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2015/11/25

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十二章 舞妓について プロローグ

      第二十二章 舞妓について

 

[やぶちゃん注:この冒頭のエピローグは特異的にだらだらと長い。あまり注を打つ必要も感じないことから、必要な箇所では途中の段落の最後に附した。段落が繋がっているところは稍読み難いかも知れぬ。]

 

 日本の宴會の始めほど靜かなものはない。日本人でない以上は、誰人も開宴の光景を見て、結末の賑かさを恐らくは想像し得ないだらう。

 羽織を着た客達は、全く昔を立てずに、また物も云はないで、座布團の上に、彼等の席に就く。漆塗の食膳が彼等の前に疊の上に据ゑられる。それを運んでくる女中達の、露出せる足は、少しの音も立てない。暫くの間は、一座たゞで微笑と輕い動搖があるのみで、恰も夢の中のやうだ。外部からの聲も減多に聞えて來ない。それは料理屋の座敷は、通常潤やかな庭園で街路を隔ててゐるからだ。たうとう饗宴の主人が、上品なお定まり文句で鎭靜を破る。『お粗末で御座いますが――どうぞ御箸を!』そ乙で客は一同默禮して、箸を取上げ、食べはじめる。しかし箸は、巧みに使はれて、音は少しも聞えない。女中達が極めて靜肅に、客毎にその杯へ熱い酒を注ぐ。して、二三の料理品を食べてしまつて、數杯の酒を乾した後で、漸くにして喋々の語聲が起つてくる。

 すると、忽然わつと輕く笑ひ出し乍ら、數名の若い娘が入つてくる。彼等はお定まりのお辭儀をする。列座の客の中間にある、廣い場處へ滑べるやうに行つて、酒を勸める。その歡待振りの優美と巧妙は、普通の娘では企及し得な。彼等は綺麗で、絹の贅澤な服裝をして、女王のやうな帶をつけてゐる。して、銘々の美しく結つた髮には、造花や、驚くべき櫛や留針や珍らしい金の飾りが附けてある。彼等は初對面の客に向つても、以前から知るつてゐた如くに挨拶をする。彼等は冗談をいひ、笑ひ、きゃつくやつと面白さうに叫ぶ。

これが宴席に聘せられる藝者なのである。

 

    註。京都の言葉では舞妓といふ。

 

 三味線が響く。藝者は通例の來客よりも更に多數を容れ得る大廣間の一端にある廣やかな處へ退いて、數名のものは年齡の一寸分かりかねるやうな一人の女の指揮の下に、囃の組を作る。それには數個の三味線と、少女が打つ小さな太鼓がある。他のものは、一人づつで、又は二人づつの組になつて、舞踊する。それは全く優美な姿勢から成つた、輕快で陽氣な踊りで、二人の娘はいかにも數年の稽古を積んだればこそ始めて出來るやうに、よく足を揃へ、身振を一致させて、共に踊るのだ。が、私共西洋人が舞踏と稱するものに似てゐるよりは、寧ろ所作に似てゐる場合が一層多い――袖や扇子を異常に振つたり、眼や容貌を美はしく、機敏に、控へ目に、全然東洋風に動かせたりして所作を演ずる。藝者の 行ふ舞踊に、もっと肉感的なのもあるが、通常の場合や、上品な客の面前では、彼等は日本の美くしく古い傳説、例へば海神の娘に愛された漁師浦島の傳説のやうなものを活寫する。また折々はただ數個の美辭を以て天眞爛漫たる感情を旨く鮮やかに表現せる、古い漢詩を吟ずることもある。して、絶えず酒を注ぐ――その熱い、淡黃色の、睡氣を催す酒は、柔かな滿足を客の血管に漲らせ、陶然恍惚裡に入らせる。すると、阿片を喫した人の醉眼に映ずる如く、平凡は驚異喜樂と變はり、藝者は極樂の少女と變はり、世界は事物自然の理では、到底あり得べくもないほど立派な光景に變つてくる。

