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2015/11/12

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十九章 英語教師の日記から (一)

      第十九章 英語教師の日記から

 

 

       一   一八九〇、九月二日【譯者註一】松江にて

 

 私は出雲松江の尋常中學校及び師範學校に於て一ケ年間英教師として奉職する契約をして居る。

 尋常中學校は暗靑灰色に塗つた歐風の大きな木造二階の建物である。これには約三百の通學生を收容する設備がある。二方は運河、二方は甚だ靜かな街路で境になつた大きな方形の地面の一方に建つて居る。この敷地は舊城に甚だ近い。

 師範學校は同じ地面の他の一角を占めた更に大きな建物である。同時に又更に立派である、眞白に塗つて、それから頂上に小さい圓屋根がある。師範學校には僅かに百五十程の生徒しかないが皆寄宿生である。

 この二つの學校の間にまだ外にいくつかの教育に關する建物がある、これ等について私は追々分るやうにならう。

 この日は私が學校に出た第一日である。西田千太郎氏【譯者註二】は私をつれてこれ等の學校に案内し、校長及び同僚となるべき人々に悉く紹介し、授業時間の事と、教科書の事につき必要な注意を悉く與へ、凡て必要な物を私の机にのせてくれなどした。しかし授業の始まる前に、かねて官房書記を通じて私と契約のできてゐた縣知事籠手田(コテダ)安定氏【譯者註三】に紹介して貰はねばならない。そこで西田氏は私を往來の向側の別の歐風の建物にある縣廰へ案内する。

 縣廰に入り、廣い階段を上り、歐風に敷物をしきつめた一室に入る、その室には出窓もあれば、クッシヨンのついた椅子もある。ひとりの人が小さい圓卓に對して椅子にかけて居る、その周圍に五六人の人が立つて居る、何れもち日本の禮服を着て居る、――立派な絹の袴、絹の着物、絹の紋付羽織、――自分の平凡な洋服を恥ぢ入らせる立派な威嚴のある服裝である。これ等は縣廰の役人と教師である、椅子にかけたのは知事である。知事は私に挨拶せんがために立つて巨人の握手を與へる、この人の眼を見て私は一度この人が好きになるやうな氣がする。温和な力と、大樣な親切の多く表はれた――佛の靜けさが悉く表はれた――小兒のやうに鮮やかな正直な顏である。この人の側にあつては外の人々も甚だ小さく見える、實際この人を始めて見た時は別人種の如き感じがする、私は古への日本の英雄はこの人と同じ型ではあるまいかと考へて居る時、この人は私に椅子を取るやうに合圖して軟い低い聲で私の通譯の勞を取れる人に話しかける。その顏を見た時に私が豫想した通りの流暢な深い聲に一種の魅力がある。

 給仕が茶を持つてくる。

 西田氏通譯する、『知事はあなたが出雲の昔の歷史を御存じかときかれるのです』

 私はチエムバン教授の譯にかかる古事記を讀んで、日本最古の國の話を少しは心得て居る事を答へる。日本語で話が暫らくつづく。西田氏は私が昔の宗教と風俗を知りたいので、日本に來た事、殊に神道及び出雲の傳説に興味をもつて居る事を知事に語る。知事は自分に杵築、八重垣、熊野の名高き神社に詣でてはいかがと云つて次ぎに問ふ、

 『あなたは神社の前で手を拍つ起りの傳説を御存じか』

 私は知らない事を答へる、そこで知事はその傳説は古事記傳に出て居ると云ふ。

 『第十四卷第三十二章【譯者註四】にあります、八重言代主神が手を拍つた事が書いてあります』

 私は知事の有難い忠告や教へに對して御禮を云ふ。しばらくの沈默ののち又眞率なる握手をして丁寧に送り出される、そして私共は學校に歸る。

 

    譯者註一。明治二十三年九月二日は

    始めて登校せし日。當時は學年は九

    月に始まり七月に終つた。

    譯者註二。西田千太郎(今は故人)

