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2015/11/05

橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(25) 昭和二十五(一九五〇)年 八十句

 昭和二十五(一九五〇)年

 

橇を引くいつもうつむく声音して

 

恵方といふ人の歩みの方へゆく

 

入学の坂流水と駆け下る

 

一握の砂にて埋む蟻地獄

 

露によみはじむ荒息知られぬため

 

冬の金星吾より先に孤児が見て

 

枯枝拾ふ疑ひもなきけふの吾

 

冬の旅屋根のクルスのいつまで見え

 

霜の上鑿またぎしをあとより怖る

 

凍蝶や大地日当ること忘れ

 

いなづまの夜の明けはなれ蝶の骸

 

嫗の死吾との間に桃盛り

 

海南風衣袂鳴らして夫の死後

 

牡丹の緋切りてすなはち左手に重し

 

[やぶちゃん注:「左手」「ゆんで」と訓じておく。]

 

惨酷に刻たつ蟷螂雌に抱かれ

 

[やぶちゃん注:これは所謂、昆虫綱蟷螂(カマキリ)目 Mantodea のカマキリ類が交尾行動(実際にはそれ例外の時も起こる)の際に雄を共食いする情景を嘱目、或いは事後のそれを想像した句である。種によって異なるものの、最新の知見ではこのによるの共食いの頻度は必ずしも高くはないという。私は、カマキリの交尾時には、種によっては高い頻度でオスがメスに食われ、それはカマキリが近眼で、交尾時でも通常の際と同様に動くものを反射的に餌として捕食してしまうものと認識していた(実際、私は小学生の時に頭部を交尾をしたカマキリで、一方の(オスの)頭が失われているのを見たことがあったし、サソリのある種ではメスが頭胸部の下方に無数の子供を抱いて保育するが、落下して母親の視界に入ってしまうと、彼らは近眼であるために大事に育てているはずの子供を食べてしまう映像を見たことがある)。また、正上位での交尾ではそのリスクが高まるため、近年、オスのカマキリの中には後背位で交尾をする個体が見られるようになったという昆虫学者の記載を読んだこともあって、かつて教師時代、授業でもしばしばそう話したのを記憶している教え子諸君も多いであろう。しかし、ウィキの「カマキリ」の「共食い」の記載の見ると、そこでは幾分、異なるように書かれてある。一応、以下に引用しておきたい。『共食いをしやすいかどうかの傾向は、種によって大きく異なる。極端な種においてはオスはメスに頭部を食べられた刺激で精子嚢をメスに送り込むものがあるが、ほとんどの種の雄は頭部や上半身を失っても交尾が可能なだけであり、自ら進んで捕食されたりすることはない。日本産のカマキリ類ではその傾向が弱く、自然状態でメスがオスを進んで共食いすることはあまり見られないとも言われる。ただし、秋が深まって捕食昆虫が少なくなると他の個体も重要な餌となってくる』。『一般に報告されている共食いは飼育状態で高密度に個体が存在したり、餌が不足していた場合のものである。このような人工的な飼育環境に一般的に起こる共食いと交尾時の共食いとが混同されがちである。交尾時の共食いも雌が自分より小さくて動くものに飛びつくという習性に従っているにすぎないと見られる。ただしオスがメスを捕食することはなく、遺伝子を子孫に伝える本能的メカニズムが関係していると考えられる(すなわちメスを捕食してはDNAが子孫に伝わらなくなる)。また、このような習性はクモなど他の肉食性の虫でも見られ、特に珍しいことではない』『また、それらの雌が雄を捕食する虫の場合、雄が本能的にいくつもの雌と交尾をし、体力を使いすぎて最後に交尾した雌の餌になっている場合もある』。私の話はカマキリの種によっては誤りではない、と一応の附言はしておきたい。]

 

群るゝ蝶旅に人の訃追ひ来たる

 

渦潮に立つ海恋の眼をひらき

 

露飛び立つ鳥は胸に脚たゝみ

 

