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2015/11/30

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十三章 伯耆から隱岐ヘ (十一)

       一一

 

 船は浦郷から中の島にある菱浦へと進んで行つた。そして島々の間を進航するに從つてに景色がいつも層一層と美しくなつた。その水道は百と形を異にした山々の間を非常な深みの靜けさを以て流れて居る大きな河だと思ひ誤らせる程の幅しか無かつた。その長い美しい眺めは到る處、海の霞で靑味を帶びた峰々の壁に遮ぎられて居て、兩側には深い底から眞直ぐに聳え立つて居る赤味がかつた灰色の絶壁があつて、その粗雜な面のどんな小さなごつごつも少しの捩ぢゆがみも無しに、恰も鏡にうつしたやう、かつきりと水に映じて居つた。菱浦に達するまでは水平線は顏出しをしなかつた。しかも其折も、恰も河口から見るやうに、高い二つの海角の間からだけ見えるのであつた。

 菱浦は浦郷よりか遙か綺麗である、が、人口は餘程少い、そして漁村といふよりか、寧ろ、農を主とした繁榮な町といふ外貌を有つて居る。山の多い島の内地へと次第になだらかに上つて居て、其處に可なりの面積の耕作地を見せて居る、低い小山が造つて居る入江の緣(ふち)に沿うて曲つて居る町である。家屋は稍々散在してゐて、多くの場合庭園あるが爲めに孤立して居る。そして海に面して居る建物は中々立派な近代的な構造である。浦郷は隱岐中での一番好い宿屋を自慢にして居る。そして新しい社寺が二つある――どちらも個人の寄附に係るもので、一つは禪宗の寺、一つは出雲大社教の社である。前述の宿屋の持主たる金持の寡婦がその寺を建立したのであり、この土地で一番の富裕な商人がその社を寄進したのである。この社はその大きさにしては自分がそれまで見たうちで一番立派なミヤの一つであつた。

 

[やぶちゃん注:「菱浦」中ノ島の現在の海士町の玄関口である港。焼火山の西の水道を入って北東に折れた手前にある。

「恰も鏡にうつしたやう」現在、菱浦湾は「鏡ヶ浦」と呼ばれるが、これはまさにこのハーンの感嘆に由来する。二〇一一年夏に私は訪れたが、確かに本当に美しい静かな湾であった。そうして私はここで美しい海中の煌く「鏡」にも心打たれた。隠岐日記2 西ノ島 中ノ島を読まれたい。

「禪宗の寺、一つは出雲大社教の社」この菱浦にあるという寺社、調べて見ても孰れもどうもどこのどの寺社を指しているのか私には、よく判らない。識者の御教授を乞う。]

 

 

.

   From Urago we proceeded to Hishi-ura, which is in Nakanoshima, and the scenery grew always more wonderful as we steamed between the islands. The channel was just wide enough to create the illusion of a grand river flowing with the stillness of vast depth between mountains of a hundred forms. The long lovely vision was everywhere walled in by peaks, bluing through sea-haze, and on either hand the ruddy grey cliffs, sheering up from profundity, sharply mirrored their least asperities in the flood with never a distortion, as in a sheet of steel. Not until we reached Hishi-ura did the horizon reappear; and even then it was visible only between two lofty headlands, as if seen through a river's mouth.

 

   Hishi-ura is far prettier than Urago, but it is much less populous, and has the aspect of a prosperous agricultural town, rather than of a fishing station. It bends round a bay formed by low hills which slope back gradually toward the mountainous interior, and which display a considerable extent of cultivated surface. The buildings are somewhat scattered and in many cases isolated by gardens; and those facing the water are quite handsome modern constructions. Urago boasts the best hotel in all Oki; and it has two new temples,— one a Buddhist temple of the Zen sect, one a Shinto temple of the Izumo Taisha faith, each the gift of a single person. A rich widow, the owner of the hotel, built the Buddhist temple; and the wealthiest of the merchants contributed the other,— one of the handsomest miya for its size that I ever saw.

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