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2015/11/01

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (一一)

         一一

 

 十一種類を下らざる蝶が、過去數年の間にかの蓮池の近所を見舞つた。一番普通な種類は雪白のである。これは殊にナ即ち蕓に惹きつけられると想はれて居る。だから小さな女の子はそれを見ると、

 

     テフテフ、テフテフ、ナノハニ トマレ、

     ナ ノ ハ ニ アイタラ、テニトマレ、

 

と歌ふ。

 が、然し最も面白い蟲は確かにセミ(シカデイ)である。木に棲む日本の此蟋蟀は、凱熱帶地方のあの驚くべき蟬(シカデイ)にすら勝る、實に異常な歌ひ手である。それに暖い季節全體に亘つて、殆んど毎月、全然異つた歌をうたふ、異つた種類のセミが出るから、煩はしさも遙かに少い。自分の信ずるところでは七種ある。が、自分が能く知つて居るのはただ四種である。自分ところの木で鳴く最初のものは、ナツゼミ即ち夏蟬で日本語の單綴音ジに似た音を出し、始めは息苦しいゼイゼイ聲である。が、段々高まつて蒸氣を吹く時のやうな漸次強音の叫びになり、次第にうすれて又更に息苦しいゼイゼイ聲になる。このジーイーイーイイイイイイイイは、實に耳を聾する許りで、夏蟬が二三匹窓近くに來ると、自分はそれを追い拂はざるを得ぬ。幸にも夏蟬の後に直ぐミンミンゼミが來る。遙かにより巧妙な樂人で、その名はその驚く可き音(ね)から來て居るのである。『僧侶が御經を讀むやうにうたふ』と言はれて居るもので、實際、始めて聞いた時には、誰しもただの蝉の音を聽いて居るのだとは殆んど信じられぬ。ミンミンゼミの次には、秋早く、美しい綠色の蟬のヒグラシといふのが出る。カナカナカナカナカナと、小さな鈴を早く振るやうな、特に朗らかな音を出す。然し全體にうちで一番驚くべき訪問者はなほ後に來る、ツクツクバウシ【註一】である。

 

    註一。『バウシ』は『帽子』を意味し、

    『ツケル』は『冠る』を意味する。

    然しこの語譯は頗る怪しい。

 

自分は此動物は全蟬世界の中に、他に匹敵するものを有たぬと思ふ。その音樂は正に鳥の歌である。その名は、ミンミンゼミのそれの如く、擬聲である。が、出雲ではその歌の音は、

 

    ツクツク クイス【註二】

    ツクツク クイス

    ツクツク クイス

      ウイオース

      ウイオース

      ウイオース

      ウイオース・ス・ス・ス・ス・ス・ス・ス

 

だとされて居る。

 

    註二。『チヨコ・チヨコ・ウイス』だ

    といふ人もある。『ウイス』は英語で

    いふと、最後のuを無音にした

     weece の發音に似て居る。『ウイオー

    ス』はやゝ weoce に近い。

 

 が然し、蟬が庭の唯一の樂人では無い。二つの異常な動物がその合奏を助ける。第一は鮮かな綠の美しい螽斯で、日本人にはホトケノウマ即ち『死者の馬』といふ妙な名で知られて居るものである。この蟲の頭は實際馬の頭に恰好が稍々似て居る――だから斯んな空想が生れたのであらう。妙に狎れ狎れしい動物で、踠きもせずに人手に捕へさせ、屢々家へ入りもするが、家の中でも氣安げに居る。これは甚だ微かな音を立てる。それを日本人はジユンタといふ綴音の反復だと書く。で、その螽斯そのものを時にジユンタと呼ぶ。他の一つの蟲は、これまた綠色の螽斯で、前者よりやゝ大きく、そして前者よりも餘程人に慣れぬものである。

 

    チ ヨ ン

         ギ イ ス

    チ ヨ ン

         ギ イ ス

    チ ヨ ン

         ギ イ ス

    チ ヨ ン………(心まかせに何處までも)

 

