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2015/11/25

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十一章 日本海に沿うて (一〇)

        一〇

 

 話が一つ出ると又別のが出る、それで今夜珍しいのを澤山聞く。最も著しいのは私の從者が急に想ひ出した話で――出雲の傳説である。

 

 昔、出雲の持田の浦と云ふ村に或農夫がゐた。餘り貧乏なので子供をもつ事を恐れてゐた。それで妻が子供を生む毎に川に投げ込んで、そして死んで生れたのだと云ふ事にしてゐた。男の子の事もあり、女の子の事もあつたが、生れ兒はいづれも、夜、川へ投げ込ま れた。こんなにして六人殺された。                            

 しかし段々年がたつに隨つて、夫は以前より富んで來た。土地を買つたり、金を蓄ヘたりする事ができた。それからたうとう妻は七人目の子供、男の子を生んだ。

 そこで男は云つた、『子供は養つて行ける、これから年を取つてから世話をして貰ふむすこが要る。この男の子は綺麗だ。それでこれは育てる事にしよう』

 そして幼兒は生長した、このかたくなな農夫は毎日自分で自分の心が分らくなつて來た、――それは毎日むすこ可愛の念が募つて來たからであつた、

 或夏の夜、彼は子供を抱きながら庭に出た、子供は五月たつてゐた。

 夜は非常に美しく、大きな月が出てゐた、それで農夫は叫んだ、――

 『あゝ、今夜珍らしいゑゝ夜だ』

 すると子供は父の顏を見上げながら、おとなの言葉で云つた、

 『おとつあん、わしをしまひに捨てさした時も、丁度今夜のやうな月夜だつたね』

 そしてそれから子供は同年の外の子供と同じになつて何にも云はなかつた。

 

 農夫は僧になつた。

 

     註。この農夫と子供の言葉は出雲
     の方言。

 

[やぶちゃん注:短い本話も若き日に読んだ私には、短いが故に、忘れ難い一話であった。本話も原話を探してみたが見当たらない。小泉八雲の翻訳や評論で知られる東京大学名誉教授平川祐弘氏講演「八雲と漱石二人の『怪談』の関係」(PDF/真ん中あたりにある)の中で、本話が起承転結を持った無駄のない構造を持った、『ルポルタージュ記者で』あるハーンならではの絶妙の冷徹な語り口で、間引きの倫理的『議論や主観的感情はまったく表に出さずに、淡々と事実のみを簡潔に、時間の経過に沿って書いて』おり、農夫にとって『子どもの成長につれて可愛さが増すのも人情の自然で』あり、彼が『夏の夜の月を愛でたのも気持ちのゆとりのなせるわざで』あろうとしつつも、平川氏は特に最後の一行に注目され、

   《引用開始》

 ところで、最後の一行はどのような意味を持つのでしょう。百姓が僧になった、と聞いて読者の気持ちも落ち着き、話も終わります。この簡潔な筆づかいは一つにはリズミカルな短編構成上の必要からも来ていますが、いま一つにはハーンの倫理観に由来しているのかもしれません。百姓が自分の犯した罪の恐ろしさに気づいて、捨てた子を弔い成仏を祈るために出家した、という解釈がそれで可能になるからです。

 しかし徳川時代や明治時代の初期に貧乏百姓が寺男ならまだしも僧侶にそう簡単になれるものではありません。最後の一行はあるいは中世以来の説話文学の結びの形式をそのまま踏襲しただけかもしれません。

 実際の原話がどのようなものであったかというのは、出雲の原話は日本の民俗学者の手で採集されずにしまったので、原話が実際どのような結末を迎えたのか、私たちはもはや知るに由ないわけです。

   《引用終了》

とあることから、原話は最早、探し当てることは不能であるらしい。私はしかして江戸の有象無象の怪談集の中に、これと似たものがあるのではないかと思い続け、実は今も渉猟し続けているのである。これぞと思うものを見出した折りには、必ずここに追加したいと思うている。なお、底本の「あとがき」で田部隆次氏は前の『鳥取の蒲團の話、出雲の捨子の話は何れも夫人が始めてヘルンに話した階段であつた』と記しておられる。

