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2015/11/24

柳田國男 蝸牛考 初版(13) 上代人の誤謬 

 

        上代人の誤謬

 

 デデムシまたはデエロとマイマイと、この二つの新らしい名詞の分布を究めてみると、其次に自然に起つて來る問題は、倭名鈔以來の文籍に認められた加太豆布利といふ言葉は、末にどうなつてしまつたかといふことである。自分の此問題に對する最初からの推測は、此語が方言となつて必ず更にマイマイ領域の外側に、分散しているだらうといふに在つたが、附載の表によつて通觀し得るごとく、だいたいにその想像は誤つてい居なかつた。但し、説明に入るに先だつて、玆にもう一度明らかにして置きたいと思ふのは、記錄と地方言語との關係である。所謂月卿雲客たちの口にすることが、都の言葉に對して一段の優越を認められてよかつたのは、法令の名目とか輸入の事物とかの如く、一旦權能ある公の機關に由つて、統一し又整理せられたものに限るのであつて、四民日常の共用するところ、殊に主として女子や少人によつて口すさまれる言葉などは、偶然それが學問ある人の筆に上つたからとて、少しでも匡正の力を有つ道理はなかつた。果してどちらが片言であり聽きそこなひであるかは、容易に決し難い問題であるのみならず、雙方が諸共に誤つて居る場合さへも、幾らでも想像し得られるのである。誤りといふのも實はある時代ある地方に比べて同じでないといふだけのことで、それでも通用する以上は言語でないとは言はれない。標準語はつまり前にもいふ如く、單にある期の現在の便宜と趣味とに基づいた選擇であつて、これを論據として國語の事實を、否認することまでは許されぬのである。國語の事實はこの上もなく複雜なもので、我々はまだ其片端すらも知り得たとは言はれない。これに對して文書の採錄は、單なる偶然であり又部分的である。從うて現存最古の書物に筆記せられている言葉が正しく、又最も古くかつ固有のものだときめてかゝることは、無法なる臆斷と言はなければならぬのである。

[やぶちゃん注:「デエロ」改訂版では『デェロ』。

「倭名鈔以來の文籍に認められた加太豆布利」源順の「和名類聚抄」には(国立国会図書館デジタルコレクションの複数画像を視認して我流で訓読し、句読点を附して読み易くした)、

   *

蝸牛(カタツムリ) 「山海經注」に云く、※1螺〔上の音は「僕」。〕は、蝸牛なり。「本草」に云ふ蝸牛〔上は「古」「華」の反。和名、加太豆不利。〕は、貌、※2蝓に似て背に殼負ふのみ。

[やぶちゃん字注:「※1」~「撲」-「扌」+「虫」。「※2」=「褫」-「衤」+「虫」。]

   *

と載る。ご覧の通り、「加太豆布利」ではなく「加太豆不利」であるが、改訂版では以下も「不」に直されてある。]

 

 此の立場から考へてみると、世の多くの語原論なるものは、誠に心もと無い砂上の樓閣であるのみならず、假にたまたま其本意を言ひ當てたりとしても、第一に其發見に大變な價値を付することは出來ない。深思熟慮の結果に成る言葉といふものも想像し難い上に、その傳承採擇に際しては、尚往々にしていゝ加減な妥協もあつたからである。それを一々何とか解釋しなければならぬものゝ如く、自ら約束した學者こそは笑止である。私などに於いては倭名鈔の所謂加太豆布利が、果して山城の京を距ること何十里、源順君の世に先だつこと何十年間の、事實であつたらうかを危む者であるが、謹嚴なる和訓栞の著者の如きは、之を神代以降の正語なりと信ずるが故に、乃ち偏角振(かたつのふり)の義なるべしなどと説いて居るのである。若し片角振りならば片角振りと謂ひさうなものである。何人が何處で其樣なわからぬ省略を申し合せたとするか。實に思ひ遣りの無い獨りぎめであつたが、さういふ事も亦近頃までの流行であつて、一人谷川氏を難ずることは出來ない。それよりも更に思い切つた一異説は、物類稱呼の著者が得たといふ實驗談であつた。蝸牛は雨の降る前になると、角だか貝だかを鳴らしてカタカタといふ音をさせる。さうしてその形は錘と似ているからカタツムリだといふなどは、語原論と言はうよりも、むしろ落し話の方に近いのである。

