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2015/11/02

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (一三)

        一三

 庭の後の小山の高い杜は鳥類に富んで居る。野ウグヒス、梟、野鳩、餘りに多い鳥、それから夜不思議な音をさせる――深い長いフウフウといふ音を立てる――妙な鳥が一羽棲むんで居る。これはアハマキドリ即ち『粟蒔き鳥』と呼ばれて居る。百姓がその聲を聞いて粟を蒔く時分だと知るからである。餘程小さなそして鳶色な、極めて臆病な、そして、自分の知り得る限りでは、全然その習慣に於て夜の鳥である。

 が稀に、甚だ稀に、それよりもなほ遙か不思議な叫びが、ホトトギスといふ綴音を苦しんで叫ぶ人間の聲のやうな聲が、夜間此邊の街路で聞かれる。その叫び聲とそれを發する者の名と同一不二である、即ちホトトギスである。

 これは、それに就いて不思議な話のある鳥である。實は生命ある此世の物では無くて、闇の國からの夜のさまよひ者であると人は言ふからである。冥途ではその棲家はあらゆる靈魂が、審判の場に達する爲めに通らねばならぬ。あの日の光りの無い死出の山のうちにあるといふ。毎年一度來る。その來る時節は月の古昔の教へ方で言つて、五月の末である。百姓はその聲を聽いて互に『さあ米を蒔かねばならんぞ、ジデノタヲサが來たから』と言ふ。タヲサといふ語は、古昔の支配時代のムラ即ち村の長といふ意味である。が、どうしてホトトギスを死出のタヲサと呼ぶのか自分は知らぬ。靈魂が死の王閻魔の國へのいやな旅路の途中その上で、いつも休息をする死出の山の或る暗い、小村からの靈だと多分思はれて居るのであらう。

 その叫び聲はいろいろに解釋されて居る。或る人はホトトギスは、自分の名を實は繰返すのでは無くて、ホンゾンカケタカ(ホンゾン懸けたか【註】)と尋ねるのだといふ。他の人はその解釋を支那人の智慧に置いて、この鳥の言葉は『不如歸』を意味するのだと斷言する。故郷を離れて遠く旅して、他の遠國でホトトギスの聲を聽く者は、誰も懷郷の病に罹るといふ事、この事は少くとも眞實である。

    註。ホンゾンとは此處では佛の誕生
    日即ち昔の四月の八日だけに寺院で、
    一般の人に見せる神聖なカケモノ即
    ち繪の意である。ホンゾンとはまた
    佛寺で主たる佛像をも意味する。

 その聲はただ夜だけきかれ、それも最も屢々滿月の夜で、そして眼に見えぬほど空高く翔りながら啼くのだと云ふ。そこで或る詩人は、それに就いてかう歌つて居る――

    ヒトコヱハ

    ツキガナイタカ

    ホトトギス

 また今一人の詩人はかう書いて居る――

    ホトトギス

      ナキツルカタヲ

    ナガムレバ

      タダアリアケノ

      ツキゾノコレル

 都會の住人は、ホトトギスの聲を聽かずに一生を送ることがあるかも知れぬ。籠に入れると、この小さな鳥は無言で居て死んでしまう。あんなに多くの絶妙な詩歌を鼓吹し來たつて居るその奇異な啼聲を聽かうといふので、日暮から夜明まで、露に濡れて詩人は屢々甲斐無く待つ。が、その聲を聽いたことのある人は、手傷を受けて死ぬる人の叫び聲に、その聲を譬へて居る程にそれを悲しいものと思つた。

    ホトトギス

      チニナクコヱハ

    アリアケノ

      ツキヨリホカニ

      キクヒトモナシ

 出雲の鳥に就いては、自分は自分が教へて居る、日本人の生徒の一人が物した作文を引用して滿足しよう。

[やぶちゃん注:以下の引用は底本では二行目以降が総て二字下げである。]

 『梟は暗い處でも物の見える嫌な鳥であります。泣く子供は梟が取りに來るぞと嚇されて怖がります。梟は、ホ!ホ!ソロツトコウカ?と啼くからであります。その意味は、「お前!そつと私ははいつて來なければならぬのか」であります。それからまた、ノリツケホセ!ホ!ホ!と啼きます、その意味は「お前は明日洗濯するに使ふ糊をつくるのか」でありますiそして女はその啼聲を聽くと、明日は天氣だと知ります。それからまた「トトト」と啼きます。それは「その人は死ぬる」といふことであります。それから「コウトコツコ」と啼きます。それは「その男の子は死ぬる」といふことであります。だから皆此鳥を嫌ひます。それから鴉は之を大變嫌ひますから、鴉を取るのに使ひます。百姓は田地に梟を置いて置きます。すると其處の鴉がみんなそれを殺しに來て、しかと罠に捕へられます。この事は私共は他人に對する嫌惡の念に從つてはならぬといふ事を教へて居ます』 

