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2015/11/19

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十章 二つの珍しい祭日 (二)

          二

 

 第一は新年の祝日で、三日間つゞく。松江では、その式が特に面白い。他所では廢れたり、またはどしどし廢れつゝある幾多の祝祭習慣が、この古い町には依然として、まだ保存されてゐるから、その際、町々は盛んに飾られ、店は閉ぢられる。注連繩又は注連飾――神話的時代から神道の尊い象徴となつてゐる藁繩――が、家々の正面に沿うて、花綵形に吊るされ、それが連接して左にも右にも、一哩も長いたゞ一本の注連繩となつて見え、藁の垂飾と、白くひらひらする御幣が附いて、眼の達する限り町の兩側に延びてゐる。日本の國旗――昇る朝日の國の表象なる大きな赤い圓盤を、白地に現はせる――が、玄關の上に翩翻する。それから同樣の國家的表象が、軒端に沿うて、或は街路や神社の廣小路を横切つて、列を作つて吊るされた無數の提燈の紙面にも輝いてゐる。それから、あらゆる門や戸目口の前に門松が立ててある。だから一切の街道はずらりと綠の色が並んで、また花やかな色に滿ちてゐる。

 門松はその名の示す以上のものを有してゐる。それは一本の若い松、或は松の一部分に、梅の枝と笹が結付けてある。松、竹、梅、は象徴的意義の生長である。昔は松のみ用ひられたが、應永年間から竹が加へられ、また更に後になつてから梅が加へられたのだ。

 

    註。門松について佛教の諺がある

 ――門松や冥途の旅の一里塚。

 

 門松についてには多くの意味がある。しかし最も一般に承認せられる目出度い意味は、逆境に際し、忍耐して、元氣よく押通すといふのだ。他の樹木の葉が凋落するのに、松ばかりは綠の色を變へない如く、眞正の男兒は困難に當つても、勇氣と力を失はない。松はまた私が他の章で述べた通り、老齡猶ほ元氣旺盛なることの象徴となつてゐる。

 いかなる歐洲人も恐らくは竹の謎を推側し得ないだらう。それは一種の洒落を象徴する。節(セツ)と發音する漢字に、二つの意味があつて、一つは竹の節を意味し、他の一つは徳、忠實、不變を意味する。だから竹は慶瑞として用ひられる。『節』といふ名は、屢々日本の少女に與ヘられてゐるのを注意するがよい――丁度フエース(信仰)、フヰデイーリア(忠實)及びコンスタンス(不變)といふ名が、英國の娘に與へられる如く。

 梅――その象徴的意味について、私は既に日本の庭園に關する章で幾分述べてゐる――は、必しも用ひるとは定つてゐない。時としては神道の尊い表象の榊が代用される。また 時としては、ただ松と竹ばかりで門松を作ることもある。

 新年の祝日に用ひらるゝすべての飾りは、珍しい、奇異なる種類の意味を有する。して、すべての中で最も普通なもの――注連繩――さへ、最も複雜なる象徴を有する。第一にその起原は古事記に載つてゐる如く、大陽の女神が、一旦隱れた窟から出るやうに誘はれ、それからまたそこへ歸らうとするのを、或る神が入口に藁の繩を張つて禦いだといふ、最も古い傳説によるのは、説明するにも及ぶまい。第二に注意すべきは、注連繩の厚さは何うであらうとも、その捻り方は左に向はねばならぬといふことだ。その譯は、古の日本の哲學では、左が淸い側、即ち吉の側となつてゐるからだ。多分歐洲の無學階級に於て今日に至るまで猶ほ普通となつてゐる信仰、即ち心臟は左方に存するといふ古い信仰に基くのだらう。第三に注意すべきは、緣飾材料の如く總(ふさ)をなして、一定の間隔を置いて繩から垂れてゐる藁は、その總の位置に隨つて數が異らねばならぬといふことだ。それは三本といふ數から始まつてゐる。だから、第一番目の總は三本の藁、第二番は五本、第三は七本、第四はまた三本、第五は五本、第六は七本といふ風に、繩の全長を通じて數が變化して行く。藁の總と交互に垂れてゐる御幣の起原も、また太陽の女神の傳説中に求められねばならぬ。が、御幣はまた太古、神々に捧げた布帛を表はしてゐる布を献ずる習慣は夙に癈れたのである。

