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2015/11/03

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (一四)/ 第十六章~了

       一四

 

 自分は既に自分の住所を少し好(す)き過ぎて來た。毎日、學校の自分の勤務から歸つて來て、自分の教師の制服をそれよりか無限に氣持の宜い、日本着物に改めてから、庭を見渡す日蔭の綠に蹲るといふ單純な快樂に、授業五時間の疲勞を償うて餘りあるものを見る。その崩れた瓦の屋根の下に厚く、苔蒸して居るあの古風な庭壁は、市街生活のつぶやきすら締出して入れぬげに思はれる。鳥の聲、セミの叫び、或はのろい長い間を置いて、水へ飛込む蛙の物淋しいジヤブンといふ音の他には、音は何一つきこえぬ。否、その壁は町の街路以上のものから自分を隱遁さす。壁の外では、電信と新聞紙と蒸汽船との、變化した日本が唸つて居る。内には、悠々たる自然の平和と十六世紀の夢とが住んで居る。空氣そのものにすら古色の妙趣があり、身のまはり總てに眼には見えぬ優しい、或る物が居るといふ仄かな感じがする。その或る物といふは、古い繪本に見る貴婦人のやうな顏をしてゐて、この庭全部が新しかつた時、この家に住まつて居た、今は世に無い、貴婦人どもの靜かな出入(ではいり)では或はなからうか。石の灰色な妙な姿に觸れたり、長く愛好された樹木の枝葉の中を渡つたりする、夏の日の光りにすら靈の優し味がある。此等は過去の庭である。未來は此等の庭をば、ただ夢として、どんな天才もその妙趣を再現することの出來ぬ、忘れられたる藝術の所産として、知るに過ぎぬであらう。

 此處ではどんな動物も、人間の借家人を恐れないやうに思はれる。蓮の葉に止まつて居る小さな蛙は、自分が手を觸つても殆んど尻込みせぬ。蜥蜴は手易く自分の手が屆く處で日に當たる。水蛇は恐れ無しに自分の影を辷りよぎる。セミの樂隊はつい自分の頭の上の枝で、その耳を聾する合奏を始める。そして蟷螂は厚かましくも自分の膝の上で姿を構へる。燕や雀は自分ところの屋根に巣を造るばかりでは無い――或る一羽の燕は實際に浴場の天井に巣を造つたほどで――心配無しに家の中へ入(はい)りさへするし、鼬は自分の直ぐの眼の前で何の氣兼ね無しに魚を盜む。野鶯が一羽窓の横の杉の木に止まつて、美はしの蠻聲を突發して自分の籠の愛鳥を歌の競爭に挑む。そして常に金色の空氣を通して、小松の綠の薄暗がりから、ヤマバトのあの物哀れな愛撫するやうな、美妙な呼び聲が自分の耳へ流れて來る、――

 

    テテ

     ポツポオ、

    カカ

     ポツポオ、

    テテ

     ポツポオ、

    カカ

     ポツポオ、

    テテ…………

 

 どんな歐羅巴の鳩もこんな啼聲はせぬ。ヤマバトの聲を始めて聽いて、その情(こゝろ)に或る新しい感じを感じ得ない人間は、この幸福な世界に住む價値は殆んど無いのである。

 が然し、此等は總て――この古いカチウヤシキもその庭も――必ずや數年を經ずして、永久に消えてしまうであらう。早既に、幾多の、自分のよりももつと廣い、もつと美しい、庭が稻田や竹藪に變つて居る。そしてその古雅な出雲の町も――計畫されて久しい鐡道線路にやがては觸られて――或はこの十年のうちにすら――膨脹し、變化し、平凡となり、此處の地面を工場に製造場に要求するであらう。啻に此處ばかりからでは無い、総ての土地からして古昔の平和と、古昔の妙味とは失せ去るべき運命の下に在るやうに思はれる。無常は、殊に日本に於ては、事物の自然である。そして變化と變化を行ふ者とはまた變化して、末終にそれを容れる餘地無きに至るであらう、――だから悼むのは無駄である。此處の美を造つた今は藝術は、また、我等の非常な慰安となる所の聖句を信じて居る、あの信仰の藝術であつたのである。その聖句は云ふ、

    草木國土 皆入涅槃

 

