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2015/11/07

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十七章 家の内の宮 (九)

         九

 

 然し神道の昔の神樣だけを神棚の前で拜む。一家の祖先或は一家の死人は別な部屋(ミタマヤ即ち『靈の部屋』と呼ぶ)で拜むか又は、佛式で拜むなら、ブツマ若しくはブツダンの前で拜むかする。

 佛教の家内禮拜は出雲の大多數の家で、神道の家内禮拜と共に存して居る。で、死人が御靈屋で拜まれるか、佛壇の前で拜まれるかは、全くその家庭の宗教的傳統に因るのである。その上出雲には――特に杵築では――一家の誰もが佛教の如何なる種類のものをも信じて居ない家があるし、家の者は神道の行をしない眞宗又は、日蓮宗【註】のものが極めて少いけれど在る。

 

    註。斯ういふことには日蓮宗は嚴正

    だと想はれて居るに拘らず、出雲で

    のその教儀の信奉者は同樣にまた熱

    心な神道家である。概して言つて出

    雲の眞宗信者も、それと同樣である

    かどうかは自分は觀察し得なかつた

    が、松江の眞宗信者には神社に禮拜

    するものがあることは自分は知つて

    居る。佛陀のうちでも阿彌陀と稱す

    るあの形態のみを崇めるのだから、

    眞宗は佛教の『唯一神教(ユニテエ

    リアン)』だと言つても宜い。その

    教儀が神道に反して居るの故を以て、

    それは出雲では鞏固なる足場は終に

    得ないで居るやうに思はれる。日本

    中他の地方では眞宗は佛教諸宗のう

    ちで、最も旺盛な最も繁昌な宗派で

    ある。

 

が、死者に對する家内での祭祀は、その家が神道であらうが佛教であらうが、依然行はれて居る。佛教を奉じで居る家の死人(ホトケ)のイハイ即ち牌は決して特別な部屋、又は宮に置きはしないで、普通その中へ置いてある佛神の像、又は繪とともどもに家の中の佛式の宮【註】の中に置く――或は、少くとも、それに對する尊敬を神式で無く、佛式で行ふ時はいつも必ず左うである。

 

    註。モオルス氏は、その『日本の家

    庭』で、『家の中の佛式の社は床(ゆ

    か)の上に置いてある、――兎も角

    自分はさう聞いて居る』と述べて居

    るが、あれは又聞(またぎゝ)で頗

    る妙な誤を發表したものである。ど

    んな場合にも床上へ置きはせぬ。

    り好い階級の家では特別な設備を佛

    壇に爲して居る。横にも辷る板か又

    は小さな戸で人目に見えぬやうしつ

    らへてあるが普通で、床か壁の引込

    んだ處か、又は他の工夫をした處に

    置く。より小さな住居では他に善い

    處が無いが爲めに、棚の上に置くこ

    とはあらう。そして貧乏人の家では

    タンス即ち衣服入の上に置くことは

    あらう。神棚ほどの高さには決して

    置かぬが、床の上三呎以下の高さに

    は滅多置かぬ。佛壇のモオルス自ら

    の挿繪(二二六頁)を見ると、決し

    て床の上に在るのでは無くて、戸棚、

    これは佛壇と混同してはならぬが、

    戸棚の上の段――極く小さな棚――

    の上に載つて居る。今問題にして居

    るそのスケツチは、その繪に見ゆる

    お供物が盆祭のお供物だから、死者

    の祭の間に描いたもののやう察しら

    れる。盆の折には家の内の佛壇は、

    いつも扉を開けて中が見えるやうに

    なつて居り、且つその前へ置くお供

    物に餘地を與へる爲め、いつもの場

    處から動かすことが能くある。床

    (ゆか)の上へ神聖な品物を置くこ

    とは日本人には非常に不敬な事に思

    はれて居る。神道の品物と云へば、

    マモリでさへ床(ゆか)の上へ置く

    のは罪だと考へられて居る。

 

佛壇或は佛間の形狀、その聖像そのオフダその繪圖の性質、またその前で唱へる祈禱すら、十五もある異つたシユウ即ち宗派に依つて異ふから、佛間の問題を徹底的に述べる爲めには、餘程大きな書物一册書かなければならぬことであらう。だから家の内での佛式の宮には、大小も價格も壯麗の度合も、種々樣々だといふこと、眞宗の佛壇は、これは自分には一番興味の乏しいものではあるが、意匠に於て仕上げに於て、最も美しいものと一般に考へられて居ること、を述べて滿足しなければならぬ。極はめて貧しい家の佛壇は、値ひ四五錢の名あるが、富裕な信者は幾千圓といふその拂ひ得る限りのものを、京都で購ふこともあらう。

 佛間の形狀幷びに、その在中物の性質は大いに異りはして居るけれども、祖先の即ち葬禮の名牌の形は、此書の位牌【註】の插繪の第四圖に示したものが普通のものである。

 