 しかし御幣の外に、まだ讀者が意味を想像し得ないやうな幾多のものが附いてゐる。その中に、羊齒の葉、橙、ゆづり葉、小さな炭の束(たば)などがある。

 何故羊齒の葉(もろもき又は裏白(うらじろ))を附ける?その譯は、羊齒は子孫繁殖の象徴だから。その技が分かれて、更にまた枝が出る如く、家族か榮え、子孫が增加して行く。

 橙(だいだい)はどういふ譯?それは『代々(だいだい)』といふ漢字があるので、橙は吉兆の果實となつたのだ。

 しかし炭はどういふ譯?それは繁昌の不變を示す。この觀念は全く珍異だ。炭の色を變へることは出來ない如く、我々の愛する人々の幸運も、一切永久不變てありたい!ゆづり葉の意味は、前章に説明して置いた。

 家の前の大きな注連繩の外に、室々の床の上にも、注連繩や注連飾が吊るしてある。それから、後門の上や、二階の廊下の入口の上(もし二階があれば)には輪注連(わじめ)【註二】が懸けてある。それは極小さい注連繩を捻つて、一種の花輪形にしたものに、羊齒、御幣、ゆづり葉が飾り附けてある。

 

    註二。注連繩と注連飾の差異は、後

    者は專ら裝飾的で、藁繩に諸種の珍

    しい物が結付けてあることだ。

 

 しかし祝日の大なる家庭的裝飾は、神棚の裝飾だ。一家々に祀る小さな宮の前に、二枚の大きな餅を据ゑる。して、宮は花や、小さな注連飾や、榊の枝で美々しくする。また貨幣を一本の絲に繫いだものや、蕪菁や、大根や、魚類の王なる鯛や、烏賊(するめ)や、神馬草(じんばさう)【註三】も献げられる。またその名が欣(よろこ)ぶと同音だと考へられてゐるため、愉快欣喜の象徴てある海草の昆布(こんぶ)や、餅と藁て作りた造花の餅花(もちばな)もある。

 

    註三。これは馬尾藻科に屬し、氣胞

    を澤山有する。食用海草のさまざま

    の種類が、日本人の食料の可なりの

    部分を占める。

 

 三寶は奇形の小さな臺で、其上に神々への供物を載せる。出雲の殆どあらゆる裕福な家には、自家用の三寶を有つてゐる――しかしかやうな家庭用の三寶は神社に用ひられるのよりは小さい。お正月が到來すると、橙、米、餅、鰯、力祝餅、黑豆、勝栗、それから立派な海老が、すべて體裁よく家庭用の三寶に並べられる。客が來る毎に、その前へ三寶を据ゑる。すると、客はそれに向つてお辭儀をする。彼はそれによつて、たゞに三寶の上に盛られた品々によつて表さるゝ一切の幸運が、その家に來るのを心から願ふといふことを示すのみでなく、更にまたその家に祀つてある神々に敬意を表はす。黑豆は身體の力と健康を意味する。何となれば、豆といふ字と字形は異つても、健康といふ文字も同じく『まめ』と發音するからだ。しかし何故に海老を用ひるか?こゝにまた珍しい觀念が存する。海老の胴體は二重に曲つてゐる。非常に高齡まて生きながらへる人の身體もまた曲がる。だから海老は非常なる高齡の象徴になる。して、藝術的意匠に於ては、私共の知人が海老の如く腰が曲がるまで――歳月の重荷の下に――永く生きるやうにと願ふ意味である。また勝栗はその名の第一の文字は勝利、征服を意味するから、成功の象徴である。