[やぶちゃん注:「自分は既に自分の住所を少し好(す)き過ぎて來た。」原文は“I have already become a little too fond of my dwelling-place.”で、『わたしは、すでにこのすまいが、ちと気に入りすぎたようである。』と平井呈一氏は訳しておられる。私が敢えてこんなことを書くのは、どうもこの終章には、妙にしみじみとした、目に涙さえ湛えているようなハーンのある深い哀愁、松江の風物を公的にも私的にも心から惜しみ懐かしむような感懐を強く感じられるからである。そうして、既に注しているのであるが、本書が執筆されたは明治二四(一八九一)年の八月以降と考えられているのであるが(出版自体は三年後の明治二七(一八九四)年九月)、この時から実は既にしてハーンは、一度経験した松江の冬の寒気に耐えられず、既にして熊本五高への転任の働きかけに入っていたか、或いはそれに入ろうと内心半ば決めていたのではなかったか、と私は思うからである(実際の転勤は十一月であるが、しばしばお世話になっている「八雲会」公式サイト内の松江時代の略年譜には、十月八日に松江中学の教頭にして盟友であった『西田千太郎に熊本への転任の決意を報告』しており、ここで『熊本への転任の決意を報告』という表現からは遅くとも既に九月中には熊本への転勤工作が成され、それが終わっていたと読めるのである。下線はやぶちゃん)。

「十六世紀」ハーンは室町・戦国の松江にまで遡っている点に注意されたい。松江には室町時代には出雲守護を代々継承した京極家の守護所が置かれたが、戦国時代には京極家分家の尼子家(安来市)が台頭したため、その支配下に置かれた。鎌倉から戦国期にかけてハーンが見上げた松江城のある場所には末次城があった。堀尾吉晴の子堀尾忠氏が関ヶ原の戦功によって松江に入って(この時は月山富田城に入城)松江藩が成立したのは、まさに十六世紀の最後の年である慶長五(一六〇〇)年のことである(以上はウィキ松江市及び松江城を参照した)。

「古雅な出雲の町も――計畫されて久しい鐡道線路にやがては觸られて――或はこの十年のうちにすら――膨脹し、變化し、平凡となり、此處の地面を工場に製造場に要求するであらう」既にして県庁所在地松江の市制施行は、本書の執筆の二年前、ハーン来日のちょうど一年前に当たる明治二二(一八八九)年四月一日に行われており(島根郡・意宇郡の一部から松江市が発足。ここはウィキの「松江市」に拠った)、官設鉄道が安来駅から延伸してその終着として松江駅が開業するのは明治四一(一九〇八)年十一月八日で、本書の執筆から十七年後のことであった(ウィキの「松江駅」に拠る)。

「末終に」「すゑ つひに(すえ ついに)」と訓じたい。

「草木國土 皆入涅槃」「さうもくこくど(そうもくこくど) かいにふねはん(かいにゅうねはん)」と音読みする。この世の人は勿論、ありとある草も木といった衆生、そして世界そのものさえも、これ皆、無我にして無心の悟りの境地たる涅槃へと入ることが決定(けつじょう)している――の謂いであろう。ただ、この章句自体は調べてみた限りでは、直接の出典仏典は存在しない模様である。非常に近い章句として、よく、釈迦が「草木國土悉皆成佛(さうもくこくどしつかいじやうぶつ(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」――草木や国土の如く心を持たぬものであっても、これ、悉(ことごとく)く仏性を持つ故に、必ず一切は成仏する――と言われた、とされるものがあるが、「宗教のときめき」の「二十三」の、やすいゆたか氏の『「山川草木悉皆成仏」と梅原猛』によれば、これさえも、『鎌倉時代の禅宗では釈迦が明星を見て成道したとき、つまり仏になったとき、同時に有情非情草木国土も成道したという解釈を打ち出し、その時に「草木国土悉皆成仏」と釈迦が叫ばれたことになっていますが、その経典からの出典は明らかではありません』とあり、ただ、『この「草木国土悉皆成仏」は、室町時代に始まる能では良く使われているのです。『鵺』『墨染桜』『芭蕉』『杜若』『六浦』『現在七面』『西行桜』『高砂』『定家』などに出てきます。人間だけではなく、怪獣や桜、芭蕉、杜若といった植物や雪なども怨霊となって現われ、鎮魂されて成仏するという設定でなのです』。そして『この語句は『中陰経』より引用とされていますが、現存する『中陰経』にはこの語句は存在しないということです』とある。さて、「草木國土皆入涅槃」「草木國土悉皆成佛」というこれら二つの章句は、別にしばしば耳にし、夏目漱石の「こゝろ」でも雑司ヶ谷の墓地のシークエンスでも墓に彫られた文字として登場する(リンク先は私の初出版注附電子テクスト)「一切衆生悉有佛性(いつさいしゆじやうしつうぶつしやう(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」――総ての生きとし生けるものは仏となるべき仏性を本来、具有している――辺りの章句を元にした、釈論か禅の公案から生まれた章句かとも思われるのであるが、この「一切衆生悉有佛性」という章句からしてからが、「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」(略して「涅槃経」。これは釈迦の入滅(大般涅槃)を叙述してその意義を説く多くの経典類の総称であって単一の経典ではなく、初期仏教の阿含経典から大乗経典まで略称「涅槃経」を名乗る数種の経典類の総称である)が、インドの大乗仏教の中で発展して成立した『大乗の「大般涅槃経」』(この経の編纂には大乗仏教の学派の一つである瑜伽行唯識(ゆがぎょうゆいしき)派が関与したとされ、四世紀の成立と考えられている)の「高貴徳王菩薩品(ぼん)」及び「獅子吼菩薩品」に現われる「釋迦牟尼佛言、一切衆生、悉有佛性、如來常住、無有変易」からの引いたものであって、この経は禅宗では特に重んじられ「仏祖三経」の一つとしているものの、ハーンがここに添えた「草木國土 皆入涅槃」や「草木國土悉皆成佛」は勿論、この「一切衆生悉有佛性」という章句類は仏陀の生の言葉であったかどうかはすこぶる怪しいと言えると私は思っている(序でに言っておくなら、禅宗が好んでこの「佛性」の問題を取り上げるのは人知を超えた禅の超論理的本質を知らしめる方便として都合がいいからだと私は考えている。その証拠に「無門關」の「一 趙州狗子」で、趙州和尚に弟子が「狗子に、還りて、佛性有りや無しや。」と問うと、和尚は即座に「無。」と返している。ところがこの公案の教理的正答は「有」であって、実際、同じ公案に対して別な高僧は「有」と事実、答えている。しかしここで「無。」と答えるところに、禅の公案の公案たる所以、禅の禅たる面目が表象されているのであり、教理を超越して自我が教条を貫いてその先の世界で「無」となるといった強烈な個人主義的大悟の世界が私には感じられ、「無。」の答えの方が遙かに痛快の「真(しん)」として響く)。但し、言っておくと私は個人的には、「草木國土皆入涅槃」「草木國土悉皆成佛」「一切衆生悉有佛性」の思想にすこぶる惹かれるものである、ということを告白してぐだぐだした呟きの終りとしよう(以上はウィキの「大般涅槃経」及びそこからリンクされた頁も一部参考にした)。