    註。佛教信者が死んだ場合には、一

    人に對していつも位牌を二つ造る。

    一つは家庭の宮に置いて置く物より

    大きいが通例で、それはその死者が

    その檀徒であつた寺で、お供吻とし

    て毎日それへ茶か水を注ぎ入れる茶

    椀と一緒に、保存せられる。大きな

    寺では殆んどどの寺にも、そんな位

    牌が幾千となく、――死者の靈も茶

    を飮むと想像されて居るから――

    一々その前に茶椀を置いて、段の上

    に段を爲して、横にづらりと並んで

    居るのが見られる。自分は幾列もの

    茶椀が、たゞ埃だけ入れて居るのを

    見たことがあるから、尤もその罪は

    恐らく横着な小僧に在るのだらうが、

    時折そのお供物が失念されることが

    あるやうでゐる。

 

これより精巧な、高價な珍奇な形のもあり、最も低廉で最も簡素なより單鈍な形のもある。が、別紙挿繪の形は出雲と山陰道全部に普通なものである。が然し、大きさには相違があつて、男の位牌は女のよりも大きく、その上、上に冠せ物があるのであるが、女のにはそれが無い。そして子供の位牌はいつも頗る小さい。成人の男の位牌の平均の高さは一呎少し上で、その厚みは一吋許りである。ハウシユノタマ即ち神祕の珠の徽號が、上に載つて居る頂即ち冠り物があり、普通は何か雲形の裝飾があつて、臺は雲から出て居る蓮華である。一般には全部美々しく漆で塗られ、金色で彩られて居り、位牌そのものは黒漆塗で、金文字で死後の名即ちカイミヤウ――賢夢自證信士とか、死んだ人が有つて居たと想はれて居た美德を示す他の文字とか――が書いてあるのである。そんな美しい位牌を求め得ない極貧の人のは白木の位牌で、戒名はただその上へ黑文字で書いてあるだけである。が、それより、もつと普通には、戒名を白紙の片に書いて、それを米糊で位牌に貼るのである。生前の名が恐らくその位牌の裏に彫られてゐる。こんな位牌は固よりのこと、幾代と經つに連れて積(た)まつて來る。だから、非常に澤山な數を蓄へて居る家がある。

 大いに人を感動させる美くしい或る習慣が、古昔よりか餘程普通では無くなりはしたが、今なほ出雲に、そして多分日本中に、殘存して居る。が然し、自分の知り得る限今では、これはいつも修養ある階級だけに限られて居る。夫が死んだ時、その妻が再緣しないと決心する場合には位牌を二つ造る。その一つには死者の戒名を金文字で書き、今一つのには生きて居るその寡歸の戒名を書く。が、後者には、戒名の初の一字を赤で彩つて、餘の文字は金で書く。それからその二つの位牌を家の佛間に置く。それと同じ樣に文字を認めた、より大きな位牌を二つ檀那寺に納める。が、その妻の前へは茶椀は置かぬ。その唯一つの深紅の字は死者の靈に對して、一生忠實をつくすといふ嚴肅な保證を意味して居る。その上また、その妻はその友人親族、總ての間にその生きて居る間の名を失つて、その後はただその戒名の一部分で呼びかけられる。例へば、俊德院樣と呼ぶ。それはそれよりもつと長いもつと口調の好い、死後の名の俊德院殿情譽貞操大姉【註】の省略である。

 

    註。これはサムラヒの戒名の好個の

    見本である。華族又は士の戒名は賤

    しい死者の戒名とは異ふ。だから日

    本人に位牌を見て、それに使つてあ

    る佛教の言葉で、その死者はどんな

    社會階級の人だつたか直ぐと言ひ得

    るのである。

 

だから自己の戒名で名を呼ばるゝことは、夫の靈に對する貞操であり、同時に夫を亡くしたその妻の不變の誠實である。それと正(まさ)しく似た保證を、自分の熱愛して居た妻を亡くした後、男が爲る。自己の位牌の上に見らるゝ深紅な一字は、啻に家内に於てのみで無く、公の崇拜の場處に於ても、その誓を書留めて居るのである。が、鰥は、寡婦とは異つて、その戒名で呼ばるゝことは決して無い。

 佛教を信じて居る家での朝の、最初の宗教的義務は死者の位牌の前へ、最初の御湯でいれた御茶の小さな茶椀を置くこと――オホトケサンニオチヤタウヲアゲルことである【註】。

 

    註。『尊き佛に御ン茶を呈上する』

    の意。佛教の信仰では、死んだ人は

    佛と成つて其後は輪廻の悲を免れる、

    と信じはして居なくとも、さう望む。

    だから『死んだ』といふ言ひ現しを

    日本一では『佛に成つた』といふ句

    で表すことが能くある。

 