 最初非常に靜かな宴會が、段々と賑かな騷ぎになつて行く。客の列は亂れて、三々五々の集團となる。藝者は笑ひながら、喋りながら、この一團から、彼の一團へと移つて、酒を注ぐ。酒杯は叩頭の禮を以て献酬される。客が古い武士の歌、即ち漢詩を吟じ始める。一人か二人は、踊るものさへある。或る藝者は膝まで衣裳を捲くり上げる。して、三味線は『金毘羅、舟、舟』の急調を奏し始める。その音樂につれて、彼女は輕快敏捷に8の字の形に走る。それから、酒德利と杯を持つたまゝ、一人の若い客も同じ8の字形に走る。もし兩人が線の上で出逢へば、衝突の失策を起した方が、一杯の酒を飮まねばならぬ。音樂はますます早くなつて、走るものもますます早く走る。それは彼等は調子に合はせねばならぬからだ。して、藝者が勝を占める。室の他の方面では、客と藝者が拳をやつてゐる。彼等は拳を打ち乍ら歌ふ。相向き合つて、手を拍ち、折々小さな絶叫を發して、勢よく指を差し出す。して、三味線が拍子を取る。

 

    註。酒杯を杯泉で漱いでから、他客

    と交換することが習慣である。友人

    の酒杯を求むるのは、厚意の表彰で

    ある。

 

 

    ちよいと  どんどん! お互だね、

    ちよいと  どんどん! 御出でましたね、

    ちよいと  どんどん! しまひましたね。

 

 さて藝者と拳を打つのは、全然冷靜なる頭腦、敏捷なる眼、それから多大の熟練を要する。子供時代からあらゆる種類の拳を打つことに仕込まれてゐるから――しかも拳の種類は多い――萬一彼女の敗ける場合があつても、それは概して禮儀上から敗けるのに過ぎない。最も普通の拳の表象は、庄屋と狐と鐡砲である。もし藝妓が鐡砲の表象をすれば、相手の客は直ぐに、音樂に合はせて庄屋の表象をせねばならぬ。庄屋へ向つて發砲することは禁制だからである。もし相手が庄屋の表象をすると、彼女は狐の表象を以て應ずる。狐は人間を瞞して、客の負けとなる。して、もし彼女が最初狐の表象をすると、客は鐡砲の表象をせねばならぬ。それで狐を殺すことが出來る。しかし始終、男は女の明眸軟手を注意してゐなければならぬ。眼も手も美くしいから、ただ瞬間でも男が油斷して、その美しさを考へでもすると、それに惱殺されて負けを取ることになる。

 

    訳者註。原文の拳の説明を少しく修正して置いた。

 

 外見上では、非常に親しさうであるが、日本の宴席では客と藝者の間には、一種の嚴重な禮儀が、いつも守られてゐる。いかほど客の顏が酒で赧らんできでも、彼が女を愛撫しようとするのを見受けることはない。女は單に人間の花として、宴席に現はれたので、眺めるためであつて、決して觸れるためでないといふことを彼は忘れない。日本に於ける漫遊の外客が、屢々藝妓や給仕女に對して無遠慮な馴々しさに陷るのは、假令微笑を以て耐へ忍ばれてゐても、實際は頗る嫌惡されてゐるので、またこれを傍觀する日本人からは、非常に俗惡下劣の證據と見做されてゐる。

 暫くの間、快興は加つて行く。しかし、夜半が近づくに隨つて、客は一人々々いつの間にか分らぬやうに、こつそりと去つて行く。それから賑ひは次第に消えて、音樂は止む。たうとう藝妓は最後の客を玄關まで送り出して、『左樣なら』と笑ひ聲で叫んだ後、長い間空腹でゐた彼等は、靜まり返つた廣間で、始めて彼等の食事に就くことが出來る。

 藝妓の役目はかやうなものだ。が、彼女の裏面はどんなもの?彼女の思想、感情、彼女の祕密な身の上はどんなもの?煌々たる宴席の燈光圈を離れ、酒の霧が枝女の周圍に釀せる幻影外に於ける、彼女の生活の眞面目はどう?

 

    君と寢やるか、五千石取るか。

        何の五千石、君と寢よう。

 

と、昔の歌を彼女が愚弄するやうに、甘美な聲を迸らせて歌つてゐる際の如く、いつも彼女は惡戲者だらう?或は、また

 

    お前死んだら、寺へはやらぬ、

        燒いて粉にして、酒で飮む。

 

と、彼女がうまく歌ふ、其熱烈なる約束を守り得るものと、彼女を思つてもよいだらう?

 『何、それについては』と、或る友が私に告げた。『つい昨年のこと、大阪のお鎌といふ藝妓は、その歌の通りにやりましたよ。荼毘に附した戀人の屍灰を酒に混ぜて、宴會の客の前で飮んださうです』多數の客の前で!物語に取つて惜しいことだ!