 一日中市街の上を舞うて居る鳶は、近處には棲んで居ない。その巣は靑い峰の上にあるのである。が魚を捕へたり、裏庭から物を盜んだりして、その時間の大部分を費す。これは囃子や庭に迅速且つ突然の海賊的訪問をする。そしてその――ピイヨロヨロ、ピイヨロヨロといふ――不吉な啼聲が町の上に、夜明から日沒まで、間を置いてきこえる。確かに羽毛(はね)の生えた物總ての中で一番不遜な――その盜賊仲間たる鴉よりも、もつと不遜なぐらゐな――奴である。魚屋の手桶から鯛を、或は子供の手から油揚を盜みに五哩の空からさつと降りて、その窃盜被害者が小石拾ひに屈む間もあらせず、矢の如く雲表に立歸る。だから『鳶に手から油揚【註】を攫はれたやうに吃驚した顏をして居る』といふ譬へがある。

    註。大豆の粉即ち豆腐から造つたドオナツトのやうなもの。

その上、鳶はどんな物を盜むのが當り前だと思つて居るか分つたものではない。例を擧げると、自分の近處の下女が、飯粒で造つて巧妙に染めた、一つなぎの小さな眞紅の珠を髮に着けて、この間川へ行つた。と、一羽の鳶がその頭上に下りて、その珠の紐を引ちぎつて呑んだ。が、前の晩係蹄で捕へて、それから水に浸けて殺した鼠か二十日鼠を鳶に食はせるのは非常に面白い。鼠の死骸を見える處へ出すが早いか、鳶は空から飛び降りてそれを持逃げる。時折鴉が鳶の機先を制することがあるが、その鴉はその穫物を自分のものにして置くには、實際非常に迅く林に達し得なければならぬ。子供達は斯んな歌をうたふ――

    トビ、トビ、マウテミセ、

    アシタ ノ バン ニ

    カラス ニ カクシテ

      ネズミヤロ。

 舞ふと云ふのは、空を飛んで居る時の鳶の翼の、あの美しい運動を云つて居るのである。兩手を伸ばして、その絹の着物の長い廣い袖を振り動かす、マヒコ即ち舞妓のあの優美な身振に暗示して、その運動を詩的に喩へて居るのである。

 自分の家の背後の森には、鴉の數多き小屯營地があるのであるが、鴉軍の大本營は、自分の前側の部屋から見える古昔の城地の松林である。毎夕同じ時刻にみんな飛び歸るのを見るのは、興味ある眺めで、民衆の想像心はこれに對しての面白い比較を、慌て急いで火事へ走つて行く人達に見出して居る。この比較が、その巣へと歸り行く鴉に向つて、子供等が歌ふ歌の意味を説明する、――

    アトノカラス サキヘイネ、

    ワレガイヘガ ヤケルケン、

    ハヨインデ ミヅカケ、

    ミヅガナキヤ ヤラウゾ、

    アマツタラ コニヤレ、

    コガナキヤ モドセ。

 孔子の教は鴉に德を見出して居るやうに思はれる。『カラスニハムポノカウアリ』といふ日本の諺がある。鴉はハムポの孝を行ふといふ意味で、もつと文字通りに譯すると『鴉にハムポの孝在り』になる。ハムポとは文字通りに言へば『養を返へす』である。子鴉は自分が丈夫になると、親を養うて親の世話に酬ゆると云ふ。親孝行の今一つの例を鳩が提供して居る。『ハトニサンシノレイアリ』――鳩はその親の三枝下に止まる。もつと文字通りに譯すれば、『行ふ三枝の禮がある』である。

 野鳩(ヤマバト)の啼聲は、これは自分は殆んど毎日森で鳴くのを聽くが、これまで自分の耳に達した音(ね)のうちで、一番美はしい物哀れなものである。出雲の百姓は此鳥はかうかういふ言葉を述べるのだと言ふが、如何さま百姓が主張する處の綴音を覺えた後で、これを聽くとさうのやうに思へる。――

    テテ

     ポツポオ、

    カカ

     ポツポオ、

    テテ

     ポツポオ、

    カカ

     ポツポオ、

    テテ…………(突然に止む)