日日また御飯の供物もする。そして新しい花を花瓶に挿す。そして香を――これは神道では許さぬのであるが――位牌の前で焚く。夜は、また或る祭禮中は、蠟燭と小さな――宮の燈とは稍々形を異にした燈でリントウと呼ばれて居る――油の燈を點す。毎月死んだ日に相當する日にはシヤウジンレウリ即ち佛教信者の植物性食物だけから爲る、食物を少し位牌に供へる。ところが家庭での神道崇拜には、新年の一日から三日まで續く特別の年祭があるやうに、佛教の祖先崇拜には七月の十三日から十六日まで續く、年毎のボンク即ちボンマツリがある。これが佛教の精靈の供養である。その時は佛間は出來る限の裝飾が施され、食物と花との特別な供物が爲され、その靈的訪客の來るを迎へる爲め、全家が美くしくされるのである。

 ところで神道には、佛教同樣、位牌がある。が、それは質素極はまつた恰好と材料とのもので――無地の白木の木片に過ぎぬ。普通その高さはただ八吋ばかりである。此位牌は、神の宮が据ゑてある部屋とは別な部屋に置いてある、或る特別なミヤに置くか、又はミタマサンノタナ――『尊い御魂の棚』――と人の呼ぶ小さな棚の上に、ただ並べて置くかする。祖先とその家の死者との棚又は宮は、ミタマヤ或はソレイシヤ(御魂の部屋を時に斯く呼ぶ)に置いて、他の部屋にある神の宮が左うのやうに、いつも餘程の高さの處に置く。時々位牌は使用せずに、名前を御魂の宮の木材の上へ直かに書いたりする。が、神道には戒名は無い。死者の生前の名をその位牌に、「ミタマ」(御魂)の語をただ一字添へて、認(したゝ)める。そして月一囘のその死亡日に相當する日に、毎月魚と酒と他の食物との御供物を、特殊の祈禱と共に捧げる【註一】。ミタマサンにも亦その特別な燈と花瓶とを捧げ、そして程度は劣るが、神に對する儀式に似た儀式を以てして之を敬ふ。

 

    註一。死者或は神へのこの飮食供物

    の基を爲す思想は、無考へな批評家

    が左うと公言して居る程、かく不合

    理なものでは無い。死者は最も蒸氣

    的な種類の滋養だけを要する、空氣

    のやうな狀態に在ると思はれて居る

    から、自分共の前に供へられる食物

    の眼に見える物質を、少しでも攝る

    ものとは想はれて居無い。死者はそ

    の食物の眼に見えぬ本質だけを吸收

    するといふのである。だから、果物

    やそんなやうな他の供物が、數時間

    空氣に曝された後、その風味を幾分

    か失ふと、靈魂がそれを味はつた證

    證だと、昔は考へたのであらう。科

    學的教育は必然的にかゝる慰安的空

    想を消滅せしめる。そしてそれと共

    に、生者と死者との關係についての

    優しい美はしい、多くの空想をも消

    滅せしめる。

 

 神道若しくは佛教の位牌の前で唱へる祈禱は、それぞれその宗教的な法式の文句で始まる。神道信者は、手を三度若しくは四度打つて【註二】、先づ聖禮の『拂ひ給へ』を唱へる。

 

    註二。拍手の數は州に依つて幾分異

    ふ。九州では拍手は、殊に朝日に向

    つての祈禱の前は、頗る長い。

 

佛教信者は、その宗派に從ひ、祖先へのその祈禱を始める前に、『南無妙法蓮華經』とか『南無阿彌陀佛』とか佛陀に祈り或は佛陀を讃へる、或る他の聖語をつぶやく。神道信者でも佛教信者でも、祖先への言葉は聲高に述べることは滅多無い。口の中で極く低い聲でさゝやくか、又はただ心の中で言ふ。

 

[やぶちゃん注:以下、底本及び原本の附図二枚(とする)を示す。画像の質(特に退色や裏の透け)がやや異なるので、それぞれ、最初のもの(1)は底本である国立国会図書館デジタルライブラリーの画像からトリミングして補正(ノンブルを消去)したものを示し、次の(2)は“Project Gutenberg” “Hearn, Lafcadio, 1850-1904 ¶”の原文の当該箇所の画像をダウンロードして補正した訳本のキャプションは以下に電子化して示した(画像の左から)。なお、前回同様、図キャプションの英文を原文の注の後ろに及び★★を附して電子化しておいた。

 

[やぶちゃん注:のキャプション。右端に配された総見出しを最初に示した。左から。]

 

神聖な品物(佛教)

 

一家の位牌が内部に集めてある禪宗の佛壇。

 

死者の乘る小さな藁舟、シヤウリヤウブネ。(出雲海岸地方)

[やぶちゃん注:「シヤウリヤウブネ」「精靈舟」。図の帆には向こう向きに戒名が記されてあるが、「華元喜居士」で四字目は(あし)の部分が不明瞭で反転拡大して見たものの判読出来なかったものの、次の図の位牌の「4」と同一人物と思われ、だとすると「樂」であるが、「樂」の字や俗字にはちょっと見えない。しかし「樂」を「集韻」は「或ひは心(こころ)に从(したが)ふ」と解しており、「心」の下に「从」ならこの字に極めて似ているように思われる。]

