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2015/11/10

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十八章 女の髮について (五)

         五

 

 家(うち)の髮結は出雲で、その業にかけては一等上手な、オコトサンといふのは三十ばかりの丈は低いが、今猶、餘程人目を惹く女である、その首のまはりに、藝術鑑定家が『ヸイナスの頸珠』と名づけて居るものをつくつて、可愛らしい柔かい筋が三本ある。これは滅多に無い、女の標緻の一つであるが、一度それが、コトの身の破滅になりさうであつた。その話は妙な話である。

 コトにはその職業生活を始める時分に競爭者が一人あつた、――髮結としては餘程技倆はあつたが、根性の惡るい女で、ジンといふ名であつた。ジンは次第に其佳い得意を皆失 つて、小さなコトが流行(はやり)の髮結になつた。ところが、その年寄の競爭者は、嫉妬の憎惡に胸が一杯になつて、コトに就いて怪しからぬ話を造り出した。すると、その造り話が古い出雲迷信の肥えた地面に根附いて、不思議なほど大きくなつて行つた。その話の趣向はコトの首のまはりのその三本の柔かい筋を見て、ジンの惡る賢い心が思ひ付いたのであつた。コトは『ヌケクビ』だと觸れ出したのである。

 ヌケクビとは何か。『クビ』とは首をも意味し頭をも意味する。『ヌケル』といふは匍ふ、潛み行く、密行する、窃つと辷り出るといふ意味である。ヌケクビだといふのは體軀(からだ)から離れて、夜――それだけが――忍びあるく首だといふのである。

 コトは二度結婚した。そして、その二度目の緣組は幸福であつた。が、その最初の夫はコトに大變な心配をさせ、下らぬ女と一緒になつて、到頭コトを棄てて逃げた。その後その男については全く何の噂も無かつた、だからジンはその男が姿を隱した因由(いはれ)の怖ろしい話をこしらへても大丈夫だと思つた。男がコトを棄てたのは、或る晩眼を覺ますと、その若い妻の頭が枕から起き上つて居て、身體(からだ)の他(ほか)の處は動かずに居るのに、その首は大きな白い蛇のやうに伸びて居るのを見たからである。見ると、その頭はいつまでも長くなる首に支へられて、遠くの部屋へ入つて燈の油を皆んな飮んで、それからそろそろと枕へ――首は同時に縮まつて――歸つて來た。『そこで亭主は起き上つて、大恐(おほおそ)れで家(うち)を逃げてしまひました』とジンは言つた。

 話は一つが又一つを生むものだから、いろんな妙な噂が可哀相にコトに就いて擴まり始めた。或る巡査が、夜晩く、身體(からだ)の無い女の頭が庭の壁へ垂れ下つて居る、或る木の實を咬んで居るのを見た。ヌケクビだと知つて劔の平(ひら)でそれを打つた。首は蝙蝠が飛ぶほど早く縮んで逃げたが、それでもそれが、あの髮結の顏だと解るほどの時間(ひま)はあつたといふ話もあつた。『え、そりや本當です』と、其事があつたとされた翌日の朝ジンは觸れるのであつた、『噓だとお思ひになりや、コトに會ひたいからと言つてやつて御覽なさい。出られやしません、顏が全るで脹れ上つて居ますから』。ところがこの死後の陳述は――コトはその時分激しい齒痛を患つて居たから――事實であつた。そして其事實が、この虛事(そらごと)の助けになつた。そしてその作話が地方新聞にきこえると、その新聞は――ただ一般人民の輕信の珍らしい一例として――その事を載せた。するとジンは言ふのであつた、『私しや本當の事をお話し致すんぢやありませんか。御覽なさい、新聞が書いて居ります!』

 そこで物見高い人達が、多勢コトの小さな家の前に集つて來て、コトが自殺しないやうにと、始終夫は見張して居なければならぬほどに、コトの生涯を堪へがたひものにした。幸にもコトには、髮結として數年そこへ傭はれて居た、縣知事の家に心の善い友があつた。で、縣知事はその怪しからぬ事を耳にして、それについて公然の非難の文を書いて、それに自分の名を署して印行した。ところが松江の人達は、その老武士たる縣知事を神の如くに尊敬して居て、その片言隻句をも信ずるのであつた。で、彼が書いたものを見て、自ら恥ぢ、かつまたその虛言とその虛言(うそつき)者を非難した。そしてその小さな髮結は、やがて一般の同情の爲め前よりか一層繁昌するやうになつた。

 

