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2015/12/22

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十七章 サヤウナラ (三)


       三


 師範學校の生徒はその大廣間で送別の宴會を開いて呉れた。自分は彼等とは一年の間ほん僅か――約定の一週六時間より少いぐらゐ――しか一緒に居なかつたことであるから、そ
の外國人教師に對して大した愛情を感じようとは想像もし得なかつた。ところが自分は自分の日本生徒に就いて知らねばならぬことがまだ多くあるのである。その宴會は甚だ愉快であつた。各級の級長が用意して來た短い送別の辭を英語で順番に讀んだ。支那や日本の昔の詩人から得た比喩や感情の文句で美しくされてゐたその面白い文章のうち常に自分の記憶に殘ると思ふもの一にして止まらなかった。それから生徒は自分の爲めに校歌をうたひ、また宴會の終に『オオルド・ラング・サイン』の日本語譯を吟誦した。そしてそれから皆んなが、軍隊行列で、自分を家まで護衞して、門の處で『マンザイ!』『グツドバイ!』『御出かけの時は汽船まで先生と一緒に行軍します』と叫んで、訣別の喝采をした。

[やぶちゃん注:「ほん僅か」ママ。

「約定の一週六時間より少いぐらゐ」先に示した通り、ハーンは「第十九章 英語教師の日記から(二)」では『四時間』の授業を受け持っていたと述べている。これは着任直後の記載であるから、それよりも後に増えたものかと考えていたのであるが、この記載を見ると、実は契約上は「一週六時間」持つはずだったのであるが、実際にはカリキュラム上の配慮か、師範学校側の時間割作成上或いは何らかの不明な、例えば師範学校内の管理職の方針や英語科内のでの諸事情から、中学の方に二時間を割いていた可能性が高い。それは実務上の非公式の操作であった故に、ハーンが島根県の教育担当官庁などからの批判指摘などを配慮して、六時間足らずという濁した言い方をしたものかも知れない。

「オオルド・ラング・サイン」「蛍の光」。既注

「マンザイ!」無論、「萬歳(万歳)!」である。「万歳」は呉音では「マンザイ」、漢音では「バンゼイ」で、我々が現行で感動詞と使用する「ばんざい!」は実は「バン」は漢音、「サイ」は呉音という本来はおかしな発音なのである。因みに、現代中国語では「ワンスイ」「ワンソェー」、現代朝鮮語では「マンセー」「マンセ」であり、ウィキ万歳によれば、「バンザイ」と『発音するようになったのは大日本帝国憲法発布の日』、明治二二(一八八九)年二月十一日に『青山練兵場での臨時観兵式に向かう明治天皇の馬車に向かって万歳三唱したのが最初だという』。『最初の三唱は「万歳、万歳、万々歳」と唱和するものであったが、最初の「万歳」で馬車の馬が驚いて立ち止まってしまい、そのため二声目の「万歳」は小声となり、三声目の「万々歳」は言えずじまいに終わった』とあり、『当初は文部大臣森有礼が発する語として「奉賀」を提案していたが、「連呼すると『ア・ホウガ(阿呆が)』と聞こえる」という理由から却下された。また、「万歳」として呉音の「マンザイ」と読む案もあった(それまでの奉祝の言葉としては漢音の「バンセイ」あるいは「バンゼー」)が、「マ」では「腹に力が入らない」とされたため、謡曲・高砂の「千秋楽」の「千秋楽は民を撫で、萬歳楽(バンザイラク)には命を延ぶ」と合わせ、漢音と呉音の混用を問わずに「万歳(バンザイ)」とした』とある(下線やぶちゃん)。本篇のシチュエーションはその最初の日本の「バンザイ」から僅か二年後の、先に示した明治二四(一八九一)年十一月十日の中原倶楽部での送別会であるから、これはハーンが「ばんざい!」を「まんざい!」に聴き違えて誤記したのではなく、実際に一同、「まんざい!」と唱和したのだと私は思う。] 

 

.

   The students of the Normal School gave me a farewell banquet in their hall. I had been with them so little during the year less even than the stipulated six hours a week ― that I could not have supposed they would feel much attachment for their foreign teacher. But I have still much to learn about my Japanese
students. The banquet was delightful. The captain of each class in turn read in English a brief farewell address which he had prepared; and more than one of
those charming compositions, made beautiful with similes and sentiments drawn from the old Chinese and Japanese poets, will always remain in my memory. Then the students sang their college songs for me, and chanted the Japanese version of 'Auld Lang Syne' at the close of the banquet. And then all, in military
procession, escorted me home, and cheered me farewell at my gate, with shouts of 'Manzai!' 'Good-bye!' 'We will march with you to the steamer when you go.'


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