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2015/11/12

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十八章 女の髮について (八)/第十八章~了

       八

 

 日本の女の髮毛は、その最も豐麗な裝飾であるから、そのあらゆる所有物のうちで、失(な)くするのを一番苦痛とする物である。だから昔時は、不貞な妻を殺すには、餘りに男らしい男は、女の髮を悉皆剃つて、追ひ出すのを充分の復讐と考へて居たのである。ただ最も大なる信仰か又は最も深い愛のみが、女をして自ら進んでその髮總てを捧げしめ得るのである、――出雲の多くの神社の前に吊るされて居るのを見る一部分の犧牲は、一房二房の長い太い切髮は、あるけれども。

 斯んな犧牲の方面に、信仰なるものが如何なる事を爲し得るか、これは京都の本願寺といふ大寺院に吊るしてある、女の髮毛で編んだ大きなケエブルを見た人が一番能く知つて居る。だが、表示的といふ點では遙かに劣るけれども、愛は信仰よりも力強いものである。夫に死に別れた妻は、古昔からの習慣に從つて、夫の棺に納めて、夫と一緒に埋めるやうに、その髮の一部分を犧牲にする。その量は一定しては居らぬ。大多數の場合、髷の樣子がその爲め少しも害はれぬほどに、極はめて少しである。が、亡夫の靈に永久に忠實でゐようと決心する女は全部を棄てる。自分の手でその髮を切つて、そのつやつやした犧牲全部を――その若さと美しさの印(しるし)を――死者の膝の上に置く。

 決して二度と生やさぬ。

 

[やぶちゃん注:「京都の本願寺といふ大寺院に吊るしてある、女の髮毛で編んだ大きなケエブル」「東本願寺」公式サイト内の東本願寺の見所に、「毛綱」とあり、両堂(明治一三年(一八八〇)年起工で明治二八(一八九五)年に完成した御影堂と阿弥陀堂のことと思われる)の『再建時、巨大な木材の搬出・運搬の際には、引き綱が切れるなどの運搬中の事故が相次いだため、より強い引き綱を必要としました。そこで、女性の髪の毛と麻を撚り合わせて編まれたのが毛綱です』。『当時、全国各地からは、全部で』五十三本の『毛綱が寄進され、最も大きいものは』長さ百十メートル・太さ四十センチメートル・重量約一トンにも及び、『いかに多くの髪の毛が必要とされたかがうかがわれます』。『現在、東本願寺に展示されている毛綱は、新潟県(越後国)のご門徒から寄進されたもので』、長さ六十九メートル・太さ約三十センチメートル・重さ約三百七十五キログラムとあり、写真も見られる(但し、上記の引用の下に別に注記があり、『東本願寺に展示されている毛綱は、直径』三・五センチメートル・長さ六メートルともある。正直、よく意味が判らない)。]

 

 

As the hair of the Japanese woman is her richest ornament, it is of all her possessions that which she would most suffer to lose; and in other days the man too manly to kill an erring wife deemed it vengeance enough to turn her away with all her hair shorn off. Only the greatest faith or the deepest love can prompt a woman to the voluntary sacrifice of her entire chevelure, though partial sacrifices, offerings of one or two long thick cuttings, may be seen suspended before many an Izumo shrine.

   What faith can do in the way of such sacrifice, he best knows who has seen the great cables, woven of women's hair, that hang in the vast Hongwanji temple at Kyoto. And love is stronger than faith, though much less demonstrative. According to ancient custom a wife bereaved sacrifices a portion of her hair to be placed in the coffin of her husband, and buried with him. The quantity is not fixed: in the majority of cases it is very small, so that the appearance of the coiffure is thereby nowise affected. But she who resolves to remain for ever loyal to the memory of the lost yields up all. With her own hand she cuts off her hair, and lays the whole glossy sacrifice—emblem of her youth and beauty—upon the knees of the dead.

It is never suffered to grow again.

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