[やぶちゃん注:「和訓栞」「わくんのしほり(しおり)」と読む。江戸後期(安永六(一七七七)年以降)に成立した国語辞典で国学者谷川士清(ことすが)著。九十三巻。上代語・中古語・俗語(方言を含む)を採集し、第二音節までの五十音順に配列、出典を示して語釈を加えた上、用例も挙げてある。所持する複数の画像データを調べたが、私の所持するものは古い版であるためか、出てこない。

「物類稱呼」江戸後期の全国的規模で採集された方言辞書。越谷吾山 (こしがやござん) 著。五巻。安永四(一七七五)年刊。天地・人倫・動物・生植・器用・衣食・言語の七類に分類して約五百五十語を選んで、それに対する全国各地の方言約四千語を示し、さらに古書の用例を引くなどして詳しい解説を付す。「蝸牛」は巻二の動物に出る(以下の引用は昭和八(一九三三)年立命館出版部刊の吉澤義則撰「校本物類稱呼 諸國方言索引」に拠った)。

   *

蝸牛  かたつぶり〇五畿内にて〇でんでんむし、播州邊九州四國にて〇でのむし、周防にて〇まいまい、駿河沼津邊にて〇かさばちまいまい、相摸にて〇でんぼうらく、穢土にて〇まいまいつぶり、同隅田川邊にて〇やまだにし、常陸にて〇まいぼろ、下野にて〇をゝぼろ、奥仙臺にて〇へびのてまくらといふ。今按ずるに、かたつぶりは必雨ふらんとする夜など鳴もの也。貝よりかしら指を出して打ふりかたかたと聲を發(はつ)す。いかにも高きこゑ也。かたかたと鳴て頭をふるものなれば「かたふり」といへる意にて「かたつぶり」となづけたるものか。「つ」は助字なるへし。予、隅田川の邊に寓居(ぐうきよ)せしことかれを見て句有。又晋其角か。

  〽文七にふまるな庭のかたつふり とせし句は寂蓮法師の歌の、上の五もじを科へ手俳諧の句となしたる也

  〽牛の子にふまるな庭のかたつぶり角有とても身をはたのまし

   *]

 

 實際あるいはさうでも言はなければ、説明は六つかしかつたのであらうが、果して此京都語が出來た最初から、カタツブリであつたか否かにも疑ひがある。語原を考へる位ならば、何をさし置いてもその原の形といふものを確かめなければならぬのだが、現在はまだ其方法が立つて居ない。それでまず試みに此語の領域、もしくは分布狀態を尋ねて見なけれはならぬが、カタツブリは今の處では中央には殆ど其跡を絶ち、主として京都から最も遠い土地ばかりに、單獨に又は他の語と併存して用ゐられて居るである。次に列擧するものゝ中には、文學によつて「匡正」せられた例も交つて居ないとは斷じ難いが、まだ普通には今まであつたものを、全部無くしてしまふだけの力はなかつた筈であるのに、少なくとも秋田縣の各郡などは、是以外には全く別の名稱を持つて居ないのである。

[やぶちゃん注:「匡正」「きやうせい(きょうせい)」正しい状態にすること。]

 

   カダツブレ、カサツブレ  羽後秋田市

   カタツンブレ       同 南秋田都

   カサツンブレ、カナツンブ 同 河邊郡

   カサツブリ        同 仙北郡

   カダツムリ        同 平鹿郡

   カダツンブリ       同 由利郡

   カサツブリ        同 飛島

[やぶちゃん注:「河邊郡」現在の秋田県秋田市の一部と、秋田県大仙市の一部に相当する旧郡。

「仙北郡」現在の秋田県仙北市全域と、大仙市の大部分及び横手市の一部に相当する旧郡。

「平鹿郡」現在の秋田県横手市の大部分と、大仙市の一部に相当する旧郡。

「由利郡」現在の秋田県由利本荘市・にかほ市全域と秋田市の一部に相当する旧郡。

「飛島」現在の山形県酒田市に属する日本海に浮かぶ飛島(とびしま)。酒田港から北西三十九キロメートル沖合にある山形県唯一の有人島である。]