 以上を以って、「第十六章 日本の庭」は終わる。]

 

 

ⅩⅣ

 I have already become a little too fond of my dwelling-place. Each day, after returning from my college duties, and exchanging my teacher's uniform for the infinitely more comfortable Japanese robe, I find more than compensation for the weariness of five class-hours in the simple pleasure of squatting on the shaded veranda overlooking the gardens. Those antique garden walls, high-mossed below their ruined coping of tiles, seem to shut out even the murmur of the city's life. There are no sounds but the voices of birds, the shrilling of semi, or, at long, lazy intervals, the solitary plash of a diving frog. Nay, those walls seclude me from much more than city streets. Outside them hums the changed Japan of telegraphs and newspapers and steamships; within dwell the all- reposing peace of nature and the dreams of the sixteenth century. There is a charm of quaintness in the very air, a faint sense of something viewless and sweet all about one; perhaps the gentle haunting of dead ladies who looked like the ladies of the old picture-books, and who lived here when all this was new. Even in the summer lighttouching the grey strange shapes of stone, thrilling through the foliage of the long- loved treesthere is the tenderness of a phantom caress. These are the gardens of the past. The future will know them only as dreams, creations of a forgotten art, whose charm no genius may reproduce.

   Of the human tenants here no creature seems to be afraid. The little frogs resting upon the lotus-leaves scarcely shrink from my touch; the lizards sun themselves within easy reach of my hand; the water-snakes glide across my shadow without fear; bands of semi establish their deafening orchestra on a plum branch just above my head, and a praying mantis insolently poses on my knee. Swallows and sparrows not only build their nests on my roof, but even enter my rooms without concernone swallow has actually built its nest in the ceiling of the bath-room,and the weasel purloins fish under my very eyes without any scruples of conscience. A wild uguisu perches on a cedar by the window, and in a burst of savage sweetness challenges my caged pet to a contest in song; and always though the golden air, from the green twilight of the mountain pines, there purls to me the plaintive, caressing, delicious call of the yamabato:

     Tété

                      poppō,

     Kaka

                      poppō

                     Tété

                      poppō,

                     Kaka

                      poppō,

                     Tété . . .

No European dove has such a cry. He who can hear, for the first time, the voice of the yamabato without feeling a new sensation at his heart little deserves to dwell in this happy world.

   Yet all thisthe old katchiu-yashiki and its gardenswill doubtless have vanished for ever before many years. Already a multitude of gardens, more spacious and more beautiful than mine, have been converted into rice-fields or bamboo groves; and the quaint Izumo city, touched at last by some long-projected railway line,perhaps even within the present decade,will swell, and change, and grow commonplace, and demand these grounds for the building of factories and mills. Not from here alone, but from all the land the ancient peace and the ancient charm seem doomed to pass away. For impermanency is the nature of things, more particularly in Japan; and the changes and the changers shall also be changed until there is found no place for them,and regret is vanity. The dead art that made the beauty of this place was the art, also, of that faith to which belongs the all-consoling text, 'Verily, even plants and trees, rocks and stones, all shall enter into Nirvana.'

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