 

 『テテ』はに『父』の、『カカ』は『母』の赤ん坊言葉である。そしてポツポオは幼兒の言葉では「胸【註】」を意味する。

    註。パパア及びママアといふ語は、
    日本の赤ん坊言葉にある。が、その
    意味は我々の或は想像するものとは
    全く異ふ。ママア即ち通例の敬語を
    添へてのオマムマは『炊いた米』の
    意味である。パパアは『煙草』の意
    味である。

 野ウグヒスがまた屢々その歌を以てして、我が夏を快よくし、そして多分籠に飼つて居る自分の愛鳥の歌に惹付けられてであらう、時、家の甚だ近くまで來る。ウグヒスはこの國では極めて普通である。この町附坂の何處の林にも神聖な杜にも棲んで居る。暖い季節に自分が出雲を旅行した折、何處か蔭深い處でその鳴く音をきかぬことは無かつた。此處でもウグヒス、其處でもウグヒスである。一二圓で買へる鶯もあるが、能く馴らした、駕籠で育てた歌ひ手は時に百圓を下らざる價を呼ぶことがある。

 この華車な動物に就いて妙な或る信仰を始めて聞いたのは、小さな村寺でのことであつた。日本では、屍體を埋葬に運ぶ棺は西洋の棺とは全然異ふ。驚く許り小さな四角な箱で、その中へ死者は坐つた姿勢に置かれる。大人の屍體がどうしてあんな小さな場所に收められるのか、外國人には充分に一個の謎であらう。所謂死後強直(リゴルモルチス)の場合遺骸を棺に收める仕事は、專門のダウシンバウズにさへ困難である。が、敬虔な日蓮宗信者は死後、その遺骸は、全く撓め易いまゝであると主張する。そしてウグヒスの死體は、同樣に決して硬くならぬ、それはこの小鳥は自分等と同じ信仰を抱いて居て、妙法蓮華經を讃美する歌をうたつて、その一生を送るからだと彼等は斷言する。

[やぶちゃん注:「野ウグヒス」スズメ目ウグイス科ウグイス属ウグイス Horornis diphoneの野生のもの。当時は、飼われているものも多かったから、かく区別した。

「梟」狭義にはフクロウ目フクロウ科フクロウ属フクロウ Strix uralensis を指す。松江であれば、亜種のキュウシュウフクロウ Strix uralensis fuscescens も同定候補となる(ウィキの「フクロウ」などを参照されたい)。さらに言えばここでは鳴き声のみでハーンは“owls”と言っており、コノハズク属 Otus・トラフズク属 Asioなどのミミズクの類(木兎:フクロウ科の中で羽角(うかく:耳介様)がある種の総称で古くは「ツク」「ズク」とも言った。ウィキの「ミミズク」によれば『英語にはミミズクを総称する表現はない。羽角のあるなしにかかわらずowlと総称する』とある)も含めて考えねばならない。

「野鳩」通常は我々に馴染み深いハト目ハト科カワラバト属カワラバト Columba livia を指すが、後で訳文では「野鳩(ヤマバト)」(この「(ヤマバト)」は本文であってルビではない)と出て来るから、どうもハーンの名称認識は現行のそれとは微妙に異なり、以下も含めて、ここでの鳥類学的な同定とは必ずしも一致しない可能性がある。

「アハマキドリ即ち『粟蒔き鳥』」これは山鳩、ハト科キジバト属キジバト Streptopelia orientalis とする地方と、郭公(カッコウ目カッコウ科カッコウ属カッコウ Cuculus canorus)とする地方があることが判った。しかしハーンは鳴き声を「フウフウ」(原文はhoo, hooであるから寧ろ「フーフー」「ホーホー」である)、カッコウらしくなく、キジバト Streptopelia orientalis の「ホーホー ホッホー」とよく一致するから、それに同定しておく。但し、「全然その習慣に於て夜の鳥である」とあるが、ヤマバト(序でにカッコウも)は夜行性鳥類ではない。

「ホトトギス」カッコウ目カッコウ科カッコウ属ホトトギス Cuculus poliocephalus

「月の古昔の數へ方で言つて、五月の末」失礼乍ら、如何にもまどろっこしい。陰暦五月の末でよい。逐語的に訳したいなら――日本の伝統的な、月の運行に基づく太陰太陽暦による数え方で言うところの、五月の末――とすればよかろう。