 

[やぶちゃん注:のキャプション。左から。二番目から五番目まで下に大括弧が附された上で標題が最下部に附されるが、ここでは二番目の頭に附しておいた。]

 

1.神道の位牌

  (出雲)

[やぶちゃん注:「高濱都多子 靈」。]

 

佛教の位牌(禪宗)

2.士の妻の位牌

[やぶちゃん注:「俊德院殿情譽貞操大姉」。最後の「5」の未亡人だった人物の戒名か。なお、現行一般にはこの「情」の箇所には生前の名前の一字を入れることが多いと思われる。]

3.小さき子供の位牌

[やぶちゃん注:「良智童子」。現行では凡そ六歳から十五歳くらいまでの位号が「童子」で、これ以上は成年と同じとなり、これ以下では「水子(すいし)」・「嬰子(えいじ)/嬰女(えいにょ)」(約三歳まで)・「孩子(がいし)/孩女(がいにょ)」(凡そ五歳まで)というのが一般のようである。]

4.男子の位牌の普通の形式

[やぶちゃん注:「華元喜樂居士位」。]

5.士の官吏の裝飾精緻な位牌

[やぶちゃん注:「静言院殿情譽覚音居士」。前の「2」の私の注も参照のこと。]

 

 Glimpses_of_unfamiliar_japan3                                           

[やぶちゃん注:(-1)。]

Glimpses_of_unfamiliar_japan3proto

[やぶちゃん注:(-2)]

Glimpses_of_unfamiliar_japan4

[やぶちゃん注:(-1)。]

Glimpses_of_unfamiliar_japan4proto

[やぶちゃん注:(-2)]

 

 

[やぶちゃん注:「ミタマヤ」「御魂屋」或いは「御靈屋」。

「唯一神教(ユニテエリアン)」原文“Unitarianism”。これは単純な「一神教」の謂いではない。「一神教」ならば“monotheism”である。ではその「ユニテリァニズム」とは何かと言えば、キリスト教で伝統的に用いられてきている「三位一体」(父と子と聖霊)の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称で、ウィキの「ユニテリアン主義によれば、歴史的には『イエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、その神としての超越性は否定する』。『ユニテリアンの思想的先駆者はポーランド王国で』一五五六年に『活動を開始し、のちにポーランド・リトアニア共和国で広まったポーランド兄弟団』『である。彼らはユニテリアンの思想を確立していたが、「ユニテリアン」という用語はしばらくの間使用しなかった。これとは別に』、一五六七年に『トランシルヴァニア(当時はハンガリー王国で現在はルーマニア)で「ユニテリアン」を自称する教団が成立している。ポーランド兄弟団はこのあともしばらく「ユニテリアン」の用語を使用しなかったが、これは世の中にトランシルヴァニアでの宗教運動と自分たちの運動とを内容的に混同されることを避けたものと推測されている』。『この宗教思想が流入してきたイギリスではしばらくの間かれらは自由思想家や非国教徒として位置付けられ、また合理主義やヒューマニズムの思想を発展させたという説もある』。日本への移入は早く、明治二〇(一八八七)年に『アメリカ・ユニテリアン協会より最初の宣教師A・M・ナップが来日』、『月刊誌『ゆにてりあん』を発行した。また、「唯一館」を建てて盛んに講演会を開催し盛んに宣伝した。社会主義者の村井知至や安部磯雄らを通して日本の社会運動に影響を与えた』とあり、『戦後は日本自由宗教連盟・東京帰一教会やユニテリアン友の会、ユニテリアン友の集いなどが結成され』ていなどとあって、何だかよく判らない。ある辞典には――個々の信念の自由を強調して、三位一体を拒絶する、キリスト教の一つの考え方をするグループ――といった意味合いのことが記されてあった。これで私は手打ちとする。

「日本中他の地方では眞宗は佛教諸宗のうちで、最も旺盛な最も繁昌な宗派である」さるQ&Aサイトの答えには、各宗派別と宗別の信者数が以下のような数字が示されてあった(回答は二〇〇七年のもの。降順。下線やぶちゃん)。

   *

【宗派別】

浄土真宗本願寺派 六九四万人

浄土宗      六〇二万人

真宗大谷派    五五三万人

高野山真言宗   五四九万人

日蓮宗      三四一万人

曹洞宗      一五八万人

真言宗智山派   一五四万人

真言宗豊山派   一二〇万人

天台宗       六一万人

真言宗醍醐派    五六万人

 