と鳴くその歌の爲めにギイス【註】と呼ばれて居る。

 

    註。殆んど geece とやうの發音である。

 

 愛らしいドラゴンフライ(トンバウ)が幾種も暑い晴れやかな日には、小池のあたりをさまよふ。その一種は――これは、言ふに言はれぬ金屬性の色彩に光つてゐて、妖怪的にかぼそいもので、自分がそれまで見た蜻蛉のうちで、一番美しいもので――テンシトムバウ即ち『天子蜻蛉』と呼ばれて居るものである。今一つ、日本のドラゴンフライ中最も大きなのがある。が、これは稍々稀で、子供がもてあそび物にしようとして追求する。この種類は雌よりも雄の方が數が多いといふ。眞實だと自分が請合へる事は、雌を捕へると、その捕虜を出して置けば、殆んど直ぐと雄が惹きよせられるといふ事である。だからして、子供は雌を手に入れようとする。そして一匹捕へると、それを絲で或る枝に括つて、妙な短い歌をうたふ。その歌の原(もと)のまゝの言葉は斯うである。

 

    コナ【註】 オンジヤウ カウライワウ

    アヅマ ノ メトウ ニ マケテ

    ニゲル ハ ハヂ デハ ナイカイ

 

          註。『コレナル』の約言。

 

 其意味は『汝、男たる、高麗王よ。東の女王に敗けて逃げるのを恥かしくは思はぬか』である。(この嘲罵は神功皇后の朝鮮征伐の話を仄めかしたものである)出雲では、この原の歌の初七語が訛つて『コナ ウンジヤウ カウライ、アブラ ノ ミトウ』になつて居る。だから雄蜻蛉の名のウンジヤウと、雌蜻蛉の名のミトウは、訛つた言葉の二語から出て來て居るのである。

 

[やぶちゃん注:最初に申し上げておくと、私は海産生物以外の同定は不得手で、特に昆虫は生理的に苦手なものが多く、チョウやバッタなどでも近くに寄られると慄っとするほど実は駄目である。捕捉観察は出来るが、あまりしたくない程度にはダメである。海産無脊椎動物なら如何なるグロテスクな種も平気なのに、自分にもその理由はよく分からぬ(何方かに精神分析を試みて戴きたいぐらい自分でもヘンだと認識している)。されば、ここでの昆虫類の比定もすこぶる自信がない。誤りがあれば、どうかお気軽に御指摘をお願いしたい

「ナ即ち蕓薹」「ナ」は「菜」で、「蕓薹」は音では「ウンダイ」であるが、「あぶらな」と当て読みしておく。無論、フウチョウソウ目アブラナ科アブラナ属ラパBrassica rapa 変種アブラナ Brassica rapa var. nippo-oleifera 、菜の花のことである。但し、アブラナには変種や雑種が多く、人為交配による新種も多数産み出されていることはあまり理解されているとは思われない。ウィキの「アブラナ」を参照されたい。私の拙句。

 

 菜の花や花序を覺えしこともあり   唯至

 

「一番普通な種類は雪白の」鱗翅(チョウ)目アゲハチョウ上科シロチョウ科シロチョウ亜科シロチョウ族モンシロチョウ Pieris rapae 。種名のPieris(ピーエリス/ピエリス)はギリシア神話に登場する音楽と文芸の女神で、種小名rapaeは「カブ」の古名で、彼女らが好んで舞い周ると考えたアブラナの種小名のrapaも同じで、これがあっての紋白蝶の種小名なのであろう。