「ジデノタヲサ」「賤(しづ)の田長(たをさ)」の音変化ともあるが、ホトトギスの「死出の田長」という別称は平安時代初期には定着していた。平安初期に成立した「伊勢物語」の第四十三段の相聞歌に既にして「しでの田長(たをさ)」が出るからである(引用は角川文庫版石田穣二訳注を参考に正字化して示した)。

   *

 昔、賀陽(かや)の親王(みこ)と申すみこおはしましけり。その親王、女を思し召して、いとかしこう惠みつかう給ひけるを、人なまめきてありけるを、われのみと思ひけるを、また人聞きつけて、文(ふみ)やる。ほととぎすの形(かたち)をかきて、

  ほととぎす汝(な)が鳴く里のあまたあれば

    なほうとまれぬ思ふものから

と言へり。この女、けしきをとりて、

  名のみ立つしでの田長(たをさ)は今朝(けさ)ぞ鳴く

    いほりあまたとうとまれぬれば

時は五月(さつき)になむありける。男、返し、

  いほり多きしでの田をさはなほ賴む

    わが住む里に声聲し絶えずは

   *

この一節はホトトギスが、沢山の田――――に向って、田植えをせよと勧める声を掛ける――恋のほのめかしをする――という農事を基とした洒落の掛け合いになっていることからも、その伝承の定着が遙かに遡ることを容易に推理出来よう。一説にはホトトギスの鳴き声を「しでのたをさ」と聴いたともするが、私には逆立ちしてもそうは聴こえない。

「不如歸」というホトトギスの異名はとある説には、古代中国に望帝と称する不品行な王がおり、臣下の妻との密通がばれて遂には退位させられてしまい、復位を望んだものの叶えられず、遂に失意の中で亡くなって、杜鵑と化して「不如歸去」(歸り去(ゆ)くにしかず:帰り行くにこしたことはない・帰った方がよい・帰ったほうがましである)と、血を吐くまで鳴き続けた、それを蜀の人々が聴いては哀れんだとする故事に由来するとあったが、ウィキの「望帝杜宇」を見ると、この皇帝は名君であって(但し、これはた晋代に書かれた偽作とされる「蜀王本紀」の記述に拠るもの)、古代中国の蜀(三国時代の蜀漢と区別して「古蜀」と呼ぶ。紀元前三一六年に秦に滅ぼされたと伝える)の第四代君主望帝杜宇(ぼうていとう)は農政の整備や治水に勤めて善政を敷き、亡くなった後もその霊魂は西山に隠棲したと考えられ、毎年二月に杜鵑(ほととぎす)が鳴くと、蜀の人々は皆、「これは杜宇の魂が鳴いているのだ」と信じ、人々はさらに農事に励み、今日に至るまで巴蜀の人々は種蒔きの前に杜主君を祭るようなったとある(これではしかし「不如歸」の説明にはならない)。さらに別なネット記載では、死後に杜鵑に転生した杜宇が自分の国蜀が滅ぼされたことを知って、「ああ、私の国に帰れるものなら帰りたい」と嘆いたことによるともある。ともかくもこれがホトトギスの音写である証左の一つは、明代の本草書である李時珍の「本草綱目」の「禽部三 杜鵑」の「釋名」に、

   *

其鳴若曰不如歸去。

(其れ、鳴くに、「不如帰去」と曰ふがごとし。)

   *

とあることで確認出来る。

「懷郷の病」原文は“the sickness of longing for home”で、残念なことに、“nostalgia”ではない。ハーンは日本人は英語を学ぶ際に一語で表現される如何にも難しい単語を殊更に崇拝する悪い癖があると言っていたらしいから、この平易な文字列を見て、「やっぱ、そうなんだよなぁ……」と感慨すること、頻りであった。

「ホンゾンカケタカ」「本尊懸けたか?」で旧暦四月八日の釈迦生誕を祝う灌仏会(かんぶつえ)に於いて、寺院内に釈迦誕生図を懸けることに連関した音写である。

「その聲はただ夜だけきかれ、それも最も屢々滿月の夜で、そして眼に見えぬほど空高く翔りながら啼くのだと云ふ」ホトトギスは夜行性の鳥ではない。しかし、深夜にしばしば鳴く。ネットを管見すると、繩張り意識が強い彼らは深夜までそれを主張し続けるのであるとか、南方から日本へ渡って来る折りは夜中に飛ぶという説があり、更に、先に到着したが自己存在を周囲に認知させるために夜間も鳴くのではないか、という説が提示されてはいる。また、昼間の鳴きよりも夜間のそれは初音なればこそちょっと驚かされ、奇異に感じることから、後でハーンも引くように古歌にも多く夜の鶯が詠われていることにも影響された事実誤認である。ホトトギスは早朝にも昼間にも鳴くことは知らぬ者はないはずであるのに、こう信じられているところが、何とも冥府の使いらしい呪術的側面だとも言えようか。夜の初音を期待する様子は、かの「枕草子」の物尽くしの章段の一つである第三十八段の「鳥は」にも、

