝いて見える為であり、日本神道では太陽神である天照大神(アマテラスオオカミ)を最上の神として崇め祀るので、太陽を象徴する鏡で以て御神体とし、神社に祀るとされている。『日本書紀』においては、天照大神は孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に、「これらの鏡を私の御魂として、拝するように常に奉りなさい」と記述されている』とするものの、ハーンが述べるように、その起原は大陸とされており、『鏡の発祥は中国に遡ると言われる。中国では日本以上に多数の古代神鏡が出土されており、日本で一番古いと言われる「青龍三年銘方格規矩四神鏡」が西暦』二三五年『とされるものであるのに比して、中国で最古とされる神鏡は「葉脈文鏡」であり』、紀元前一六〇〇年から七七〇年のものとされていて、『日本と桁違いに古い。また、『魏志倭人伝』によると邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に遣いを送り、魏から銅鏡百枚を下賜されたとあることからも、日本の神鏡文化は中国からの文化輸入であると考えられる』とあり、『朝鮮においても神鏡は多数出土される』とある。

「男神或は女神の眞の徽號」ハーンが意味深長に述べているのは言わずもがな乍ら、陽物及び陰物、所謂、性器崇拝の秘物を意味しているとしか私には思われない。

「マモリ」御「守」。

「神武天皇が日本の帝位に即き給うた日」二月十一日。戦前の「紀元節」、現在の「建国記念の日」(戦後占領軍(GHQ)の意向によって祝日から削除されたが、昭和四一(一九六六)年の「国民の祝日に関する法律」の改正により「国民の祝日」に加えられて翌年から適用された)。

「天皇の誕生日」明治天皇の誕生日は十一月三日(旧暦では嘉永五年九月二十二日でグレゴリオ暦で一八五二年十一月三日に相当する)。戦前の「天長節」「明治節」で、現在の「文化の日」(公的には昭和二一(一九四六)年に日本国憲法が公布された日を記念するとしている)。因みに、この十一月三日は私の父(当時の父は日本共産青年同盟の音楽部門の中央合唱団の団員であった。戦時中は少年航空兵として特攻隊を志願したが、辛くも生き残った。現在も健在で隣りに住んでいる)と亡き母の結婚記念日昭和三〇(一九五五)年一一月三日)でもある

「幾哩」一マイルは約一・六キロメートルであるから、凡そ四・九キロメートルから九・六キロメートルほどか。

「花綵飾」「はなづなかざり」と訓じたい。「花綵」(はなづな)は植物の花・実・葉などを綱状に編んだもの、或いはそれを模して造った陶器や建築などの装飾を指す。無論、「かさいしよく(かさいしょく)」或いは「かさいかざり」とも読めるが、この読みでは無粋としか私には思えない。訳者の意図とは異なるかも知れぬが、これはいただけない。平井呈一氏はここは『シメナワが、花房のように飾りつけられる』となさっておられ、読んでいてなんともほっこりするのである。

 

 以下、本文に語られていない図のキャプションについて注する。

 

「火鑽」「ひきり」と読む。複数既出で既注

「クチサシ即ちオミキドツクリの口止め」「口差」であるがこれは現行では「神酒口(みきのくち)」と称する方が一般的である。御神酒を入れた古形の瓶子(へいし/へいじ:口縁部が細く窄(すぼ)まった比較的小型の容器)や、それが大きくなった御神酒徳利(「おみきすず」とも呼ぶ)などの口を飾る(後の「八」でハーンが述べるようにこれは神聖性を示す飾りであって栓や蓋ではないので注意されたい)縁起物の神在祭具の一つである。紙・杉・松・檜・竹などを素材とし、現行では祝儀袋の熨斗と全く変わらぬド派手なものも多い。本来は恐らく、常緑樹の小枝を指したものが始めであったように思われ、これは他の御幣や注連繩などの神祭具と同じく、元来は神霊や祖霊の依代(よりしろ)と考えられる。ハーンの「他の表象的なる形式あれども、このもの恐らくは最も普通なると共に最も古きものならん」という謂いは鋭く本質を捉えていると私は思う(こうした形状のものは現在ではそれを製作出来る人が激減しているらしい)。この驚くべきしなやかな形状こそ、神霊の表象である(但し、ハーンは「八」で実はこれを仏教芸術に於ける不動明王の「火炎」や如意「宝珠」の形状辺り(一部は私の推定補足)から借用したものだと断じている。私はこのハーンの見解には異を唱えるものであるが、それはまた再度、そこで注して語りたい)。なお、「神酒口」については静岡みきのくち保存研究会というサイトがあり、多様な画像と詳しい解説が読める。必見!

