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2015/11/02

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (一二)

        一二

 

 暖い夜にはあらゆる種類の招(よ)びもせぬ、嫌な御客が群を爲して家へ侵入する。二種類の蚊が生活を不快ならしめんと全力を盡す。そして其奴どもはラムプヘ餘り近くは、近寄らぬといふ智慧を有つて居る。が、多勢の面白いそして無害な者共は、その死を炎に求むることを禁じ得ないで居る。そのうち一番數多い犧牲は、これは驟雨の如く密集して來る。サネモリと呼ぶものである。少くとも出雲ではさう呼んで居るもので、發育ざかりの稻に多大の損害を與へる。

 さてサネモリといふ名は著名なもので、源氏に屬する古昔の有名な武士の名である。その人が或る敵と馬上で鬪つて居るうちに、自分の馬が辷つて稻田に倒れ、爲めにその相手にねぢふせられて殺されたといふ傳説がある。その武士が稻を食ふ蟲となつたといふので、出雲では今猶、敬つてサネモリサンと呼んで居る。夏の或る夜、其蟲を惹寄せる埓爲めに稻田で火を焚いて、銅鑼を鳴らし竹笛を吹き、その間『サネモリサン、どうかこつちへ來て下さい』と歌ひはやす。カンヌシが宗教上の或る式を行つて、馬と騎者とを現した藁人形を燒くか、又は近處の川若しくは掘割へ投げ込むかする。この儀式の爲めに田地にその蟲が居なくなると信ぜられて居る。

 この小さな動物は、殆んど全く籾殼の大いさと色のものである。此蟲についての傳説はその身體が、翅とともに、日本の武士の冑に稍々似て居るといふ事實から起こつたものかも知れぬ【註】。

 

    註。胡瓜を食ふ小さな蟲のシワンと

    いふのにも似寄つた傳説がある。シ

    ワンは甞て醫者であつたが、密通し

    て居る處を見付られて一所懸命逃げ

    た。が、途中その足が胡瓜の蔓に絡

    まつた爲め、倒れて引捕へられて殺

    されたので、それでその魂が胡瓜の

    蔓を枯らす、一匹の蟲となつたのだ

    と言はれて居る。日本の動物神話及

    び植物神話には、變形變態(メタモ

    フオシス)の古昔の希臘物語に妙に

    類似して居る傳説が澤山に在る。が、

    然しそんな民間傳説の最も著名なも

    ので、その起原が比較的近代なもの

    もある。長門に居る、ヘイケガニと

    いふ名の蟹の傳説は、その一例であ

    る。一一八五年壇ノ浦(今の瀨戸内

    海)の大海戰に死滅した平家の武士

    共の魂がヘイケガニに變つたのだと

    想はれて居る。ヘイケガニの甲は確

    かに不思議である。皺が寄つて物凄

    い顏に肖たもの、或はむしろ、封建

    時代の武士が戰の時に着けたもので、

    眉を顰めた顏附のやうな恰好したあ

    の鐡製の黑い瞼甲即ち面(めん)の

    一つに正(まさ)しく似たものにな

    つて居る。

 

 火の犧牲のうちで數に於て之に次ぐものは蛾で、それには甚だ風變りな、そして美しいのが居る。最も著しいのは、どんな家でもそれの入る家へ、間歇熱病を齎らすといふ迷信的信仰があるが爲めに。俗にオコリテフテフ即ち『瘧蝶』と呼ばれて居る巨大な奴である。その身體は一番大きな蜂鳥の身體の重さは充分にあ、またそれと殆んど同じ力を有つて手に居るから手に捕へた時、その踠く力に驚かされる。飛んで居る間、一種非常に高いヒユウヒユウいふ音を立てる。自分が檢べた一匹の翅は、擴げて、端から端まで五寸あつた。でも、その重い身體に比べては小さいやうに思はれた。翅は種々濃淡の度を異にした黯んだ褐色と銀色との美しい斑點がある。

 が然し、飛翔する夜間來客は多くはラムプを避ける。あらゆる訪問者のうち一番風變りなのは、タウラウ又の名出雲ではカマカケと呼ぶカマキリで、其奴は嚙む力を具へて居るから、子供は非常に怖ろしがつて居る、冴えた綠色の蟷螂である。餘程大きい。長さ六寸以上の標本を見たことがある。カマカケの眼は夜は光りのある黑であるが、日中は身體の他の部分同樣草色に見える。蟷螂は甚だ怜悧で、そして驚く許り喧嘩好きである。自分は元氣な一匹の蛙に攻擊された奴が、容易に敵を敗亡さしたのを見た。それは次に池の他の住者の餌となりはしたが、この異常な蟲を征服するには、數匹の娃の聯合の努力を要した。しかもその時でもそのカマカケを水の中へ引ずり込んで、始めて勝敗が決したのであつた。