   *

郭公は、なほ、さらに言ふべきかたなし。いつしか、したり顏にも聞えたるに、卯(う)の花、花橘(はなたちばな)などに宿りをして、はた隱れたるも、ねたげなる心ばへなり。五月雨(さみだれ)の短き夜に寢覺(ねざめ)をして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうち出でたる聲の、らうらうじう愛敬(あいぎやう)づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。六月になりぬれば、音(おと)もせずなりぬる、すべて言ふもおろかなり。夜(よる)鳴くもの、何も何もめでたし。ちごどものみぞ、さしもなき。

   *

因みに「ねたげなる心ばへ」は批判ではない。心憎いまでの節操を見せる心映えだと讃嘆しているのである。「らうらうじう」は、巧妙で品位があって優雅で、の意、「愛敬(あいぎやう)づきたる」は文字通り、可愛らしく魅力的な、の意。ホトトギスの初音が当時のあらゆる情趣の中でも破格のチャンピオンであったことがこれでも知れる。

「ヒトコヱハ/ツキガナイタカ/ホトトギス」この、

 一聲は月が鳴いたかほととぎす

は、ネットを調べると、江戸中期の俳人宝暦一二(一七六二)年没の滝瓢水(たき ひょうすい)の句に、

 さてはあの月が鳴いたかほととぎす

とあるらしく、それに近い。馬場紘二氏のブログ「轟亭の小人閑居日記」の「福沢の『孤独な心境』」を見ると、『古句に「一声は月が鳴いたかほととぎす」というのがあると、富田正文先生 の『福澤諭吉の漢詩三十五講』(福澤諭吉協会叢書)にある』と記された後に、安政六(一八五九)年板行の端唄集「改正 哇袖鏡(はうたそでかがみ)」に(一部の不自然な空欄を除去させて戴いたが、表記はママ)、

   《引用開始》

ひとこえは月がないたか時鳥(ほととぎす)、いつしかしらむ短夜に、まだ寝もやらぬ手枕(たまくら)に、 男心はむぐらしい。おなご心はそふじゃない、かたときあわねばくよくよと、 ぐちな心でないてゐるわいな

   《引用終了》

とあると記しておられる。孰れにせよ、滝瓢水のそれも、そのインスパイアのこれも皆、次の知られた和歌の本歌取りであろう。

「ホトトギス/ナキツルカタヲ/ナガムレバ/タダアリアケノ/ツキゾノコレル」これは「百人一首」八十一番歌の後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん:藤原定家の従兄弟藤原実定(保延五(一一三九)年~建久二(千百九十一)年)のこと)のそれで知られる、「千載和歌集」所収の一六一番歌、

    「曉聞郭公(曉に郭公を聞く)」といへる心をよみ侍りける

 郭公(ほととぎす)鳴きつる方(かた)をながむればただ有明の月ぞ殘れる

である。香川景樹の「百首異見」には「初學云、郭公のそなたに鳴つるはとて見やれば、名殘あとなき空に、有明の月のみあると也、といへり。實にけしきみえて、郭公にとりては、當時最第一の御歌といふべし。」とあって、古来、杜鵑を詠じた名歌とされてきた一首である。

「ホトトギス/チニナクコヱハ/アリアケノ/ツキヨリホカニ/キクヒトモナシ」これは、かの長州藩士で尊王攘夷派の雄、吉田松陰門下であった久坂玄瑞(天保一一(一八四〇)年)~元治元(一八六四)年)の自刃二年前の一首である。

    郭公

 ほととぎす血に鳴くこゑはあり明(あけ)の月より外(ほか)にきく人ぞなき

言わずもがな乍ら、この血を吐く如く、あらん限りの覚悟を以って鳴く孤独な杜鵑とは無論、とりもなおさず孤槁の士久坂自身の幻像である。なお、啼いて血を吐くとするのは、ホトトギスの口中が赤色を呈することに由来する。

