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2015/11/18

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十九章 英語教師の日記から (二十一)

       二一   一八九一、十一月二日

 

 志田は再び學校へ來る事はない。彼は洞光寺の古い墓地の杉の木の影の下に眠つて居る。追悼會の時、横木は死んだ友人の靈に對して美はしい祭文を讀んだ。

 しかしその横木自身も病んで居る。そして私は彼に對して甚だ心配にたへない。醫師の言によれば過度の勉強から起つた何か腦の病氣で惱んで居るのである。たとへよくなつても始終注意して居らねばならない。中には横木は體格強壯でその上若いから大丈夫だらうと思つて居るものもある。強い坂根は先月血を吐いたが、今はもうよい。そんな風に横木も囘復するであらうと信じられる。小豆澤は毎日友人の知らせをもつて來る。

 

 しかし囘復は決して來ない。その若い生命の機關の何か不思議のぜんまいが切れた。人事不省が長く續いて時々暫らくの間だけ心が生きて居る。兩親とそれから親戚友人は日夜注意してその氣のついて居る時を利用して何かやさしい事をささやいたり、或は『何か望みはないか』と聞いて見ようとして居る。それから或晩その返事がある。

 『はい、僕は學校へ行きたい、學校を見たい』

 そこで一同がこのよい頭腦も全く駄目になつたのではないかと思ひながら返事をする。

 『もう夜中過ぎであるし、それから月もない。その上夜は寒い』

 『いえ、星で見えます――僕はもう一度學校を見たい』

 一同は最もやさしくすかして見ても駄目であつた、死にかかつて居る少年はただ最後の願を悲しげに執念深くくりかへして居る。

 『僕はもう一度學校を見たい、今見たい』

 そこで隣室で小聲で相談が始まる、それから簞笥の引出しが開いて暖い着物が用意される。それから房市と云ふ丈夫な下男が提灯をつけて來て、やさしい無骨な聲で叫ぶ――

 『富さん、わしの背中にのつて學校へ參りませう、なーに近いから、坊つちやんにもう一度學校を見せて上げます』

 大事に一同が綿入でこの少年を包む、それから小兒のやうに房市の肩に腕を置く、そしてこの丈夫な下男は寒い街を通つて安らかに彼を負ふて行く、父は提灯をもつて房市の側から急ぐ。そして小さい橋向うの學校まで遠くはない。

 大きな薄墨色の建物は夜目に殆んど眞黑に見える、しかし横木には見える。彼は自分の教室の窓を見る、樂しかつた四ケ年いつも毎朝下駄を音のしない草履にはきかへた屋根のある生徒昇降口を見る、今寢て居る小使の部屋を見る、小さい塔に眞黑くかかつて居る鐘が星あかりに影をうつして居る處を見る。

 それからささやく。

 『今みんな思ひ出せる。忘れてゐた――そんなひどい病氣だつた。みんな又思ひ出す。あゝ、房市、お前は本當に親切だ。僕はもう一度學校を見たので非常に嬉しい』

 それから又彼等は長い人の通らない街を通つて急いで歸る。

 

[やぶちゃん注:私はこの条を読むたびに目頭の熱くなるのを抑えられない。

「一八九一、十一月二日」前に注した通り、ハーンは十三日後の明治二四(一八九一)年十一月十五日に熊本第五高等学校に転任し、松江を去ることになる。「八雲会」の松江時代の略年譜には、前月の十月八日に盟友で教頭の『西田千太郎に熊本への転任の決意を報告する』とある。ここでは、ハーンが本「第十九章 英語教師の日記から」を書くに当たってそうした事実を一切記さずに語っていることに注意されんこと、そうしてこれは、ハーンの確信犯であること、をのみ述べおくに留める。以前に申し上げた通り、総ての真相は最後の「二四」で注する。

「洞光寺」既出既注であるが、再掲しておく。原文を見て頂くと分かる通り、「とうこうじ」と読む。現在の島根県松江市新町にある曹洞宗松江金華山洞光寺。当時のハーン居宅から南南東二・六キロメートルに位置する。

「腦の病氣」後の「二四」に出る、松江中学教諭片山尚絅(しょうけい)氏の横木への追悼の祭文中にも「其病因ヲ問フニ腦ニ急劇ノ症ヲ呈セリト」とある。

「毎朝下駄を音のしない草履にはきかへた」「一一」に「革の靴のつけない者」(貧しいために革靴を買えない生徒)「は學校に居る間は、騷々しい下駄を輕い草履にはきかへねばならない」とある。横木家(横木について詳述する一八に「彼は大工の子である、そして兩親はその子を中學校に出す事はできなかつた。しかし小學校で拔群の成績を示したので、富有な人が感心して學費を出さうと云ひ出した。彼は今學校の花である。彼は殊に長い目の著しく平和な顏と愉快さうな微笑をして居る」とある)の貧困を再度、思い出して戴きたい。]

 

 

ⅩⅩⅠ.

November 2, 1891.

   Shida will never come to school again. He sleeps under the shadow of the cedars, in the old cemetery of Tōkōji. Yokogi, at the memorial service, read a beautiful address (saibun) to the soul of his dead comrade.

   But Yokogi himself is down. And I am very much afraid for him. He is suffering from some affection of the brain, brought on, the doctor says, by studying a great deal too hard. Even if he gets well, he will always have to be careful. Some of us hope much; for the boy is vigorously built and so young. Strong Sakane burst a blood-vessel last month and is now well. So we trust that Yokogi may rally. Adzukizawa daily brings news of his friend.

 

   But the rally never comes. Some mysterious spring in the mechanism of the young life has been broken. The mind lives only in brief intervals between long hours of unconsciousness. Parents watch, and friends, for these living moments to whisper caressing things, or to ask: 'Is there anything thou dost wish?' And one night the answer comes:

   'Yes: I want to go to the school; I want to see the school.'

   Then they wonder if the fine brain has not wholly given way, while they make answer:

   'It is midnight past, and there is no moon. And the night is cold.'

   'No; I can see by the stars — I want to see the school again.'

   They make kindliest protests in vain: the dying boy only repeats, with the plaintive persistence of a last —'I want to see the school again; I want to see it now.' So there is a murmured consultation in the neighbouring room; and tansu-drawers are unlocked, warm garments prepared. Then Fusaichi, the strong servant, enters with lantern lighted, and cries out in his kind rough voice:

   'Master Tomi will go to the school upon my back: 'tis but a little way; he shall see the school again.

   Carefully they wrap up the lad in wadded robes; then he puts his arms about Fusaichi's shoulders like a child; and the strong servant bears him lightly through the wintry street; and the father hurries beside Fusaichi, bearing the lantern. And it is not far to the school, over the little bridge.

   The huge dark grey building looks almost black in the night; but Yokogi can see. He looks at the windows of his own classroom; at the roofed side-door where each morning for four happy years he used to exchange his getas for soundless sandals of straw; at the lodge of the slumbering Kodzukai; [11] at the silhouette of the bell hanging black in its little turret against the stars.

   Then he murmurs:

   'I can remember all now. I had forgotten — so sick I was. I remember everything again: Oh, Fusaichi, you are very good. I am so glad to have seen the school again.'

   And they hasten back through the long void streets.

 

11 The college porter

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