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2015/11/10

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十八章 女の髮について (二)

       二

 

 日本の女が多く有つて居る髮のやうな、あんなに全く眞直な黑い髮は、少くとも西洋人の思想には、理髮師(クワフユズ)の技術を無上に發揮するのに、不適合のやう思へるかも知れぬ【註】。

 

    註。日本人の髮は總て靑黑だと想ふ

    のは誤である。二つの分明な人種的

    標式がある。一つは髮が純黑では無

    くて濃い褐色で、その上また柔かく

    て細い。日本人の毛(シユヴルウル)

    で波のやうに縮れる、自然の傾向を

    有つて居るのを見ることもあるが、

    それは稀で、甚だしく稀である。此

    處で述べることが出來ぬ妙な理由が

    あつて、出雲の女は縮毛を非常に恥

    ぢる――生れ付の不具なのよりもも

    つと恥ぢる。

 

然しカミユヒの手腕はあらゆる美的氣まぐれのまにまに、それを取扱ふことが出來るやうにして居る。尤も、捲毛といふものは無い、また捲髮用の鏝といふものも無い。然し何たる不思議な美くしい形を採るやうに女の髮がされることか!貝形、突出、廻轉、渦卷、引延べ、其各々が恰も支那の大家の書の筆の蹟の繫がりの如くに、それからそれへと和やかに移つて行く!カミユヒの技術に、巴里の理髮師(クワフユズ)の熟練に遙かに優つて居る。日本人の工夫力は、この人種の神話時代から【註】、女の髮の結び方に美くしい趣向の發明と、改良とに盡くされて居る。

 

    註。古事記執筆の時代にすら髮を結

    ふ技術は、幾分發達して居たに相違

    無い。チエンバレン教授のその飜譯

    の緒言三十一頁を見られよ。また、

    第一卷第九節、第七卷第十二節、第

    九卷第十八節、その他を見られよ。

 

だから、日本ほど斯んなに數多い美くしい結ひ方は、これまで他のどんな邦にも多分無いことであらう。其結ひ方は幾世紀を經て變化し來たつた。或る時は意匠が驚く許り複雜であり、或時は――長い黑髮を束ねず、その儘腰の下まで垂らすといふ、あんなに多くの古風な繪で、我々に傳へられて居る、あの優雅な風習のやうに――みやびな筒單なものであつた【註】。

 

    註。美術の專門家は、それに人の姿

    が現れて居れば、署名の無いカケモ

    ノ或は他の藝術品の時代を、女の人

    物の髮の結ひ方で決定し得るのであ

    る。

 

然し我々がその記錄を繪に於て、有つて居る髮の型は、一々それ獨得の著しい妙味を有つて居た。印度、支那、馬來、朝鮮の美の觀念が、この神の國へ到來して、その生得の一層美はしい優美の思想に取込まれて變形したのである。佛教も亦、これは日本の藝術と思想とにいかにも深い影響を及ぼしたものであるが、恐らくは結髮の風にも影響を與へたのであらう。その女性の神は非常に美しい髮の結ひ樣をして居るからである。觀音或は辨天の髮を、それから――大寺院の天井の上の、虛空に浮いて居るあの少女天使――天人(てんにん)の卷髮に目を留めて看るが宜い。

 

[やぶちゃん注:「理髮師(クワフユズ)」原文“the coiffeuse。フランス語由来のアメリカ英語。女髪結い、女性美容師の謂いである。敢えて音写するなら「クゥワファイズ」。

「毛(シユヴルウル)」原文“chevelure”。「髪の生えた頭」から「髪」の意。やはり綴りからお分かりのように、フランス語由来。音写するならまさに「シュヴルゥル」で正しい。

「此處で述べることが出來ぬ妙な理由があつて、出雲の女は縮毛を非常に恥ぢる」謂いからの推測であるが、これは黒い縮れ毛が陰毛と似ているからではなかろうか?