 他の來訪者は樣々の色をした甲蟲と、『頭に御器をかぶつて居るもの』といふ意味の、ゴキカブリと稱する一種の小さな油蟲(ロオチ)とである。ゴキカブリは人間の眼を食ふ事を好むと言ひ立てられてゐて、その爲めに眼の病を醫し給ふイチバタサマ――一畑の藥師如來――に憎まれて居る敵である。ゴキカブリを殺す事は從つて、またこの佛樣の眼には功德な行爲と考へられて居る。いつも喜び迎へられるのは美しい螢(ホタル)で、これは、全く音無しに入つて來て、直ぐと家中で一番暗い處を探して、その風にゆらぐ一點の火の如くゆるやかに、ちらりちらりと光る。非常に水が好きだと思はれて居る。だから子供等は螢に向つて次のやうな短い歌をうたふ――

 

    ホタルコイ、ミヅ ノマセウ、

    アツチ ノ ミヅ ハ ニガイゾ、

    コツチ ノ ミヅ ハ アマイゾ。

 

 普通に庭へ能く出て來るのとは全く異つた、灰色の可愛らしい蜥蜴がまた夜現れ出て、天井に沿うて己が餌を探す。時々非常に大きな百足蟲が同じ事を企てるが、蜥蜴ほど成功はせず、しかも一對の火箸で摑まれて、外の暗闇の中へ投げられる。極く稀に、馬鹿に大きな蜘蛛が姿を現す。この動物は無害なやうである。捕へると、自分を見張つては居ないと確かめるまで死んだ風をよそはうて、機會を得ると驚く許り素早く逃げ去る。これは毛の無いので、タランチュラ即ちフクログモとは餘程異ふ。ミヤマグモ即ち山蜘蛛と呼ぶのである。此附近に普通な蜘蛛は他に四種ある。テナガグモ即ち手長蜘蛛、ヒラタグモ即ち、『平たい蜘蛛』、ヂグモ即ち『地蜘蛛』、それからトタテグモ即ち『戸たて蜘蛛』である。蜘蛛は大抵惡い物だと考へられて居る。何處でも夜見た蜘蛛は殺さなければならぬと皆んなが言ふ。暗くなつてから姿を見せる蜘蛛は皆んな化け物で、人が眼を覺まして見て居る間は、そんな動物は身を小さくして居るが、誰も彼も寢靜まると眞の化け物の姿を執つて、異常な大いさになるのだといふ。

 

[やぶちゃん注:「二種類の蚊」「生活を不快ならしめんと全力を盡す」とあるから吸血するそれと考えてよいから、双翅(ハエ)目長角(糸角或いは「カ」)亜目カ下目カ上科カ科ナミカ亜科ナミカ族ヤブカ属シマカ亜属ヒトスジシマカ Aedes (Stegomyia) albopictus 及びナミカ族イエカ属イエカ亜属アカイエカ Culex (Culex) pipiens pallens を挙げておけば問題あるまい。