【宗別】

浄土系     一九七七万人

 浄土真宗系  一三〇七万人

 浄土宗系    六四八万人

融通念仏宗    一三万人

 時宗        八万人

日蓮系     一九二七万人

真言系     一三八八万人

禅系       三四二万人

 曹洞宗     一五八万人

 臨済宗系    一一二万人

 黄檗宗      三五万人

天台系      二八〇万人

奈良仏教系     七八万人

   *

これには――野上ほか著『仏教宗派の常識』(朱鷺書房)を参照したもので、引用元は文化庁編『宗教年鑑』(平成六(一九九四)年版)を引いたものであるとし、当時の文部大臣所轄の包括宗教法人のみ、日蓮系から日蓮正宗を省いてある(創価学会が離脱するまでの人数(五七〇万人)が含まれているため)――といった注意書が附されてある。これを見ても確かに現在でも浄土真宗は最大の信者を有する宗派と考えてよかろう。因みに、ウィキの「日本の宗教」には、『日本における宗教の信者数は、文部科学省が宗教法人に対して行った宗教統計調査によると』、

神道系    約一億 七〇〇万人

仏教系    約  八九〇〇万人

キリスト教系 約   三〇〇万人

その他    約  一〇〇〇万人

合計      二億 九〇〇万人

とし、『これは日本の総人口の』二倍弱に相当すると記されている。最後の最新(二〇一四年)の概数ならば、総務省統計局宗教統計調査でエクセル・データでダウンロード出来る。

「モオルス氏は、その『日本の家庭』で、『家の中の佛式の社は床(ゆか)の上に置いてある、――兎も角自分はさう聞いて居る』と述べて居る」既出のお雇い外国人でアメリカの動物学者エドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse 一八三八年~一九二五年)の“Japanese Homes and Their Surroundings”(日本人と家屋とその環境)の第四章の「家屋内部(続き)」(第三部の「家屋内部」に続くもの)の「神棚」のパートに出る描写を指している。その箇所は原文では(“Internet Archive”のそれより)、

   *

   The Buddhist household shrines, having a figure of Buddha or of one of his disciples, or perhaps of some other god, are much more ornate, and rest on the floor, — at least so I was informed.

   *

である。邦訳を斎藤正二・藤本周一訳「日本人の住まい」(八坂書房二〇〇二年刊)から引用しておく。

   《引用開始》

 屋内で祀られる仏壇のほうは、仏陀とか仏陀の弟子とか、あるいは何か他の仏像(サム・アザーゴッド)が祀られているが、神棚に比べてはるかに飾りが多く、また床(ゆか)の上に安置されている。――少なくともわたくしの知るかぎりではそうである。

   《引用終了》

この「何か他の仏像(サム・アザーゴッド)」の「サム・アザーゴッド」は「何か他の仏像」のルビである。

「しかし不合理なものでは無い」底本では「しかく不合理なものでは無い」となっている。

「三呎」九十一・四四センチメートル。

「佛壇のモオルス自らの挿繪(二二六頁)を見ると、決して床の上に在るのでは無くて、戸棚、これは佛壇と混同してはならぬが、戸棚の上の段――極く小さな棚――の上に載つて居る。今問題にして居るそのスケツチは、その繪に見ゆるお供物が盆祭のお供物だから、死者の祭の間に描いたもののやう察しられる。盆の折には家の内の佛壇は、いつも扉を開けて中が見えるやうになつて居り、且つその前へ置くお供物に餘地を與へる爲め、いつもの場處から動かすことが能くある。床(ゆか)の上へ神聖な品物を置くことは日本人には非常に不敬な事に思はれて居る。神道の品物と云へば、マモリでさへ床(ゆか)の上へ置くのは罪だと考へられて居る」このハーンの観察は驚くべきものがある。これは日本に来て未だ二年弱しか経っていない外国人の観察であることに注意せねばならぬ(「二」で彼は「この文は千八百九十二年の始に書いたものである」と述べている)。以下に当該図を斎藤正二・藤本周一訳「日本人の住まい」(八坂書房二〇〇二年刊)から引いておく。邦訳のキャプションは『215図。仏壇。』である。

 

M_butudan

 

なお、ここも当該図を説明する原文(“Internet Archive”のそれより)と訳文とともに以下に引用しておく。

   *

   The sketch here given of a Buddhist household shrine (fig. 215) was seen in a house of the most squalid character. The various vessels were filled with boiled rice, with loaves of mochi made of a special kind of rice, and a number of unripe peaches.

   *

   《引用開始》

 ここに掲げた仏壇のスケッチは(二一五図)は、非常にみすぼらしい家で見たものである。さまざまの器(うつわ)には、御飯(ごはん)や餅米で作った鏡餅 the loaves of mochiや熟していない桃が盛られている。下段の右端には、さつま芋や大根に四本の脚をつけたものを置いており、一見したところ小物の鹿か、何かの動物のようである。これが子供の仕業(しわざ)か、それとも神が乗る馬を象徴するものであるかどうかについては確かめられなかった。

   《引用終了》

どうです? モースの精霊馬と精霊牛の観察、面白いでしょ? なお、以前にも述べたように、私はモースの「日本その日その日」(石川欣一訳)を電子化注している(作業中)