月光より火蛾を聚むる誘蛾燈

 

白露に硝煙の香の走りたり

 

蟷螂とゐて盤石の熱(ほて)りはげし

 

洗ひ髪月明暁にまで及ぶ

 

二階欲し雪降る天の果て見たく

 

[やぶちゃん注:以上、『天狼』掲載分。]

 

林檎嚙む霧笛は谺あそびして

 

林檎嚙る母の歯形のところより

 

一足(そく)の足袋買ふを鏡うつしてをり

 

懸け大根オリオンの端地より出で

 

落ちはづむ木の実に誘はれてひろふ

 

辛夷の天降り来る雪の隙間なし

 

女(め)の鹿は妊りゐるか枯はげし

 

寒牡丹傷つく菅紅犇く

 

霜夜童女わが手のとゞくところにい寝

 

はや寝つくか凍夜の枕かへしもせず

 

ものみなの枯れて了ふ今日以後も生く

 

坂下る春星いでし高さまで

 

修二会の闇火採男(ひとりを)身より焰をのばす

 

[やぶちゃん注:多佳子の好んだ東大寺二月堂の修二会、「お水取り」の、そのクライマックスである「お松明(たいまつ)」の嘱目吟であろう。私は見たことがないので、ウィキの「修二会」の「東大寺修二会(お水取り)」の「お松明」より引く(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)。『修二会のシンボルのような行事に二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「お松明」がある。この松明は上堂の松明といわれ、本来は、初夜の行を始めるために練行衆が登り廊を登るときに道明かりとして焚かれるもので、一人の童子が松明をかざして、後に一人の練行衆が続き、入堂された後に、その松明を舞台(欄干)に回り、火を振り回すのである。その後、裏に回り水槽で消され、上がってきた登り廊を降りていく。本行の期間中連日行われるが、十二日は一回り大きな籠松明が出るので見応えがある。また、十二日のみ十一本の松明が上堂する。他の日は十本である。十二日以外の日は、新入は先に上堂して準備をしているため十人、十二日だけは準備をしてから一旦下堂するので十一人の上堂となる。この籠松明は長さ八メートル、重さ七十キログラム前後あり、バランスを取るため、根が付けられている。他の日の松明は長さ六~八メートル』、重さは四十キログラムある。『籠松明以外は、使われる日の早朝に担ぐ童子自身が食堂(じきどう)脇で作る。材料は一~二年かけて集める』。(中略)『籠をくくるフジヅルは、滋賀県甲賀市(旧・信楽地区)の江州紫香楽一心講から毎年二百キログラムが寄進されている』『が竹以外は年々調達が難しくなってきている』とある。]

 

紅梅の一枝を挿して影つよし

 

梅雨傘をたゝみすなほち波郷の前

 

てのひらを穂先におかれ泉湧く

 

藤房の切先揃へ額(ぬか)に来る

 

負けし子がつかむ黄麦の穂の熱(あつ)く

 

野分中しづかに言葉うけられて

 

日盛りや身擦りて匂ふ青柏

 

まぎれては吾亦紅立つ青野分

 

息ひそむ野分の蝶蛾と共に住む

 

老いゆるさず天よりも疾く凌霄灼け

 

[やぶちゃん注:「凌霄」は「りようせう(りょうしょう)」で凌霄花、落葉性の蔓性木本類であるシソ目ノウゼンカズラ科タチノウゼン連ノウゼンカズラ属ノウゼンカズラ Campsis grandiflora のこと。ウィキノウゼンカズラによれば(記号の一部を変更・省略した)、『夏から秋にかけ橙色あるいは赤色の大きな美しい花をつけ、気根を出して樹木や壁などの他物に付着してつるを伸ばす』。『中国原産で平安時代には日本に渡来していたと考えられる。夏の季語』。『古名は「ノウセウ(陵苕)」または「ノセウ」で、それが訛って「ノウゼン」となった。また蔓が他の木に絡み攀じ登るため「カズラ」の名がついた。また古くは「まかやき(陵苕)」とも呼ばれた』。『「ノウセウ」については凌霄(りょうしょう)の朝鮮読み「ヌンソ」の訛りとする説もある』。『漢名の凌霄花は「霄(そら)を凌ぐ花」の意で、高いところに攀じ登ることによる命名。漢詩では他物に絡むため愛の象徴となる。また、「陵苕」(リョウチョウ)も本種を表す』とある。]