「サネモリと呼ぶもの」これは通常、狭義には古くから稲の大害虫とされているカメムシ目ヨコバイ亜目 Homoptera のウンカ(雲霞・浮塵子)類、特にセジロウンカ Sogatella furcifera・トビイロウンカNilaparvata lugens・ヒメトビウンカLaodelphax striatellus などを指す。繁殖力が強く、且つ、大発生を起こす。彼らは稲の葉や茎から汁を吸って枯らし、『水田には丸く穴が空いたように枯れた区画を生じる。これを俗に「坪がれ」と呼』び、他にも、『アブラムシ同様に排泄物がすす病』(寄生生物の分泌物にさらに黒い菌が寄生して葉・実・枝などを黒い菌膜で覆うようになる症状を指す)『を引き起こすことが多い』とウィキの「ウンカ」にはある(同頁には『カメムシ目ヨコバイ亜目の一部のグループで、アブラムシ、キジラミ、カイガラムシ、セミ以外の、成虫の体長が』五ミリメートル程度の『昆虫のいわば典型の一つがウンカであるため、この仲間にはウンカの名を持つ分類群が非常に多い。なお、「ウンカ」という標準和名を持つ生物はいない』とあるので注意が必要。下線やぶちゃん)。田んぼの総合情報サイト「くぼたのたんぼ」の「害虫について」によれば(アラビア数字を漢数字に代えさせて頂いた)、『ウンカは寒い日本では冬を越すことが出来ず、いなくなります。ところがアジア大陸で冬を越したウンカが、毎年六月から七月に、梅雨前線の気流に乗ってわざわざ飛んできます。雨上がりに田んぼに行くと見られるかもしれません。ご覧のようにセミを小さくしたような形で、体長は約四~六』ミリメートル『ぐらいです』。『ウンカにはセジロウンカ、ヒメトビウンカ、トビイロウンカの三種類がいます。セジロウンカは「夏ウンカは肥やしになる」という諺があるくらいで、そんなに害はありません。やっかいなのが、この写真の』(リンク先参照)『トビイロウンカです。鳥の鳶(とび)によく似た茶色なのでつけられた名前です。秋に繁殖して被害をもたらすことから秋ウンカとも呼ばれています』。『ウンカは江戸時代の享保や天保の大飢饉を引き起こした原因の一つだと言われています。現在では、さまざまなウンカ防除剤が開発されています。現在のような農薬が開発されるまでは、対処法として、鯨油や菜種油などを水面に張り、そこにウンカを叩き落として、油膜で動きや呼吸を封じる方法がとられていたそうです』とある。さてこの「サネモリ」という名であるが、これは、かの名将斎藤別当実盛(天永二(一一一一)年~寿永二(一一八三)年)のことである。藤原利仁の流れを汲む斎藤則盛(斎藤実直とも)の子。実盛は越前国の出で、武蔵国幡羅郡長井庄(現在の埼玉県熊谷市)を本拠としたことから長井別当と呼ばれた。以下、参照したウィキの「斉藤実盛」より引用する(アラビア数字は漢数字に代えた)。『武蔵国は、相模国を本拠とする源義朝と、上野国に進出してきたその弟・義賢という両勢力の緩衝地帯であった。実盛は始め義朝に従っていたが、やがて地政学的な判断から義賢の幕下に伺候するようになる。こうした武蔵衆の動きを危険視した義朝の子・源義平は、久寿二年(一一五五年)に義賢を急襲してこれを討ち取ってしまう(大蔵合戦)』。『実盛は再び義朝・義平父子の麾下に戻るが、一方で義賢に対する旧恩も忘れておらず、義賢の遺児・駒王丸を畠山重能から預かり、駒王丸の乳母が妻である信濃国の中原兼遠のもとに送り届けた。この駒王丸こそが後の旭将軍・木曾義仲である』。『保元の乱、平治の乱においては上洛し、義朝の忠実な部将として奮戦する。義朝が滅亡した後は、関東に無事に落ち延び』(ここまでの事蹟を以ってハーンは「源氏に屬する」と言っている。原文は“Now the name Sanemori is an illustrious one, that of a famous warrior of old times belonging to the Genji clan.”であって、源家一門に帰属していた武士である。平井呈一氏はここを『有名な源氏の大将の名で』と訳しておられるが、実盛は源氏ではないし、後に平氏に就いたのであって頗る訳としておかしいと言わざるを得ない)、『その後平氏に仕え、東国における歴戦の有力武将として重用される。そのため、治承四年(一一八〇年)に義朝の子・源頼朝が挙兵しても平氏方にとどまり、平維盛の後見役として頼朝追討に出陣する。平氏軍は富士川の戦いにおいて頼朝に大敗を喫するが、これは実盛が東国武士の勇猛さを説いたところ維盛以下味方の武将が過剰な恐怖心を抱いてしまい、その結果水鳥の羽音を夜襲と勘違いしてしまったことによるという』。『寿永二年(一一八三年)、再び維盛らと木曾義仲追討のため北陸に出陣するが、加賀国の篠原の戦いで敗北。味方が総崩れとなる中、覚悟を決めた実盛は老齢の身を押して一歩も引かず奮戦し、ついに義仲の部将・手塚光盛によって討ち取られた』。『この際、出陣前からここを最期の地と覚悟しており、「最後こそ若々しく戦いたい」という思いから白髪の頭を黒く染めていた。そのため首実検の際にもすぐには実盛本人と分からなかったが、そのことを樋口兼光から聞いた義仲が首を付近の池にて洗わせたところ、みるみる白髪に変わったため、ついにその死が確認された。かつての命の恩人を討ち取ってしまったことを知った義仲は、人目もはばからず涙にむせんだという。この篠原の戦いにおける斎藤実盛の最期の様子は、『平家物語』巻第七に「実盛最期」として一章を成』す。以下、「史跡・伝承について」の項の「『前賢故実』による斎藤実盛」、『室町時代前期の応永二一年(一四一四年)三月、加賀国江沼郡の潮津(うしおづ)道場(現在の石川県加賀市潮津町に所在)で七日七夜の別時念仏を催した四日目のこと、滞在布教中の時宗の遊行十四世太空のもとに、白髪の老人が現れ、十念を受けて諸人群集のなかに姿を消したという』。『これが源平合戦時に当地で討たれた斉藤別当実盛の亡霊との風聞がたったため、太空は結縁して卒塔婆を立て、その霊魂をなぐさめたという。この話は、当時京都にまで伝わっており、「事実ならば希代の事也」と、醍醐寺座主の満済は、その日記『満済准后(まんさいじゅごう)日記』に書き留めている。そしてこの話は、おそらく時宗関係者を通じて世阿弥のもとにもたらされ、謡曲『実盛』として作品化されている。以来、遊行上人による実盛の供養が慣例化し、実盛の兜を所蔵する石川県小松市多太神社では、上人の代替わりごとに、回向が行われて現代に至っている』。『実盛が討たれる際、乗っていた馬が稲の切り株につまずいたところを討ち取られたために、実盛が稲を食い荒らす害虫(稲虫)になったとの言い伝えがあ』り、そこから稲の害虫として知られる『稲虫(特にウンカ)は実盛虫とも呼ばれ』て怖れられた。享年七十三(下線やぶちゃん)。この最後の伝承は鎌倉権五郎景政と同様、剛腕の荒武者は死してもそのパワーが残り、祭祀を疎かにすると禍いを起こすというタイプの御霊(ごりょう)信仰の類であるが、私は実盛の事蹟を考える時、彼を短絡的にかのおぞましいウンカ(御存じない方が多いが植物吸汁性ながら人を刺す)如きに喩えたこの習俗としての虫送りが今一つ好きになれないのであるが、逆に言えば、そうした伝承の中で実盛への民草の畏敬の念は続いていたのでもあったのである。但し、「ウンカ」を「サネモリ」と呼ぶ語源については必ずしも明らかではない。ハーンも述べるように、ウンカ類の独特の体型は横から見ると高く突き出た烏帽子(えぼし)か甲を被った武士の首に似るとし、それが無念の(しかし覚悟の)死を遂げた実盛の御霊(私は怨霊とは言いたくない。私は斎藤別当実盛のファンである)と見たともされるが(事実確かにそのような形に私には見える)、一説では実盛と全く無関係な古伝承であるところの田の神を送る行事「さのぼり」が訛って「さねもり」となり、それが実盛に附会されたという説さえあるようだ。芭蕉には小松の多田神社で見た実盛の兜を詠んだ名句、