[やぶちゃん注:「物語に取つて惜しいことだ!」原文は“Alas for romance!”。平井呈一氏は『こりゃまたどうも、お座のさめた話だ。』と訳しておられる。眼か鱗。]

 

註。昔、藤枝外記といふ將軍旗下が

    ゐた。五千石の肋を受けてゐた――

    當時に於ては大なる收入であつた。

    しかし彼は吉原の遊女綾絹と戀に落

    ちて、彼女を妻にしようと願つた。

    彼の上司が、祿と戀のいづれかを選

    べと彼に嚴命した時、男女の戀人達

    は密かに或る農家へ逃げて行つて、

    心中をした。そこで、兩人に關して

    上の歌が作られた。今猶、それは歌

    はれる。

[やぶちゃん注:「藤枝外記」(宝暦八(一七五八)年~天明五(一七八五)年)は実在した江戸中期の大身旗本。旗本徳山貞明の八男で旗本藤枝貞雄(さだお)の養子となった。天明五年八月十四日に江戸吉原の大菱(おおびし)屋の遊女綾衣(あやぎぬ)と心中し、藤枝家は改易となった。享年二十八。ハーンが述べている通り、「君と寝ようか五千石とろか、何の五千石君と寝よ」と俗謡に唄われ、箕輪(みのわ)心中として知られる(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠った)。次にウィキの「藤枝教行」(ふじえだのりなり:彼の本名)から引く。『旗本。藤枝外記(ふじえだ げき)の通称でも知られる』。『藤枝貞雄の養子となった』後、『妻のみつ(養父の義理叔父の山田利寿の娘)との間に』三男一女をもうける』。『石高は武蔵国および相模国内に』四千石(後述)。『屋敷は湯島妻恋坂』にあった。『家祖は、徳川家光側室の順性院(お夏)の父の藤枝重家。重家は、元は京都町人の弥市郎といったが、娘のお夏に家光の手がつき懐妊し、徳川綱重の生母となったため、重家は士分に取り立てられて岡部八左衛門重家と名乗った。のちに甲府藩主となった綱重の家老となり藤枝重家と改名した。綱重の子の徳川家宣が将軍に就任した際に甲府藩領は天領となり、家臣団は幕臣として吸収され、藤枝家の子孫は幕府にて』四千五百石の『大身旗本となった』。『大身である教行は、新吉原江戸町一丁目の妓楼大菱屋九右衛門抱えの遊女綾絹(綾衣とも。妻みつと同じ年の』十九歳であった)『と深い仲になった。綾絹の身柄を裕福な商人が身請けするという話を聞いたとも、吉原遊びが幕府の知れるところとなり甲府勤番支配に回されることとなりそうになったともいうが、いずれにせよ綾絹に会えなくなると思いつめ、吉原から綾絹を(正式な手続き無しで)連れ出し逃走した。しかし程なく追っ手に見つかり、進退窮した二人は餌指』(えざし:鷹の餌となる小鳥を捕らえる職)『(農家とも)の家で心中した』。『藤枝家では教行ではなく家人の辻団右衛門が死んだことにしてその死を隠蔽しようとしたが、やがて幕府役人に露見し、妻とその母本光院は縁者宅の一室に押し込め処分となり、藤枝家は改易処分となった。江戸でこの事件は大きな話題を呼び「君とぬやるか(寝ようか)五千石とるかなんの五千石君とねよう」』という『端唄が流行した。実際の藤枝家の知行は』四千石から四千五百石であって五千石には満たなかったが、『語呂が良いので俗謡にはそのように謡われた』とある。『改易ののち、次男の安十郎は外祖父の山田利寿のもとに寓居し、三男の寅之助は従弟徳山貞栄のもとに寓居した』。『この事件を題材にして、のちに岡本綺堂が「箕輪心中」を著した』とある。青空文庫の岡本綺堂「箕輪心中」をリンクしておく。]

 

 藝妓の一團の住む家には、奇異な像が床の上に置いてある。それは粘土製のこともある。稀には黃金で作られ、藻ttも普通には陶器で作られる。それは拜まれ、菓子や餅や酒などの供物が上げられ、その前に線香が燻ぶり、燈明が輝いてゐる。それは猫の像である。直立して、一本の足を伸ばして招くやうな形をしてゐるから、『招き猫』といふ名がある。それは氏神樣だ。それは幸運、富豪の贔屓、宴遊者の眷顧を齎らす。それで、藝妓の本性を知つてゐる人々は、この像は取りも直さず藝妓の像だと斷言する――冗戲好きで、綺麗で、柔かで、若くて、しなやかで、愛撫的で、而かも燒き盡くす火の如く殘酷だ。

