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2015/11/25

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十一章 日本海に沿うて (十二) / 第二十一章~了

       一二

 

 アイルランドの俚言にどんな夢でも、もしその夢を見た人がさめてから想ひ出さうとして頭をかく事をさへしなければ想ひ出せると云ふのがある。しかしこの用心を忘れたらその夢は決して記憶にかへつて來る事はない、吹き去られた烟のたな引きの渦きは元の通りの形にはできないと同じ事である。

 千の夢のうち、九百九十九までは全く望みなく消えて無くなる。しかし珍しい經驗によつて想像が妙に印象を受けて居る時に來る、或珍しい夢、――旅行中に特に起り易い夢――は實際の出來事のやうに全くはつきりと印象されて、記憶に殘る。

 私がこれまで書いたやうな事を見聞したあとで、私が濱村で見た夢はこんな夢であつた。

 

 どこか靑白い廣い敷石のある場所――事によればお寺の中庭のやうな所――それはかすかな日光で染められて居る、そして私の前に若くもなく老いてもゐない婦人が大きな灰色の臺の下に坐つて居る、その臺は何をのせて居るのか私は女の顏しか見られないから分らない。そのうちに私はその女に覺えがあると思つた――出雲の女であつた、それからその女は氣味惡くなつて來たやうだ。唇は動いてゐたが、眼は閉ぢてゐた、そして私は彼女を見ないわけには行かなかつた。

 それから數年の距離を通つて細くなつて來るやうに思はれる聲で、柔らかな悲しい歌を始めた、そして聽いて居ると、ケルトの子供歌のかすかな記憶が自分に歸つて來た。それから歌つて居るうちに、一方の手で長い黑い髮を解いたら、それが石の上に環になつて下つた。それから下つて見たら黑くはない、靑い、――靑白い、日のやうな靑色になつて、速い靑い細波(サザナミ)をあちこちにつくつて押しよせながら、うねり始めた。その時、不意に、その細波(サザナミ)は遙かに、ずつと遙かに續いてゐて、女はゐなくなつて居る事に氣がついた。音のない波の長いのろい閃きをもつて、天の端までに靑い大波をあげる海が、ただあるだけであつた。                                              

 それから眼をさまして、私は夜中に本當の海のつぶやき――佛海の巨大なかれ聲、――歸りの精靈の潮――を聞いた。

 

[やぶちゃん注:このハーンの夢は非常に美しく、そして、限りなく哀しく、その夢の映像は時を越え、空間を侵食して宇宙の果てまで漣のような波動となって無限に広がってくくようではないか! 「出雲の女」は若きセツに還元され、しかも三歳で生き別れとなったハーンの母ローザ・アントニウ・カシマティ(Rosa Antoniou Kassimatis 一八二三年~一八八二年:生没年はデータに拠る)に通底する、すべての根源へと我々を導く大いなる「原母」の像に違いない(うまく表現する言葉が見つからぬのでこの単語を用いるが、別にユング的な狭義の「グレート・マザー」を指しているのではないことを断っておく。寧ろ、老子の言う「玄牝(げんぴん)」の方がしっくりくる)。なお、本章シークエンスを基本、実際のセツとの新婚旅行の明治二四(一八九一)年の八月下旬とするなら、ハーンは一八五〇年(嘉永三年相当)六月二十七日生まれであるから、この時、満四十一、セツは慶応四(一八六八)年二月四日生まれであるから、満二十三であった。――序でに言っておこう。……漱石先生、こういうのをね、「こんな夢を見た」で始めるべき正しい夢記述というのです。……やっぱり、既にしてあなたは、とうの初めから……ハーン先生に――負けていた――のですよ……

「出雲の女であつた、それからその女は氣味惡くなつて來たやうだ。」原文は“a woman of Izumo; then she seemed a weirdness.”。どうにもむずむずしてくる訳である。“weirdness”はこの場合、私は「凄味を持ったある特異な一人の者」「一つの超自然的な一箇の存在」といった意味であるように思われる。しかもそれが「ある出雲の女」なのであり、それは見知った誰それなのではなく、「見知らぬ女」でありしかし確かに「神の国である出雲の女」なのである。とすれば、「神の国の出雲の見知らぬ妖しく超自然的な一箇の恐るべき凄みを持った存在の女」とは、神意を告ぐるところの「巫女」以外にはないと私は信ずる。だから「出雲の女」なのだ。因みに、平井呈一氏もここは『そうだ、出雲の女だ。と思っていると、その女が巫女(みこ)に見えてきた。』と訳しておられるのである。]

 

 

.

   There is an Irish folk-saying that any dream may be remembered if the dreamer, after awakening, forbear to scratch his head in the effort to recall it. But should he forget this precaution, never can the dream be brought back to memory: as well try to re-form the curlings of a smoke- wreath blown away.

   Nine hundred and ninety-nine of a thousand dreams are indeed hopelessly evaporative. But certain rare dreams, which come when fancy has been strangely impressed by unfamiliar experiences,— dreams particularly apt to occur in time of travel,— remain in recollection, imaged with all the vividness of real events.

   Of such was the dream I dreamed at Hamamura, after having seen and heard those things previously written down.

 

   Some pale broad paved place — perhaps the thought of a temple court— tinted by a faint sun; and before me a woman, neither young nor old, seated at the base of a great grey pedestal that supported I know not what, for I could look only at the woman's face. Awhile I thought that I remembered her — a woman of Izumo; then she seemed a weirdness. Her lips were moving, but her eyes remained closed, and I could not choose but look at her.

   And in a voice that seemed to come thin through distance of years she began a soft wailing chant; and, as I listened, vague memories came to me of a Celtic lullaby. And as she sang, she loosed with one hand her long black hair, till it fell coiling upon the stones. And, having fallen, it was no longer black, but blue —pale day-blue,— and was moving sinuously, crawling with swift blue ripplings to and fro. And then, suddenly, I became aware that the ripplings were far, very far away, and that the woman was gone. There was only the sea, blue-billowing to the verge of heaven, with long slow flashings of soundless surf.

 

   And wakening, I heard in the night the muttering of the real sea,— the vast husky speech of the Hotoke-umi,— the Tide of the Returning Ghosts.

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