 

 あなむざんやな甲の下のきりぎりす

 

があるが、私が二〇一四年にやらかした「奥のほそ道」の共時プロジェクトの今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 66 小松 あなむざんやな甲の下のきりぎりすでは先に出た「平家物語」巻第七「實盛最期」や、また謡曲の伝世阿弥作「実盛」などの原文をも掲げてあるので、未見の方は是非、お読みあれかし。

「胡瓜を食ふ小さな蟲のシワン」不詳。同定候補としては鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目 Cucujiformia 下目ハムシ上科ハムシ科ヒゲナガハムシ亜科 Luperini Aulacophorina 亜族ウリハムシ属ウリハムシ Aulacophora femoralis を挙げておく。

「變形變態(メタモフオシス)」原文“metamorphoses”。音写するなら、“metamorphosis”(メタモルフォシス:変形・変質・変態・変容)の複数形であるから、「メタモルフォゼズ」とルビしたいし、平井も『変形』とされるが、私は個人的には神話中の異類への変身のそれであるから「変身」或いは「変容」と訳したい気がする。

「ヘイケガニといふ名の蟹の傳説」やっと私の領分が登場だ。しかし、私のオリジナル注附電子テクストでは、古いところでは、

南方熊楠[平家蟹の話」

寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」の「たけぶんがに/しまむらがに 鬼鱟」の条

丘淺次郎「生物學講話」の第六章 詐欺 四 忍びの術(3)」

があり、比較的最近のものでは、

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十六章 長崎と鹿児島とへ 平家蟹」

もあって、これらをご覧戴ければ、ここに改めて注すべきことは実はもう全くないと言えるので、あっさり、これで注を終わらせることとする。悪しからず。

「一一八五年」壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水し、平氏一門が滅亡したのは、元暦二年三月二十四日でユリウス暦一一八五年四月二十五日(グレゴリオ暦換算では五月二日)のことであった。

「肖た」老婆心乍ら、「にた」(似た)と読む。

「封建時代の武士が戰の時に着けたもので、眉を顰めた顏附のやうな恰好したあの鐡製の黑い瞼甲即ち面(めん)」「瞼甲」は「めんぽほ(めんぽほ)/めんぼほ(めんぼお)」と読み、武具の一つである面頬(めんぽお/めんぼお)のこと。顔面を保護する防御具で目の下頬当て・頬当ての類。

「間歇熱病」一日の体温差が摂氏一度以上あり、高熱期と正常近くに下降する無熱期が交代に現れる広範な熱性疾患を総称する語。回帰熱,周期熱などで見られるが、本邦の近代以前は概ねマラリア(Malaria:この語はイタリア語の“Mal-aria”(悪い空気)に基づく)を指すと考えてよく、古典でも「瘧(おこり)」「瘧病(おこりやまひ(おこりやまい)/ぎやくびやう(ぎゃくびょう))」「瘧病(わらはやみ(わらわやみ))」として登場し、古いところでは作中人物ながら「源氏物語」の光源氏が「若紫」の冒頭、「瘧病(わらはやみ)にわづらひたまひて」北山に加持祈禱を受けに行くことで知られ、「平家物語」の巻第六の「入道逝去」のシークエンスを見ると平清盛の死因もこれと考えられるが、特に私はその前の巻五の「物怪(もつけ)」で清盛が庭に無数の髑髏の見るのはマラリアによる熱性譫妄であると考えている。

「オコリテフテフ即ち『瘧蝶』と呼ばれて居る巨大な奴」「端から端まで五寸あつた」「翅は種々濃淡の度を異にした黯んだ褐色と銀色との美しい斑點がある」「五寸」は十五・一五センチメートルで、これは私はチョウ目ヤママユガ科ヤママユガ亜科ヤママユ属ヤママユ Antheraea yamamai(但し、参照したウィキの「ヤママユ」には Antheraea yamamai yamamaiAntheraea yamamai ussuriensisAntheraea yamamai yoshimotoi の三種の亜種記載有り)を同定候補としたい。同ウィキには前翅長は七センチメートルから八センチ五ミリとするが、ネットで更に調べると、標本として翅を開いた成体では十五センチメートル前後ながら、生きたものが静止している状態の横幅はさらに大きく二十センチメートル近くになる、とあり、ハーンの数値との齟齬はなく、「黯んだ褐色と銀色との美しい斑點」(「黯んだ」は「くろずんだ」(黒ずんだ)と読む)という描写も本種とよく一致すると私は思う。