[やぶちゃん注:「眷顧」「けんこ」と読む。特別に目をかけること。贔屓に同じい。]

 また彼等は更に一層わるいことを彼女に關して語つてゐる――彼女の蔭には貧之神が寄り添つて歩いてゐる。狐婆は彼女の姉妹だ。彼女は靑年の滅亡者、財産の蕩盡者、家族の破壞者だ。彼女は戀を單に彼女の利益となるべき放蕩の源としてのみ知つてゐる。して彼女が墓を作つてやつた人々の財産によつて、みづからの富を作る。彼女は可受らしい僞善の最上の熟練家、最も危險なる陰謀者、最も飽くことを知らざる射利漢、最も冷酷の情婦だ。それは全部眞實とは云へないが、これだけは眞實だ――職業上藝妓は、小猫の如くに肉食の猛獸なのだ。實際眞に愛らしい小猫も澤山ある通り、眞に愉快な藝妓もあるに相違ない。

[やぶちゃん注:「狐婆」不詳。原文は“the Fox-women”で「婆」はどこから出てきた訳語なのか不審。これは若い女に化けることが多い妖狐のことを指しているのであろう。平井氏はまさにここを『女に化ける化けギツネは、あれは芸者の兄弟分だ』と訳しておられる。

「射利漢」「しやりかん(しゃりかん)」。「射利」とは、手段を選ばずに只管(ひたすら)に利益のみを得ようと考えることを言うから、そういう金の亡者の卑劣漢の謂いである。]

 藝妓はたゞ、靑春と優美だけを混ぜた戀、殘念といふ心や、責任といふ觀念の加はらぬ戀の幻影を慕へる、愚かな人間の慾情に應ずるために作られたものに過ぎない。だから、彼女は拳を打つことの外に、感情を戲弄する手管をも教へられてゐる。さて、宇宙永遠の法則によれば、人間はこの不幸な世の中で三つのものを除けば如何なる遊びをしても無害である。三つといふのは、生、愛、死だ。是等三者は神々の手に保留されてある。といふのは、誰人も是等を戲弄すると災を招かずに居れないからだ。だから拳或は少くとも圍碁以上、更に電大なる遊びを藝者と共にすることは、神々の御氣に入らないのである。

 

 藝妓の經歷は奴隷として始まる。貧窮な親から綺麗な子を契約の下に買受けて、十八年、二十年乃至二十五年間も、買主は彼女を使用する權利がある。彼女は藝者達だけの住む家で、養はれ、着物を與へられ、藝を仕込まれる。して、子供時代、嚴しい訓練の下に過ごす。彼女は禮儀作法や、優美な風姿や、鄭重な言葉を教へられる。また幾多の歌の文句と曲調を諳誦せねばならぬ。それから、遊戲や、宴會婚禮の給仕や、衣裳の着こなし、美容の法を知らねばならぬ。彼女の有する身體上の藝能は、すべて注意して修養される。後に及んで樂器を取扱ふことを教へられる。先づ鼓を教へられる。これは餘程の練習なくては、すこしも音を發しない。つぎに鼈甲または象牙の撥で、少しく三味線を彈くことを習ふ。八歳或は九歳の頃は、後女は主として鼓を打つものとして宴席に侍する。そのとき彼女は最も可愛らしい子供であつて、鼓を二回打つ間に、徳利を一と振りふつて、一滴も零さないで、正しく滿々と酒を杯に注ぐことを、最早知つてゐる。

 それから後は、彼女の訓練は一層殘酷となる。彼女の聲は充分柔靱自在ではあるが、まだ力が足りない。冬の夜の最も凍つた時刻に、屋根へ出でて、血が指から沁み出で、聲が嗄れてしまうまで、歌つたり彈いたりせねぱならぬ。その結果猛惡な風邪に罹るのが目的だ。或る期間の嗄れた囁き聲を經過すると、彼女は聲の調子が變はり、力が出來て、客の前へ出で、歌ひ踊る資格を得る。

[やぶちゃん注:「柔靭」「じうじん(じゅうじん)」は、しなやかでありながら、しかも強いさまを言う。]

 この資格で彼女は通常、十二歳乃至十三歳で初目見をする、もし綺麗で上手であれば、招聘が繁くなつて、一時間二十錢乃至二十五錢の割合で報酬を受ける。そこで始めて彼女の買主は、これまでの稽古に注ぎ込んだ時間、費用、骨折に對して拂戻しが出來てくるのであるが、しかも買主は兎角寛大ではない。これから多年の間、彼女の一切の儲けは、買主の手に歸して行く。彼女はすこしも得る處なく、自身の衣裳さへも所有しない。