 お正月の祝節に伴ふ奇異な習慣や象徴が、少くとも他に百もある。それを叙述するには一卷の大册を要するだらう。私は不注意な觀察にさへも、すぐ氣付くやうなもの僅かばかりを擧げたのに過ぎない。

 

[やぶちゃん注:「注連繩又は注連飾」既に「第十七章 家の内の宮(五)」で「注連繩」(しめなは(しめなわ))は注しておいた。「注連飾」(しめかざり)もそこでの引用に『注連縄の一形態であり、厄や禍を祓う結界の意味を持』つと出る。

「花綵」既出既注であるが再掲しておく。「はなづな」或いは音で「カサイ」と読む。植物の花・実・葉などを綱状に編んだ飾り。或いは、それを模して造った陶器や建築などの装飾を指す。懸け花装飾のこと。

「門松」ウィキの「門松」から引く。『松飾りとも言う。古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依り代という意味合いがある』。『神様が宿ると思われてきた常盤木の中でも、松は「祀る」につながる樹木であることや、古来の中国でも生命力、不老長寿、繁栄の象徴とされてきたことなどもあり、日本でも松をおめでたい樹として、正月の門松に飾る習慣となって根付いていった。能舞台には背景として必ず描かれており(松羽目・まつばめ)、日本の文化を象徴する樹木ともなっている』。『また、地域の言い伝えにより松を使わない所もある』。『新年に松を家に持ち帰る習慣は平安時代に始まり室町時代に現在のように玄関の飾りとする様式が決まったと言われる』。『現在の門松は中心の竹が目立つが、その本体は名前で解るとおり「松」である。もと、平安の貴族達が好んだ小松引きと言う行事で持ち帰った「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、現在も関西の旧家などでは、「根引きの松」という玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた根が付いたままの小松(松の折枝は略式)が飾られる』(下線やぶちゃん。ここに出る「小松引き」とは「子の日遊び」のことで正月初子(はつね)の日に催された奈良・平安貴族の遊宴行事の一つ。「福島美術館」公式サイト内の「福島美術館通信」の第四十号の「陳列作品紹介」の江戸後期土佐光孚みつざね)筆「子の日遊び図」の解説によれば、発生時期は不詳であるが、「文徳実録」天安元(七五七)年の記事に既に出るとし、『この日山に登り遠く四方を望めば、邪気を祓い憂悩を除くとする中国の習俗に拠るとされて』おり、『日本での行事の内容には「小松引き」と「若菜摘み」とがあり、平安の貴族たちは正月のはじめの子(ネ)の日に、北野や船岡山など郊外の野辺に出かけ、自然の生命力といわれる小松を根ごと掘りとってきて千代(チヨ)を祝い、摘み取った若菜を料理の食材に加え皆で長寿を祝い、和歌を詠むという宴を催し』たとある。なお、次注も参照のこと)。『竹の先端部の形状は、斜めに切った「そぎ」と、真横に切った「寸胴(ずんどう)」の二種類がある。「そぎ」は徳川家康が始めたもので、徳川家康の生涯唯一の敗北として知られる「三方ヶ原の戦い」』(元亀三(一五七二)年)『のあと、対戦相手の武田信玄に対して、次は斬るぞという念を込めたのが始まりという説がある。江戸期の門松は現在と異なり、松の先を切らずに地面からそのまま家屋の二階屋根まで届くような高さのものが飾られていた』。『仙台藩の武家では、松の枝を括り付けた高さ』三メートル程の『クリの木を門の両脇に立て、その間に竹を渡してしめ縄と藁の飾りをかけるという物だった』。『地方により門松の様式に差がある。関東では、『』3本組の竹を中心に、周囲に短めの若松を配置し、下部をわらで巻くという形態が多い。関西では』三本組の『竹を中心に、前面に葉牡丹(紅白)後方に長めの若松を添え、下部を竹で巻く。豪華になると梅老木や南天、熊笹やユズリハなどを添える』。『「逆さ門松」とも言われる、松を下向きに飾る門松のほか、松を使用しない門松が、東京都府中市の大國魂神社』・神戸市生田神社・千葉県市原市の姉埼神社などにある、とある。以下、「設置期間」の項。古式では、前年の十二月十三日『(もしくはその後)に、山から松の木(枝)を取ってくる「松迎え」をおこな』い、『この「松」により、山から歳神様(歳徳神)を迎え入れる事となる』。門松の設置は、広義の(「広義の」は私が入れた。通常、狭義の「松の内」と言う語は元旦を開始日とする)「松の内」に入る十二月十三日以降『ならばいつでも良い。ただし、クリスマスは避けて設置される傾向にあり』、他に十二月二十九日に『飾るのは「二重苦」、さらに九の末日でもあるので『「苦待つ」に通じるとされ、「苦松」といって忌む』。また十二月三十一日に『飾るのは「一夜飾り」「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、それぞれ避けることとされている』。「松の内」の一月十五日まで『飾るのが伝統であるが、関東の一部などでは松の内を』一月七日まで『短縮しており、その場合は』六日の夕方や翌七日に『片づける場合が多』く、『左義長が行われる地域は、左義長で門松を焼くので、それに合わせて仕舞う。左義長は』一月十五日の『小正月が多いが、地域や神社によって異なる』。私は生まれて今日に至る五十八年の間、一度もこのような門松を立てたことがないので、かく引用させて戴いた。