「タウラウ又の名出雲ではカマカケと呼ぶカマキリ」「蟷螂」昆虫綱カマキリ目 Mantodea のカマキリを指すが、ウィキの「カマキリ」によれば、特に熱帯・亜熱帯地方に種類数が多く、全世界では研究者によって千八百から四千種を数えるとしつつ、本邦には『カマキリ科とヒメカマキリ科に属する』二科九種が棲息するとあり、松江に限定すれば、カマキリ科 Mantidae のオオカマキリTenodera aridifolia ・チョウセンカマキリ(カマキリ) Tenodera angustipennis ・ウスバカマキリ Mantis religiosa・コカマキリ Statilia maculata ・ハラビロカマキリ Hierodula patellifera ・ヒナカマキリ Amantis nawai、及びヒメカマキリ科 Acromantidae のヒメカマキリ Acromantis japonica が同定候補となるが、ウィキの生態記載を見る限りでは、緑色で夜の明かりに好んで飛来するとなると分布を『本州、四国、九州、対馬、屋久島、奄美大島』とする、『樹上性で小型のカマキリ』で『緑色型と褐色型が存在。オスの羽は黒っぽく艶があるが、メスは艶があまりなく褐色に濃い褐色の斜めの縞模様がある。後翅が長くて前翅よりも後ろにはみ出し、その両側がとがる特徴がある。この科の幼虫は腹部を持ち上げるような格好で、かなり特徴的な姿である。明かりに飛来する』という最後のヒメカマキリ科ヒメカマキリ Acromantis japonica を特に支持したい(下線やぶちゃん)。体長はで二十五~三十三ミリメートル、で二十五から三十六ミリメートルとある。本文の「六寸」は十八・一八センチメートルであるが、これは別な場面でそれも標本で見たと言っている点とそのサイズの巨大さから、前のカマキリ科に属する最大種オオカマキリ Tenodera aridifolia の可能性が私は高いと思う(それでも同ウィキではで六・八から九・五センチメートル、有意に大きいで七・五から十一センチメートルとするから、乾燥標本とすれば破格に大きい。が、大きくなければ一般的な種であるこれを標本化する価値は下がるから、とびっきりの巨大個体の標本として別段おかしくないと私は思うし、また、ハーンの言っている全長は高い確率で前肢を伸ばした状態の、その先端から尾部までの長さと思われ、であれば、この異様な長さもすこぶる納得がいくのである)。

「『頭に御器をかぶつて居るもの』といふ意味の、ゴキカブリと稱する一種の小さな油蟲(ロオチ)」ウィキの「ゴキブリ」によれば、『ゴキブリ(蜚蠊)は、昆虫綱ゴキブリ目(Blattodea のうちシロアリ』科(Termitidae)『以外のものの総称。シロアリは系統的にはゴキブリ目に含まれるが、「ゴキブリ」に含められることはなく、伝統的には別目としてきた。なお、カマキリ目と合わせて網翅目(Dictyoptera)を置き、Blattodeaをその下のゴキブリ亜目とすることがあるが、その場合、ゴキブリはゴキブリ亜目(のうちシロアリ以外)となる』とある(ゴキブリとシロアリが分類学上で近縁とされていることはあまり知られているとは思われない。しかもこれが古い見解ではなく、二〇〇〇年代の系統解析によってゴキブリ目にシロアリ目を含める意見が強まったのだということは、さらに知られていないことと思う)。同ウィキの「名称について」には、『「御器(食器)をかぶる(かじる)」ことから「御器被り(ごきかぶり)・御器噛り(ごきかじり)」と呼ばれるようになり、明治時代までは「ごきかぶり」だったが、文献の誤植によって「か」の字が抜け落ちたまま広まってしまったのが「ゴキブリ」という名称の直接の由来とされ』、『現在でも地方によっては「ゴキカブリ」「ゴッカブイ」「ボッカブリ」などの方言呼称が残っている』とあり、また、『平安時代には「阿久多牟之(あくたむし)」や「都乃牟之(つのむし)」の古名で呼ばれ、江戸時代には「油虫(あぶらむし)」とも呼ばれた』とある。くどいが、古語の「かぶる」はラ行四段活用の頭の上を覆うの意の他動詞「被る」の方ではなく、同じラ行四段活用の他動詞である「囓(かぶ)る」、かじる、少しずつ嚙むの意で(「かぶる」の原義は「痛む」であってこれらの義にはそれらもあるが、古語辞典(角川書店)の表記から見ると同語源とは見ていないように思われる)、「食器を被(かぶ)る」のではなく、「食器を齧(かじ)る」「食器に齧りつく」のである。私は、まさに家に齧りつくシロアリと同類だ、と勝手に納得したものである。本邦に棲息するゴキブリ類は種が多いが、ハーンの言うのは、ワモンゴキブリ Periplaneta Americana かチャバネゴキブリ Blattella germanica かと思われる。代表種の一つであるヤマトゴキブリ Periplaneta japonica は参照したウィキゴキブリによれば、『本州東部で多くみられ』るとあるので一応、外しておいた。