「サムパウ」「三方」(本来的に「三寶(宝)」ではない。「三宝」は純然たる仏教用語であって、仏・法・僧(仏と仏の教えである法とその教えをひろめる僧)という三種の仏法の宝、或いは仏の別名であるので注意されたい。但し、以下の記載に見るように「三宝」とも言うようではある)。ウィキ方」から引く。三方(さんぼう/さんぽう)は『神道の神事において使われる、神饌を載せるための台である。古代には、高貴な人物に物を献上する際にも使用された。寺院でも同様のものが使われる。三宝(仏・法・僧)にかけて三宝(さんぽう)と書かれることもある』。『通常は檜などの素木(しらき)による木製で、折敷(おしき)と呼ばれる盆の下に直方体状の台(胴)がついた形をしている。台の三方向に穴があいていることから、「三方」と呼ばれる』。『元々は折敷と台は分離していて使用するときに台の上に折敷を載せており、台に載せずに折敷だけで使用することもあった。今日では折敷と台が完全に結合したものが使用されており、折敷だけで使用するものは三方とは別に用意するようになっている』。『台の穴の意匠に決まりはないが、宝珠の形がよく用いられる』。『折敷には縁の板を留めるための綴り目があるが、これは穴のない側の反対側になるように作られている。神前に供える際は、穴のない側(綴り目の反対側)が神前に向くようにする。神饌が載った三方を持つときは、親指を左右の縁に、その他の指を折敷と台に当て、目の高さに持つ。 しかし、宮中作法では、指を折敷の中に指をかける伝統がある』。『なお、特殊な形状の三方として板足三方や丸三方などが、『また、四方に穴のあるタイプもあり、それを「四方」(しほう)と呼ぶ』とある。]

 

 

   In nearly all Izumo dwellings there is a kamidana, [8] or 'Shelf of the Gods.' On this is usually placed a small Shintō shrine (miya) containing tablets bearing the names of gods (one at least of which tablets is furnished by the neighbouring Shintō parish temple), and various ofuda, holy texts or charms which most often are written promises in the name of some Kami to protect his worshipper. If there be no miya, the tablets or ofuda are simply placed upon the shelf in a certain order, the most sacred having the middle place. Very rarely are images to be seen upon a kamidana: for primitive Shintōism excluded images rigidly as Jewish or Mohammedan law; and all Shintō iconography belongs to a comparatively modern era,—especially to the period of Ryobu-Shintō,—and must be considered of Buddhist origin. If there be any images, they will probably be such as have been made only within recent years at Kitauki: those small twin figures of Oho-kuni-nushi-no-Kami and of Koto-shiro-nushi-no-Kami, described in a former paper upon the Kitzuki-no-oho-yashiro. Shintō kakemono, which are also of latter-day origin, representing incidents from the Kojiki, are much more common than Shintō icons: these usually occupy the toko, or alcove, in the same room in which the kamidana is placed; but they will not be seen in the houses of the more cultivated classes. Ordinarily there will be found upon the kamidana nothing but the simple miya containing some ofuda: very, very seldom will a mirror [9] be seen, or gohei—except the gohei attached to the small shimenawa either hung just above the kamidana or suspended to the box-like frame in which the miya sometimes is placed. The shimenawa and the paper gohei are the true emblems of Shintō: even the ofuda and the mamori are quite modern. Not only before the household shrine, but also above the house-door of almost every home in Izumo, the shimenawa is suspended. It is ordinarily a thin rope of rice straw; but before the dwellings of high Shintō officials, such as the Taisha-Guji of Kitzuki, its size and weight are enormous. One of the first curious facts that the traveller in Izumo cannot fail to be impressed by is the universal presence of this symbolic rope of straw, which may sometimes even be seen round a rice-field. But the grand displays of the sacred symbol are upon the great festivals of the new year, the accession of Jimmu Tenno to the throne of Japan, and the Emperor's birthday. Then all the miles of streets are festooned with shimenawa thick as ship-cables.

 

8 From Kami, 'the [Powers] Above,' or the Gods, and tana, 'a shelf.' The initial 't' of the latter word changes into 'd' in the compound, just as that of tokkuri, 'a jar' or 'bottle,' becomes dokkuri in the cornpound o-mi kidokkuri.

9 The mirror, as an emblem of female divinities, is kept in the secret innermost shrine of various Shintō temples. But the mirror of metal commonly placed before the public gaze in a Shintō shrine is not really of Shintō origin, but was introduced into Japan as a Buddhist symbol of the Shingon sect. As the mirror is the symbol in Shintō of female divinities, the sword is the emblem of male deities. The real symbols of the god or goddess are not, however, exposed to human gaze under any circumstances.

 

1.  Sacred fire-drill of the Great Temple of Kitzuki

2.  O-MIKIDOKKURI, or vessel used contain the saké offered the Gods

3.  KUCHI-SASHI, or stopper, the o-mikidokkuri.  (There are other symbolic forms:  this is probably the oldest as well as the most common)

4.  SMBŌ, or little stand upon which offerings to the Shintō Gods are placed. The sambō is also used in family workshop, and certain household ceremonies

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