 さて、今一つ、この平川氏の講演との関連で述べておかねばならぬ。

 多くの読者は本話(ハーンの)を読むと、私同様、エンディングが非常に良く似た印象を受ける、ある著名な作品を直ちに想起されることと思う。夏目漱石の「夢十夜」の「第三夜」である。実は平川氏はこの講演で、このハーンの怪談とまさにそれを比較し、これは漱石が明らかにハーンの本話を意識して、それに対抗して「夢十夜」の「第三夜」を書いたのであり、正常な「父」像が欠損していた(以上は私の勝手な謂いであり、「正常」も「欠損」も不適切とならば、一種のトラウマとして変形してしまった「父」認識と言い直してもよい)ハーンと漱石の精神分析的解析を経て、『子どもを捨てた父を書き』、かくも『恐ろしい怪談になったのではないでしょうか。漱石という人はラフカディオ・ハーンの作品のバリエーションを書いてみせて、「どうだ、俺のほうが芸術家として上だろう」と納得したのだと思います。そうすると自信がついて、 『三四郎』の中で、自己満悦とも思えるようなことを書いた。それが私の推測なのであります』と、本公演を結んでおられる。この論考には私は頗る共感を覚える。未読の方は是非、御一読をお薦めするものである。本条の読みについても参考になる考察が幾つもある。

 なお、私は「夢十夜」は読んでそこそこ面白いとは思うものの、読み終わった後に、妙な苛立ちを感ずることを常としている。正直言うと、夢記述を長年やって来た者として、あの計算された構造や描写言わずもがなのオチは覚醒した人間の「偽夢(ぎむ)」であって、近現代文学の今や残された唯一の突破口かも知れない「夢」文学としては、これ、とんでもない邪道であると断ずるものである(遙かに内田百閒の「冥途」や「旅順入場式」のほうが正当な「夢」文学的ではある。但し、百閒のそれらを文学として面白いと感ずるかどうかはこれまた別問題ではある。少なくとも若き日の私には頗るつきで退屈であった)。

 最後に。私はしかし平川氏の八雲の翻訳は――少なくとも怪奇談(私はフリークで十数人の別な訳者のものを若い時から飽きもせず読んできたのであるが)に関する限り――現行の中では、これ、とびっきりアカデミックで正確なのであろうとは拝察するものの――面白いと感じたことは未だかって一度もない――ということも告白しておく。]

 

 

.

   One legend recalls another; and I hear to-night many strange ones. The most remarkable is a tale which my attendant suddenly remembers,— a legend of Izumo.

 

   Once there lived in the Izumo village called Mochida-noura a peasant who was so poor that he was afraid to have children. And each time that his wife bore him a child he cast it into the river, and pretended that it had been born dead. Sometimes it was a son, sometimes a daughter; but always the infant was thrown into the river at night. Six were murdered thus.

   But, as the years passed, the peasant found himself more prosperous. He had been able to purchase land and to lay by money. And at last his wife bore him a seventh child,—a boy.

   Then the man said: 'Now we can support a child, and we shall need a son to aid us when we are old. And this boy is beautiful. So we will bring him up.'

   And the infant thrived; and each day the hard peasant wondered more at his own heart,— for each day he knew that he loved his son more.

   One summer's night he walked out into his garden, carrying his child in his arms. The little one was five months old.

   And the night was so beautiful, with its great moon, that the peasant cried out,—

   'Aa! kon ya med xurashii e yo da!' [Ah! to-night truly a wondrously beautiful night is!]

   Then the infant, looking up into his face and speaking the speech of a man, said,—

   'Why, father! the LAST time you threw me away the night was just like this, and the moon looked just the same, did it not?' [7]

   And thereafter the child remained as other children of the same age, and spoke no word.

   The peasant became a monk.

 

7 'Ototsan! washi wo shimai ni shitesashita toki mo, chodō kon ya no yona tsuki yo data-ne?' Izumo dialect.

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