「應永年間」ユリウス暦一三九四年から一四二七年まで。室町時代。日本の元号の中では三十五年という昭和(六十四年)・明治(四十五年)に次いで三番目の長さを持ち、一世一元制導入以前では最長。特に応永十年から二十二年の間は戦乱などが途絶え、「応永の平和」と称された(主にウィキの「応永」に拠る)。前注も参照(下線部)のこと。

「門松について佛教の諺がある――門松や冥途の旅の一里塚」原文は初句が「門松」で切れ字の「や」はない。「冥途」とあるから「佛教の諺」と言われれば、そうでないとは言えぬ。この句(和歌或いは狂歌の上句とも考え得べきもの)については、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の管理番号都立図事-2004001191の東京都立中央図書館の事例『一休さん(一休宗純)の歌「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」はこれで正しいか。この歌は骸骨の付いた杖をつきながら詠んだものらしい』がよく纏まっている。そこでは、以下の原型和歌のヴァリエーションを確認出来る。

 

 門松は冥途の旅の一里塚馬駕籠もなく泊まり屋(や)もなし

 正月は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

 元日や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

 門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

 

そして、鈴木一雄編「日本名句辞典」(一九八八年大修館書店)には、この上句部分を独立させた、「門松は冥途の旅の一里塚」を諺としており、その解説には、『「『一休咄』等の咄本では、『門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし』という歌の形で出ており、一休禅師の作と伝えるが、真偽は不明である。」とあり』と記す。

「松はまた私が他の章で述べた通り、老齡猶ほ元氣旺盛なることの象徴となつてゐる」「第十六章 日本の庭(五)の第一段落末に、「松はこの表象の國では表象の木である。永久に綠で居るから、同時に不撓不屈の目的と、強壯な老齡との徽號である。そしてその針の恰好した葉は、惡鬼を追ひ拂ふ力があると信ぜられて居る」とある。