 昔時の極はめて異常な信仰のうち、出雲やまた他の處に、亞米利加の所謂『旅興行の附屬(つけたり)の觀物(みせもの)』で生き殘つて居るのがある。日本の附屬觀物(つけたりみせもの)にどんなものがあり得るか、無經驗の外國人は決して想像も及ばぬであらう。或る盛んな祭日には觀物師が出て來て、何處かの寺の庭で蓆と竹との蜉蝣的な芝居小屋を建て、怪しい限りの不思議な物で期待を滿腹させ、そして來るのが不意のやうに、不意に姿を消す。鬼の骸骨化け物の爪、『羊ほど大きな』、これが自分が見た、量も異常ならざる觀物のうちにあつた。化け物の爪といふは非常に見事な鱶の齒であつた。鬼の骸骨といふは――その頭蓋骨へ巧に角を附けたほかは全く――猩々のであつた。そしてその驚くべきは、自分は馴らした袋鼠だと發見した。自分の充分に合點の行かなかつたのは、ヌケクビの見せ物で、若い女が、見たところ二呎ばかりの長さに首を伸して、その芸當中もの凄いいろんな顏をして見せた。

 

[やぶちゃん注:「ヸイナスの頸珠」原文の“the necklace of Venus”で検索すると英文ウィキには――首筋に、何重にも出現する、肌の地色の色素沈着が進むことによって生ずる白い斑紋状の皮膚状態(それが女性の場合はネックレスのように見える)を指すといったようなことが書いてある。光アレルギー性光線過敏症による帯状疹や、重い皮膚疾患としてはpoikiloderma(ポイキロデルマ:血管性多形皮膚萎縮症poikiloderma vascularis atrophicansなどというのもあるようだが、コトさんのそれは個人差による、単に首筋の皮膚の皺が顕著に見えるだけのもので、病的なものとは思われない。……因みに……これを調べているうち……「チェルノブイリ・ネックレス(Chernobyl necklace)」「チェルノブイリの首飾り」という哀しい邦文ウィキの記載を見つけてしまった……『甲状腺癌治療のため甲状腺の摘出手術を受けたあと、患者の首に残る水平方向の手術創(傷跡)のことで、とりわけ放射線に起因して発症したものに対して用いられる用語で』、『チェルノブイリに近いベラルーシでの症例が多いことから、ベラルーシアン・ネックレス(英: Belarussian necklace)と呼ばれる場合もある』。『装身具としてのネックレスとの形状の類似性によりこう呼ばれるほか、宝石・貴金属が持つイメージと原子力事故の負のイメージをあえて対比させる形で用いられることがある』とある……

「標緻」底本のママ。この単語自体を知らないが、「緻」はきめ細かい、の謂いであるから、細部に及んだ特異な標識という意味でとれなくもないが、これは既に本章の「一」に訳語として出ているまさに「しるし」の謂いの「標徴」の誤植ではないかと深く疑っている。どうしようか迷ったが、訂さずに示しておいた。

「オコトサン」「お琴」か?