『「トトト」と啼きます。それは「その人は死ぬる」といふことであります。それから「コウトコツコ」と啼きます。それは「その男の子は死ぬる」といふことであります』ウィキの「フクロウ目」の「文化」の項には、『日本ではフクロウは死の象徴とされ、フクロウを見かけることは不吉なこととされていた』。『青森県北津軽郡嘉瀬村(現・五所川原市)では、死んだ嬰児の死霊を「タタリモッケ」といって、その霊魂がフクロウに宿るといわれた』とあり、『岩手県和賀郡東和町北成島(現・花巻市)ではフクロウを「しまこぶんざ」といい、子供が夜更かししていると「しまこぶんざ来んど」(フクロウが来て連れて行かれる、の意)といって威す風習があった』という。その他にもフクロウの声は死んだ嬰児の霊の声とする伝承もあるが、この「トトト」が「その人は死ぬる」の、「コウトコツコ」とが「その男の子は死ぬる」の意であるというのは語の対応関係がよく分からない。出雲出身の方の御教授を乞うものである。

「鳶」タカ目タカ科トビ属トビ Milvus migrans

「五哩」五マイルは八千六十二・七二メートルであるが、これは何かの間違いである。トビの飛行高度は通常で百メートルから二百メートルで、上昇気流に乗ったとしてもせいぜい三百メートルである。但し、ジェット機並みの高さで飛翔出来ないかというと、そういう訳ではないようで、ツルで八千五百メートルハクガン等では九千メートルといった記録があるようであはある。

「ドオナツト」原文“doughnut”。ドーナツ。

「飯粒で造つて巧妙に染めた、一つなぎの小さな眞紅の珠」原文は“wearing in her hair a string of small scarlet beads made of rice-grains prepared and dyed in a certain ingenious way”で、これは充分に乾燥させた屑米を真紅の染料で染めたものをビーズのように糸で繋げた、日本髪の髷の根元に巻きつけて用いる紐状の髪飾りである「根掛(ねが)け」のことと思われる(事実、平井呈一氏は『干飯(ほしい)を器用に染めてこしらえた赤い根がけ』と訳しておられる)。

「係蹄」音は「ケイテイ」であるが、訳者は「わな」(罠)と読んでいる可能性が強いと思う。元は中国の狩猟等のためのトラップで、繩や糸を輪にし、その中に動物の体の一部が入ると自動的に締めつけて捕捉する括り罠のことであるが、日本語の「わな」「わさ」の起源はこれに推定されている。

「小屯營地」原文は“a numerous sub-colony”。「相当数の二次的な生物群落(コロニー)」の意。

「カラスニハムポノカウアリ」「鴉に反哺の孝有り」である。「反哺」は口移しで餌を与えることを言う。成長した鴉は自分にして呉れたように口移しで老いた親に餌を与えて己れの恩を返す(「養を返へす」)という「事文類聚」(宋の祝穆(しゅくぼく)編になる類書(字書)。百七十巻。一二四六年成立)などに載る故事に基づくもので、鴉さえ親の恩に報いる、況や人をやという謂い。「慈烏反哺(じうはんぽ)」という四字熟語でも知られる。しばしば次の鳩の譬えと合わせて「鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり」とも言う。

「ハトニサンシノレイアリ」「行ふ三枝の禮がある」「鳩に三枝の禮有り」で、子鳩は育てて呉れた親鳩に敬意を表して、必ず親鳥より三本も下の枝に止まるとする謂い。前の「鴉に反哺の孝有り」と同じく親に対する礼儀と孝行を重んずるべきであるということの譬え。辞書には「学友抄」に基づくとあるが、当該書の書誌を調べ得なかった。識者の御教授を乞う。

「野鳩(ヤマバト)」既注通り、これはルビではなく本文。

「百圓」現在の百五十万円前後には相当する。

「死後強直(リゴルモルチス)」ルビの「ル」は擦れているので推定で補った。「リゴ」と「モルチス」の隙間から見て「リゴル・モルチス」ではないと判断出来る(原文からは「・」を打ちたいが)。原文はrigor mortisと斜体になっている。これは医学用語で綴りからお分かりのようにラテン語で(そのために差別化するために斜体化しているのであろう)、“rigor”は「硬さ・堅く突っ張らかること」、“mortis”は「死」の意。

「ダウシンバウズ」道心坊主。通常は乞食僧・乞食坊主の謂いで、僧形をして物乞いをする者を指すが、ここは寺院に於いて葬儀埋葬など遺体処理に直接関わることを職能とした、死穢に触れる差別された下級階層の者を指しているように読める。]

 

 

ⅩⅢ

 

   The high wood of the hill behind the garden is full of bird life. There dwell wild uguisu, owls, wild doves, too many crows, and a queer bird that makes weird noises at night-long deep sounds of hoo, hoo.It is called awamakidori or the 'millet-sowing bird,' because when the farmers hear its cry they know that it is time to plant the millet. It is quite small and brown, extremely shy, and, so far as I can learn, altogether nocturnal in its habits.