「テフテフ、テフテフ、ナノハニ トマレ、/ナ ノ ハ ニ アイタラ、テニトマレ、」のわらべ唄は、多くの人が後半を「桜にとまれ」で覚えていよう。私は永く、この歌詞が不審であった。何故なら菜の花や葉にとまるモンシロチョウは今もよく見るが、桜の花や葉に蝶の舞っているのやとまっているのを見た記憶がなかったからである(とまるはずがないとは思わないが見たことは事実ないのであるから仕方がない)。今回、この注を附そうとして、むくむくとその古い木乃伊のようになっていた疑問が生き生きと再生してきた。そこで見つけたのが、鉄壁の森竹高裕氏の『「ちょうちょう」の謎(野村秋足作詞/スペイン民謡)である。非常に詳しい。それによれば、『もともとこの歌は、尾張地方で歌われていたわらべ唄「蝶々」で』原型の歌詞は(以下、表記には一部を正字化し、送り仮名を附け加え、片仮名を平仮名にするなどの恣意的な変更を加えてある)、

 

 蝶々とまれ

 菜の葉にとまれ、

 菜の葉が嫌やなら

 この葉にとまれ。

 

であったことが判る。それを明治時代に旧尾張名古屋藩士で明治元(一八六八)年に藩校明倫堂の教授となった国学者野村秋足(あきたり 文政二(一八一九)年~明治三五(一九〇二)年)が名古屋近辺の童謡を収集する仕事を行い、その際、

 

 蝶々蝶々。菜の葉に止まれ。

 菜のに飽いたら。櫻に遊べ。

 櫻の花の。榮ゆる御代に。

 止まれや遊べ。遊べや止まれ。

 

と改作されたとある。これは「遊べ」であるから、それほど気にならない。森竹氏によればその後の昭和二二(一九四七)年に文部省が「一ねんせいのおんがく」を発行する際、これがまた改作され(戦後なのでここは新字新仮名表記とした)、

 

 ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉に とまれ

 菜の葉に あいたら 桜にとまれ

 桜の花の 花から 花へ

 とまれよ 遊べ 遊べよ とまれ

 

と、「菜の葉に あいたら/桜にとまれ」に変えられた、とある。さても、では桜の花に蝶は来るか? という私の化石の疑問にも当該頁はちゃんと答えて呉れた。詳細は是非ともリンク先をお読み戴きたいが、結論からいうと、モンシロチョウや他の蝶も虫媒花である桜の花にもとまるし、菜の葉にとまる行動をとるのは産卵のためであるとある。但し、モンシロチョウはあまり高いところを飛ばないため、高い枝の桜などでは見かけないのであるといった主旨の、蝶の専門サイト主からのメールが添えられてある。因みに森竹氏の記事の中で、この曲には、なんと! 以下の二番があることを私は初めて知った(作詞は「蛍の光」の作詞者として知られる文部省音楽取調掛の稲垣千穎(ちかい 弘化四(一八四五)年~大正二(一九一三)年)である)。

 

 起きよ 起きよ ねぐらの すずめ

 朝日の光の さし來(こ)ぬ先に

 ねぐらを 出でて 梢にとまり

 遊べよ すずめ 歌へよ すずめ

 

ちょっと、声に出して唄ってみたくなった。そこでさらに調べてみると、実はなんと!明治二九(一八九六)年に追加された三番・四番(作詞者は不明)もあることが判った。ウィキの「ちょうちょう(唱歌)」より引く。

 

 蜻蛉(とんぼ) 蜻蛉 こちきて止まれ

 垣根の秋草 いまこそ盛り

 さかりの萩に 羽うち休め

 止まれや止まれ 休めや休め

 

 燕(つばめ) 燕 飛びこよ燕

 古巣を忘れず 今年もここに

 かへりし心 なつかし嬉し

 とびこよ燕 かへれや燕

 

同ウィキによれば、戦後の改作及び上記の二番以下の廃止は、二番の「榮ゆる御代に」が『GHQが教育現場からの排除を主張していた皇室賛美と取られるフレーズであること』、二番『以下の廃止は表題の「ちょうちょう」と無関係な鳥や昆虫に関する描写を排除して曲の主題を明確にしたものと解されている』とある。なお、森竹氏の頁標題には『スペイン民謡』とあり、事実、この曲は永くそう思われてきたというが、ウィキによれば、現在は『ドイツの古い童謡「Hänschen klein」(訳:「幼いハンス」)という曲が原曲とされている』ことが明らかにされてある。

