フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十七章 家の内の宮 (十一) | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十八章 女の髮について (一) »

2015/11/09

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十七章 家の内の宮 (十二)/第十七章~了

        一二

 斯く、極東の家庭での崇拜に於ては、愛の念からして死者は神とされるのである。そして此優しい以人爲神が、自己にも爲れると豫知している事が、老年の自然の悲哀を慰藉の念を以つて和らげるに相違無い。日本では決して死んだ者を我々が爲すが如くに、あんなに早く忘れはせぬ。單純な信仰によつて、死者はなほその愛せる者共のうちに住んで居ると思はれ、家庭に在つてのその地位は、永久に神聖なものとされて居る。そして將に此世を去らんとして居る老齡の家長は、愛らしい唇が家の内の宮の前で、自分の靈に對して夜毎囁いて哭れるといふ事を、信實なる心がその苦しい折には自分に懇願し、その嬉しい折には自分に感謝して呉れる事を、侵しい手が自分の位牌の前へ果物や、花の純潔な供物を、また生前自分が好きであつた品々の美味な食物を置いて呉れ、自分の爲めに、靈と神との前に置いてある小さな盃の中へ、客に侑める香ばしい茶か琥珀色の米のワインを注いで呉れる事を知つて居る。不思議な變化が此國を襲ひつゝある。古昔の習慣は消えつゝある。古昔の信仰は衰へつゝある。今日の思想は次の代の思想ではあるまい――然し、そんなことは一切、彼はその古雅な素朴な美しい出雲では、幸にも少しも知らずに居る。彼は自分の祖先に對するが如く、自分の爲めに彼の小さな燈が、幾代も幾代も點されることだと夢見て居る。彼は、其極はめて和やかな空想で、自分の忘れられることの無い名が記してある彼(あ)の小さな塵だらけな位牌の前で、神道の祈禱にその小さな手を拍つて、そして子たる勤めの辭儀をして居る、まだこの世に生れて居ないものを――自分の子供の子供の子供等を――見て居るのである。

[やぶちゃん注:「以人爲神」「人を以つて神と爲す」と訓じておく。

「爲れる」「なされる」と訓じておく。

「侑める」「すすめる」と訓ずる。「勸める」に同じい。]

 

 

 

   Thus, in this home-worship of the Far East, by love the dead are made divine; and the foreknowledge of this tender apotheosis must temper with consolation the natural melancholy of age. Never in Japan are the dead so quickly forgotten as with us: by simple faith they are deemed still to dwell among their beloved; and their place within the home remains ever holy. And the aged patriarch about to pass away knows that loving lips will nightly murmur to the memory of him before the household shrine; that faithful hearts will beseech him in their pain and bless him in their joy; that gentle hands will place before his ihai pure offerings of fruits and flowers, and dainty repasts of the things which he was wont to like; and will pour out for him, into the little cup of ghosts and gods, the fragrant tea of guests or the amber rice-wine. Strange changes are coming upon the land: old customs are vanishing; old beliefs are weakening; the thoughts of today will not be the thoughts of another age,but of all this he knows happily nothing in his own quaint, simple, beautiful Izumo. He dreams that for him, as
for his fathers, the little lamp will burn on through the generations; he sees, in softest fancy, the yet unborrn
the children of his children's childrenclapping their tiny hands in Shinto prayer, and making filial obeisance before the little dusty tablet that bears his unforgotten name.

« 小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十七章 家の内の宮 (十一) | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十八章 女の髮について (一) »