「ヌケクビ」「拔け首」。後のハーンが「怪談」KWAIDAN)の“ROKURO-KUBI”で書くこととなる、所謂、「ろくろっ首」「轆轤(ろくろ)首」のことである(私の最も最初のハーンの恐怖体験は小学三年の時に読んだこの「ろくろ首」だったのである)。ウィキの「ろくろ首より引く(記号の一部を変更・省略した)。『大別して、首が伸びるものと、首が抜け頭部が自由に飛行するものの』二つのタイプが『存在する。古典の怪談や随筆によく登場し、妖怪画の題材となることも多い』。本話の場合、最初のジンのデッチアゲ話では首が延びるタイプ、巡査の最初の目撃例では首が抜けている両タイプを示しているのが面白い。『ろくろ首の名称の語源は』、『ろくろを回して陶器を作る際の感触』説・『長く伸びた首が井戸のろくろ(重量物を引き上げる滑車)に似ている』という説・『傘のろくろ(傘の開閉に用いる仕掛け)を上げるに従って傘の柄が長く見える』などの説がある。『外見上は普通の人間とほとんど変わらないが、首が胴体から離れて浮遊する抜け首タイプと、首だけが異常に伸びるタイプに分かれ』、『こちらの首が抜けるものの方が、ろくろ首の原型とされている。このタイプのろくろ首は、夜間に人間などを襲い、血を吸うなどの悪さをするとされる。首が抜ける系統のろくろ首は、首に凡字が一文字書かれていて、寝ている(首だけが飛び回っている)ときに、本体を移動すると元に戻らなくなることが弱点との説もある。古典における典型的なろくろ首の話は、夜中に首が抜け出た場面を他の誰かに目撃されるものである』。『抜け首は魂が肉体から抜けたもの(離魂病)とする説もあり、『曾呂利物語』では「女の妄念迷ひ歩く事」と題し、女の魂が睡眠中に身体から抜け出たものと解釈している。同書によれば、ある男が、鶏や女の首に姿を変えている抜け首に出遭い、刀を抜いて追いかけたところ、その抜け首は家へ逃げ込み、家の中からは「恐い夢を見た。刀を持った男に追われて、家まで逃げ切って目が覚めた」と声がしたという』。この「曾呂利物語」『からの引き写しが多いと見られている怪談集『諸国百物語』でも「ゑちぜんの国府中ろくろ首の事」と題し、女の魂が体から抜け出た抜け首を男が家まで追いかけたという話があり』、『この女は罪業を恥じて夫に暇を乞い、髪をおろして往生を遂げたという』。『橘春暉による江戸時代の随筆『北窻瑣談』でもやはり、魂が体から抜け出る病気と解釈している。寛政元年に越前国(現・福井県)のある家に務めている下女が、眠っている間に枕元に首だけが枕元を転がって動いていた話を挙げ、実際に首だけが胴を離れるわけはなく、魂が体を離れて首の形を形作っていると説明している』。『妖怪譚の解説書の性格を備える怪談本『古今百物語評判』では「絶岸和尚肥後にて轆轤首を見給ふ事」と題し、肥後国(現・熊本県)の宿の女房の首が抜けて宙を舞い、次の日に元に戻った女の首の周りに筋があったという話を取り上げ、同書の著者である山岡元隣は、中国の書物に記されたいくつかの例をあげて「こうしたことは昔から南蛮ではよく見られたことで天地の造化には限りなく、くらげに目がないなど一通りの常識では計り難く、都では聞かぬことであり、すべて怪しいことは遠国にあることである」と解説している。また香川県大川郡長尾町多和村(現・さぬき市)にも同書と同様、首に輪のような痣のある女性はろくろ首だという伝承がある。随筆『中陵漫録』にも、吉野山の奥地にある「轆轤首村」の住人は皆ろくろ首であり、子供の頃から首巻きを付けており、首巻きを取り去ると首の周りに筋があると記述されている』。『松浦静山による随筆『甲子夜話』続編[やぶちゃん注:これは巻第二十二にある「常州奇病 幷 狸怪談」である。によれば、常陸国である女性が難病に冒され、夫が行商人から「白犬の肝が特効薬になる」と聞いて、飼い犬を殺して肝を服用させると、妻は元気になったが、後に生まれた女児はろくろ首となり、あるときに首が抜け出て宙を舞っていたところ、どこからか白い犬が現れ、首は噛み殺されて死んでしまったという』。『これらのように、ろくろ首・抜け首は基本的に女性であることが多いが、江戸時代の随筆『蕉斎筆記』には男の抜け首の話がある。ある寺の住職が夜寝ていると、胸の辺りに人の頭がやって来たので、それを手にして投げつけると、どこかへ行ってしまった。翌朝、寺の下男が暇を乞うたので、訳を聞くと「昨晩、首が参りませんでしたか」と言う。来たと答えると「私には抜け首の病気があるのです。これ以上は奉公に差し支えます」と、故郷の下総国へ帰って行った。下総国にはこの抜け首の病気が多かったとされる』。『根岸鎮衛による随筆『耳嚢』では、ろくろ首の噂のたてられている女性が結婚したが、結局は噂は噂に過ぎず、後に仲睦まじい夫婦生活を送ったという話がある。本当のろくろ首ではなかったというこの話は例外的なもので、ほとんどのろくろ首の話は上記のように、正体を見られることで不幸な結果を迎えている』(これについては私の電子テクスト「耳嚢 巻之五 怪病の沙汰にて果福を得し事」を参照されたい)。『江戸時代の百科事典『和漢三才図会』では後述の中国のものと同様に「飛頭蛮」の表記をあて、耳を翼のように使って空を飛び、虫を食べるものとしているが、中国や日本における飛頭蛮は単なる異人に過ぎないとも述べている』。『小泉八雲の作品『ろくろ首』にも、この抜け首が登場する。もとは都人(みやこびと)で今は深山で木こりをしている一族、と見せかけて旅人を食い殺す、という設定で描かれている』。『「寝ている間に人間の首が伸びる」と言う話は、江戸時代以降『武野俗談』『閑田耕筆』『夜窓鬼談』などの文献にたびたび登場する』。