「梅――その象徴的意味について、私は既に日本の庭園に關する章で幾分述べてゐる」「第十六章 日本の庭(五)」であるが、「梅の花は美に於て、確かに櫻の花の敵手であるのに、日本人は婦人の美をば――肉體美をば――櫻の花に較(たと)へて、決して梅の花には較へぬ。然しまた、之に反して、婦人の貞節と深切とは梅の花に例へて、決して櫻の花には例(たと)へぬ。或る著者が斷言したやうに、日本人は女を木や花に例へることを考へぬと斷言するのは大なる誤である。優しさには、少女はほつそりした柳に、若盛りの色香には、花の盛りの櫻に、心の麗はしさには、花の咲いて居る梅の木に例へられて居る」(下線やぶちゃん)であって、期待するほどの記載ではない。

「その起原は古事記に載つてゐる如く、大陽の女神が、一旦隱れた窟から出るやうに誘はれ、それからまたそこへ歸らうとするのを、或る神が入口に藁の繩を張つて禦いだといふ、最も古い傳説による」「古事記」の天の岩戸のシークエンスで、天の宇受売(うずめ)命のストリップ・ダンスにウケまくる神々のさまに、うっかり岩戸を開けて出てしまった天照大神を、『その隠り立てる天手力男(たぎからのを)の神、その御手(みて)を取りて引き出しまつりき。すなはち布刀玉(ふとだまの)命、尻久米繩(しりくめなは)をその御後方(みしへ)に控(ひ)き度(わた)して白(まを)さく、「ここより内にな還り入りたまひそ。」とまをしき』とある、尻久米繩のことであろう。これは端を編んだまま、切らずに戻すようにして、綯(な)った繩目に挟み込むことが原義と思われ、ここでは出入りを禁ずる呪力を持つものとして渡されている。

「その捻り方は左に向はねばならぬ」「その譯は、古の日本の哲學では、左が淸い側、即ち吉の側となつてゐるからだ」ウィキの「注連縄」には、『縄を綯(な)う=「編む」向きにより、左綯え(ひだりなえ)と右綯えの二通りがある。左綯えは時計回りに綯い、右綯えは逆で、藁束を星々が北極星を周るのと同じ回転方向(反時計回り)で螺旋状に撚り合わせて糸の象形を作る』。『左綯え(ひだりなえ)は、天上にある太陽の巡行で、火(男性)を表し、右綯えは反時計廻りで、太陽の巡行に逆行し、水(女性)を表している。祀る神様により男性・女性がいて、なう方向を使い分ける場合がある』。『大きなしめ縄は、細い縄を反時計回り(又は逆)にまわしながらしめ、それを時計回り(又は逆)に一緒にしていく』とあるから、ハーンの述べるように絶対的なものでは、実はない。但し、前注の天照大神の岩戸への再侵入を抑えた出入禁忌の「尻久米繩」は左綯えの左繩とはされる。

「多分歐洲の無學階級に於て今日に至るまて猶ほ普通となつてゐる信仰、即ち心臟は左方に存するといふ古い信仰に基くのだらう」この古い下層階級の信仰自体を知らないので云々することは出来ないが、私の知見では、少なくともキリスト教では、右が神を左が悪魔を象徴し、家に入る際には右足から入り、誤って左足から入ってしまった際には不吉なので戻って入り直す、という話を幼い頃に親しいシスターから聴いた記憶がある。こハーンの謂いが逆なのは(心臓位置という根拠は根拠として)、かえってこれが非キリスト教的なるもの、ケルト等の古信仰の残滓であるとも考えられようか。

「緣飾材料の如く總(ふさ)をなして、一定の間隔を置いて繩から垂れてゐる藁は、その總の位置に隨つて數が異らねばならぬといふことだ。それは三本といふ數から始まつてゐる。だから、第一番目の總は三本の藁、第二番は五本、第三は七本、第四はまた三本、第五は五本、第六は七本といふ風に、繩の全長を通じて數が變化して行く」これについては個人サイト(と思われる)「注連縄(しめなわ)の豆知識」に詳しいので参照されたい。因みに、そこに引かれた「神祇辞典」(大正一三(一九二四)年東方出版刊)の注連繩についての解説中には(恣意的に漢字を正字化し、読点を加えて空欄を詰めた)、『七は天神七代の形、五は地神五代、三は三貴子に象ると云ひ、七五三は倂せて十五也、天道は十五にして成る也、など言へるもあれど、神道名目類聚抄に、或説曰、繩は正直の儀、端を出すは質素の體なり』、『七五三等の數の事は、後人の附會なりと云へるを信ずべしとなす』とある。

