フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十九章 英語教師の日記から (五) | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十九章 英語教師の日記から (七) »

2015/11/14

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十九章 英語教師の日記から (六)

          六

 

 舊日本のこの最も邊鄙な地方にでも、植物學、地質學その他の科學が日々教へられる有樣を見る事は頗る驚くべきである。植物生理學や植物の組織の性質は立派な顯微鏡の下に研究される、しかも化學と關係して研究される、そして一定の時期に教師は各組を田舍に率ゐて、標本となるべきその地方の花卉草木を採集してその學期の課業を説明する。有名なる札幌農學校の卒業生の教ふる農學は、全く教育の目的で學校が買ふて維持して居る田畠で實際に説明される。地質學の課業は、湖水の近傍の山々又は海岸の恐るべき斷崖絶壁を訪れて參考とされる、そこでは學生は、地層の形狀又は岩石の歷史のそこに現れた物を親しく學ぶ。湖水を入るる凹地層及び松江近傍の地方は、ハックスレーのすぐれた小册子に示してある教案に隨つて地相學的に研究するところとなつて居る。生物學も又最新最良の方法によつて、又顯微鏡の助けによつて教へられて居る。かくの如き教授の結果は時に驚くべき物がある。私は一人の生徒僅か十六歳の少年が、自ら進んである東京の大學教授のために、海産植物の二百種以上を集めて分類したのを知つて居る。又一人、十七歳の少年が手近に一册の參考書もなく、そして後に自分の發見したところでは一つの誤りも、とり落しもなく、自分のために松江の近傍で見出される凡ての蝶類の科學的目錄を自分の手帳に書いてくれた。

 

    譯註。Huxley18251895)は有名

    な生物學者、(生物學者なるが故に化

    石、その他の研究より physiography

    の著述がある)

 

[やぶちゃん注:「札幌農學校」明治八(一八七五)年五月に最初の屯田兵が札幌郊外の琴似兵村に入地、札幌本府建設から五年が経ち、漸く町の形が出来た北海道石狩国札幌郡札幌(現在の札幌市中央区北二条西二丁目)付近に仮学校を東京から移転、同年七月二十九日に「札幌学校」と改称、さらに翌明治九年八月には「札幌農学校」と改称し、開校式を挙行した(正式改称時期は同年九月)。札幌農学校の初代校長には北海道開拓担当官僚であった調所広丈(ちょうしょひろたけ)、教頭にはマサチューセッツ農科大学学長のウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark 一八二六年~一八八六年)が招かれた。クラークは僅か八ヶ月ばかりの滞在ではあったが、彼から直接に科学とキリスト教的道徳教育の薫陶を受けた同校第一期生には、後の北海道帝国大学初代総長佐藤昌介や東京農学校講師で実業家となった渡瀬寅次郎らがおり、さらに二代目教頭となったウィリアム・ホイーラー(William Wheeler 一八五一年~一九三二年:彼は、かの札幌時計台の設計者でもある)もクラークの精神を引き継ぎ第二期生からは新渡戸稲造・内村鑑三、植物学者として知られる宮部金吾らを輩出、彼らは特に「札幌バンド」と呼ばれ、北海道開拓のみならず、近代日本の発展に大きな影響を与えた。無論、現在の北海道大学の前身である(以上は概ね、ウィキ札幌農学校に拠る)。

「ハックスレー」既注のイギリスの生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley 一八二五年~一八九五年)。「Huxley18251895)は有名な生物學者、(生物學者なるが故に化石、その他の研究より physiography の著述がある」「有名な生物學者」の後の読点はママ。「physiography」は“physical geography”のことで「自然地理学」のこと。

「海産植物」確かに原文は“marine plants”ではあるが、恐らくは顕花性海草類ではなく(それも含んでいた可能性は高いが)、現物を見たわけではないが、その収集品の大部分は海産藻類と推定されるので、海藻と訳して問題ないものと思われる。平井呈一氏も『海藻類』と訳しておられる。何故、拘るかといえば、動物・植物二系統を基本とする古典的分類学にあっては「藻類」は、それこそ十把一絡げに「下等植物」で、単系統を成すものとされてきたのであるが、現在では「藻類」を多系統の発達群と考えるのが普通だからである。即ち、ウィキ藻類」にあるように、『藻類という呼称は光合成を行なうという共通点を持つだけの多様な分類群の総称であり』、その中には、古典的な意味での「植物」とは異なる分類群が既に生まれているからである。なお、この、藻類を「二百種以上を集めて分類した」少年や、「一册の參考書もなく、そして後に自分の發見したところでは一つの誤りも、とり落しもなく」、ハーン「のために松江の近傍で見出される凡ての蝶類の科學的目錄」を作り上げた少年について私は知りたく思う。知見をお持ちの方、是非とも御教授下さるとありがたい。]

 

 

.

   It is no small surprise to observe how botany, geology, and other sciences are daily taught even in this remotest part of Old Japan. Plant physiology and the nature of vegetable tissues are studied under excellent microscopes, and in their relations to chemistry; and at regular intervals the instructor leads his classes into the country to illustrate the lessons of the term by examples taken from the flora of their native place. Agriculture, taught by a graduate of the famous Agricultural School at Sapporo, is practically illustrated upon farms purchased and maintained by the schools for purely educational ends. Each series of lessons in geology is supplemented by visits to the mountains about the lake, or to the tremendous cliffs of the coast, where the students are taught to familiarize themselves with forms of stratification and the visible history of rocks. The basin of the lake, and the country about Matsue, is physiographically studied, after the plans of instruction laid down in Huxley's excellent manual. Natural History, too, is taught according to the latest and best methods, and with the help of the microscope. The results of such teaching are sometimes surprising. I know of one student, a lad of only sixteen, who voluntarily collected and classified more than two hundred varieties of marine plants for a Tōkyō professor. Another, a youth of seventeen, wrote down for me in my notebook, without a work of reference at hand, and, as I afterwards discovered, almost without an omission or error, a scientific list of all the butterflies to be found in the neighbourhood of the city.

« 小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十九章 英語教師の日記から (五) | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十九章 英語教師の日記から (七) »