「十五もある異つたシユウ即ち宗派」通常、本邦の仏教宗派は古くは「十八宗」と呼ばれ、三論宗・法相宗・華厳宗・律宗・倶舎宗・成実宗・天台宗・真言宗・融通念仏宗・浄土宗・臨済宗・曹洞宗・浄土真宗・日蓮宗・時宗・普化宗・黄檗宗・修験宗を数え、その後「十三宗」として華厳宗・法相宗・律宗・真言宗・天台宗・日蓮宗・浄土宗・浄土真宗・融通念仏宗・時宗・曹洞宗・臨済宗・黄檗宗を数えている。ハーンがこれにあと何の二宗派を数えたのかは定かではないが、所謂、浄土真宗は本願寺派と大谷派を分けているものとは思われる(後の一派は不詳)。

「幾千圓」現在の二千万円を遙かに越える金額に相当する。

「第四圖」と言っているが、実際の原本にも挿絵の図にもナンバリングはない。私が「」とした挿絵である。

「一呎」一フィートは三〇・四八センチメートル。

「一吋」一インチは二・五四センチメートル。

「ハウシユノタマ」「寶珠の玉」。如意宝珠。既注。

「だから日本人に位牌を見て、それに使つてある佛教の言葉で、その死者はどんな社會階級の人だつたか直ぐと言ひ得るのである」これを読むと私は「獸士」と彫られた差別戒名の墓を見た折りの衝撃が蘇ってくる。個人サイト「たむたむ(太夢・多夢)」の「差別戒名の烙印」を見られよ。そこには「畜」「賤」「僕」「非」「革」「鞍」「似」「皮」「婢」「隷」「穢」「栴陀羅」(せんだら:インドで最下級とされた階級。狩猟・屠畜などを生業とした。日本では中世の一時期に被差別民に対する呼称としても使われていた)といった文字が使われたり、位号に「畜門」「畜男」「屠女」「革門」「非男」「屠士」とする戒名が実在したこと、 驚くべきことに第二次世界大戦後にも「栴陀」「革門」「下男」「下女」の位号をつけたものがあること、一九八〇年に新たに建立された墓誌にさえ依然として「革門」「革女」が彫られていたという驚愕の事実が記されている。

「鰥」老婆心乍ら、「やもめ」と読む。ここは妻を亡くした寡夫のこと。寡婦も「やもめ」と呼ぶが漢字表記では女性には「寡」「寡婦」「孀」が、男性には「鰥」「鰥夫」が用いられることが多い。

は、寡婦とは異つて、その戒名でを呼ばるゝことは決して無い。

「オホトケサンニオチヤタウヲアゲル」「御佛さんに御茶湯を捧(あ)げる」。

「リントウ」「輪燈(灯)」前の「八」の「眞鍮の燈」の私の注で、まさに私が神具の真鍮製灯明具の濫觴と疑った、浄土真宗で用いられる垂下式の真鍮製灯明である。

「シャウジンレウリ」「精進料理」。

「ボンク」「盆供」。

「ボンマツリ」「盆祭」。孰れも盂蘭盆会。

「八吋」二〇・三二センチメートル。

「ミヤ」「宮」。後の「御魂の宮」と同じい。

「ミタマサンノタナ」「御魂さんの棚」或いは「御靈さんの棚」。

「ソレイシヤ」「祖靈社」。

「死者或は神へのこの飮食供物の基を爲す思想は、無考へな批評家が左うと公言して居る程、かく不合理なものでは無い。」実は「かく」は「しかく」となっている。しかしこれでは意味が採れないし(無理に「其斯(しか)く」と読む以外にはないが、これはどうにもも私が気持ちが悪い)、原文(“The idea underlying this offering of food and drink to the dead or to the gods, is not so irrational as unthinking Critics have declared it to be.”)や訳文のこの前の部分を見ても、ここは「かく」の方が通りが良いと判断して、迷ったものの一応、「し」を衍字と見て例外的に「かく」に訂した。個人的にはさらに「かくも」とした方がしっくりくように感ずる。和訳上も大きな問題点はないとは思うが、大方の御叱責を俟つものではある。]

 

 

   But only the ancient gods of Shintō are worshipped before the kamidana. The family ancestors or family dead are worshipped either in a separate room (called the mitamaya or 'Spirit Chamber'), or, if worshipped according to the Buddhist rites, before the butsuma or butsudan.

   The Buddhist family worship coexists in the vast majority of Izumo homes with the Shintō family worship; and whether the dead be honoured in the mitamaya or before the butsudan altogether depends upon the religious traditions of the household. Moreover, there are families in Izumoparticularly in Kitzukiwhose members do not profess Buddhism in any form, and a very few, belonging to the Shin-shu or Nichirenshu, [13] whose members do not practise Shintō. But the domestic cult of the dead is maintained, whether the family be Shintō or Buddhist. The ihai or tablets of the Buddhist family dead (Hotoke) are never placed in a special room or shrine, but in the Buddhist household shrine [14] along with the images or pictures of Buddhist divinities usually there inclosed,or, at least, this is always the case when the honours paid them are given according to the Buddhist instead of the Shintō rite. The form of the butsudan or butsuma, the character of its holy images, its ofuda, or its pictures, and even the prayers said before it, differ according to the fifteen different shu, or sects; and a very large volume would have to be written in order to treat the subject of the butsuma exhaustively. Therefore I must content myself with stating that there are Buddhist household shrines of all dimensions, prices, and degrees of magnificence; and that the butsudan of the Shin-shu, although to me the least interesting of all, is popularly considered to be the most beautiful in design and finish. The butsudan of a very poor household may be worth a few cents, but the rich devotee might purchase in Kyōto a shrine worth as many thousands of yen as he could pay.