「御幣の起原も、また太陽の女神の傳説中に求められねばならぬ。が、御幣はまた太古、神々に捧げた布帛を表はしてゐる布を献ずる習慣は夙に癈れたのである」「御幣」はやはり、既に「第十七章 家の内の宮(五)」で注した。そこでの引用にも『かつて、神に布帛を奉る時には木に挟んで供えていたが、それが変化したのが今日の御幣である』とある。

「羊齒の葉(もろもき又は裏白(うらじろ))」既注。「もろもき」は松江方言。奥野栄氏主宰のサイト「出雲弁の泉」のを参照されたい。「もろもき」は恐らくウラジロの別名である「モロムキ」の転訛と思われ、これは「諸向」で、個人サイトと思しい「山野草の仮画像リスト」のウラジロには、『正月の飾りに広く用いられているが、ウラジロの方言モロムキが縁起をかつぐきっかけになったのではないか。葉柄の先端に左右同じ葉が向き合って出るのを、夫婦が仲むつまじく向き合っているのにたとえたというのである。また、モロムキは長崎の方言の諸向きで、風が吹くと、あちこち向きが変わるが、元は離れない。つらいことがあっても夫婦は離れないものだ ということからきているとされている』とある。

「橙(だいだい)」ムクロジ目ミカン科ミカン属ダイダイ Citrus aurantium

「ゆづり葉の意味は、前章に説明して置いた」ユキノシタ目ユズリハ科ユズリハ属ユズリハ Daphniphyllum macropodum 「第十六章 日本の庭(四)に「後から生えるその新葉が充分に發育しないうちは、古葉は一枚も決して落ちぬから、緣起の好い木だとされて居る。といふのは、斯くしてユヅリハは、その息子が一家の長として、後を嗣ぐことが充分出來る程に強壯な成人にならないうちに、父が亡くならないやうにとの希望を象徴して居るからである。だから毎正月、讓葉の葉をば羊齒の葉と交へて、その時出雲の何處の家の前にも吊るすシメナハに着ける。」とある。

「輪注連(わじめ)」「極小さい注連繩を捻つて、一種の花輪形にしたものに、羊齒、御幣、ゆづり葉が飾り附けてある」「注連繩ふ注連飾の差異は、後者は專ら裝飾的で、藁繩に諸種の珍しい物が結付けてあることだ」ウィキの「注連縄」の「注連飾り」の項には、『本来の意義は、各家庭が正月に迎える年神を祀るための依り代とするものである。現在でも注連飾りを玄関に飾る民家が多く見られる。形状は、神社等で飾られる注連縄の小型版に装飾を加えたもので、注連縄に、邪気を払い神域を示す紙垂をはじめ、子孫の連続を象徴するダイダイの実やユズリハの葉、誠実・清廉潔白を象徴するウラジロの葉などのほか、東京を中心にエビの頭部(のレプリカ)などが添付されることが多い』。この「注連飾り」とは『別に、東日本を中心に、長さ』数十センチメートルほどの『細い注連縄を、直径』数センチメートル程度の『輪形に結わえて、両端を垂らした簡易型の注連縄が広く見られる。これは京言葉で「ちょろ」、東京方言などで「輪飾り」、東海地方などで「輪締め」などと呼ばれている。近畿地方では台所の神の前に飾る程度だが、東日本では、門松に掛ける(東京周辺など)、玄関先に掛ける、鏡餅に掛けるなど、非常に広く用いられる。一般家庭では、本来の注連縄の代用とされる場合も多い』とある(下線やぶちゃん)。