[やぶちゃん注:「初目見」「おめみえ」と訓じておく。]

 十七八歳にもなると、彼女は技藝の上で名聲を博してゐる。最早幾百の藝醼に侍したので、一見して、町の重要な人物、一人々々の性格、すべての客の身の上がわかる。彼女の生活は、主もに夜間の生活で、藝妓となつてからは、旭日の昇るのを滅多に見ることはない。酒を飮んでも本心を失はぬやうに、七八時間食事をしないでも身に障らぬやうに慣れてきてゐる。幾多の戀人も有してゐる。或る程度まで、自分の好きな人に微笑を向けても勝手である。しかし彼女は何事にも優つて、彼女の魅力を自身の利益のために利用するやう、充分よく教へられてゐる。彼女を身受けする意志と能力ある人を見出さうと望んでゐる――その人は、戀の愚かさと諸行無常を説ける佛教の經文中に、幾多の新しく、立派な意味を、將來發見すること殆ど請合だ。

[やぶちゃん注:「藝醼」「ゲイエン」と音読みするようだ。「醼」は、宴(うたげ)の意であるから、芸者として宴席に出て、芸を披露することと解釈しておく。]

 

 彼女の經歷の話を、この點で、私共は打切らう。これから後の彼女の物語は、彼女が若くて死ぬる場合を除けば、往々不快なものになり勝ちだからである。もし早世の節は、仲間から葬式を營まれ、その名殘りが種々の珍らしい儀式で保たれる。

 時として、多分讀者が夜間日本の町を逍遙するとき、寺の山門から藝妓の鋭い聲と共に浮んでくる音樂を――三味線の音を耳にするだらうそれは奇異な事件と思はれるだらう。して、奥深い境内は見物の人で滿ちてゐる。それから郡集を押分けて、寺の階段に達すると、二人の藝妓が本堂の疊の上に坐し、三味線を彈き乍ら歌つてゐて、今一人のは小さな机の前で踊つてゐるのが見える。机の上には位牌が置かれ、机の前には小さな燈明が輝き、唐金の碗には線香が燃えてゐる。果實や菓子など、記念の式日に死人に供する習となつてゐる僅かの食品が献げてある。机の上の戒名は、ある藝者の戒名であつて、亡くなつた女の友達は、一定の日に寺へ集つて、彼女の靈を歌と踊を以て欣ばせるのだといふことがわかる。その場合には、希望のものは誰でも會費なくして、その式に參會することが出來る。

 

 しかし昔の藝妓は、今日の藝妓のやうではなかつた。或るものは白拍子と呼ばれて、彼等の心は左ほど無情ではなかつた。彼等は美しかつた。彼等は黃金の飾をつけた、女王らしい形の帽子を被り、華麗な衣裳を纏ひ、大名の館で劍の舞をした。その一人についての昔話がある。私はそれは語る價値のあるものと思ふ。

 

[やぶちゃん注:「白拍子」ウィキ白拍子より引く。『白拍子(しらびょうし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人』で、『主に男装の遊女や子供が今様や朗詠を歌いながら舞ったものを指すが、男性の白拍子もいた。素拍子(しらびょうし)とも書き、この場合は無伴奏の即興の舞を指す』。『複数の白拍子が登場する鎌倉時代前期の軍記物語『平家物語』では、白拍子の起源について「鳥羽院の時代に島の千歳(せんさい)、和歌の前という』二人が『舞いだしたのが白拍子の起こりである」としている』。『また「初めは水干を身につけ、立烏帽子をかぶり、白鞘巻をさして舞ったので、男舞と呼んだ。途中で烏帽子、刀を除けて、水干だけを用いるようになって白拍子と名付けられた。」と解説している』。『白拍子は、男女問わずに舞われたものであったが、主として女性・子供が舞う事が多かった』。『古く遡ると巫女による巫女舞が原点にあったとも言われている。神事において古くから男女の巫が舞を舞う事によって神を憑依させた際に、場合によっては一時的な異性への「変身」作用があると信じられていた。日本武尊が熊襲征伐において女装を行い、神功皇后が三韓征伐の際に男装を行ったという説話も彼らが巫として神を憑依させた事の象徴であったという』。『このうち、巫女が布教の行脚中において舞を披露していく中で、次第に芸能を主としていく遊女へと転化していき、そのうちに遊女が巫以来の伝統の影響を受けて男装し、男舞に長けた者を一般に白拍子とも言うようになった』。『白い直垂・水干に立烏帽子、白鞘巻の刀をさす(時代が下ると色つきの衣装を着ることも多かった)という男装で歌や舞を披露した。伴奏には鼓、時には笛などを用いた』。『後に、猿楽などへと変貌していった。後に早歌(そうが)や曲舞(くせまい)などの起こる素地ともなった。また延年にも取り入れられ、室町時代初期まで残った』。『白拍子を舞う女性たちは遊女とはいえ貴族の屋敷に出入りすることも多かったため、見識の高い人が多く、平清盛の愛妾となった祇王や仏御前、源義経の愛妾となった静御前、後鳥羽上皇の愛妾となった亀菊など貴紳に愛された白拍子も多い。また、微妙や磯禅師等、歴史に名を残す白拍子も多い』とある。事典類では発生と呼称期を平安末期から室町初期にかけて、とする。]