   But rarely, very rarely, a far stranger cry is heard in those trees at night, a voice as of one crying in pain the syllables 'ho-to-to-gi-su.' The cry and the name of that which utters it are one and the same, hototogisu.

   It is a bird of which weird things are told; for they say it is not really a creature of this living world, but a night wanderer from the Land of Darkness. In the Meido its dwelling is among those sunless mountains of Shide over which all souls must pass to reach the place of judgment. Once in each year it comes; the time of its coming is the end of the fifth month, by the antique counting of moons; and the peasants, hearing its voice, say one to the other, 'Now must we sow the rice; for the Shide-no-taosa is with us.' The word taosa signifies the head man of a mura, or village, as villages were governed in the old days; but why the hototogisu is called the taosa of Shide I do not know. Perhaps it is deemed to be a soul from some shadowy hamlet of the Shide hills, whereat the ghosts are wont to rest on their weary way to the realm of Emma, the King of Death.

   Its cry has been interpreted in various ways. Some declare that the hototogisu does not really repeat its own name, but asks, 'Honzon kaketaka?' (Has the
honzon [33] been suspended?) Others, resting their interpretation upon the wisdom of the Chinese, aver that the bird's speech signifies, 'Surely it is better to return home.' This, at least is true: that all who journey far from their native place, and hear the voice of the hototogisu in other distant provinces, are seized with the sickness of longing for home.

   Only at night, the people say, is its voice heard, and most often upon the nights of great moons; and it chants while hovering high out of sight, wherefore a poet has sung of it thus:―

                  Hito koe wa.

                  Tsuki ga naitaka

                    Hototogisu! [34]

   And another has written:―

                  Hototogisu

                    Nakitsuru kata wo

                  Nagamureba,―

                    Tada ariake no

                    Tsuki zo nokoreru. [35]

   The dweller in cities may pass a lifetime without hearing the hototogisu. Caged, the little creature will remain silent and die. Poets often wait vainly in the dew, from sunset till dawn, to hear the strange cry which has inspired so many exquisite verses. But those who have heard found it so mournful that they have likened it to the cry of one wounded suddenly to death.

                   Hototogisu

                    Chi ni naku koe wa

                   Ariake no

                    Tsuki yori kokani

                    Kiku hito mo nashi. [36]

Concerning Izumo owls, I shall content myself with citing a composition by one of my Japanese students:―

   'The Owl is a hateful bird that sees in the dark. Little children who cry are frightened by the threat that the Owl will come to take them away; for the Owl cries, "Ho! ho! sorotto koka! sorotto koka!" which means, "Thou! must I enter slowly?" It also cries "Noritsuke hose! ho! ho!" which means, "Do thou make the
starch to use in washing to-morrow"

And when the women hear that cry, they know that to-morrow will be a fine day. It also cries, "Tototo," "The man dies," and "Kotokokko," "The boy dies." So people hate it. And crows hate it so much that it is used to catch crows. The Farmer puts an Owl in the rice-field; and all the crows come to kill it, and they get caught fast in the snares. This should teach us not to give way to our dislikes for other people.' 

 

   The kites which hover over the city all day do not live in the neighbourhood. Their nests are far away upon the blue peaks; but they pass much of their time in catching fish, and in stealing from back-yards. They pay the wood and the garden swift and sudden piratical visits; and their sinister cry―pi-yorōyorō, pi-yoroyorō―sounds at intervals over the town from dawn till sundown. Most insolent of all feathered creatures they certainly are more insolent than even their fellow-robbers, the crows. A kite will drop five miles to filch a tai out of a fish-seller's bucket, or a fried-cake out of a child's hand, and shoot back to the clouds before the victim of the theft has time to stoop for a stone. Hence the saying, 'to look as surprised as if one's aburagé [37] had been snatched from one's hand by a kite.' There is, moreover, no telling what a kite may think proper to steal. For example, my neighbour's servant-girl went to the river the other day,
wearing in her hair a string of small scarlet beads made of rice-grains prepared and dyed in a certain ingenious way. A kite lighted upon her head, and tore
away and swallowed the string of beads. But it is great fun to feed these birds with dead rats or mice which have been caught in traps overnight and subsequently drowned. The instant a dead rat is exposed to view a kite pounces from the sky to bear it away. Sometimes a crow may get the start of the kite, but the crow must be able to get to the woods very swiftly indeed in order to keep his prize. The children sing this song:―

              Tobi, tobi, maute mise!