「セミ(シカデイ)」「シカデイ」はルビではなく本文。原文の“cicadae”を音写したものである。英語の「セミ」(cicada)の複数形。なお、ハーン小泉八雲には後に、“Shadowings”(一九〇〇年刊)の“Japanese Studies”に初出する「蟬」があり、これは野次馬集団氏のサイト「バルバロイ!」の「インターネットで蝉を追う」の中のこちらに、「小泉八雲全集」第六巻(昭和六(一九三一)年第一書房刊)の大谷正信訳の全文が電子化されているので参照されたい。

「木に棲む日本の此蟋蟀」「蟋蟀」は音「シツシユ(シッシュ)」で一般に「こおろぎ」と訓じ、ここでも訳者は「こおろぎ」と読ませているとしか思われない。原文は“tree crickets”で、“cricket”だけなら確かに、

直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科 Grylloidea に属するコオロギ類

を指す語ではある。実は英語の“tree cricket”は狭義には

コオロギ科カンタン亜科 Oecanthinae に属するカンタン類

を指すことが英語版ウィキの“tree cricket”で判ったが、これも広義のセミ、

昆虫綱有翅昆虫亜綱半翅(カメムシ)目頸吻亜目セミ型下目セミ上科 Cicadoidea

のセミ類とは全く縁がない。かといって――木に居る蟋蟀みたやうな蟲――という訳をやらかしてもこれもまた如何にもではある。とは言え、この「木に棲む日本の此(この)蟋蟀(こおろぎ)は」ではあまりに訳として人を――というよりハーンを――馬鹿にしているようで何とも不愉快である。平井呈一氏はここを『日本の国のこの樹上の音楽家は』と訳しておられる。何て素敵な夢のある訳であろう! インキ臭いアカデミストには逆立ちしても絶対出来ない訳であろうと思う。

「自分の信ずるところでは七種ある。が、自分が能く知つて居るのはただ四種である」後の四種は以下で語られる「夏蟬(ナツゼミ)」(これは後に述べるように「クマゼミ」のこと私は思う)「ミンミンゼミ」「ヒグラシ」「ツクツクバウシ」の四種だからいいとして、ハーンの言う「七種」はその「四種」に何が加わるか? ヒントは一緒くたに誤認している感じのする「夏蟬(ナツゼミ)」の二種で、

半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目セミ上科セミ科セミ亜科アブラゼミ族アブラゼミ属アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata

セミ亜科ニイニイゼミ族ニイニイゼミ属ニイニイゼミ Platypleura kaempferi

で、もう一種は、春に成虫が発生し、概ね松林に棲息する小型のセミで晩春から初夏に一番に聴ける、

セミ亜科ホソヒグラシ族ハルゼミ属ハルゼミ Terpnosia vacua

を加えればよいのではなかろうか? 因みに、これらの三種は当時の松江にいて何らおかしくない種である。但し、一般にハルゼミは現行のような開発された市街地にはまず出現しないが、後の「蟬」(先に示した野次馬集団氏のサイト「バルバロイ!」の「蝉」参照。引用もそこから)を読むと、最初に「一 ハルゼミ」を挙げ、『種々な小』蟬『が春出る』『これはジーイーイーイーイーイイイイイイと、最初は低いが、段々と苦しい程高い調子に上つて行』き、『鋭いゼイゼイ』聲を立てるとして、春蟬ほど騒々しい蝉は他に無い、と記しているから、ハーンは確かにハルゼミを現認しており、その声も聴いていることが判る。

