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2015/11/24

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十一章 日本海に沿うて (四)

        四

 ところで大多數の村はただの漁村である、そしてそのうちに嵐の前夜船出をして再び歸つて來ない人々の古い草葺きの家がある。しかし溺死者も近傍の墓場に墓がある。その下に何かその人の物が埋めてある。

 何であらう。

 この西の方の人々の間には、外の土地では無頓着に捨てられる物――臍の緒――はいつも保存される。丁寧に幾重にも包まれて、最後の上包みに父と母と幼兒の名と、出生の日の時刻とを書いて家の守袋に納めて置く。娘は嫁入きり時、新家庭へ携へて行く、息(ムスコ)の方のは兩親が保存してくれる。死ぬ時はそれを一緒に葬る、外國で、或は海で死ぬ事があれば、遺骸の代りにそれを墓に納める。

[やぶちゃん注:墓地と朽ち果てた漁民の空き家を描くことから始めて、その墓の中を透視して民俗を解き明かすハーンは、私はまさしく本邦幻想文学者の希有の一人と信じて疑わぬ。なお、小泉八雲顕彰会副会長で静岡県立大学教授の大澤隆幸氏の「焼津からみたラフカディオ・ハーンと小泉八雲――基礎調査の試み(2)」によれば、この荒涼たる海辺の巨大な墓地のヒントとなったと思われるのは、現在の鳥取県東伯郡琴浦町赤碕の花見潟墓地であるとある(「十一」にもそれらしいものが出る)。「鳥取県観光連盟」公式サイト内の「花見潟墓地」を参照されたい。なかなかクるもののある景観である。なお、つい数日前に遅まきながら存在を知ったこの論文は(私はアカデミズムの人間ではないので遅かりしは悪しからずである)、全十三タイトルに分かれ、題名からはちょっと想像出来ないハーンの編年的資料を中心とした恐るべき緻密な論考であって、現在容易に入手出来るハーン小泉八雲の最も完備した年譜的データとしても最善のものと考えられ、未だ精読していないものの、既に電子化した部分の私の注の誤りであることや、疑問の答えも散見され、向後、これに拠って将来的に公開する予定のサイト版(PDF縦書を予定)の注を改稿することを考えている。未入手の方には是非ともお薦めしたい論考である(静岡県立大学・短期大学部機関リポジトリで十一タイトル、同サイトでの同氏の検索で十二と最終回の十三をPDF版でダウンロード出来る)。

「臍の緒」の民俗については、池田光穂氏の個人サイト内の臍の緒にかんする質問が、海外の民俗学的観点も含め、非常にためになった。必見である。因みに、私の家には妻(名古屋出身)の臍の緒があり、私の臍の緒も亡き母(鹿児島出身)は残していた。平凡社「世界大百科事典」の「へその緒」を引いておく(コンマを読点に変更した)。『臍帯(さいたい)の俗称。母体と胎児をつなぐものであり、これの扱いをめぐってはさまざまな習俗がみられる。へその緒は昔は金物で切ることを嫌い、竹のへらや葦・貝殻などを用いた。手一束(ていっそく)(ひと握り)のところを麻でかたくしばって切る。切るということばを忌んで、岩手県などではへその緒をツグという。へそをツグことは、母体から切り離して生児を一個の人間として独立させることなので、へそをツグ産婆(助産婦)は重い意味をもっていた。九州には産婆をヘソバアサンと呼ぶ土地があり、鹿児島県喜界島では産婆の役をフスアンマー(臍母)という。新潟、千葉、神奈川などにはへその緒を切るだけの役目をもつ取上げ親がある。へその緒を短く切ると短気になる、小便が近くなるなどという。へその緒は七夜前後に落ちるが、一般に干して産毛とともに紙に包んで水引をかけ,名前,生年月日を記してその子の守り神として保存する。へその緒はその子が大病をしたときに匙じて飲ませるとよい、嫁にいくときに持たせる、死んだときは棺に入れてやる、便所につるして夜泣きのまじないにするなどの俗信がある』。]

 

 

.

 

   Now many of these villages are only fishing settlements, and in them stand old thatched homes of men who sailed away on some eve of tempest, and never came back. Yet each drowned sailor has his tomb in the neighbouring hakaba, and beneath it something of him has been buried.

   What?

   Among these people of the west something is always preserved which in other lands is cast away without a thought,— the hozo-no-o, the flower- stalk of a life, the navel-string of the newly-born. It is enwrapped carefully in many wrappings; and upon its outermost covering are written the names of the father, the mother, and the infant, together with the date and hour of birth,— and it is kept in the family o-mamori-bukuro. The daughter, becoming a bride, bears it with her to her new home: for the son it is preserved by his parents. It is buried with the dead; and should one die in a foreign land, or perish at sea, it is entombed in lieu of the body.

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