『これはもともと、ろくろ首(抜け首)の胴と頭は霊的な糸のようなもので繋がっているという伝承があり、石燕などがその糸を描いたのが、細長く伸びた首に見間違えられたからだとも言われる』。『『甲子夜話』に以下の話がある。ある女中がろくろ首と疑われ、女中の主が彼女の寝ている様子を確かめたところ、胸のあたりから次第に水蒸気のようなものが立ち昇り、それが濃くなるとともに頭部が消え、見る間に首が伸び上がった姿となった。驚いた主の気配に気づいたか、女中が寝返りを打つと、首は元通りになっていた。この女中は普段は顔が青白い以外は、普通の人間と何ら変わりなかったが、主は女中に暇を取らせた。彼女はどこもすぐに暇を出されるので、奉公先に縁がないとのことだった[やぶちゃん注:これは「甲子夜話卷之八」に載る「轆轤首の話」。]。この『甲子夜話』と、前述の『北窻瑣談』で体外に出た魂が首の形になったという話は、心霊科学でいうところのエクトプラズム(霊が体外に出て視覚化・実体化したもの)に類するものとの解釈もある』。『江戸後期の大衆作家・十返舎一九による読本『列国怪談聞書帖』では、ろくろ首は人間の業因によるものとされている。遠州で回信という僧が、およつという女と駆け落ちしたが、およつが病に倒れた上に旅の資金が尽きたために彼女を殺した。後に回信は還俗し、泊まった宿の娘と惹かれ合って枕をともにしたところ、娘の首が伸びて顔がおよつと化し、怨みつらみを述べた。回信は過去を悔い、娘の父にすべてを打ち明けた。すると父が言うには、かつて自分もある女を殺して金を奪い、その金を元手に宿を始めたが、後に産まれた娘は因果により生来のろくろ首となったとのことだった。回信は再び仏門に入っておよつの墓を建て、「ろくろ首の塚」として後に伝えられたという』。『ろくろ首を妖怪ではなく一種の異常体質の人間とする説もあり、伴蒿蹊による江戸時代の随筆『閑田耕筆』では、新吉原のある芸者の首が寝ている間に伸びたという話を挙げ、眠ることで心が緩むと首が伸びる体質だろうと述べている』。『文献のみならず口承でもろくろ首は語られており、岐阜県の明智町と岩村の間の旧街道に、ヘビが化けたろくろ首が現れたといわれている。長野県飯田市の越久保の口承では、人家にろくろ首が現れるといわれた』。『文化時代には、遊女が客と添い寝し、客の寝静まった頃合に、首をするすると伸ばして行燈の油を嘗めるといった怪談が流行し、ろくろ首はこうした女が化けたもの、または奇病として語られた。またこの頃には、ろくろ首は見世物小屋の出し物としても人気を博していた』。「諸方見聞録」によれば、文化七(一八一〇)年に『江戸の上野の見世物小屋に、実際に首の長い男性がろくろ首として評判を呼んでいたことが記されている』。『明治時代に入ってもろくろ首の話がある。明治初期に大阪府茨木市柴屋町の商家の夫婦が、娘の首が夜な夜な伸びる場面を目撃し、神仏にすがったが効果はなく、やがて町内の人々にも知られることとなり、いたたまれなくなってその地を転出し、消息を絶ったという』。日本国外の「類話」の項。『首が胴体から離れるタイプのろくろ首は、中国の妖怪「飛頭蛮」(ひとうばん、頭が胴体から離れて浮遊する妖怪)に由来するとも言われている。また、首の回りの筋という前述の特徴も中国の飛頭蛮と共通する。また同様に中国には「落頭」(らくとう)と言う妖怪も伝わっており、首が胴体からスポッと抜けて飛び回り、首が飛び回っている間は布団の中には胴体だけが残っている状態になる。三国時代の呉の将軍・朱桓(しゅかん)が雇った女中がこの落頭だったと言う話が伝わっている。耳を翼にして飛ぶと言う。また秦の頃には南方に「落頭民」(らくとうみん)と言われる部族民がおり、その人々は首だけを飛ばすことができたと言う』。『また東南アジアではボルネオ島に「ポンティ・アナ」、マレーシアに「ペナンガラン」という、頭部に臓物がついてくる形で体から抜け出て、浮遊するというものである伝承がある。また、南米のチョンチョンも、人間の頭だけが空を飛び回るという姿をしており、人の魂を吸い取るとされる』。『妖怪研究家・多田克己は、日本が室町時代から安土桃山時代にかけて南中国や東南アジアと貿易していた頃、これらの伝承が海外から日本へ伝来し、後に江戸時代に鎖国が行われたことから、日本独自の首の伸びる妖怪「ろくろ首」の伝承が生まれたものとみている。しかし、日本のもののように首が伸縮する事象は錯覚も含めてある程度考えられることなのに対し、海外のように首が胴から離れるということとはかけ離れているため、これら海外の伝承と日本の伝承との関連性を疑問視する声もある』。本邦では、『平将門の首は晒し者にされた後も腐らず毎晩恨み言を語り、自分の体を探し求め宙を飛んだという伝承があ』り、興味深い記載として「七尋女房」(七尋は約十二・六メートル)という首の長い妖怪が山陰にいるとする(後述する)。なお、これらの現象を科学的に検証するならば、『実際に首が伸びるのではなく、「本人が首が伸びたように感じる」、あるいは「他の人がその人の首が飛んでいるような幻覚を見る」という状況であったと考えると、いくつかの疾患の可能性が考えられる。例えば片頭痛発作には稀に体感幻覚という症状を合併することがあるが、これは自分の体やその一部が延びたり縮んだりするように感じるもので、例として良くルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』があげられる(不思議の国のアリス症候群)。この本の初版には、片頭痛持ちでもあったキャロル自らの挿絵で、首だけが異様に伸びたアリスの姿が描かれている(ただし後の版や、ディズニーのアニメでは体全体が大きくなっているように描かれている)。