               Ashita no ha ni

               Karasu ni kakushite

               Nezumi yaru. [38]

   The mention of dancing refers to the beautiful balancing motion of the kite's wings in flight. By suggestion this motion is poetically compared to the graceful swaying of a maiko, or dancing-girl, extending her arms and waving the long wide sleeves of her silken robe.

   Although there is a numerous sub-colony of crows in the wood behind my house, the headquarters of the corvine army are in the pine grove of the ancient castle grounds, visible from my front rooms. To see the crows all flying home at the same hour every evening is an interesting spectacle, and popular imagination has found an amusing comparison for it in the hurry-skurry of people running to a fire. This explains the meaning of a song which children sing to the crows returning to their nests:

   Ato
no karasu saki ine,

               Ware ga iye ga yakeru ken,

              Hayo inde midzu kake,

             Midzu ga nakya yarozo,

              Amattara ko ni yare,

              Ko ga nakya modose. [39]

   Confucianism seems to have discovered virtue in the crow. There is a Japanese proverb, 'Karasu ni hampo no ko ari,' meaning that the crow performs the filial duty of hampo, or, more literally, 'the filial duty of hampo exists in the crow.' 'Hampo' means, literally, 'to return a feeding.' The young crow is said to
requite its parents' care by feeding them when it becomes strong. Another example of filial piety has been furnished by the dove. 'Hato ni sanshi no rei ari'
the dove sits three branches below its parent; or, more literally, 'has the three-branch etiquette to perform.'

   The cry of the wild dove (yamabato), which I hear almost daily from the wood, is the most sweetly plaintive sound that ever reached my ears. The Izumo peasantry say that the bird utters these words, which it certainly seems to do if one listen to it after having learned the alleged syllables:

  Tété
   poppō,
  Kaka
                   poppō
                  Tété
                   poppō,
                  Kaka
                   poppō,
                  Tété . . . (sudden pause).

   ' Tété ' is the baby
word for 'father,' and 'kaka' for 'mother'; and 'poppō' signifies, in infantile speech, 'the bosom.' [40]

   Wild uguisu also frequently sweeten my summer with their song, and sometimes come very near the house, being attracted, apparently, by the chant of my caged pet. The uguisu is very common in this province. It haunts all the woods and the sacred groves in the neighbourhood of the city, and I never made a journey in Izumo during the warm season without hearing its note from some shadowy place. But there are uguisu and uguisu. There are uguisu to be had for one or two yen, but the finely trained, cage-bred singer may command not less than a hundred.

   It was at a little village temple that I first heard one curious belief about this delicate creature. In Japan, the coffin in which a corpse is borne to burial is totally unlike an Occidental coffin. It is a surprisingly small square box, wherein the dead is placed in a sitting posture. How any adult corpse can be put into so small a space may well be an enigma to foreigners. In cases of pronounced rigor mortis the work of getting the body into the coffin is difficult even for the professional doshin-bozu. But the devout followers of Nichiren claim that after death their bodies will remain perfectly flexible; and the dead body of an uguisu, they affirm, likewise never stiffens, for this little bird is of their faith, and passes its life in singing praises unto the Sutra of the Lotus of the Good Law. 

 

33
By honzon is here meant the sacred kakemono, or picture, exposed to public view in the temples only upon the birthday of the Buddha, which is the eighth day of the old fourth month. Honzon also signifies the principal image in a Buddhist temple.

34 “A solitary voice!
  Did the Moon
cry?
  Twas but the hototogisu.”

35
When I gaze towards the place where I heard the hototogisu cry, lol there is naught save the wan morning moon.

36
Save only the morning moon, none heard the hearts-blood cry of the hototogisu.

37
A sort of doughnut made of bean flour, or tofu.

38
Kite, kite, let me see you dance, and to-morrow evening, when the crows do not know, I will give you a rat.

39
O tardy crow, hasten forward! Your house is all on fire. Hurry to throw Water upon it. If there be no water, I will give you. If you have too much, give it
to your child. If you have no child, then give it back to me.

40
The words papa and mamma exist in Japanese baby language, but their meaning is not at all what might be supposed. Mamma, or, with the usual honorific, O-mamma, means boiled rice. Papa means tobacco.

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