「ゴキカブリは人間の眼を食ふ事を好むと言ひ立てられてゐて」不詳。これは聴いたことがない。識者の御教授を乞う。ゴキブリは苦手だが、こうなったら、毒を喰らわば皿は勿論、ゴキブリもの覚悟である。

「眼の病を醫し給ふイチバタサマ――一畑の藥師如來――」薬師瑠璃光如来本尊を本尊とする島根県出雲市小境町に醫王山(いおうざん)一畑寺(いちばたじ)。複数回既出し、既注でもあるが、「第八章 杵築――日本最古の社殿 (二)」の本文と注が、ここには一番よい。

「螢」鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コメツキムシ下目ホタル上科ホタル科 Lampyridae に属するホタル類。恐らく殆んどの一般日本人はゲンジボタル Luciola cruciata (体長一五ミリメートル前後の日本産ホタル類の大型種。成虫の前胸部中央には十字架形の黒い模様が特徴)とヘイケボタル Luciola lateralis(体長八ミリメートル前後)だけしかいないと思っているものと思われるが、ウィキの「ホタル」には、『おもに熱帯から温帯の多雨地域に分布し、世界には』約二千種が棲息『しているとされる。幼虫時代を水中ですごす水生ホタルと陸上の湿地ですごす陸生ホタルが』おり、『日本で「ホタル」といえば、本州以南の日本各地に分布し、五月から六月にかけて孵化するゲンジボタル Luciola cruciata を指すことが多い。日本ではゲンジボタルが親しまれていて、これが全てのホタルの代表であるかのように考えられるが、実際には遥かに多様な種がある。国内には』約四〇種が知られ、『熱帯を主な分布域とするだけに、本土より南西諸島により多くの種がある』とあり、本州に限っても他に上記二種とは別に、ヒメボタル Luciola parvula・オバボタル Lucidina biplagiata 及びマドボタル属 Pyrocoelia の数種が普通に棲息していることは更に知られていない。というより、ホタルが戻れば自然が戻ったと短絡的に考えるおぞましい自称「ナチュラリスト」「自然愛好家」どもによって、適応性の強力なゲンジボタルが多くの場所に人為移入されて「ほたるの里」なぞとおぞましいネーミングでテツテ的にのさばり、弱いヘイケボタルら他の少数種は本来の生息地を追われている。こうした「似非ナチュラリスト」は正しく各地の生態系を知らず知らずのうちに着実に破壊してしまっていることを全く認知しようとしない。「自然に帰れ」という「馬鹿の一つ覚え人間」の傲慢がそれぞれの地域の遺伝子プールを致命的に攪乱し、回復不能な生態系破壊をしているのである。このことを全く認識しない多くの手前勝手に自然崇拝絶対正義を成していると思い込んでいる救い難い下劣な「ナチュラリスト」こそ、実は今の政府に蔓延(はびこ)る確信犯の原発推進悪徳政治家の奴らとほぼ同等に、地球上の全生物群にとって悪しき存在だ、という事実を知る人は、これまた、さらにさらに少ないのである。彼らは自分らが正しいことをしていると信じて疑わない点で私は宗教的ファンダメンタリストと全く変わらないと断言する

「ホタルコイ、ミヅ ノマセウ、/アツチ ノ ミヅ ハ ニガイゾ、/コツチ ノ ミヅ ハ アマイゾ。」一般に「ほたるこい」の標題で知られるわらべ唄で、ネット検索をするとこここそが濫觴的な記載をする地域もあるが、実際には採録地も作詞も作曲も不明であるが、採譜者は鳥取県八頭(やず)郡郡家町(こおげちょう)(現在の八頭町(やずちょう))出身の小学校教員・校長で「小学校唱歌教授細目の理論と実際」の編集発行に当たった三上留吉(明治三〇(一八九七)年~昭和三七(一九六二)年)とする(鳥取県公式サイト内の「三上留吉」に拠る)から、この歌はハーンの身近を濫觴としている可能性が極めて濃厚と感じられるのである。

「普通に庭へ能く出て來るのとは全く異つた、灰色の可愛らしい蜥蜴がまた夜現れ出て、天井に沿うて己が餌を探す」これはもう、爬虫綱有鱗目トカゲ亜目ヤモリ下目ヤモリ科ヤモリ亜科ヤモリ属 Gekko の仲間、或いはニホンヤモリ Gekko japonicus と同定してもおかしくないと思う。

「百足蟲」これで「むかで」と読ませていよう。無論、節足動物門多足亜門ムカデ上綱唇脚(ムカデ)綱整形(ムカデ)亜綱 Epimorphaのムカデ(百足・蜈蚣)の仲間である。原文は“centipede”。これはラテン語の“centi”(百)+“ped”(脚)に由来する。多様な種がいるが、概ね人家に侵入する火箸で挟むほどに有意に大きなものは、オオムカデ目メナシムカデ科アカムカデ亜科アカムカデ属 Scolopocryptops(本属には複数種が含まれ、地理的変異も多い)のアカムカデの仲間や、本邦最大級(通常成体でも八~十センチメートルで二十センチメートルに及ぶ個体もいる。事実、何度もこのスケールの大型個体に遭遇している)であるオオムカデ目オオムカデ科オオムカデ属のトビズムカデ(飛頭百足) Scolopendra subspinipes mutilans、同じ仲間のアカズムカデ Scolopendra multidens・アオズムカデ Scolopendra japonicaなどを挙げておけばまずはよかろうと思う。これらは孰れも我が家に侵入した実績のある強者(つわもの)ばかりだからである。