一方、ナルコレプシーに良く合併する入眠時幻覚では、患者は突然眠りに落ちると同時に鮮明な夢を見るが、このときに知人の首が浮遊しているような幻覚をみた人の例の報告があ』り、『夢野久作の小説『ドグラ・マグラ』においては、登場人物の正木博士が「ロクロ首の怪談は、夢中遊行(睡眠時遊行症)状態の人間が夜間、無意識のうちに喉の渇きを癒すために何らかの液体を飲み、その跡を翌朝見つけた人間がそれをロクロ首の仕業であるとした所から生まれたものである」という説を立て』るシークエンスある。『酷使された末に腺病質となって痩せ衰えた遊女が、夜に灯油を嘗めている姿の影が首の長い人間に見え、ろくろ首の話のもとになったとする説もある』。最後にハーンが不思議がった「見世物(奇術)としてのろくろ首」の項がある。『内幕と等身大の人形(頭はない)を利用した奇術であり、現代の分類でいえば、人体マジックに当てはまるものである。ネタの内容は、内幕の前に着物を着せた人形を正座させ、作り物の長い首を、内幕の後ろで体を隠し、顔だけを出している女性の本物の首と、ひもで結ぶ。後は内幕の後ろで体を隠している女性が、立ったり、しゃがんだりすることによって、作り物の首を伸ばしたり、縮めたりして、あたかもろくろ首が実在するかのように見せる。明治時代の雑誌で、このネタばらしの解説と絵が描かれており』、十九世紀の『時点で行われていたことが分かる。当時は学者により、怪現象が科学的にあばかれることが盛んだった時期であり、ろくろ首のネタばらしも、そうした時代背景がある。大正時代においても寺社の祭礼や縁日での見世物小屋で同様の興行が行われ、人気を博していた』(下線やぶちゃん)。『海外の人体マジックでも似たものがあり、落ちた自分の頭を自分の両手でキャッチするものがある(こちらはデュラハン』(Dullahan, Durahan, Gan Ceann:アイルランドに伝わる首のない男の姿をした妖精(女性の姿という説もある)。「首なし騎士」とも呼ばれて「死を予言する者」或いは死神のように人間の魂を刈り獲るとしされる。ここはウィキの「デュラハンに拠った)『の見世物として応用できる)ことから、同様の奇術が各国で応用的にアレンジされ、見世物として利用されたものとみられる。なお、飛頭系の妖怪も幻灯機を用いた奇術で説明がつけられる』とある。最後に記載の御当地の妖怪であるから、やはり、ウィキの「七尋女房」を引いておく。『七尋女房(ななひろにょうぼう、ななひろにょば、ななひろにょうば)または七尋女(ななひろおんな)、七丈女(ななたけおんな)は、島根県東部(出雲地方、隠岐地方)、鳥取県中西部(伯耆地方)に伝わる妖怪。名称の尋とは尺貫法における長さの単位であり、七尋女房はその名の通り身長または首が七尋』『もある巨大な女性の妖怪といわれ、土地によって様々な伝承がある』(下線やぶちゃん)。『隠岐諸島の中ノ島にある島根県隠岐郡海士町では、七尋女房が山道を行くものに様々な怪異をなしたといわれるが、織田信長の時代の以下のような伝説がある。ある男が馬に乗って道を行く途中、何者かが石を投げつけてきた。そこで刀を手にしてそちらへ向かうと、巨大な七尋女房が立ち塞がっていた。七尋女房は気味悪く笑ったかと思うと、川下で洗濯をしようとした。そこで男はやり過ごすと見せかけ、刀で斬りつけた。七尋女房は顔に傷を負って飛び上がり、そのまま石と化した。この男の子孫とされる海士町西地区の中畑という家では、その伝説にまつわる刀と馬具が家宝とされていたという。また、海士町日ノ津の山道にある奇石・女房ヶ石はこの七尋女房が石化したものといわれ』、高六メートル、幅三メートルもあり、しかも少しずつ大きくなっているとも言われている。『また海士町では七尋女房は七尋女婆(ななひろにょうば)とも呼ばれており、あるときに布施村に住む庄屋が馬に乗って石仏道を進んでいたところ、七尋女婆が髪を振り乱して現れたので、刀で斬りつけたところ七尋女婆は消え、そばにあった石仏の首がなくなっており、肩口に斬られた跡があったという』。『島根町(現・松江市)では、浜地区の境の山から海岸の島にまたがって七尋女房が現れ、長い髪を垂らし、黒い歯をむき出し、道を行く人に笑いかけたという』(下線やぶちゃん)。『安来市の七尋女房はたいへん美しく』、七尋もの『長い衣を引きずって物乞いをして歩いていたという。現在でも同市内の本田藪付近には乙御前の塚という塚があり、七尋女房にまつわるものといわれる』(これは狂女の雰囲気で妖怪的でない)。『また鳥取の七尋女房は東伯郡赤碕町(現・琴浦町)梅田に現れ、青白い顔に長い髪を垂らし、悲しそうな声で「小豆三升に米三合、御れい様には米がない」と歌いながら米を研いでいたという。小豆を研ぐ音をたてたという説もある』。『鳥取の州川崎では七尋女といい、桜の古木の下に、首が』七尋も『伸びる妖怪が現れたという。戦国時代の伝説によれば、おみさという女性がある男性と愛し合っていたが、彼には親が決めた婚約者がいたことから、それを悲嘆して日野川の淵に身を投げて蛇身の淵の主となった。しかし洪水で住処の淵が埋まったため、陸に上がってカシの木に姿を変えた。これが日野郡江府町にある県指定天然記念物・七色樫(なないろかし)で、七尋女の正体はこのおみさとも噂されたという』。『明治時代となっても七尋女房の話はあり、島根町立加賀小学校』(現在は廃校。松江市島根町に在った)『の前の川に遊びに行った子供の前に』身長一メートルほどの『女が現れ、「あはは」と笑ったかと思うと七尋女房と化したという』(下線やぶちゃん)。『類似した妖怪に長面妖女(ちょうめんようじょ)がある。江戸時代の奇談集『三州奇談』にあるもので、顔が』一丈(約三メートル)も『ある大女であり加賀国大聖寺(現・石川県加賀市)で津原徳斉という者が出遭ったという』。