 

 斯ういふ中でもカサツブレは秋田の御城下の語である故に、どの郡に行つても通用し、又正しいと認められて居ることは、關東のマイマイツブロも同じであつた。尚この以外に他の地方の例を拾うてみると、

 

   カタツムリ           青森縣南部領

   カサツブリ、カサツムリ     羽前東村山郡

   カタツンブリ          佐渡外海府

   カサツブリ           越後の一部

   カサツブ            會津大沼郡河沼郡

   カタツモリ、マメジッコ     下野鹿沼附近

   カンツンブリ          越中五箇山

   カエツブリ、カエツモリ     同 下新川郡

   カエカエツブリ、カエカニツモル 同 上新川郡針原

   カエツブリ、カエカエツノダス  同 氷見郡宇波

   カタツブプリ、マエマエツブリ  越前阪井郡金津

   カタツブリ           同 大野郡

   カタツンブリ、カタツター    大和十津川

[やぶちゃん注:「羽前東村山郡」山形県の郡。現行以前は天童市の大部分と山形市の一部を含んだ。

「佐渡外海府」「そとかいふ」と読む。佐渡島の北部に位置する外海府海岸一帯を指す。

「會津大沼郡河沼郡」孰れも現存する福島県の郡。「大沼郡」は以前は会津若松市の一部と河沼郡柳津町の一部を含んだ。「河沼郡」は以前は会津若松市の一部・喜多方市の一部・耶麻(やま)郡西会津町の一部を含んだ。二郡は古くより近接していた。

「下野鹿沼」関東の北部、栃木県中部に位置する現在の鹿沼市。

「上新川郡針原」現在の富山県富山市針原中町の附近(上新川郡は消滅した)。

「越前阪井郡金津」現在の福井県あわら市金津町(かなづちょう)。「阪井郡」は「坂井郡」が正しいが、既に消滅。

「大野郡」福井県西端にあった旧郡で越前国では最も面積の大きい郡であった。現在の大野市及び勝山市の全域と、福井市の一部他に相当する。

「カタツター」は改訂版では『カタッター』。後も同じ。]

 

 微細なる音韻の異同ほ、耳でも判別しにくゝ筆に現はすことは尚困難であるが、大體に秋田縣などで私の聽いた所は、カサといふ場合のサは必ず澄み、カタといふ場合は必ず濁つて、幾分かカザに近いやうであつた。それで問題になるのはカタとカサと、いずれが先づ生じて後に他方の「轉訛」を誘つたか。乃至は又二つ本來は別々のものであつたのが、ナメクジとマイマイクウジの如く、後に互ひに近よつて來たのかといふ點である。自分等の最初に心づくのは、カサは近世の編笠が起る以前、一筋の縫絲を螺旋させて縫うたものと思はれるから、是ならば最も適切に蝸牛の貝の構成を形容し得たらうといふことである。現にマイマイでも次に言はうとするツブロでも、共に其特徴によつて出來て居るから、笠に似た貝、笠を着た蟲といふ意味の、名前が生ずることに不思議は無い。併し其反面から、直にカサを古しとし、カタを京都の人の聽きそこなひと、考へてしまふことはまだ出來ない。寧ろ是ほど尋常なる一つの名を、特にカタといふ音に聽き倣すには、それだけの理由があつたものとも見られるのである。現在のところでは、カタにはまだ獨立した由來を見出すことが出來ぬから、假にカサ・カタを一種と見て置くが、事によると別に第四の方言の古く行はれたのがあつて、後に勢力を失うてカサツブリと合體したのかも知れない。カサツブリと近い方言が、主として日本の北半分に分布しているに對して、南の半分には單純なるカタ系統の語が多い。それが雙方ともに國の端ともいふべき地方であつて、中央との關係が對稱的になつて居ることは、注意しなければならぬ點であらう。今日までに知られている例は、

 