「馬鹿に大きな蜘蛛が姿を現す。この動物は無害なやうである。捕へると、自分を見張つては居ないと確かめるまで死んだ風をよそはうて、機會を得ると驚く許り素早く逃げ去る。これは毛の無いので、タランチュラ即ちフクログモとは餘程異ふ。ミヤマグモ即ち山蜘蛛と呼ぶのである」当初は節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱クモ目アシダカグモ科アシダカグモ属アシダカグモ Heteropoda venatoria と思ったが、「捕へると、自分を見張つては居ないと確かめるまで死んだ風をよそはうて、機會を得ると驚く許り素早く逃げ去る」という箇所が大いに引っかかった。私の知る限り、こうした仮死行動を彼らはとらないように思ったからである。小型・中型個体ならありえなくもない(強い捕捉刺激によって仮死状態になるという仮定で、実際にそういう現場に出くわしたことはない)が、大型個体の場合、こんなことはまずないと言える(私は自宅で、掌大の巨大個体にしばしば遭遇し、かつては寝ている顔の真上を這われたこともあるのである。そうした中でそうした大型個体がそうした仮死状態になるのを一度として私は見たことがないからである)。「ミヤマグモ」や「山蜘蛛」の別称も知らない。但し、他の叙述は一致するようには読めるから、不思議なのである。なお、「タランチュラ即ちフクログモ」とハーンが言っているのはクモ目オオツチグモ(大土蜘蛛)科 Theraphosidae の一般呼称「タランチュラ」のそれである。ウィキの「オオツチグモ科」によれば、『オオツチグモ類は北アメリカ南西部から南アメリカ、熱帯アジア、地中海地方、熱帯アフリカ、ニューギニア島、オーストラリアなど、世界の温暖な地域に分布し、大型で全身に毛が生えていて、いかにも恐ろしそうな様子をしている。南北アメリカのオオツチグモは腹部に刺激毛を持ち、自己防衛のためにこれを脚で蹴って飛散させることがあり、目や皮膚につくと痒みのある炎症を起こす。かつて、鳥の巣を襲い鳥を食べるという記事が美しいイラストとともに紹介され、トリトリグモ(鳥取り蜘蛛)あるいはトリクイグモ(鳥喰い蜘蛛)の和名が使われたが、実際には鳥を常食するわけではない。しかし体格が大きいため、小型の脊椎動物は餌の範囲に入り、鳥の雛やカエル、子ネズミなどは好んで捕食する。雄は成熟すると比較的短命であり、雌に食われてしまうこともあるが、雌は飼育下で数十年生きる種類もある』。『サスペンス映画などで、殺人に巨大な毒蜘蛛が使われたりしたことで、知名度が世界的に広がった』が、『実際にはタランチュラの毒による死亡例は知られておらず』、従ってそのための血清さえも存在してはいないのである。

「テナガグモ即ち手長蜘蛛」狭義の和名種はクモ目サラグモ科サラグモ亜科テナガグモ属テナガグモ Bathyphantes gracilis であるが、近縁種や類似種及び類似和名種が多く、これと確定は出来ない(ウィキの「サラグモ科を参照されたい)。

「ヒラタグモ即ち、『平たい蜘蛛』」クモ目ヒラタグモ科ヒラタグモ属ヒラタグモ Uroctea compactillis で、ハーンのそれは洒落ではなく、事実、平たいことからかく呼ばれている。平田という人名ではないので注意されたい。但し、彼らは屋内のテント型の巣に籠っており、そこを出て徘徊することはないので、巣を壊さない限り、成体を普通に見ることは極めて稀と言える(ウィキの「ヒラタグモに拠ったが、本邦では上記一種のみが知られる)。

「ヂグモ即ち『地蜘蛛』」クモ亜目ジグモ科ジグモ属ジグモ Atypus karschi 。以下の近縁のトタテグモ類と同じく、地下に穴を掘って袋状の巣を作って住んで居る(ウィキの「ジグモ」に拠った)。

「トタテグモ即ち『戸たて蜘蛛』」広義にはクモ亜目カネコトタテグモ科 Antrodiaetidae とトタテグモ科 Ctenizidae に属する種を指すが、通常我々が「トタテグモ」と言った場合は後者のトタテグモ科 Ctenizidae に属する種群を指すことが多い。原始的なクモで、トンネル状の巣の入り口に扉を附けることから、その名がある。日本で最も普通の種はトタテグモ科トタテグモ属キシノウエトタテグモ Latouchia typica である(主にウィキの「トタテグモに拠った)。本種の習性については私の電子テクスト生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (二)隠れること~(4)トタテグモも是非、参照されたい。]

 

 

   Of warm nights all sorts of unbidden guests invade the house in multitudes. Two varieties of mosquitoes do their utmost to make life unpleasant, and these have learned the wisdom of not approaching a lamp too closely; but hosts of curious and harmless things cannot be prevented from seeking their death in the flame. The most numerous victims of all, which come thick as a shower of rain, are called Sanemori. At least they are so called in Izumo, where they do much damage to growing rice.

