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2015/11/23

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十一章 日本海に沿うて (一)

 

 

      第二十一章 日本海に沿うて

 

 

       一

 

 七月十五日の事、――私は伯耆に居る。

 白い途は低い絶壁の海岸――日本海の岸に沿うてうねりくねつて行く。いつでも左手に、岩山の斷片や砂丘の層の上から、渺茫たる大海が見える、ずつと向うに、同じ白い太陽の下に朝鮮の存在する靑白い地平線まで、靑い皺を湛へて居る。時々絶壁の端が急に取れて、私共の前に突然寄せ來る浪の現れる事がある。いつでも右の方には別の海、――背後に大きな靑白い峯を有する、遙かの霞んだ靑い連山まで達して居る綠の靜かな海、――稻田の大きな平面、その表面には音のない波が、今日朝鮮から日本までその靑い海を動かすのと同じ大きな風の下に、互に追ひかけ合つて居る。

 

 一週間、空には一點の雲氣なかつたが、海は幾日も怒つてゐた、それで今その大波のつぶやきは遙かの陸まで續く。いつでもこの通り盆の三日間――即ち舊曆七月十三、十四、十五の三日間に海が荒れると云れる。それで十六日に精靈船が出たあとで、誰も海に出ようと云ふ者はない、船の借りやうがない、漁夫はうちにゐて出ない。その日の海はそこを超えて、幽界へ歸らねばならない精靈の通路となる。それで、その日の海は佛海(ホトケウミ)と呼ばれる。そしていつも十六日の夜、――海は穩かであらうが荒れてゐようが、――一面に水の上は大空へすべり出る朧げな光――精靈のかすかな火――でかすかに光る、それから遠く離れた都會のつぶやきのやうな聲のつぶやき――魂の不分明な話聲――が聞える。

 

[やぶちゃん注:この章には特殊な仕掛けがある。少し注が長くなる。

   *

 それは本章の役者と推定される底本末尾の田部隆次氏の「あとがき」で明らかにされている。彼は本章についてそこで(以下の下線は総てやぶちゃん)、『ヘルンは明治二十三年八月の末、松江に赴任のため眞鍋晃を通譯兼從者として、山陰道を通解した時の事と、翌二十四年夫人と共に島根鳥取を旅行した時の事とを合せてこの記事を造つた。そのうちにある鳥取の布團の話、出雲の捨子の話は何れも夫人が始めてヘルンに話した怪談であつた』と述べている。ここで『翌二十四年夫人と共に島根鳥取を旅行した時の事』というのは、いつもお世話になっている「八雲会」公式サイト内の松江時代の略年譜明治二四(一八九一)年八月十四日に『セツと伯耆へ新婚旅行に出』、同八月三十日に『松江に戻る』とあるのを指していると考えてよい。

 私がこれらを問題にするのは、本章の冒頭でハーンが、“IT is the fifteenth day of the seventh month,— and I am in Hōkii.”それは『七月十五日の事、――私は伯耆に居る』と述べているからである。明治二十三年と翌年の新婚旅行は八月であることが明らかであり、この書き出しは一見、それに合わないように見えるからである。

 しかしながら、ハーンは実は第二段落でその種明かしをしているのである。

 即ち、この「七月十五日」は実は「舊曆七月十三、十四、十五の三日間」の十五日なのである

 そこで明治二十三年と明治二十四年の旧暦を調べてみると、

 

 明治二三(一八九〇)年の旧暦七月十五日は新暦の八月三十日

 明治二四(一八九一)年の旧暦七月十五日は新暦の八月十九日

 

であることが判った。ところが、

 

 明治二十三年にハーンが松江に赴任し、松江に現着(汽船使用)したのは、新暦の八月三十日の午後四時

 

であるから、伯耆を旧暦七月十五日午前中に通るというのは、ぎりぎり有り得るとは言えるもののやや厳しい感じ(文学的虚構の原型素材としてメインに据える事実としてはタイトであるという意味で)がする。何よりもこの後の「七」でハーンは「上市」(うわいち)を通るが、この上市こそ、ハーンが松江到着の前に「第六章 盆踊(四)」で夢幻的な盆踊り体験をした宿泊地なのである。ところが、そこに注した通り、ハーンがこの松江へ向かう途次に上市に泊まったのは明治二三(一八九〇)年の新暦八月二十八日即ち旧暦七月十三日であったのであり、この事実に照らし合わせるならば、時制上の齟齬が生じることは言を俟たないのである。それに対し、上記の通り、

 

 明治二十四年のセツとの伯耆への新婚旅行は、新暦八月十四日

 

であるから、伯耆を旧暦七月十五日に通ることは充分あり得るのである。さすればこれは論理的には、

 

明治二十四年のセツとの伯耆への新婚旅行の折りの旧暦七月一五日=新暦八月十四日を指す

 

 

と考えるのがよい、と落ち着くようには、見える。

   *

 ただ、ハーンは伯耆にはこの翌年の熊本へ転居した明治二十五年にも訪れている

 底本の「あとがき」の大谷啓信氏のそれの中で、後の第二十三章「伯耆から隱岐へ」について、伯耆及び隠岐『へは明治二十五年の七月の末に行つたのであつた。八月の十六日に美保の關へ歸つて來た同行者は夫人だけであつた』とあることでそれを確認出来る。但し、新潮文庫の上田和夫氏の年譜の明治二五(一八九二)年の条には、『八月、博多、門司、神戸、京都、奈良、伯耆境港、隠岐、美保の関、福山、尾道に遊ぶ』ともある

 この大谷氏の記載に従うなら、この本章冒頭のシークエンスはこの明治二十五年の体験に基づくものも多少なりとも影響を与えている可能性もないとは言えないように私には思われてくるのである。

