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2015/11/24

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十一章 日本海に沿うて (六)

       六

 

 しかしこんな原始的な恐ろしい信仰があつても、盆の時期には美はしい佛教の信仰を行ふ事には變りはない、それでこの小さい村々から十六日に精靈船が出る。精靈船は日本の外の地方よりも、この海岸では餘程精巧に又費用をかけて造られる、骨組の上を藁で包んで造つてあるだけではあるが、何れも細(コマカ)い點まで完全にできて居る小船の面白い模型である。三尺から四尺までの長さのもある。白い紙の帆に戒名が書いてある。新しい水を入れた小さい水入れと香爐をのせてある、それから上側板に神祕的な卍(マンジ)をつけた小さい紙の旗がひるがへる。

 精靈船の形とそれを流す時と仕方に關する風習は國々によつて餘程違ふ。精靈船の代りに燈籠だけ、――その目的のためにのみ造られた特別の種類の燈籠――を流すのが或漁村の習慣だと私は聞いて居る。

 

 しかし出雲の海岸、及びこの西の海岸に沿うた他の地方では、精靈船は海で溺死した人のためにのみ流される、それから流す時刻も夜でなくて。朝である。死んでから十年間は毎年一回、精靈船を流す、十一年目からはこの儀式はない。稻佐で見た多くの精靈船は全く美しかつた、そして貧しい漁村の人々にとつては隨分多額の金がかかつたに相違ない。しかしそれを造つた船大工の話では、溺死した人の親戚は悉く金を寄附して、年々小さい船を求める。

 

[やぶちゃん注:原本を確認したが、第二段落と第三段落の行空けは原文にはない。

「三尺から四尺」九一センチメートルから一・二メートル。

「稻佐で見た多くの精靈船」この杵築の稲佐浜での描写はこれ以前に示されていない。現在の研究ではハーンは大社に少なくとも三度参拝していることが判っている。本書に先に描かれた、最初の杵築訪問(大社参拝)は、

 

 明治二三(一八九〇)年九月十三と十四日は、旧暦七月二十九日と八月一日

 

であり、同様に翌年、

 

 明治二四(一八九一)年の訪問は七月二十六日から八月十日で、旧暦では六月二十一日から七月六日

 

に当たり、精霊舟を流す旧盆の時期とは孰れも一致していない(現在、知られている最後の三度目とされる訪問は東京帝国大学に赴任する直前の明治二十九(一八九六)年八月十二日であるが、これは本書刊行の後であるから排除される)。このことから、ハーンは現在知られている以外に、旧盆の頃に、稲佐浜を訪れて精霊流しを現認していると考えざるを得ない。ところが言わずもがな乍ら、明治二十三年の旧盆はハーン松江到来以前であるからあり得ず、明治二十四年の同時期はまさにここでセツと伯耆に新婚旅行中で行くことは出来ない。そうすると、彼が稲佐浜で精霊流しを見たのは熊本に移った後の明治二十五年、二十六年、二十七年(本書刊行は同年九月)の三年間の孰れかの旧盆に限定されてくることになる(新潮文庫の上田和夫氏の年譜を見る限りでは、この三年間の孰れの旧盆の時期にも空白があるから推理としては充分成立すると思う)。これを文学的虚構とは思わない。ハーンは見ていないものを見たと言うタイプの人間ではないし、ここではしかも「全く美しかつた」という感懐を訴えている。私の考証に重大な誤りがあるとされる方は、是非とも御教授を乞うものである。

「しかしそれを造つた船大工の話では、溺死した人の親戚は悉く金を寄附して、年々小さい船を求める。」原文は“But the ship-carpenter who made them said that all the relatives of a drowned man contribute to purchase the little vessel, year after year.”。この訳文は水難に遭った遺族らや話者である船大工に対して頗る失礼な誤訳と思う。「しかし」が「年々小さい船を求める」に呼応するのではない。これは――しかし乍ら、それらの精霊船を造る船大工の話によれば、彼らはほんに貧しい人々なれば、水難に遭って亡くなった者の親族らは、毎年毎年、なけなしの金を出しあっては、そのミニチュアの船を買(こ)うて行くのである――という謂いであろう。平井呈一氏の訳でも『もっとも、それをこしらえた人から聞いたところによると、水死人の親類縁者たちが毎年金を出しあって、そういう精霊船を買うのだという話だった』となっている。]

 

 

.

  But these primitive and ghastly beliefs do not affect the beautiful practices of Buddhist faith in the time of the Bon; and from all these little villages the shoryobune are launched upon the sixteenth day. They are much more elaborately and expensively constructed on this coast than in some other parts of Japan; for though made of straw only, woven over a skeleton framework, they are charming models of junks, complete in every detail. Some are between three and four feet long. On the white paper sail is written the kaimyō or soul-name of the dead. There is a small water-vessel on board, filled with fresh water, and an incense- cup; and along the gunwales flutter little paper banners bearing the mystic manji, which is the Sanscrit swastika.[3]

   The form of the shōryōbune and the customs in regard to the time and manner of launching them differ much in different provinces. In most places they are launched for the family dead in general, wherever buried; and they are in some places launched only at night, with small lanterns on board. And I am told also that it is the custom at certain sea-villages to launch the lanterns all by themselves, in lieu of the shōryōbune proper,— lanterns of a particular kind being manufactured for that purpose only.

   But on the Izumo coast, and elsewhere along this western shore, the soul-boats are launched only for those who have been drowned at sea, and the launching takes place in the morning instead of at night. Once every year, for ten years after death, a shōryōbune is launched; in the eleventh year the ceremony ceases. Several shōryōbune which I saw at Inasa were really beautiful, and must have cost a rather large sum for poor fisher-folk to pay. But the ship-carpenter who made them said that all the relatives of a drowned man contribute to purchase the little vessel, year after year.

 

3 The Buddhist symbol .

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