   Now the name Sanemori is an illustrious one, that of a famous warrior of old times belonging to the Genji clan. There is a legend that while he was fighting with an enemy on horseback his own steed slipped and fell in a rice-field, and he was consequently overpowered and slain by his antagonist. He became a rice-devouring insect, which is still respectfully called, by the peasantry of Izumo, Sanemori-San. They light fires, on certain summer nights, in the rice-fields, to attract the insect, and beat gongs and sound bamboo flutes, chanting the while, 'O- Sanemori, augustly deign to come hither!' A kannushi performs a religious rite, and a straw figure representing a horse and rider is then either burned or thrown into a neighbouring river or canal. By this ceremony it is believed that the fields are cleared of the insect.

This tiny creature is almost exactly the size and colour of a rice-husk.

The legend concerning it may have arisen from the fact that its body,

together with the wings, bears some resemblance to the helmet of a

Japanese warrior. [31]

   Next in number among the victims of fire are the moths, some of which are very strange and beautiful. The most remarkable is an enormous creature popularly called okorichōchō or the 'ague moth,' because there is a superstitious belief that it brings intermittent fever into any house it enters. It has a body quite as heavy and almost as powerful as that of the largest humming-bird, and its struggles, when caught in the hand, surprise by their force. It makes a very loud whirring sound while flying. The wings of one which I examined measured, outspread, five inches from tip to tip, yet seemed small in proportion to the heavy body. They were richly mottled with dusky browns and silver greys of various tones.

   Many flying night-comers, however, avoid the lamp. Most fantastic of all visitors is the tōrō or kamakiri, called in Izumo kamakake, a bright green praying mantis, extremely feared by children for its capacity to bite. It is very large. I have seen specimens over six inches long. The eyes of the kamakake are a brilliant black at night, but by day they appear grass-coloured, like the rest of the body. The mantis is very intelligent and surprisingly aggressive. I saw one attacked by a vigorous frog easily put its enemy to flight. It fell a prey subsequently to other inhabitants of the pond, but, it required the combined efforts of several frogs to vanquish the monstrous insect, and even then the battle was decided only when the kamakake had been dragged into the water.

   Other visitors are beetles of divers colours, and a sort of small roach called goki-kaburi, signifying 'one whose head is covered with a bowl.' It is alleged that the goki-kaburi likes to eat human eyes, and is therefore the abhorred enemy of Ichibata-Sama,―Yakushi-Nyorai of Ichibata, ―by whom diseases of the eye are healed. To kill the goki- kaburi is consequently thought to be a meritorious act in the sight of this Buddha. Always welcome are the beautiful fireflies (hotaru), which enter quite noiselessly and at once seek the darkest place in the house, slow-glimmering, like sparks moved by a gentle wind. They are supposed to be very fond of water; wherefore children sing to them this little song:―

  Hotaru kōe midzu nomashō;

  Achi no midzu wa nigaizo;

  Kochi no midzu wa amaizo. [32]

 

   A pretty grey lizard, quite different from some which usually haunt the garden, also makes its appearance at night, and pursues its prey along the ceiling. Sometimes an extraordinarily large centipede attempts the same thing, but with less success, and has to be seized with a pair of fire-tongs and thrown into the exterior darkness. Very rarely, an enormous spider appears. This creature seems inoffensive. If captured, it will feign death until certain that it is not watched, when it will run away with surprising swiftness if it gets a chance. It is hairless, and very different from the tarantula, or fukurogumo. It is called miyamagumo, or mountain spider. There are four other kinds of spiders common in this neighbourhood: tenagakumo, or 'long-armed spider;' hiratakumo, or 'flat spider'; jikumo, or 'earth spider'; and totatekumo, or 'doorshutting spider.' Most spiders are considered evil beings. A spider seen anywhere at night, the people say, should be killed; for all spiders that show themselves after dark are goblins. While people are awake and watchful, such creatures make themselves small; but when everybody is fast asleep, then they assume their true goblin shape, and become monstrous.

 

31 A kindred legend attaches to the shiwan, a little yellow insect which preys upon cucumbers. The shiwan is said to have been once a physician, who, being detected in an amorous intrigue, had to fly for his life; but as he went his foot caught in a cucumber vine, so that he fell and was overtaken and killed, and his ghost became an insect, the destroyer of cucumber vines. In the zoological mythology and plant mythology of Japan there exist many legends offering a curious resemblance to the old Greek tales of metamorphoses. Some of the most remarkable bits of such folk- lore have originated, however, in comparatively modern time. The legend of the crab called heikegani, found at Nagato, is an example. The souls of the Taira warriors who perished in the great naval battle of Dan-no-ura (now Seto-Nakai), 1185, are supposed to have been transformed into heikegani. The shell of the heikegani is certainly surprising. It is wrinkled into the likeness of a grim face, or rather into exact semblance of one of those black iron visors, or masks, which feudal warriors wore in battle, and which were shaped like frowning visages.

 

32 Come, firefly, I will give you water to drink. The water of that. place is bitter; the water here is sweet.

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