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2015/11/17

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十九章 英語教師の日記から (十九)

         一九   一八九一、九月四日

 

 長い暑中休暇は終り、新學年は始まる。

 隨分變つて居る。教へた生徒のうちで死んだ者もある。卒業して松江を永久に去つた者もある。又教師で變つた者もある、代りの人々も來て居る、そして新校長が來て居る。

 又なつかしい知事も行かれた、東北の寒い新潟に轉任された。榮轉であつた。しかしこ人は出雲を治めた事七年であつた、そして誰でもこの知事を愛したが、父のやうに思ふてゐた學生等は特に愛してゐた。松江市の住民が別れのために河に集つた。汽船に乘るために通る道筋の町々、橋、波止場、屋根までに人々が群をなして見納めに知事の顏を見ようととあせつた。泣いて居る人が數千あつた。汽船が波止場を離れる時、アアアアアアアアアアアと云ふ叫びが起つた。これは知事の行を盛んにするつもりなのだが私には松江全市の悲みの泣聲のやうに思はれた、そして再びこんな聲を聞きたくはないと思ふ程憂を帶びた物と思はれた。

 初年級の姓名と顏は皆自分に珍らしい。疑もなくこれは學校で始めて教へた日の氣分が 今朝一年甲組の教場へ人つた時、非常にはつきり私に又かへつて來たからである。

 日本の教場に入りて、私の前に若い顏がずらりとならんだのを見渡す時の始めての氣分は妙に愉快である。始めての西洋人の眼には見慣れない顏ばかりであるが、どの顏にも共通な名狀できない愉快な物がある。はつきりした強い印象を與へる特色のある物はない、西洋人の顏と比べると、それ等の顏は未製品にしか見えないほど、輪廓などおだやかである。喧嘩好きも亦控へ目も好奇心も亦無頓着も少しも表はれてゐない。中には充分發達した靑年の顏だが、何とも云へぬ程子供らしい若々しさと正直さを表はして居るのがある、平凡な顏もあれば目立つ顏もある、又、女のやうに綺麗な顏も少しはある、しかし何れも皆著しい温和と云ふ特色を表はして居る、全く落ちついて素直な點を除いて愛憎その他何等の念も表はれてゐない佛像の夢みるやうなおとなしさである。後になつてこの温和な平靜なやうすに、もはや氣がつかなくなるであらう、段々慣れるに隨つて、どの顏にもこれまで氣づかなかつた特色が次第に表はれて、諸君に個人的區別ができるやうになるであらう。しかしその始めての印象が諸君と共に殘るであらう、そして長く親しんだあとで始めて充分分る日本人の性格の或點を、不思議にも豫め示してゐた物である事を、種々の經驗をへたのちにさとる時が來るであらう。始めてのこの印象の記憶のうちに個人性のない愛すべき點と個人性のない弱點とを有する日本人の魂を少しのぞいた事を認むるであらう。――窒息するやうな氣壓から急に輕い明るい自由な自然のままの空氣の中へ出た時急に淸々した感じをもつた事にのみ比べられるやうな精神的安樂を、獨りで居る西洋人が感ずるやうな人生の性質を少し見た事を認むるのであらう。

 

[やぶちゃん注:後段部は推定表現の「~であろう」が連発されると、非常に読み難く、且つわかり難い。そう感じた方は「~のである」「~である」という確述表現に読み換えるとすべて腑に落ちるはずである。実際、ハーンの言いたいのはそうした確信的感想であるからである。

「なつかしい知事も行かれた、東北の寒い新潟に轉任された。榮轉であつた」既注の籠手田安定であるが、今回、調べてみると、不思議なことにウィキ新潟県知事一覧には籠手田の県知事就任は明治二四(一八九一)年四月九日(明治二九(一八九六)年二月六日に滋賀県知事として転任)となっている。不審。ここにもハーンの文学的操作が行われているか? 識者の御教授を乞うものではある。なお、ウィキ籠手田安定によると、籠手田は転任したその年、『自身の撃剣の門人を無試験で看守に採用したことが問題視され』、同年十一月二十五日の『新潟通常県会で、「看守はあえて武者修行なる者にあらず。囚徒を監督するものなるを、おのれが撃剣好きなるゆえ採用せしなどとは、地方税を濫費せしいものというべし」と議員から糾弾され』、同月二十日附『新潟新聞』でも、『「自ら法を作て自ら之を破る者は我新潟県知事なり」と批判された』とあり、さらに新潟県知事在任中に『京都の剣術家小関教政』(おぜきのりまさ)『父子を新潟へ招き庇護し、教政に心形刀流と無刀流の免許皆伝を与えた。教政を引き連れ旧新発田藩剣術師範今井常固の道場を破る。強い剣客を配下に従えたびたび道場破りを行ったことは籠手田の悪癖であったといわれる』とある。この古(コ)武士、なかなかコりない性格でもあったらしい。

