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2015/11/23

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十章 二つの珍しい祭日 (六)/第二十章~了

        六

 

 節分の祝日の今一つの特色は、それを記憶する價値がある――人型(ひとがた)の賣られることだ。それは白紙で作られる男、女、子供の小さな雛形で、ただ數囘巧みに剪刀を使つて切つたものである。男女の差別は、袖と小さい紙の帶の形の變化で示してある。神道の社祠で賣られ、これを家族一人毎に一枚宛買受けると、神官に一枚々々に當人の男女別と年齡を書く。家へ持歸つて、それぞれに分配し、各自その紙で輕く身體を摩擦し、神道の小さな祈を唱へる。翌日是等の人型を神官に返へす。神官はその上に向つて或る一定の文句を誦した後で、神聖な火で燒いてしまう。この式によつて一年間その家族はすベて身體上の災難を免がれるものと思はれてゐる。

 

    註。 節分との關係ないが、こゝに述

    べて置きたい一つの事柄がある。

     出雲には書道の神聖といふ、有益

    なる――また昔は屹度頗る重要であ

    つた――迷信が、今猶ほ遺存する。

    何かを書付けたもの、或は印刷した

    ものでも、皺くちやにしたり、蹂躙

    したり、汚したり、或は賤用に供し

    てはいけない。もし書類を破毀する

    必要がある時は、紙を燒かねばなら

    ない。ある小さい宿屋へ泊つた時、

    私が自分で書いた、文字の一杯に滿

    ちた紙を引裂いて皺にしたために、

    優しく叱りを受けたことがあつた。

 

[やぶちゃん注:「人型」に厄を移して焼いたり流したりする、この類型的儀式は、現在も桃の節句の流し雛や夏越祭などの、各節句行事として多くの神社に残っているのは御承知の通り。

「書道の神聖」言わずもがな乍ら、言霊(ことだま)信仰に基づくものである。……実は私の吐き出す数多の電子テクストも、謂わば、今の電脳世界への言霊たれ、という思いで仕儀していると言ってよいように、私は思っているのです、ハーン先生……]

 

 

.

   One more feature of the Setsubun festival is worthy of mention,— the sale of the hitogata (people-shapes). These: are little figures, made of white paper, representing men, women, and children. They are cut out with a few clever scissors strokes; and the difference of sex is indicated by variations in the shape of the sleeves and the little paper obi. They are sold in the Shinto temples. The purchaser buys one for every member of the family,— the priest writing upon each the age and sex of the person for whom it is intended. These hitogata are then taken home and distributed; and each person slightly rubs his body or her body with the paper, and says a little Shintō prayer. Next day the hitogata are returned to the kannushi, who, after having recited certain formulae over them, burns them with holy fire. [6] By this ceremony it is hoped that all physical misfortunes will be averted from the family during a year.

 

6 I may make mention here of another matter, in no way relating to the Setsubun.

There lingers in Izumo a wholesome — and I doubt not formerly a most valuable — superstition about the sacredness of writing. Paper upon which anything has been written, or even printed, must not be crumpled up, or trodden upon, or dirtied, or put to any base use. If it be necessary to destroy a document, the paper should be burned. I have been gently reproached in a little hotel at which I stopped for tearing up and crumpling some paper covered with my own writing.

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