 

 

ⅩⅩⅡ

OF A DANCING-GIRL.

 NOTHING is more silent than the beginning of a Japanese banquet; and no one, except a native, who observes the opening scene could possibly imagine the tumultuous ending.

The robed guests take their places, quite noiselessly and without speech, upon the kneeling-cushions. The lacquered services are laid upon the matting before them by maidens whose bare feet make no sound. For a while there is only smiling and flitting, as in dreams. You are not likely to hear any voices from without, as a banqueting-house is usually secluded from the street by spacious gardens. At last the master of ceremonies, host or provider, breaks the hush with the consecrated formula: 'O-somatsu degozarimasu ga!—dōzo o-hashi!' whereat all present bow silently, take up their hashi (chopsticks), and fall to. But hashi, deftly used, cannot be heard at all. The maidens pour warm sake into the cup of each guest without making the least sound; and it is not until several dishes have been emptied, and several cups of sake absorbed, that tongues are loosened.

   Then, all at once, with a little burst of laughter, a number of young girls enter, make the customary prostration of greeting, glide into the open space between the ranks of the guests, and begin to serve the wine with a grace and dexterity of which no common maid is capable. They are pretty; they are clad in very costly robes of silk; they are girdled like queens; and the beautifully dressed hair of each is decked with mock flowers, with wonderful combs and pins, and with curious ornaments of gold. They greet the stranger as if they had always known him; they jest, laugh, and utter funny little cries. These are the geisha, [1] or dancing-girls, hired for the banquet.

   Samisen [2] tinkle. The dancers withdraw to a clear space at the farther end of the banqueting-hall, always vast enough to admit of many more guests than ever assemble upon common occasions. Some form the orchestra, under the direction of a woman of uncertain age; there are several samisen, and a tiny drum played by a child. Others, singly or in pairs, perform the dance. It may be swift and merry, consisting wholly of graceful posturing,— two girls dancing together with such coincidence of step and gesture as only years of training could render possible. But more frequently it is rather like acting than like what we Occidentals call dancing,— acting accompanied with extraordinary waving of sleeves and fans, and with a play of eyes and features, sweet, subtle, subdued, wholly Oriental. There are more voluptuous dances known to geisha, but upon ordinary occasions and before refined audiences they portray beautiful old Japanese traditions, like the legend of the fisher Urashima, beloved by the Sea God's daughter; and at intervals they sing ancient Chinese poems, expressing a natural emotion with delicious vividness by a few exquisite words. And always they pour the wine,— that warm, pale yellow, drowsy wine which fills the veins with soft contentment, making a faint sense of ecstasy, through which, as through some poppied sleep, the commonplace becomes wondrous and blissful, and the geisha Maids of Paradise, and the world much sweeter than, in the natural order of things, it could ever possibly be.

   The banquet, at first so silent, slowly changes to a merry tumult. The company break ranks, form groups; and from group to group the girls pass, laughing, prattling,— still pouring saké into the cups which are being exchanged and emptied with low bows [3] Men begin to sing old samurai songs, old Chinese poems. One or two even dance. A geisha tucks her robe well up to her knees; and the samisen strike up the quick melody, 'Kompira funé-funé.' As the music plays, she begins to run lightly and swiftly in a figure of 8, and a young man, carrying a saké bottle and cup, also runs in the same figure of 8. If the two meet on a line, the one through whose error the meeting happens must drink a cup of sake. The music becomes quicker and quicker and the runners run faster and faster, for they must keep time to the melody; and the geisha wins. In another part of the room, guests and geisha are playing ken. They sing as they play, facing each other, and clap their hands, and fling out their fingers at intervals with little cries and the samisen keep time.