 上田氏は八月出発のように記しておられるが、この広範な訪問地を当時、八月に入ってから熊本を出発してたった十六日間で戻ってくるというのは正直、不審に思われる。明治二十五年の旅は新暦七月十五日(これは「末」ではない)とは言わずとも、大谷氏の述べた通り、新暦七月下旬の出発であって、伯耆の現着は八月であったにしても、七月の旅の陽光を体験し、それを自然に伯耆の眼前の景色としてここに仮想設定したとも言えるのではないかとも私は推理する。

 但し、あくまで旧暦時制に拘るならば、この私の仮説は全く意味を成さない。何故なら、

 

 明治二五(一八九二)年の旧暦七月十五日は新暦の九月五日

 

だからである。そうしてまた、第一段落の強い風の描写と、海が荒れるという第二段落のそれに限って言えば、確かに新暦八月のお盆の海の景観に相応しくはある

 話が冗長になってしまったが、一般に本書全体は明治二十四年の夏頃に執筆されたとされるようだが(上田年譜)、実際、既に見てきた通り、「第十九章 英語教師の日記から」の末尾は同年十一月に熊本に移ってから書かれたものであり、出版に至っては明治二十七年九月である。推敲過程で非常に微妙にして複雑な文学的操作が成されていると考えるのが自然だと私は思う。

 とすると、この伯耆の海岸の情景には――三度目の伯耆を通った明治二十五年の新暦七月末或いは八月上旬の旅の印象さえもが加味れているのではないか――と私には思えてくるのである。最後の部分は私の勝手な妄想であり、大方の御批判を俟つものではある。

   *

「伯耆」旧伯耆国は現在の鳥取県米子市・倉吉市・境港市・東伯郡・西伯郡・日野郡に当たる。

「ずつと向うに、同じ白い太陽の下に朝鮮の存在する靑白い地平線まで」この“horizon”は「地平線」ではなく「水平線」の誤訳である。これでは伯耆から朝鮮半島が見えるように読めてしまう。鳥取から朝鮮半島は見えない。因みに隠岐からでも見えないと思われる(一度行っただけであるが見えなかった)。本邦から朝鮮半島がはっきりと見えるとすれば、対馬からだけであろう(これは対馬出身の知人から聴いたことがある)。因みに平井呈一氏は『水平線』と訳しておられる。

「いつでも右の方には別の海、――背後に大きな靑白い峯を有する、遙かの霞んだ靑い連山まで達して居る綠の靜かな海、――稻田の大きな平面、その表面には音のない波が、今日朝鮮から日本までその靑い海を動かすのと同じ大きな風の下に、互に追ひかけ合つて居る。」訳者に悪いけれど、日本語としては殊更に意味を解し難く訳してしまっているように思われてならない。平井呈一氏の訳を引かさせていただく。

   《引用開始》

道の右手にはまた、これとは別の海がつづいている。こちらのは音なき緑の海だ。――うしろに大きな青い峯を背負いつつ、遠くうす霞む緑濃い山なみ、そのはるか遠い山裾まで、一望遮るものもなく続いているこの緑の海は、渺茫たる稲田なのだ。今、青田のおもてを、この日朝鮮と内地との間の青海原をそよがしているのと同じ飃風(ひょうふう)が颯々と吹きわたって、音なき波が追いつ追われつ駆けめぐっている。

   《引用終了》

この「飃風」とは、急に激しく吹きおこる風、はやて、つむじ風の意である。

「この通り盆の三日間――即ち舊曆七月十三、十四、十五の三日間」私の最初の注を参照されたい。

「佛海(ホトケウミ)」精霊を迎え送るお盆には、川や海に入ったり、漁や釣りをしてはいけないというのは亡き母がよく言っていたことであるが(母は小さな頃に近所の男の子が十五日に川に泳ぎに行き、溺れて亡くなったという思い出をよく話したものだった)、この「仏(ほとけ)の海(うみ)」という言い方は初めて聴いた。御存じの方は是非、御教授願いたい。]

 

 

ⅩⅩⅠ

 

BY THE JAPANESE SEA.

 

.

   IT is the fifteenth day of the seventh month,— and I am in Hōkii.

   The blanched road winds along a coast of low cliffs,— the coast of the Japanese Sea. Always on the left, over a narrow strip of stony land, or a heaping of dunes, its vast expanse appears, blue-wrinkling to that pale horizon beyond which Korea lies, under the same white sun. Sometimes, through sudden gaps in the cliff's verge, there flashes to us the running of the surf. Always upon the right another sea,— a silent sea of green, reaching to far misty ranges of wooded hills, with huge pale peaks behind them—a vast level of rice-fields, over whose surface soundless waves keep chasing each other under the same great breath that moves the blue to-day from Chosen to Japan.

 

   Though during a week the sky has remained unclouded, the sea has for several days been growing angrier; and now the muttering of its surf sounds far into the land. They say that it always roughens thus during the period of the Festival of the Dead,— the three days of the Bon, which are the thirteenth, fourteenth, and fifteenth of the seventh month by the ancient calendar. And on the sixteenth day, after the shoryobune, which are the Ships of Souls, have been launched, no one dares to enter it: no boats can then be hired; all the fishermen remain at home. For on that day the sea is the highway of the dead, who must pass back over its waters to their mysterious home; and therefore upon that day is it called Hotoke-umi,— the Buddha-Flood,— the Tide of the Returning Ghosts. And ever upon the night of that sixteenth day,— whether the sea be calm or tumultuous,— all its surface shimmers with faint lights gliding out to the open,— the dim fires of the dead; and there is heard a murmuring of voices, like the murmur of a city far-off,— the indistinguishable speech of souls.

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