    英語の教師で當時の教頭、現福岡大

    學教授工學博士西田精氏の令兄。

    譯者註三。籠手田安定(今は故人)、

    山岡鐡舟の高弟、故武士の面影のあ

    る人、熱心な國粹保存家であつた。

    譯者註四。十四卷三十二章と云ふう

    ち、十四卷は古事記傳の卷、三十二

    章はチエムバレンの飜譯の方ででき

    た分ち方、手をうつ事の古き文書に

    見えたのはこれが始めてと云ふ意味

    であるが、これを讀めば、手をうつ

    事はそれから起つたやうに見える。

 

[やぶちゃん注:既注のものが多いが、改めて再注したものも多い。

「一八九〇年九月二日」明治二十三年。ハーンはこの年の四月四日に来日、七月中に島根県尋常中学校及び師範学校(後注参照)英語教師に任命され、八月三十日の午後四時に松江に到着している。

「出雲松江の尋常中學校及び師範學校」県立島根県尋常中学校松江中学校(改称は明治一九(一八八六)年。現在の島根県立松江北高等学校)及び島根県立松江師範学校(改称は明治九(一八七六)年十月。県立島根大学教育学部の前身)。ハーンが勤務した当時は現在の松江城(ハーンの言う「舊城」)南直近の松江市殿町(とのまち)にある島根県警本部庁舎がある場所に建っていた。

「校長」調べてみたが、誰であるか不詳である。ハーンとの接点も全く語られていない。識者の御教授を乞うものである。
 
「西田千太郎」(文久二(一八六二)年~明治三〇(一八九七)年)。郷里島根県で母校松江中学の英語教師を務め、この明治二三(一八九〇)年に着任したハーンと親交を結んだ、当時の同校教頭――本章「一四」の「譯者註四」から推定すると当時の呼称は「校長心得」であったか――であった。ハーンの取材活動に協力するだけでなく、私生活でも助力を惜しまなかった。「西田千太郎日記」は明治前期の教育事情や松江時代のハーンを伝える貴重な資料となっている。ハーンと逢って七年後に惜しくも三十六の若さで亡くなった(「講談社「日本人名大辞典」に拠った)。

「縣知事籠手田安定氏」(天保一一(一八四〇)年~明治三二(一八九九)年)。元平戸藩士で剣術家としても知られた。維新後は明治元(一八六八)年の大津県判事試補就任に始まり、大津県大参事・滋賀県権令・滋賀県令・元老院議官を経て、明治一八(一八八五)年九月四日に島根県令(県知事)となっている(翌明治十九年七月十九日に「県令」から「知事」に呼称が変更された。島根県知事退任は明治二四(一八九一)年四月九日)。ハーンと籠手田の接触は早く、同年の六月頃であることが個人サイト「わにの昼寝」の「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)」(リンク先の少し下の記事)の以下の記載で判明した。ハーンは日本到着(四月四日)の三ヶ月後には『東京で当時島根県知事であった籠手田安定(こてだやすさだ)と、島根県尋常中学校および師範学校の英語教師となる契約を結んだ。当時としては破格の月給』百円で、『ハーンを雇い入れた知事の籠手田安定は、殖産や教育に力を入れ、わらじ履きで県内を巡視し、人情味豊かな知事として知られていた』とあるからである。続いて籠手田は新潟県知事・滋賀県知事を歴任、最後は貴族院議員となっている。なお、ウィキの「籠手田安定」も参照されたい。ハーンが一目で惹かれた古武士のような肖像写真が見られる。