「蕪菁」「かぶ」或いは「かぶら」と訓じていよう。

「神馬草(じんばさう)」「馬尾藻科に屬し、氣胞を澤山有する」不等毛植物門褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属ホンダワラ Sargassum fulvellum(及び同属の近縁種を含む)の別名。この異名は一説に、神功皇后が率いていた神馬に食べさせた海藻であることに因むとも言われる。神馬草(陣馬草・銀葉草・馬尾藻・ギバサ等々、異名豊か!)大好き(美味い!)の海藻フリークの私としては、エンドレスで語りたくなるところだが、ここで堪えて終りとしよう。]

 

 

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   The first is the Festival of the New Year, which lasts for three days. In Matsue its celebration is particularly interesting, as the old city still preserves many matsuri customs which have either become, or are rapidly becoming, obsolete elsewhere. The streets are then profusely decorated, and all shops are closed. Shimenawa or shimekazari,—the straw ropes which have been sacred symbols of Shinto from the mythical age,— are festooned along the façades of the dwellings, and so inter-joined that you see to right or left what seems but a single mile-long shimenawa, with its straw pendents and white fluttering paper gohei, extending along either side of the street as far as the eye can reach. Japanese flags — bearing on a white ground the great crimson disk which is the emblem of the Land of the Rising Sun — flutter above the gateways; and the same national emblem glows upon countless paper lanterns strung in rows along the eaves or across the streets and temple avenues. And before every gate or doorway a kadomatsu (gate pine-tree) has been erected. So that all the ways are lined with green, and full of bright colour.

   The kadomatsu is more than its name implies. It is a young pine, or part of a pine, conjoined with plum branches and bamboo cuttings. [2] Pine, plum, and bamboo are growths of emblematic significance. Anciently the pine alone was used; but from the era of O-ei, the bamboo was added; and within more recent times the plum-tree.

   The pine has many meanings. But the fortunate one most generally accepted is that of endurance and successful energy in time of misfortune. As the pine keeps its green leaves when other trees lose their foliage, so the true man keeps his courage and his strength in adversity. The pine is also, as I have said elsewhere, a symbol of vigorous old age.

   No European could possibly guess the riddle of the bamboo. It represents a sort of pun in symbolism. There are two Chinese characters both pronounced setsu,— one signifying the node or joint of the bamboo, and the other virtue, fidelity, constancy. Therefore is the bamboo used as a felicitous sign. The name Setsu, be it observed, is often given to Japanese maidens,— just as the names Faith, Fidelia, and Constance are given to English girls.

   The plum-tree — of whose emblematic meaning I said something in a former paper about Japanese gardens — is not invariably used, however; sometimes sakaki, the sacred plant of Shinto, is substituted for it; and sometimes only pine and bamboo form the kadomatsu.

   Every decoration used upon the New Years festival has a meaning of a curious and unfamiliar kind; and the very cornmonest of all — the straw rope — possesses the most complicated symbolism. In the first place it is scarcely necessary to explain that its origin belongs to that most ancient legend of the Sun-Goddess being tempted to issue from the cavern into which she had retired, and being prevented from returning thereunto by a deity who stretched a rope of straw across the entrance,— all of which is written in the Kojiki. Next observe that, although the shimenawa may be of any thickness, it must be twisted so that the direction of the twist is to the left; for in ancient Japanese philosophy the left is the pure or fortunate side: owing perhaps to the old belief, common among the uneducated of Europe to this day, that the heart lies to the left. Thirdly, note that the pendent straws, which hang down from the rope at regular intervals, in tufts, like fringing, must be of different numbers according to the place of the tufts, beginning with the number three: so that the first tuft has three straws, the second live, the third seven, the fourth again three, the fifth five, and the sixth seven,— and so on, the whole length of the rope. The origin of the pendent paper cuttings (gohei), which alternate with the straw tufts, is likewise to be sought in the legend of the Sun-Goddess; but the gohei also represent offerings of cloth anciently made to the gods according to a custom long obsolete.