「ジン」「お仁」か?

「劔の平(ひら)」サーベルの刀身の刃先や峰(棟)でない、左右の平たい部分。

「首は蝙蝠が飛ぶほど早く縮んで逃げたが、」原文は“It shrank away as swiftly as a bat flies,”妙に気になるのはこの「縮む」である。実は平井呈一氏もここを『す早くサッと縮んで逃げたが、』と訳しておられるのだが、これらはおかしくないか? ここで首は明らかに胴体から離れて首だけが飛んでいる(そういう意味ではハーンの「ろくろ首」のような、中国風の飛頭蛮である)にも拘わらず、何故、「縮む」、であるのか? 確かに“shrank away”の、shrink は「縮む」である。しかし、ここは寧ろ、辞書にある、怯(ひる)む、がよくはないか? 怯んで退いた、とするべきではないか? ジンのデッチアゲに騙されたのは巡査ばかりではなかった、訳者たちもそうだった、のではなかったか? 大方の御批判を俟つものではある。

「全るで」「まるで」。

「縣知事」「第七章 神國の首都――松江(四)」に出た元平戸藩士島根「縣知事籠手田安定」(こてだ やすさだ 天保一一(一八四〇)年~明治三二(一八九九)年)である。明治一八(一八八五)年九月四日に島根県令(県知事)となっている(翌明治十九年七月十九日に「県令」から「知事」に呼称が変更された)。島根県知事の退任は明治二四(一八九一)年四月九日であるからまず彼の可能性しかあり得ないと言い得るのである(ハーンはこの明治二十四年十一月で松江を離れて熊本に移っていることを言い添えておく。彼でないとしたら、次代の県令篠崎五郎しかいないが、たった七ヶ月の間でここに記されたような過去の経緯を想定することは根本的に無理だと私は思うからである)。