「縣廰」位置的に見て恐らく現在の島根県庁と変わらない。松江城南直下である。

「あなたは神社の前で手を拍つ起りの傳説を御存じか」「手をうつ事の古き文書に見えたのはこれが始めてと云ふ意味であるが、これを讀めば、手をうつ事はそれから起つたやうに見える」くどいが、私は先に出たチェンバレンの「古事記」は勿論のこと、本居宣長の「古事記伝」を読んだこともなく持ってもいない。但し、以前にこの柏手の起源については異端的な注をしてきた。事代主は「国譲り」の威圧的強制譲渡要求に対し、呪詛を意味すると思われる逆手(さかで)の柏手を打って隠れてしまったとする考え方である(宣長は無論、呪詛とは解していないはずである)。「第八章 杵築――日本最古の社殿(五)の「或る日本の學者は、神道の拍子の習慣は、事代主神が用ひた合圖であつたと説いてゐる」の私の注、及び同「第十五章 狐 (三)の注も参照されたい。にしても籠手田氏、即座にチェンバレン英文の「古事記」の章番号で応じているところはこれ、事実としたら、南方熊楠並みの博覧強記、ただ者ではない、ということになろう。]

 

 

ⅩⅨ

FROM THE DIARY OF AN ENGLISH TEACHER

MATSUE, September 2, 1890.

   I AM under contract to serve as English teacher in the Jinjō Chūgakkō, or Ordinary Middle School, and also in the ShihanGakkō, or Normal School, of Matsue, Izumo, for the term of one year.

   The Jinjō Chugakkō is an immense two-story wooden building in European style, painted a dark grey-blue. It has accommodations for nearly three hundred day scholars. It is situated in one corner of a great square of ground, bounded on two sides by canals, and on the other two by very quiet streets. This site is very near the ancient castle.

The Normal School is a much larger building occupying the opposite angle of the square. It is also much handsomer, is painted snowy white, and has a little cupola upon its summit. There are only about one hundred and fifty students in the Shihan-Gakko, but they are boarders.

   Between these two schools are other educational buildings, which I shall learn more about later.

It is my first day at the schools. Nishida Sentaro, the Japanese teacher of English, has taken me through the buildings, introduced me to the Directors, and to all my future colleagues, given me all necessary instructions about hours and about textbooks, and furnished my desk with all things necessary. Before teaching begins, however, I must be introduced to the Governor of the Province, Koteda Yasusada, with whom my contract has been made, through the medium of his secretary. So Nishida leads the way to the Kenchō, or Prefectural office, situated in another foreign-looking edifice across the street.

We enter it, ascend a wide stairway, and enter a spacious .room carpeted in European fashion,—a room with bay windows and cushioned chairs. One person is seated at a small round table, and about him are standing half a dozen others: all are in full Japanese costume, ceremonial costume,— splendid silken hakama, or Chinese trousers, silken robes, silken haori or overdress, marked with their mon or family crests: rich and dignified attire which makes me ashamed of my commonplace Western garb. These are officials of the Kenchō, and teachers: the person seated is the Governor. He rises to greet me, gives me the hand-grasp of a giant: and as I look into his eyes, I feel I shall love that man to the day of my death. A face fresh and frank as a boy's, expressing much placid force and large-hearted kindness,—all the calm of a Buddha. Beside him, the other officials look very small: indeed the first impression of him is that of a man of another race. While I am wondering whether the old Japanese heroes were cast in a similar mould, he signs to me to take a seat, and questions my guide in a mellow basso. There is a charm in the fluent depth of the voice pleasantly confirming the idea suggested by the face. An attendant brings tea.

   'The Governor asks,' interprets Nishida, 'if you know the old history of
Izumo.'

   I reply that I have read the Kojiki, translated by Professor Chamberlain, and have therefore some knowledge of the story of Japan's most ancient province. Some converse in Japanese follows. Nishida tells the Governor that I came to Japan to study the ancient religion and customs, and that I am particularly interested in Shintō and the traditions of Izumo. The Governor suggests that I make visits to the celebrated shrines of Kitzuki, Yaegaki, and Kumano, and then asks:

   'Does he know the tradition of the origin of the clapping of hands before a Shinto shrine?'

   I reply in the negative; and the Governor says the tradition is given in a commentary upon the Kojiki.

   'It is in the thirty-second section of the fourteenth volume, where it is written that Ya-he-Koto-Shiro-nushi-no-Kami clapped his hands.'

   I thank the Governor for his kind suggestions and his citation. After a brief silence I am graciously dismissed with another genuine hand-grasp; and we return to the school.

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