「ナツゼミ」以下に示された複雑怪奇な鳴き方、及び、ハーンが堪え切れずに追い払うという点から私はこれは、

セミ亜科エゾゼミ族クマゼミ属クマゼミ Cryptotympana facialis

と採るウィキの「クマゼミ」には、その鳴き方を含めて、『オスは腹を激しく縦に振りながら大きな声で鳴く。鳴き声は「シャシャシャ」や「センセンセン」などと聞こえるが、その前後には「ジー」という長い声が入る。また、オスを捕まえると「ジー」とも「ゲー」とも聞こえる大声を出し続けてもがく。羽を羽ばたかせる力も強力で、近くでは「ブーン」という羽の音が聞こえる。手足の力も強く、素手で捕まえようとすると引っ掻き傷をつけられる可能性があるので注意が必要である』と記す。アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata でないという確証はないものの、一番の手前勝手な根拠は、私が堪え切れなくなるのは、クマゼミの方だからである。大方の御批判を俟つものであるが、実は後の「蟬」(先に示した野次馬集団氏のサイト「バルバロイ!」の「蝉」参照)を読むと、「三 アブラゼミ」の項で、『その耳を貫くやうな鋭い』聲とし、『その鋭い音がガチヤリンガチヤリンときこえるといふ作家もあるが、湯の沸き立つ音にたぐへて居る者も居』り、『大きな低いシイシイといふ』聲が『あらゆる樹々から立ち昇るやうに思はれる』と記しており、その直前のクマゼミと思われる『二 シンネシンネ』の記載と読み比べると、八雲がやりきれなかったのは、実はやっぱりアブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata のようにも感じられなくもない。しかし、再度、この「蟬」を仔細に読むと、別な疑惑が浮かんでもくるのである。それはまさに先示したハルゼミ Terpnosia vacua の叙述で、そこで八雲はその鳴き声を『ジーイーイーイーイーイイイイイイと、最初は低いが、段々と苦しい程高い調子に上つて行』き、『鋭いゼイゼイ』聲を立てるとし、春蟬ほど騒々しい蝉は他に無い、とまで記しているからある。これは実にこの「始めは息苦しいゼイゼイ聲である。が、段々高まつて蒸氣を吹く時のやうな漸次強音の叫びになり、次第にうすれて又更に息苦しいゼイゼイ聲になる。このジーイーイーイイイイイイイイは、實に耳を聾する」ほど騒々しくて堪えられないという叙述と一致するようにも見えるのである。完全に袋小路にはまってしまった。ともかくも、識者の御教授を切に乞う外はあるまい。

「ミンミンゼミ」セミ亜科ミンミンゼミ族ミンミンゼミ属ミンミンゼミ Hyalessa maculaticollis 

「ヒグラシ」セミ亜科ホソヒグラシ族ヒグラシ属ヒグラシ Tanna japonensis 。私はこの声(ね)をこそ最も偏愛するものである。私にとって至上の天上の悲哀の調べである。

「ツクツクバウシ」セミ亜科ツクツクボウシ族ツクツクボウシ属ツクツクボウシ Meimuna opalifera 

「『バウシ』は『帽子』を意味し、『ツケル』は『冠る』を意味する。然しこの語譯は頗る怪しい」私も当初は怪しいと思ったのだが、個人ブログ「越中富山民謡館」の『富山の方言「ツクツク」~ツクツクボウシの語源?』に、

   《引用開始》

富山県民でこの「ツクツク」という言葉が方言だと認識している人は、少ないと思います。

「ツクツク」は、「尖っている」という意味です。

あえて標準語にすると「ツンツン」ですが、若干ニュアンスがちがいます(汗)。

例えば「ツクツクの靴」と言うと「先の尖った靴」の意味です。槍などの突く道具が尖っているところから、「ツク」という言葉自体が尖ったものを指すようになったのだと推測できますね。

ここであえて蝉の「ツクツクボウシ」を富山弁で解釈すると、「先の尖った帽子」という意味になります。つくつく法師が語源という説より、個人的には有力と思います。なぜなら、つくつく法師は自然に読めば「ツクツクホウシ」ですから。