   Though the forms of the butsuma and the character of its contents may greatly vary, the form of the ancestral or mortuary tablet is generally that represented in Fig. 4 of the illustrations of ihai given in this book. [15] There are some much more elaborate shapes, costly and rare, and simpler shapes of the cheapest and plainest descriptions; but the form thus illustrated is the common one in Izumo and the whole San-indo country. There are differences, however, of size; and the ihai of a man is larger than that of a woman, and has a headpiece also, which the tablet of a female has not; while a child's ihai is always very small. The average height of the ihai made for a male adult is a little more than a foot, and its thickness about an inch. It has a top, or headpiece, surmounted by the symbol I of the Hoshi-no-tama or Mystic Gem, and ordinarily decorated with a cloud-design of some kind, and the pedestal is a lotus-flower rising out of clouds. As a general rule all this is richly lacquered and gilded; the tablet itself being lacquered in black, and bearing the posthumous name, or kaimyō, in letters of gold, ken-mu-ji-shō-shin-ji, or other syllables indicating the supposed virtues of the departed. The poorest people, unable to afford such handsome tablets, have ihai made of plain wood; and the kaimyō is sometimes simply written on these in black characters; but more commonly it is written upon a strip of white paper, which is then pasted upon the ihai with rice-paste. The living name is perhaps inscribed upon the back of the tablet. Such tablets accumulate, of course, with the passing of generations; and in certain homes great numbers are preserved.

   A beautiful and touching custom still exists in Izumo, and perhaps throughout Japan, although much less common than it used to be. So far as I can learn, however, it was always confined to the cultivated classes. When a husband dies, two ihai are made, in case the wife resolves never to marry again. On one of these the kaimyō of the dead man is painted in characters of gold, and on the other that of the living widow; but, in the latter case, the first character of the kaimyo is painted in red, and the other characters in gold. These two tablets are then placed in the household butsuma. Two larger ones similarly inscribed, are placed in the parish temple; but no cup is set before that of the wife. The solitary crimson ideograph signifies a solemn pledge to remain faithful to the memory of the dead. Furthermore, the wife loses her living name among all her friends and relatives, and is thereafter addressed only by a fragment of her kaimyō,as, for example, 'Shin-toku-in-San,' an abbreviation of the much longer and more sonorous posthumous name, Shin-toku-in-den-jōyo-teisō-daishi. [16] Thus to be called by one's kaimyō is at once an honour to the memory of the husband and the constancy of the bereaved wife. A precisely similar pledge is taken by a man after the loss of a wife to whom he was passionately attached; and one crimson letter upon his ihai registers the vow not only in the home but also in the place of public worship. But the widower is never called by his kaimyō, as is the widow.

   The first religious duty of the morning in a Buddhist household is to set before the tablets of the dead a little cup of tea, made with the first hot water prepared,O-Hotoke-San-nio-cha-to-ageru. [17] Daily offerings of boiled rice are also made; and fresh flowers are put in the shrine vases; and incensealthough not allowed by Shintōis burned before the tablets. At night, and also during the day upon certain festivals, both candles and a small oil-lamp are lighted in the butsuma,a lamp somewhat differently shaped from the lamp of the miya and called rintō. On the day of each month corresponding to the date of death a little repast is served before the tablets, consisting of shōjin-ryōri only, the vegetarian food of the. Buddhists. But as Shintō family worship has its special annual festival, which endures from the first to the third day of the new year, so Buddhist ancestor-worship has its yearly Bonku, or Bommatsuri, lasting from the thirteenth to the sixteenth day of the seventh month. This is the Buddhist Feast of Souls. Then the butsuma is decorated to the utmost, special offerings of food and of flowers are made, and all the house is made beautiful to welcome the coming of the ghostly visitors.

   Now Shintō, like Buddhism, has its ihai; but these are of the simplest possible shape and material,mere slips of plain white wood. The average height is only about eight inches. These tablets are either placed in a special miya kept in a different room from that in which the shrine of the Kami is erected, or else simply arranged on a small shelf called by the people Mitama-San-no-tana,'the Shelf of the August Spirits.' The shelf or the shrine of the ancestors and household dead is placed always at a considerable height in the mitamaya or soreisha (as the Spirit Chamber is sometimes called), just as is the miya of the Kami in the other apartment. Sometimes no tablets are used, the name being simply painted upon the woodwork of the Spirit Shrine. But Shintō has no kaimyo: the living name of the dead is written upon the ihai, with the sole addition of the word 'Mitama' (Spirit). And monthly upon the day corresponding to the menstrual date of death, offerings of fish, wine, and other food are made to the spirits, accompanied by special prayer. [18] The Mitama-San have also their particular lamps and flower-vases, and, though in lesser degree, are honoured with rites like those of the Kami.