               Choito—don-don!

                     Otagaidane;

               Choito—don-don!

                      Oidemashitané;

               Chōito—don-don!
 
                      Shimaimashitane.

   Now, to play ken with a geisha requires a perfectly cool head, a quick eye, and much practice. Having been trained from childhood to play all kinds of ken,— and there are many — she generally loses only for politeness, when she loses at all. The signs of the most common ken are a Man, a Fox, and a Gun. If the geisha make the sign of the Gun, you must instantly, and in exact time to the music, make the sign of the Fox, who cannot use the Gun. For if you make the sign of the Man, then she will answer with the sign of the Fox, who can deceive the Man, and you lose. And if she make the sign of the Fox first, then you should make the sign of the Gun, by which the Fox can be killed. But all the while you must watch her bright eyes and supple hands. These are pretty; and if you suffer yourself, just for one fraction of a second, to think how pretty they are, you are bewitched and vanquished.

   Notwithstanding all this apparent comradeship, a certain rigid decorum between guest and geisha is invariably preserved at a Japanese banquet. However flushed with wine a guest may have become, you will never see him attempt to caress a girl; he never forgets that she appears at the festivities only as a human flower, to be looked at, not to be touched. The familiarity which foreign tourists in Japan frequently permit themselves with geisha or with waiter-girls, though endured with smiling patience, is really much disliked, and considered by native observers an evidence of extreme vulgarity.

   For a time the merriment grows; but as midnight draws near, the guests begin to slip away, one by one, unnoticed. Then the din gradually dies down, the music stops; and at last the geisha, having escorted the latest of the feasters to the door, with laughing cries of Sayōnara, can sit down alone to break their long fast in the deserted hall.

   Such is the geisha's role. But what is the mystery of her? What are her thoughts, her emotions, her secret self? What is her veritable existence beyond the night circle of the banquet lights, far from the illusion formed around her by the mist of wine? Is she always as mischievous as she seems while her voice ripples out with mocking sweetness the words of the ancient song?

             Kimi to neyaru ka, go sengoku toruka?

               Nanno gosengoku kimi to neyo? [4]

   Or might we think her capable of keeping that passionate promise she utters so deliciously?

               Omae shindara tera ewa yaranu!

                 Yaete konishite sake de nomu, [5]

   'Why, as for that,' a friend tells me, 'there was O-Kama of Ōsaka who realized the song only last year. For she, having collected from the funeral pile the ashes of her lover, mingled them with sake, and at a banquet drank them, in the presence of many guests.' In the presence of many guests! Alas for romance!

 

   Always in the dwelling which a band of geisha occupy there is a strange image placed in the alcove. Sometimes it is of clay, rarely of gold, most commonly of porcelain. It is reverenced: offerings are made to it, sweetmeats and rice bread and wine; incense smoulders in front of it, and a lamp is burned before it. It is the image of a kitten erect, one paw outstretched as if inviting,— whence its name, 'the Beckoning Kitten.' [6] It is the genius loci: it brings good-fortune, the patronage of the rich, the favor of banquet-givers Now, they who know the soul of the geisha aver that the semblance of the image is the semblance of herself,— playful and pretty, soft and young, lithe and caressing, and cruel as a devouring fire.

   Worse, also, than this they have said of her: that in her shadow treads the God of Poverty, and that the Fox-women are her sisters; that she is the ruin of youth, the waster of fortunes, the destroyer of families; that she knows love only as the source of the follies which are her gain, and grows rich upon the substance of men whose graves she has made; that she is the most consummate of pretty hypocrites, the most dangerous of schemers, the most insatiable of mercenaries, the most pitiless of mistresses. This cannot all be true. Yet thus much is true,— that, like the kitten, the geisha is by profession a creature of prey. There are many really lovable kittens. Even so there must be really delightful dancing-girls.

   The geisha is only what she has been made in answer to foolish human desire for the illusion of love mixed with youth and grace, but without regrets or responsibilities: wherefore she has been taught, besides ken, to play at hearts. Now, the eternal law is that people may play with impunity at any game in this unhappy world except three, which are called Life, Love, and Death. Those the gods have reserved to themselves, because nobody else can learn to play them without doing mischief. Therefore, to play with a geisha any game much more serious than ken, or at least go, is displeasing to the gods.