   《引用終了》

とあるのを読み、何だか独りこれに納得してしまった自分がいた。

「螽斯」これで「きりぎりす」と読み、直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科キリギリス亜科 Gampsocleidini 族キリギリス属 Gampsocleis に属するもの及び近縁の属も含めた「キリギリス類」の総称で、「キリギリス」の漢名もこれである。

weece」英語への音写であるが、人名(姓:Weece)には認められる綴りではある。

weoce」原文は“we-oce”。孰れも調べた限りでは意味のある綴りや単語ではない。英語への音写と思われる。

「ホトケノウマ」「ジユンタ」これはキリギリス科ウマオイ属のハヤシノウマオイ Hexacentrus japonicus 或いはハタケノウマオイ Hexacentrus unicolor のことと思われる。前者を私は「スイッチョン」と覚えており、「スィーーーッ・チョン」と長く延して鳴き、後者は「シッチョン・シッチョン」と短く鳴く、とウィキの「ウマオイ」にはある。彼らの御面相は確かに馬っぽく、ネットを調べると「ウマオイ」を出雲では「ホトケノウマ」と言うという記載も現認出来たが、同種の「ジユンタ」(ジュンタ)という名の方はネットでは確認出来なかった。識者の御教授を乞う。

「踠きもせずに」「もがきもせずに」と読む。

「他の一つの蟲は、これまた綠色の螽斯で、前者よりやゝ大きく、そして前者よりも餘程人に慣れぬもの」「ギイスと呼ばれて居る」鳴き方と分布域から見て、本邦のキリギリスの代表的な種であるキリギリス亜科キリギリス属ニシキリギリス Gampsocleis buergeri のように思われる。

「心まかせに何處までも」原文は“ad libitum”(アド・リビトゥム)で、これは音楽用語であり、「演奏者・歌唱者の自由に」の意で、ハーンは、「お好きなだけリフレインなさい」と言っているのであるが、これは一目瞭然、綴りからラテン語であることが判り、その意味も「好みに合わせて」である。因みに、これが「アドリブ」のルーツである。

geece」やはり辞書には載らない綴りである。英語への音写と思われる。

「その一種は――これは、言ふに言はれぬ金屬性の色彩に光つてゐて、妖怪的にかぼそいもので、自分がそれまで見た蜻蛉のうちで、一番美しいもので――テンシトムバウ即ち『天子蜻蛉』と呼ばれて居る」蜻蛉(トンボ)目均翅(イトトンボ)亜目 Zygoptera に属するイトトンボの仲間と思われる。実はハーン小泉八雲には後の「民間伝承 落穂集」に“Dragon-flies”(「蜻蛉(とんぼ)」一九九一年)があり、その「一」にはリスト化された三十二の蜻蛉の呼称が網羅されている(カトンボや広義狭義の蜻蛉の総称や異称も含むため、三十二種でもなく、総てが生物学的な正規のトンボ類なわけでもないので注意は必要)が、そこには(平井呈一氏訳の恒文社版作品集を使用)、このハーンが「自分がそれまで見た蜻蛉のうちで、一番美しいもの」とここで断言した「テンシトムバウ」「天子蜻蛉」の呼称が、不思議なことに影も形もないのである。それはハーンが見たまさに天使の御姿ででもあったのだろうか?

「日本のドラゴンフライ中最も大きなの」これはもう、トンボ目不均翅(トンボ)亜目オニヤンマ科オニヤンマ属オニヤンマ Anotogaster sieboldii であろう。なお、ハーンは「この種類は雌よりも雄の方が數が多いといふ」と言っているが、こうした性差による有意な個体数差は調べ得なかったし、そうした極端な偏差は生物の種の保存の観点からは考え難いように思われる。それでもハーンは「眞實だと自分が請合へる事は、雌を捕へると、その捕虜を出して置けば、殆んど直ぐと雄が惹きよせられるといふ事である」と述べているが、これはウィキの「オニヤンマ」にある通り、本種の『オスは流れの一定区域をパトロールし、侵入する同種個体に接触を図る。オスに出会うと激しく追いかけて排除し、メスに出会うと捕まえて交尾をおこなう』というテリトリ保持と非常に積極的な性愛行動の叙述から肯んずることは出来る。なお、近年の研究によれば、一部のトンボ(観察種は忘れた)では一度、あるが交尾したのを見計らって直後に別のが再交尾を試み、その前にの貯留嚢に入っている前のの精子を掻き出してしまった上で交尾をすると言う恐るべき事実が発見されていることを附け加えておこう。