   The prayers uttered before the ihai of either faith begin with the respective religious formulas of Shintō or of Buddhism. The Shintōist, clapping his hands thrice or four times, [19] first utters the sacramental Harai-tamai. The Buddhist, according to his sect, murmurs Namu-myo-ho-ren-ge-kyō, or Namu Amida Butsu, or some other holy words of prayer or of praise to the Buddha, ere commencing his prayer to the ancestors. The words said to them are seldom spoken aloud, either by Shintōist or Buddhist: they are either whispered very low under the breath, or shaped only within the heart.

 

13 In spite of the supposed rigidity of the Nichiren sect in such matters, most followers of its doctrine in Izumo are equally fervent Shintōists. I have not been able to observe whether the same is true of Izumo Shin-shu families as a rule; but I know that some Shin-shu believers in Matsue worship at Shintō shrines. Adoring only that form of Buddha called Amida, the Shin sect might be termed a Buddhist 'Unitarianism.' It seems never to have been able to secure a strong footing in Izumo on account of its doctrinal hostility to Shintō. Elsewhere throughout Japan it is the most vigorous and prosperous of all Buddhist sects.

14 Mr. Morse, in his Japanese Homes, published on hearsay a very strange error when he stated: 'The Buddhist household shrines rest on the floor at least so I was informed.' They never rest on the floor under any circumstances. In the better class of houses special architectural arrangements are made for the butsudan; an alcove, recess, or other contrivance, often so arranged as to be concealed from view by a sliding panel or a little door In smaller dwellings it may be put on a shelf, for want of a better place, and in the homes of the poor, on the top of the tansu, or clothes-chest. It is never placed so high as the kamidana, but seldom at a less height than three feet above the floor. In Mr. Morse's own illustration of a Buddhist household shrine (p. 226) it does not rest on the floor at all, but on the upper shelf of a cupboard, which must not be confounded with the butsudana very small one. The sketch in question seems to have been made during the Festival of the Dead, for the offerings in the picture are those of the Bommatauri. At that time the household butsudan is always exposed to view, and often moved from its usual place in order to obtain room for the offerings to be set before it. To place any holy object on the floor is considered by the Japanese very disrespectful. As for Shintō objects, to place even a mamori on the floor is deemed a sin.

15 Two ihai are always made for each Buddhist dead. One usually larger than that placed in the family shrine, is kept in the temple of which the deceased was a parishioner, together with a cup in which tea or water is daily poured out as an offering. In almost any large temple, thousands of such ihai may be seen, arranged in rows, tier above tier each with its cup before itfor even the souls of the dead are supposed to drink tea. Sometimes, I fear, the offering is forgotten, for I have seen rows of cups containing only dust, the fault, perhaps, of some lazy acolyte.

16 This is a fine example of a samurai kaimyō. The kaimyō of kwazoku or samurai are different from those of humbler dead; and a Japanese, by a single glance at an ihai, can tell at once to what class of society the deceased belonged, by the Buddhist words used.

17 'Presenting the honourable tea to the august Buddhas'for by Buddhist faith it is hoped, if not believed, that the dead become Buddhas and escape the sorrows of further transmigration. Thus the expression 'is dead' is often rendered in Japanese by the phrase 'is become a Buddha.'

18 The idea underlying this offering of food and drink to the dead or to the gods, is not so irrational as unthinking Critics have declared it to be. The dead are not supposed to consume any of the visible substance of the food set before them, for they are thought to be in an ethereal state requiring only the most vapoury kind of nutrition. The idea is that they absorb only the invisible essence of the food. And as fruits and other such offerings lose something of their flavour after having been exposed to the air for several hours, this slight change would have been taken in other days as evidence that the spirits had feasted upon them. Scientific education necessarily dissipates these consoling illusions, and with them a host of tender and beautiful fancies as to the relation between the living and the dead.

19 I find that the number of clappings differs in different provinces somewhat. In Kyūshū the clapping is very long, especially before the prayer to the Rising Sun.

 

BUTSUDAN (Zen-shū), showing the family ihai grouped within

SHōRYōBUNE:   Little straw ship of the dead.   (Izumo coast).

 

SACRED OBJECTS (BUDDHIST).

 

★★

1

2 Ihai of a Samurai lady

 

SHINTŌ IHAI. (IZUMO)

 

3 Ihai of a child a little boy

4 Ordinary form of a man's ihai

5 Elaborately ornamented ihai of a Samurai official

 

BUDDHIST IHAI. (ZEN-SHŪ)

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