 

   The girl begins her career as a slave, a pretty child bought from miserably poor parents under a contract, according to which her services may be claimed by the purchasers for eighteen, twenty, or even twenty-five years. She is fed, clothed, and trained in a house occupied only by geisha; and she passes the rest of her childhood under severe discipline. She is taught etiquette, grace, polite speech; she has daily lessons in dancing; and she is obliged to learn by heart a multitude of songs with their airs. Also she must learn games, the service of banquets and weddings, the art of dressing and looking beautiful. Whatever physical gifts she may have are; carefully cultivated. Afterwards she is taught to handle musical instruments: first, the little drum (tsudzumi), which cannot be sounded at all without considerable practice; then she learns to play the samisen a little, with a plectrum of tortoise-shell or ivory. At eight or nine years of age she attends banquets, chiefly as a drum-player. She is then the most charming little creature imaginable, and already knows how to fill your wine-cup exactly full, with a single toss of the bottle and without spilling a drop, between two taps of her drum.

   Thereafter her discipline becomes more cruel. Her voice may be flexible enough, but lacks the requisite strength. In the iciest hours of winter nights, she must ascend to the roof of her dwelling-house, and there sing and play till the blood oozes from her fingers and the voice dies in her throat. The desired result is an atrocious cold. After a period of hoarse whispering, her voice changes its tone and strengthens. She is ready to become a public singer and dancer.

   In this capacity she usually makes her first appearance at the age of twelve or thirteen. If pretty and skillful, her services will be much in demand, and her time paid for at the rate of twenty to twenty-five sen per hour. Then only do her purchasers begin to reimburse themselves for the time, expense, and trouble of her training; and they are not apt to be generous. For many years more all that she earns must pass into their hands. She can own nothing, not even her clothes.

   At seventeen or eighteen she has made her artistic reputation. She has been at many hundreds of entertainments, and knows by sight all the important personages of her city, the character of each, the history of all. Her life has been chiefly a night life; rarely has she seen the sun rise since she became a dancer. She has learned to drink wine without ever losing her head, and to fast for seven or eight hours without ever feeling the worse. She has had many lovers. To a certain extent she is free to smile upon whom she pleases; but she has been well taught, above all else to use her power of charm for her own advantage. She hopes to find Somebody able and willing to buy her freedom,— which Somebody would almost certainly thereafter discover many new and excellent meanings in those Buddhist texts that tell about the foolishness of love and the impermanency of all human relationships.

   At this point of her career we may leave the geisha: thereafter her story is apt to prove unpleasant, unless she die young. Should that happen, she will have the obsequies of her class, and her memory will be preserved by divers curious rites.

   Some time, perhaps, while wandering through Japanese streets at night, you hear sounds of music, a tinkling of samisen floating through the great gateway of a Buddhist temple together with shrill voices of singing-girls; which may seem to you a strange happening. And the deep court is thronged with people looking and listening. Then, making your way through the press to the temple steps, you see two geisha seated upon the matting within, playing and singing, and a third dancing before a little table. Upon the table is an ihai, or mortuary tablet; in front of the tablet burns a little lamp, and incense in a cup of bronze; a small repast has been placed there, fruits and dainties,— such a repast as, upon festival occasions, it is the custom to offer to the dead. You learn that the kaimyō upon the tablet is that of a geisha; and that the comrades of the dead girl assemble in the temple on certain days to gladden her spirit with songs and dances. Then whosoever pleases may attend the ceremony free of charge.

 

   But the dancing-girls of ancient times were not as the geisha of to-day. Some of them were called shirabyōshi; and their hearts were not extremely hard. They were beautiful; they wore queerly shaped caps bedecked with gold; they were clad in splendid attire, and danced with swords in the dwellings of princes. And there is an old story about one of them which I think it worth while to tell.

 

1 The Kyōto word is maiko.

2 Guitars of three strings.

3 It is sometimes customary for guests to exchange cups, after duly rinsing them. It is always a compliment to ask for your friend's cup.

4        'Once more to rest beside her, or keep five thousand koku?

         What care I for koku?  Let me be with her!'

   There lived in ancient times a haramoto called Fuji-eda Geki, a vassal of the Shōgun. He had an income of five thousand koku of rice — a great income in those days. But he fell in love with an inmate of the Yoshiwara, named Ayaginu, and wished to marry her. When his master bade the vassal choose between his fortune and his passion, the lovers fled secretly to a farmer's house, and there committed suicide together. And the above song was made about them. It is still sung.

5         'Dear, shouldst thou die, grave shall hold thee never!

          I thy body's ashes, mixed with wine, will! drink.'

 

6 Maneki-Neko.

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