「妙な短い歌」「コナ オンジヤウ カウライワウ/アヅマ ノ メトウ ニ マケテ/ニゲル ハ ハヂ デハ ナイカイ」「其意味は『汝、男たる、高麗王よ。東の女王に敗けて逃げるのを恥かしくは思はぬか』である。(この嘲罵は神功皇后の朝鮮征伐の話を仄めかしたものである)出雲では、この原の歌の初七語が訛つて『コナ ウンジヤウ カウライ、アブラ ノ ミトウ』になつて居る。だから雄蜻蛉の名のウンジヤウと、雌蜻蛉の名のミトウは、訛つた言葉の二語から出て來て居るのである」ネットを管見した限りでは、歌もその内容も、またこれが蜻蛉釣りの唄であることも確認出来なかった。ただ、先に掲げた「民間伝承 落穂集」の「蜻蛉(とんぼ)」の最終章「五」には蜻蛉釣りについての記載があり、ここに出た唄が再録されている。平井氏の訳で示す。

   《引用開始》

出雲でうたうこの種の歌は、三世紀に神功皇后が朝鮮を征伐したという伝説にゆかりをもっている。雄のトンボにこういって呼びかけるのである。――

 「こな、男将(おんじょう)高麗(こうらい)王、東(あづま)の女頭(めとう)に負けて、逃げるは恥ではないかな」

   《引用終了》

 以下、これら本文の最後の箇所の幾つかの語句や部分について注というか疑問を附して終りとする。

 この内の「オンジヤウ」については、先に掲げた「民間伝承 落穂集」の「蜻蛉(とんぼ)」の「一」にリスト化された三十二の呼称の「二十二」に、「ヤンマトンボ」という記載があり、そこにはこの呼称は固有の種を指すのではなく(以下、引用は先に示した平井訳)『大きなトンボのこと』で『これは黒と緑のトンボの名で、出雲ではオンジョウ(雄将)といっている』と記す。ここで八雲の言う『黒と緑のトンボ』とは、私は明らかにオニヤンマ Anotogaster sieboldii を指していると思う。オニヤンマの生体は左右の複眼が鮮緑色を呈し、体色が黒だからである(但し、厳密に言うなら胸部の一部の斜体縞と腹部の節毎に入る一本筋の細い横縞は黄色であるが、自然界で観察すると、この黄色もやや緑色に偏位しいて私には見える。だから、八雲のこの謂いは私にはすこぶる肯んずることが出来ると言える)。

 さらに気になるのは、の「蜻蛉の名」を「ミトウ」と呼ぶという箇所で、これは原文を見ると「ミトウ」ではなく、「ミト」である。「女頭(みとう)」の訛りならそれで問題なく落ち着くのであろうが、ここは出雲である。原本を見ると(以下の原文を参照されたい)、ハーンは日本語の音が長音の場合、例えば“ō”のように当時としては例外的に長音符を使って区別している箇所があることが判る。すると、これはmitoで、確かに「みとう」ではなく「みと」なのである。これは「美登の目合(まぐは)ひ」の「みと」、女性()の生殖器の古称を想起させる語ではないか!?……つまらないことがついつい気になってしまう、私の悪い癖!……

 出雲の方で、この蜻蛉釣りの唄やその他もろもろについて何かご存じの方は、是非、御教授戴けると有り難い。]

 

 

 Not less than eleven varieties of butterflies have visited the neighbourhood of the lotus pond within the past few days. The most common variety is snowy white. It is supposed to be especially attracted by the na, or rape-seed plant; and when little girls see it, they sing:

            Cho-cho cho-cho, na no ha ni tomare;

            Na no ha ga iyenara, te ni tomare. [26]

