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2015/11/15

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十九章 英語教師の日記から (十三)

        一三

 

 しかし學校の經濟の許す限り生徒を健康にかつ愉快にするためのあらゆる方法、――運動及び娯樂の種々の機會を與へるためのあらゆる方法は講じてある。勉學の課程は嚴重だが時間は長くはない、そして毎日五時間のうちの一時間は兵式體操に捧げてある、政府から授けてある本當の銃や剱を用ふるので生徒には一層興味がある。學校の近くに立派な運動場がある、ブランコや平行棒や木馬などが備へてある。中學校だけの體操教師が二人ある。ボートがある、天氣さへよければいつでも美しい湖上で面白くこぎ廻る事ができる。知事自ら監督して居る剱道の道場がある、知事は目方の重い人だが、知事の時代の最も巧妙な擊剱家の一人と云はれて居る。教へられて居る型は古風の物である、剱を使ふに兩手を用ふるのである、突く事は餘りない、殆んど悉く重い打ち込みである。竹刀は竹の長いササラを結んで昔ローマのフアシーズ【譯者註】を長くした形に似たやうに出來て居る、面とさしこの上衣はその打擊がひどいから頭と胴を保護して居る。この種類の擊剱は非常の敏捷を要する、そして私共の西洋のもつとはげしい流儀よりも一層盛んな運動になる。しかし又別種類の健康なる運動は著名の地へ遠足をする事である。このために特別の休暇ができて居る。生徒は列をつくり、愛する數人の先生に伴はれ、事によれば彼等のために料理をしてくれる小使をつれて町から出かける。かくして百哩或は百五十哩も旅をする、そして又かへる、しかしもしその旅行が非常に長い場合にはただ強壯な生徒だけが行く事を許される。ワラヂ即ち素足にきちんと結んである本當の藁の履物ででかける、ワラヂは全く足を伸縮自在ならしめる、豆をつくつたり、雞眼(タコ)をでかしたりなどしない。夜は寺に寢る、そして料理は野營の兵士の料理のやうに野天に於てなされる。

 このやうなはげしい運動を餘り好かない者には學校の書庫がある。これは年々に增加して行く。生徒が編輯し發行する月刊の學校雜誌がある。又生徒會がある。その定期の會には生徒に興味があると思はれるあらゆる問題について討論が催される。

 

    譯者註。棒を束ね其間より斧の刄を

    現せしもの、長官外出の時隨行員が

    擔ひて先頭せし物(ローマ史)

 

[やぶちゃん注:「知事自ら監督して居る剱道の道場がある」前に注した通り、ハーンが敬愛した当時の県知事籠手田安定は元平戸藩士で剣術家としても知られた。ウィキの「籠手田安定」にこれば、『平戸藩(松浦静山)伝の』心形刀流(しんぎょうとうりゅう/しんけいとうりゅう)免許皆伝、明治初期に山岡鉄舟が開いた一刀正伝無刀流(いっとうしょうでんむとうりゅう)の『免許皆伝の腕前を持ち、山岡鉄舟から一刀流正統の証の朱引太刀を授けられた』とあり、明治一四(一八八一)年に『無刀流山岡鉄舟に入門し、高弟となる』。明治一五(一八八二)年七月に『京都体育場で撃剣大会が開かれ、大蔵卿松方正義、京都府知事北垣国道、岡山県令高崎五六らが臨場。籠手田も参加し、渡辺篤と対戦した。渡辺は当時素性を隠していたが、元京都見廻組組員で、晩年に坂本龍馬暗殺を証言した人物であ』った。明治一六(一八八三)年十一月には『東京での地方官会議に出席する際、高山峰三郎ら関西の剣客』約十名を『引き連れ警視庁に試合を挑む。高山は警視庁選り抜きの撃剣世話掛』三十六名をことごとく『連破した。この出来事は明治剣道史の一大事件として知られる』とあるように、正真正銘の凄腕の名剣士であった。

「フアシーズ」「棒を束ね其間より斧の刄を現せしもの、長官外出の時隨行員が擔ひて先頭せし物(ローマ史)」原文“fasces”。敢えて音写するなら「ファスィイズ」である。古代ローマに於ける執政官の権威と立場を標章した権標で「束桿(そつかん)」と呼ばれた、束ねた棒の中央に斧を入れて縛ったもの。先駆けの役人が捧げ持った。ラテン語の“facis”「小さく括って束ねもの」「重い荷」が原義。

「百哩或は百五十哩」凡そ百六十一キロメートルから二百四十一キロメートル相当。松江からこの距離を単純直線距離で測るなら、西南は山口県萩から下関直近に至り、東南は兵庫県姫路から大阪に至り、東は福井県小浜や京都や琵琶湖西岸にも達するが……

「豆をつくつたり、雞眼(タコ)をでかしたり」この原文を見ると、“blistering or producing corns ”である。「タコ」ならば、広義に皮膚の角質層が極端に肥厚した胼胝(たこ/べんち)のことであるが、狭義には「雞眼」(鶏眼)というと、その角質層が更に深い皮膚層にまで突起して痛みを伴うような「うおのめ(魚の目)」の状態を指す。しかも原文の頭の方は“blistering”でこれは焼けようなであり、その“corn”(魚の目も肉刺(まめ)も指す)であるから、寧ろ、「ひどくひりつくような魚の目や、豆をつくったり」という謂いのように私は思う。]

 

 

ⅩⅢ.

   Yet, so far as the finances of the schools allow, everything possible is done to make the students both healthy and happy,—to furnish them with ample opportunities both for physical exercise and for mental enjoyment. Though the course of study is severe, the hours are not long: and one of the daily five is devoted to military drill,—made more interesting to the lads by the use of real rifles and bayonets, furnished by Government. There is a fine gymnastic ground near the school, furnished with trapezes, parallel bars, vaulting horses, etc.; and there are two masters of gymnastics attached to the Middle School alone. There are row-boats, in which the boys can take their pleasure on the beautiful lake whenever the weather permits. There is an excellent fencing-school conducted by the Governor himself, who, although so heavy a man, is reckoned one of the best fencers of his own generation. The style taught is the old one, requiring the use of both hands to wield the sword; thrusting is little attempted, it is nearly all heavy slashing. The foils are made of long splinters of bamboo tied together so as to form something resembling elongated fasces: masks and wadded coats protect the head and body, for the blows given are heavy. This sort of fencing requires considerable agility, and gives more active exercise than our severer Western styles. Yet another form of healthy exercise consists of long journeys on foot to famous places. Special holidays are allowed for these. The students march out of town in military order, accompanied by some of their favourite teachers, and perhaps a servant to cook for them. Thus they may travel for a hundred, or even a hundred and fifty miles and back; but if the journey is to be a very long one, only the strong lads are allowed to go. They walk in waraji, the true straw sandal, closely tied to the naked foot, which it leaves perfectly supple and free, without blistering or producing corns. They sleep at night in Buddhist temples; and their cooking is done in the open fields, like that of soldiers in camp.

   For those little inclined to such sturdy exercise there is a school library which is growing every year. There is also a monthly school magazine, edited and published by the boys. And there is a Students' Society, at whose regular meetings debates are held upon all conceivable subjects of interest to students.

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