   But besides the gohei, there are many other things attached to the shimenawa of which you could not imagine the signification. Among these are fern-leaves, bitter oranges, yuzuri-leaves, and little bundles of charcoal.

   Why fern-leaves (moromoki or urajirō)? Because the fern-leaf is the symbol of the hope of exuberant posterity: even as it branches and branches so may the happy family increase and multiply through the generations.

   Why bitter oranges (daidai)? Because there is a Chinese word daidai signifying from generation unto generation. Wherefore the fruit called daidai has become a fruit of good omen.

   But why charcoal (sumi)? It signifies prosperous changelessness. Here the idea is decidedly curious. Even as the colour of charcoal cannot be changed, so may the fortunes of those we love remain for ever unchanged In all that gives happiness! The signification of the yuzuri-leaf I explained in a former paper.

   Besides the great shimenawa in front of the house, shimenawa or shimekazari [3] are suspended above the toko, or alcoves, in each apartment; and over the back gate, or over the entrance to the gallery of the second story (if there be a second story), is hung a wajime, which is a very small shimekazari twisted into a sort of wreath, and decorated with fern-leaves, gohei, and yuzuri-leaves.

But the great domestic display of the festival is the decoration of the kamidana,— the shelf of the Gods. Before the household miya are placed great double rice cakes; and the shrine is beautiful with flowers, a tiny shimekazari, and sprays of sakaki. There also are placed a string of cash; kabu (turnips); daikon (radishes); a tai-fish, which is the king of fishes, dried slices of salt cuttlefish; jinbaso, of the Seaweed of the horse of the God; [4] also the seaweed kombu, which is a symbol of pleasure and of joy, because its name is deemed to be a homonym for gladness; and mochibana, artificial blossoms formed of rice flour and straw.

   The sambō is a curiously shaped little table on which offer-ings are made to the Shintō gods; and almost every well-to-do household in hzumo has its own sambō—such a family sambō being smaller, however, than sambō used in the temples. At the advent of the New Years Festival, bitter oranges, rice, and rice-flour cakes, native sardines (iwashi), chikara-iwai (strength-rice-bread), black peas, dried chestnuts, and a fine lobster, are all tastefully arranged upon the family sambō. Before each visitor the sambō is set; and the visitor, by saluting it with a prostration, expresses not only his heartfelt wish that all the good- fortune symbolised by the objects upon the sambo may come to the family, but also his reverence for the household gods. The black peas (mame) signify bodily strength and health, because a word similarly pronounced, though written with a different ideograph, means robust. But why a lobster? Here we have another curious conception. The lobsters body is bent double: the body of the man who lives to a very great old age is also bent. Thus the Lobster stands for a symbol of extreme old age; and in artistic design signifies the wish that our friends may live so long that they will become bent like lobsters,— under the weight of years. And the dried chestnut (kachiguri) are emblems of success, because the first character of their name in Japanese is the homonym of kachi, which means victory, conquest.

   There are at least a hundred other singular customs and emblems belonging to the New Years Festival which would require a large volume to describe. I have mentioned only a few which immediately appear to even casual observation.

 

2 There is a Buddhist saying about the kadomatsu:

                       Kadomatsu

                     Meido no tabi no

                      Ichi-ri-zuka.

The meaning is that each kadomatsu is a milestone on the journey to the Meido; or, in other words, that each New Years festival signal only the completion of another stage of the ceaseless journey to death.

3 The difference between the shimenawa and shimekazari is that the latter is a strictly decorative straw rope, to which many curious emblems are attached.

4 It belongs to the sargassum family, and is full of air sacs. Various kinds of edible seaweed form a considerable proportion of Japanese diet.

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