   But the most interesting insects are certainly the semi (cicadae). These Japanese tree crickets are much more extraordinary singers than even the wonderful cicadae of the tropics; and they are much less tiresome, for there is a different species of semi, with a totally different song, for almost every month during the whole warm season. There are, I believe, seven kinds; but I have become familiar with only four. The first to be heard in my trees is the natsuzemi, or summer semi: it makes a sound like the Japanese monosyllable ji, beginning wheezily, slowly swelling into a crescendo shrill as the blowing of steam, and dying away in another wheeze. This j-i-i-iiiiiiiiii is so deafening that when two or three natsuzemi come close to the window I am obliged to make them go away. Happily the natsuzemi is soon succeeded by the minminzemi, a much finer musician, whose name is derived from its wonderful note. It is said 'to chant like a Buddhist priest reciting the kyo'; and certainly, upon hearing it the first time, one can scarcely believe that one is listening to a mere cicada. The minminzemi is followed, early in autumn, by a beautiful green semi, the higurashi, which makes a singularly clear sound, like the rapid ringing of a small bell, kana-kana-kan-a-kana- kana. But the most astonishing visitor of all comes still later, the tsukiu-tsukiu-boshi. [27] I fancy this creature can have no rival in the whole world of cicadae its music is exactly like the song of a bird. Its name, like that of the minminzemi, is onomatopoetic; but in Izumo the sounds of its chant are given thus:

                    Tsuku-tsuku uisu , [28]

                   Tsuku-tsuku uisu,

                    Tsuku-tsuku uisu;

                            Ui-osu,

                            Ui-osu,

                            Ui-osu,

                            Ui-os-s-s-s-s-s-s-s-su.

 

   However, the semi are not the only musicians of the garden. Two remarkable creatures aid their orchestra. The first is a beautiful bright green grasshopper, known to the Japanese by the curious name of hotoke-no-uma, or 'the horse of the dead.' This insect's head really bears some resemblance in shape to the head of a horse,hence the fancy. It is a queerly familiar creature, allowing itself to be taken in the hand without struggling, and generally making itself quite at home in the house, which it often enters. It makes a very thin sound, which the Japanese write as a repetition of the syllables jun-ta; and the name junta is sometimes given to the grasshopper itself. The other insect is also a green grasshopper, somewhat larger, and much shyer: it is called gisu, [29] on account of its chant:

  Chon,

   Gisu;

                         Chon,

                            Gisu;

                         Chon,

                            Gisu;

                         Chon . . . (ad libitum).

 

   Several lovely species of dragon-flies (tombō) hover about the pondlet on hot bright days. One varietythe most beautiful creature of the kind I ever saw, gleaming with metallic colours indescribable, and spectrally slenderis called Tenshi-tombō, 'the Emperor's dragon-fly.' There is another, the largest of Japanese dragon-flies, but somewhat rare, which is much sought after by children as a plaything. Of this species it is said that there are many more males than females; and what I can vouch for as true is that, if you catch a female, the male can be almost immediately attracted by exposing the captive. Boys, accordingly, try to secure a female, and when one is captured they tie it with a thread to some branch, and sing a curious little song, of which these are the original words:

                 Konna [30] danshō Korai ō

 Adzuma no metō ni makete

 Nigeru Wa haji dewa naikai?

 

   Which signifies, 'Thou, the male, King of Korea, dost thou not feel shame to flee away from the Queen of the East?' (This taunt is an allusion to the story of the conquest of Korea by the Empress Jin-gō.) And the male comes invariably, and is also caught. In Izumo the first seven words of the original song have been corrupted into 'konna unjo Korai abura no mito'; and the name of the male dragon-fly, unjo, and that of the female, mito, are derived from two words of the corrupted version.

 

26 Butterfly, little butterfly, light upon the na leaf. But if thou dost not like the na leaf, light, I pray thee, upon my hand.

27 Boshi means a hat; tsukeru, to put on. But this etymology is more than doubtful.

28 Some say Chokko-chokko-uisu. Uisu would be pronounced in English very much like weece, the final u being silent. Uiosu would be something like ' we-oce.

29 Pronounced almost as geece.

30 Contraction of kore noru.

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