 

露に指しびれ来記憶追いつめる

 

忌の一(ひと)日其後も秋の蚊帳くゞる

 

[やぶちゃん注:「忌の一日」は推測でしかないが、これはやはり夫豊次郎(昭和一二(一九三七)年没。享年五十歳)の祥月命日九月三十日であろう。この年は十四回忌に当たった。]

 

蟻地獄一握の砂にて埋め足る

 

少年のものにて蠶蛾の産卵つゞく

 

[やぶちゃん注:「蠶蛾」私は「さんが」と音読みしたい。]

 

折り持つを里子がしびとばなと囃す

 

[やぶちゃん注:「しびとばな」単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ヒガンバナ亜科ヒガンバナ連ヒガンバナ属ヒガンバナ Lycoris radiata の異名。ブログ記事「曼珠沙華逍遙を参照されたい。同年年譜に、『九月二十三日、大野寺に吟行。室生川に沿うて、密生する曼珠沙華に多佳子は狂喜し、その中に寝ころぶ』とある。「里子」の謂いから、この折りに吟行の可能性が高い。奈良県宇陀市室生大野にある楊柳山大野寺は、室生寺の西の大門にある真言宗室生寺派の寺院で本尊は弥勒菩薩、開基は役小角と伝える。宇陀川岸の自然岩に刻まれた弥勒磨崖仏があることで知られる。室生川はその宇陀川の中流部に注ぐ主支流の一つで、この中流域に室生寺がある。

 

冬虹の切れ端として地勁(つよ)し

 

沖波自ら立ち寒き一湾にも溢る

 

寒潮にいま安んじて群ら鷗

 

翁斧うつ年木かつかつ自ら割れ

 

楽しくて蜜柑の酸ゆき嫗の眉

 

[やぶちゃん注:以上、『七曜』掲載分。]

 

にはたづみわが羅に彩(いろ)そむかず

 

かなかなや朝髪冷ゆる藻の如く

 

仰臥する顔草高く露高く

 

蚊帳の夜末をとめにて吾に遺る

 

家の中部屋のわかれて虫しげし

 

露寒し仔鹿跳びても跳びても露

 

雪原の汽笛みぢかく余響なし

 

雪原の燈のなき汽車とすれちがふ

 

旅の松夜空に雪用意して立つ

 

コートぬぐ虫の端に炉火がもえ

 

雪構へしてぞ母屋をへだて住む

 

降る雪の音か枕に耳あつる

 

汲みて賜ぶ雪の井水のゆげ立つを

 

若さかくさず炉火に歯皓く論つよし

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「皓く」は「しろく」と読む。]

 

旅の扉のひらかれストーブくれなゐに

 

雪嶺を雨に隠され訣るゝ日

 

かりかりと凍雪を搔く虎落笛

 

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「虎落笛」は「もがりぶえ」と読む。冬の激しい風が竹垣や柵などに吹きつけて発する笛のような音。]

 

冬旅のオリオン菓子を買ひてをり

 

ひとの傘の裡の歩みや雪ふみて

 

風雪を欲れど捨身の旅にあらず

 

太白と雪山同じ程に暮る

 

[やぶちゃん注:「太白」老婆心乍ら、金星のこと。]

 

雪山に汽笛の谺うちあへり

 

マスク除(と)る大きく息をつかん為め

 

死はそこに深夜の林檎戛(かつ)と割る

 

[やぶちゃん注:以上、『俳句研究』掲載分。多佳子、五十一歳。]

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