「亞米利加の所謂『旅興行の附屬(つけたり)の觀物(みせもの)』」原文を見ればお分かりの通り、所謂、妖しく猟奇的にして扇情的な、身体障碍者の見せ物をも含んだ「サイド・ショー」(但し、こちらは「サイド」で、サーカスの前座的役割を担った)である。日本の場合は所謂、縁日の「見世物小屋」である。ウィキの「見世物小屋」によれば、『珍奇さや禍々しさ、猥雑さを売りにして、日常では見られない品や芸、獣や人間を見せる小屋掛けの興行で』、そのルーツは「散楽」と『いわれるものでバラエティに富む内容であった。そこから猿楽(能)が独立した存在となり、歌舞伎も江戸初期に別種の存在となると、これらの芸能からは見世物的毒気が抜けていった。江戸時代の頃には、今で言うところのサーカスや美術館、動物園、パフォーマーなどの要素を含んでいた』。『さらに各演目が独立してゆき、また文明開化により撃剣、パノラマ、迷路、蝋管レコード屋、電気仕掛け初期の映画などの新たな要素を取り込みながら、明治時代以後に今の形態の見世物小屋に近づいていく。』昭和三〇(一九五五)年頃までは、『寺社のお祭や縁日に小規模な露店と共に、見世物小屋も盛んに興行されていた』。「『〜お代は見てからで結構だよ。さあさあさあさあ入って入って、間もなく始まるよ〜」といった、業界内で「タンカ」と呼ばれる呼び込み口上があり、一種の風物詩として、見世物小屋が盛んだった時代を描くドラマなどにも登場する。見世物小屋は香具師の』一ジャンルであった「タカモノ」(興行物)『でもあり、同様に「藪」と呼ばれるお化け屋敷の興行もタカモノ打ちのバリエーションとして打たれた』。『現在では、興行場所を確保しづらい、風俗の変化により世間が許容しない等の理由で、大きく衰退し』、『このジャンルを興行するものは現状で大寅興行社』一社のみとなり、『もはや風前の灯とも言われる』。『奇形の子供や性行為を覗き穴で見せるなど、文字通り何でも見世物にした。倉田喜弘によると、横浜で『ジャパン・ヘラルド』の主筆を務めたブラック(快楽亭ブラックの父)が』明治五(一八七二)年に『皇居近くの神田橋周辺にあったむしろがけの小屋で「ウサギの死体を食いちぎる子供」なる見世物を見たこと』を契機(これを報道したということであろう)として同年十一月八日に『東京府が「違式詿違条例」(今の軽犯罪法にあたる)を布達』、また、東京においては明治二四(一八九一)年十月三日の『警察令第一五号「観物場取締規則」により、興行場所を浅草公園六区(浅草奥山のすぐ隣りの地区)の一箇所にまとめられた。地方においては巡業形態が続いた。時には、誘拐された子供が人身売買で、足の筋を切られた被虐的な道化役や、見世物として覗き穴の娼婦にするために売り飛ばされてきた例もあったという。社会福祉が発達していなかった頃には、身体障害者が金銭を得る為の仕事であり生活手段の一つでもあった(中村久子など)』。昭和五十(一九七五~一九八四)年代以後には、『身体障害者を舞台に出演させて見世物とする事などに対して取締りが行なわれるようになった』(この最後の箇所には出典要請がかけられてある)。『見世物の演目として珍獣を見せることも行なわれた。珍獣の見世物は江戸時代、寛永年間ころに猪、孔雀を見せたのが最初であると言われている。虎や狼、鶴、鸚鵡などに曲芸をさせることは、寛文年間ころからあった』。『生類憐れみの令によって一時はこの種の見世物が下火になったが』、享保二(一七一七)年に『禁が解かれると再び流行した。以後、八頭八足の牛、三本足雞といった奇形の動物、獏や鯨、ガラン鳥、インコ、雷獣、山嵐、駝鳥、水豹、白牛といった輸入動物の見世物もあった』。文政四(一八二一)年の『駱駝の登場は大変な人気を博し、梁川星巌はそれを見て作詩し、その詩が文人間で愛唱され、その意味で、夫婦が一緒に歩くことを「駱駝」と言うようになったことは頼山陽の書簡に見られる。珍獣の展示は浅草の花屋敷で常設化され、今の動物園につながっていく』。『天保年間には豹、白狸、六足犬、岩獅子、火喰鳥などの見世物もあった』。『この他、大きな板に血糊を付けた物を大イタチ』、『大きな穴に子供を入れて大穴子と称する駄洒落や、猿、犬、鯉などの遺体を組み合わせて作り上げたものを、鬼や河童、龍、人魚など伝説の生物のミイラとして見せることもしていた。これらは常設化され秘宝館とな』った、とある。

「蜉蝣的」「ふいうてき(ふゆうてき)」と音読みしておく。蜉蝣(かげろう)が朝に生まれ夕べに死ぬとされたことから(多くは数日から一週間ほどであるが、数時間の種もいる)人生などの果敢ないことを喩える。

「鱶」老婆心乍ら、「ふか」と読む。鮫。

「猩々」これは今や原文の方が分かり易い。“orangoutang”。現在のオランウータンのこと。現在の哺乳綱サル目ヒト上科ヒト科オランウータン亜科オランウータン属Pongo に分類される、

スマトラオランウータン Pongo abelii

ボルネオオランウータン Pongo pygmaeus

の二種を指す。約一三〇〇万年前にヒト亜科とオランウータン亜科が分岐したと考えられている。以前はオランウータン一種から構成され、基亜種ボルネオオランウータンと亜種スマトラオランウータンとの二亜種に分かれていたが、両者は遺伝的・形態的・生態的に異なる点が多く、飼育下では交雑が可能であるものの、雑種個体は純血個体に比べて寿命が短く、幼児死亡率が高いことが報告されていることから、現在では別種とするのが適当と考えられている。属名Pongo は、十六世紀にアフリカ大陸で発見された人のような怪物(ゴリラもしくは原住民と考えられているもののコンゴ語)に由来し、また、オランウータンという名はマレー語で「森の人」の意。元来は海岸部の人が奥地に住む住民を指す語だったが、ヨーロッパ人によって本種を指す語と誤解されたことに由来するという(以上は主にウィキの「オランウータン」に拠った)。