   マイマイカタツボ   伊勢多氣郡

   カタツボ       同 度會郡

   カタカタバイ     紀伊南牟婁郡飛鳥村

   カタジ        同 熊野串本浦

   カタカタ       同 下里村

   カタカタ、カタッター 大和十津川

   カッタナムリ     土佐高知附近

   カタカタ       同 幡多郡

   カタト        伊豫宇和島附近

   カタタン       同 喜多郡

   カタクジリ      肥後八代郡金剛村

   ガト         丹後加佐郡

[やぶちゃん注:「伊勢多氣郡」「たき」と読む。三重県の中部南寄りを東北から南西に横断する現存する郡。

「度會郡」度会郡(わたらいぐん)現存する三重県の郡で多気郡南の西方に接する。古くは現在の伊勢市も郡域であった。

「紀伊南牟婁郡飛鳥村」現在は熊野市。南牟婁郡が現存してはいる。

「熊野串本浦」現在の和歌山県東牟婁郡串本町。本州最南端の地。

「下里村」現在は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町。

「幡多郡」高知県西部の郡。古くは宿毛市・土佐清水市・四万十市の全域、高岡郡四万十町の一部で、土佐国では最大、南海道でも牟婁郡に次いで広大な面積を有した。

「喜多郡」愛媛県西部の郡。古くは大洲市の大部分・伊予市の一部・西予市の一部・内子町の一部を含んだ。

「肥後八代郡金剛村」現在、八代市(現在、八代郡は氷川町(ひかわちょう)一町のみ)。

「加佐郡」「かさ」と読む。舞鶴市全域と福知山市の一部及び宮津市の一部に相当した。]

 

ぐらゐのものであるが、この中間にもいまだ採集を試みざる地域は弘い。但しマイマイとの著しい相異は、彼は中國山脈などの内陸に殘つて居るに反して、この方は専ら海沿ひの地の、しかも岬角と名づくべき地に分布していて、この點がまた北部のカサツブレとも一致することである。伊豆の半島のカサッパチ若くはカーサンマイといふ蝸牛の方言なども、明らかにまたその類例であるが、それが駿州に入つて優勢なるマイマイと接觸し、到る處にカサノマイ、カサパチマイマイ等の複合現象を呈する外、北は富士山の東西裾野を過ぎて、甲州の約半分を風靡し、更に東は尉榔を越えて、相模愛甲の山村まで、このカアサンメの領分に取込んでいる爲に、人は或はその發源の何れに在つたかを疑うて居る。併し甲州は其武力に於ては、久しく或一家に統一せられて居たに拘らず、方言の關する限り殆どと四分五裂であつた。周りの國々の言葉は峠を越え流れを傳ひ、何れも中央の平地に降つて對立し、一つとして此山國を通り拔けて行つたものは無い。言はゞ一種緩衝地帶であるが此實狀に眼を留めてみた者ならば、少なくとも此方が終端の行き止りであることを、信じないでは居られぬと思ふ。さうして一方には東海道は又マイマイといふ語の往還の路であつた。殘る所は伊豆半島の袋の底に、一つ以前の語が押込められて、偶然にも忘却を免れて居たものと、解するの他は無いやうである。半島が古い文物の保存地となることは、既に多くの學者も説いて居るが、方言に於ても其實證は乏しとせぬ。例へば關東東北ではニホといい、中央部ではススキ・スズミ、西國ではホヅミなどといふ稻の堆積を、志摩と伊豆と安房との三つの半島國のみに於ては、一樣にイナブラと呼んで居る。それが舟人によつて舟より運ばれたので無いことは、稻村は、彼等と縁の近い物體で無く、陸に居る者にのみ適切な問題であつたことを考へてもわかる。だから外には例も無いが、カサバチ多分古い形の一つであらう。ハチもツブロも本來は近い物であつた。それからカアサンメのメといふ語も、類例を求むるならばツグラメのメがある。恐らくはマイマイとは關係無しに、別に理由があつて早くから附いて居たものであらうと思ふ。

[やぶちゃん注:「岬角」改訂版は「かうかく(こうかう)」と音読みしている。半島部で特に岬や鼻となった地形・地域の謂い。

「カーサンマイ」「カアサンメ」改訂版ではそれぞれ『カァサンマイ』『カァサンメ』(後者は二箇所とも)。]

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