「不具」現行では差別的で不適切な表現である。

「チエンバレン教授のその飜譯の緒言三十一頁を見られよ。また、第一卷第九節、第七卷第十二節、第九卷第十八節、その他を見られよ」この訳者(大谷正信と推定)はこれまでの「チエムバレン」(落合貞三郎と推定)ではなく、現行に近く、かく音写する。以前に注した通り、私はチェンバレンの「古事記」を読んだことがない。向後、訳本を手に入れた場合は、追加注をすることもあろう。

「カケモノ」「掛物」。軸装の絵。

「馬來」マレー(Malay)。現在のマレー半島とその周辺の島々の総称。マライ。狭義には「馬來西亞」でマレーシアであるが、本書執筆当時(一八九二年)はイギリス北ボルネオ会社により統治されるイギリスによる植民地統治下にあった(マレーシアの成立は一九六三年)。但し、ここでハーンが述べているそれは、かつてのマラッカ王国(成立は一四〇〇年)やその前史及び、後のオランダやイギリス統治時代ぐらいまでの広範な謂いとなろう。

「大寺院の天井の上の、虛空に浮いて居るあの少女天使――天人」飛天のこと。ウィキの「飛天」より引く。『飛天(ひてん)とは仏教で諸仏の周囲を飛行遊泳し、礼賛する天人。仏像の周囲(側壁や天蓋)に描写されることが多い』。『その起源はインドと言われるが、オリエントの有翼天人像がシルクロード経由で伝わったものともされ、はっきりとは分からない』。『ペルシャ辺りを起源とする有翼天人はゾロアスター教で空中から飛来するとされる精霊(フラワシ Frawashi)を象ったものともされ、ターク・イ・ブスタン(サーサーン朝)やパサルガダエ(キュロス大王宮廷跡)など古代ペルシャ遺跡にその姿が見られる。 これらの表象はエジプトやメソポタミアにも波及、イスラエルの天使やギリシャのエロス、ニケといった有翼神像にも影響を与えた』。『仏教の飛天はそれらオリエントの神々と異なり翼を持たないことが特徴である。しかしガンダーラから西域では有翼像が見られている。多くは天衣(はごろも)をまとった女性像として描かれるため「天女」とも呼ばれる』。『阿弥陀如来などの仏を中心に、花を散らし楽を奏し香を薫じるなどして優雅に舞う姿が一般的に見られる。ガンダーラ美術にはすでにその姿が描かれており、インドではアジャンター、中国では敦煌や雲崗の石窟寺院においてその優美な姿を数多く見せている。日本では法隆寺金堂壁画や薬師寺東塔水煙、平等院鳳凰堂後背、法界寺阿弥陀堂壁画などにその作例が見られる』。]

 

 

.

   Such absolutely straight dark hair as that of most Japanese women might seem, to Occidental ideas at least, ill-suited to the highest possibilities of the art of the coiffeuse. [2] But the skill of the kamiyui has made it tractable to every aesthetic whim. Ringlets, indeed, are unknown, and curling irons. But what wonderful and beautiful shapes the hair of the girl is made to assume: volutes, jets, whirls, eddyings, foliations, each passing into the other blandly as a linking of brush-strokes in the writing of a Chinese master! Far beyond the skill of the Parisian coiffeuse is the art of the kamiyui. From the mythical era [3] of the race, Japanese ingenuity has exhausted itself in the invention and the improvement of pretty devices for the dressing of woman's hair; and probably there have never been so many beautiful fashions of wearing it in any other country as there have been in Japan. These have changed through the centuries; sometimes becoming wondrously intricate of design, sometimes exquisitely simple,as in that gracious custom, recorded for us in so many quaint drawings, of allowing the long black tresses to flow unconfined below the waist. [4] But every mode of which we have any pictorial record had its own striking charm. Indian, Chinese, Malayan, Kōrean ideas of beauty found their way to the Land of the Gods, and were appropriated and transfigured by the finer native conceptions of comeliness. Buddhism, too, which so profoundly influenced all Japanese art and thought, may possibly have influenced fashions of wearing the hair; for its female divinities appear with the most beautiful coiffures. Notice the hair of a Kwannon or a Benten, and the tresses of the Tennin,—those angel-maidens who float in azure upon the ceilings of the great temples.

 

2 It is an error to suppose that all Japanese have blue-black hair. There are two distinct racial types. In one the hair is a deep brown instead of a pure black, and is also softer and finer. Rarely, but very rarely, one may see a Japanese chevelure having a natural tendency to ripple. For curious reasons, which cannot be stated here, an Izumo woman is very much ashamed of having wavy hair—more ashamed than she would be of a natural deformity.

3 Even in the time of the writing of the Kojiki the art of arranging t hair must have been somewhat developed. See Professor Chainberlai 's introduction to translation, p. xxxi.; also vol. i. section ix.; vol. vii. section xii.; vol. ix. section xviii., et passim.

4 An art expert can decide the age of an unsigned kakemono or other work of art in which human figures appear, by the style of the coiffure of the female personages.

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