「新校長」これは本当の正式な「校長」であって、盟友の校長心得(現行の教頭或いは副校長相当)(の「註」参照)の西田ではないと思われる。

「一年甲組」原文は“First Division A”。訳者田部隆次(「あとがき」から推定)氏の推定か、松江中学出身の共訳者落合貞三郎や大谷啓信に訊ねて事実を確認したものに基づく翻訳であろう。平井呈一氏の訳では『一年A組』である。

「窒息するやうな氣壓から急に輕い明るい自由な自然のままの空氣の中へ出た時急に淸々した感じをもつた事にのみ比べられるやうな精神的安樂を、獨りで居る西洋人が感ずるやうな人生の性質を少し見た事を認むるのであらう」ここにこそ、ハーンが眼前に居並ぶきらきらした眩しいばかりの眸を持った青少年の直きの覚醒のエクスタシーに、世界を彷徨して孤独感を募らせてきたハーン自身が日本によって目覚めさせられたそれと相等しいものを重ねて確信的に述べるという、非常に心の深層での稀有のシンクロニティの表現であることに注目されたい。]

 

 

ⅩⅨ.

September 4, 1891.

   The long summer vacation is over; a new school year begins. There have been many changes. Some of the boys I taught are dead. Others have graduated and gone away from Matsue for ever. Some teachers, too, have left the school, and their places have been filled; and there is a new Director.

   And the dear good Governor has gone—been transferred to cold Niigata in the north-west. It was a promotion. But he had ruled Izumo for seven years, and everybody loved him, especially, perhaps, the students, who looked upon him as a father. All the population of the city crowded to the river to bid him farewell. The streets through which he passed on his way to take the steamer, the bridge, the wharves, even the roofs were thronged with multitudes eager to see his face for the last time. Thousands were weeping. And as the steamer glided from the wharf such a cry arose,—'A-a-a-a-a-a-a-a-a-a-a!' It was intended for a cheer, but it seemed to me the cry of a whole city sorrowing, and so plaintive that I hope never to hear such a cry again.

   The names and faces of the younger classes are all strange to me. Doubtless this was why the sensation of my first day's teaching in the school came back to me with extraordinary vividness when I entered the class-room of First Division A this morning.

   Strangely pleasant is the first sensation of a Japanese class, as you look over the ranges of young faces before you. There is nothing in them familiar to inexperienced Western eyes; yet there is an indescribable pleasant something common to all. Those traits have nothing incisive, nothing forcible: compared with Occidental faces they seem but 'halfsketched,' so soft their outlines are—indicating neither aggressiveness nor shyness, neither eccentricity nor sympathy, neither curiosity nor indifference. Some, although faces of youths well grown, have a childish freshness and frankness indescribable; some are as uninteresting as others are attractive; a few are beautifully feminine. But all are equally characterized by a singular placidity,—expressing neither love nor hate nor anything save perfect repose and gentleness,—like the dreamy placidity of Buddhist images. At a later day you will no longer recognise this aspect of passionless composure: with growing acquaintance each face will become more and more individualised for you by characteristics before imperceptible. But the recollection of that first impression will remain with you and the time will come when you will find, by many varied experiences, how strangely it foreshadowed something in Japanese character to be fully learned only after years of familiarity. You will recognize in the memory of that first impression one glimpse of the race-soul, with its impersonal lovableness and its impersonal weaknesses—one glimpse of the nature of a life in which the Occidental, dwelling alone, feels a psychic comfort comparable only to the nervous relief of suddenly emerging from some stifling atmospheric pressure into thin, clear, free living air.

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