「袋鼠」同前。“kangaroo”。哺乳綱獣亜綱後獣下綱有有袋上目カンガルー目カンガルー形亜目カンガルー上科カンガルー科 Macropodidae に属するカンガルー類。なお、注意しなくてはいけないのは、現行で「フクロネズミ」と和名するのはカンガルーではなく、同じ袋上目に属するオポッサム目オポッサム科 Didelphidae のオポッサム類だということである。而して寧ろ、オポッサムの方が巨大な鼠と呼ぶに相応しいことも付け加えておこう。

「二呎」六〇・九六センチメートル。]

 

 

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   The family kamiyui, O-Koto-San, the most skilful of her craft in Izumo, is a little woman of about thirty, still quite attractive. About her neck there are three soft pretty lines, forming what connoisseurs of beauty term 'the necklace of Venus.' This is a rare charm; but it once nearly proved the ruin of Koto. The story is a curious one.

   Koto had a rival at the beginning of her professional career,a woman of considerable skill as a coiffeuse, but of malignant disposition, named Jin. Jin gradually lost all her respectable custom, and little Koto became the fashionable hairdresser. But her old rival, filled with jealous hate, invented a wicked story about Koto, and the story found root in the rich soil of old Izumo superstition, and grew fantastically. The idea of it had been suggested to Jin's cunning mind by those three soft lines about Koto's neck. She declared that Koto had a 'NUKE-KUBI. '

   What is a nuke-kubi? 'Kubi' signifies either the neck or head. 'Nukeru' means to creep, to skulk, to prowl, to slip away stealthily. To have a nuke-kubi is to have a head that detaches itself from the body, and prowls about at night―by itself.

   Koto has been twice married, and her second match was a happy one. But her first husband caused her much trouble, and ran away from her at last, in company with some worthless woman. Nothing was ever heard of him afterward,―so that Jin thought it quite safe to invent a nightmare- story to account for his disappearance. She said that he abandoned Koto because, on awaking one night, he saw his young wife's head rise from the pillow, and her neck lengthen like a great white serpent, while the rest of her body remained motionless. He saw the head, supported by the ever-lengthening neck, enter the farther apartment and drink all the oil in the lamps, and then return to the pillow slowly,―the neck simultaneously contracting. 'Then he rose up and fled away from the house in great fear,' said Jin.

   As one story begets another, all sorts of queer rumours soon began to circulate about poor Koto. There was a tale that some police-officer, late at night, saw a woman's head without a body, nibbling fruit from a tree overhanging some garden-wall; and that, knowing it to be a nuke-kubi, he struck it with the flat of his sword. It shrank away as swiftly as a bat flies, but not before he had been able to recognize the face of the kamiyui. 'Oh! it is quite true!' declared Jin, the morning after the alleged occurrence; 'and if you don't believe it, send word to Koto that you want to see her. She can't go out: her face is all swelled up.' Now the last statement was fact,―for Koto had a very severe toothache at that time,―and the fact helped the falsehood. And the story found its way to the local newspaper, which published it―only as a strange example of popular credulity; and Jin said, 'Am I a teller of the truth? See, the paper has printed it!'

   Wherefore crowds of curious people gathered before Koto's little house, and made her life such a burden to her that her husband had to watch her constantly to keep her from killing herself. Fortunately she had good friends in the family of the Governor, where she had been employed for years as coiffeuse; and the Governor, hearing of the wickedness, wrote a public denunciation of it, and set his name to it, and printed it. Now the people of Matsue reverenced their old samurai Governor as if he were a god, and believed his least word; and seeing what he had written, they became ashamed, and also denounced the lie and the liar; and the little hairdresser soon became more prosperous than before through popular sympathy.

 

   Some of the most extraordinary beliefs of old days are kept alive in Izumo and elsewhere by what are called in America travelling side- shows'; and the inexperienced foreigner could never imagine the possibilities of a Japanese side-show. On certain great holidays the showmen make their appearance, put up their ephemeral theatres of rush- matting and bamboos in some temple court, surfeit expectation by the most incredible surprises, and then vanish as suddenly as they came. The Skeleton of a Devil, the Claws of a Goblin, and 'a Rat as large as a sheep,' were some of the least extraordinary displays which I saw. The Goblin's Claws were remarkably fine shark's teeth; the Devil's Skeleton had belonged to an orangoutang,―all except the horns ingeniously attached to the skull; and the wondrous Rat I discovered to be a tame kangaroo. What I could not fully understand was the exhibition of a nuke-kubi, in which a young woman stretched her neck, apparently, to a length of about two feet, making ghastly faces during the performance.

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