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2015/12/14

小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十五章 幽靈と化け物について (七)/ 第二十五章~了

        七

 

 『あゝ、金十郎さん』私は歸るみちすがら云つた、『私はこれまで死人が歸つて來る日本の話を澤山讀んだり聞いたりして居る。それから君自身からも死人が歸ると云ふ事が今でも信じられて居る事實とその理由を聞いて居るが、讀んだ事と、君から聞いたところから考へると、死人の歸つて來るのは望ましい事ではない。つまり憎いから、妬ましいから、或は悲しくて落ちつけないから歸つて來る。しかし惡意でなく歸つて來る話は――どこかに書いてないかね。實際そんな話は普通恐ろしい事や無道な事ばかりで綺麗な事や眞面目な事は何にもない』

 さてこんな事を云つたのは、彼を誘ひ出すためであつた。そこで私がこれから書く話をしてくれたから丁度私の注文通りの返事をしてくれた事になる、――

 

 『昔、何とか名前は忘れたが或大名の時分にこの昔からの町に大層仲の好い男と女がありました。名前は殘つてゐませんが話は殘つてゐます。小さい時から許嫁になつてゐました、そして双方の兩親は隣り同志でしたから、子供の時に一緒に遊びました。そして大きくなるに隨つてお互にいつも益々好きになるばかりでした。

 『男の方が一人前にならないうちに、兩親がなくなりました。しかし彼は、高い身分の役人でこの靑年のうちの友人である富有な武士に仕へる事ができました。そしてこの保護者はすぐに彼を引立てて、禮儀正しく、賢く、そして武術にすぐれるやうに世話をしました。それでこの靑年は自分の許嫁と結婚のできるやうな地位にぢきに達せられさうに思はれました。ところが北と東に戰爭が起つたので、彼は突然主人に隨つて戰場に赴くやうに召集されました。しかし出發の前に女に遇ふ事ができました。そして女の兩親の前で誓約を取交(かは)しました。そして生きてゐたら、その日から一年以内に結婚するために許嫁の處ヘ歸つて來る事を約束しました。

 行つてから餘程になりましたが、戰地から便りがありません、今日のやうな郵便がその當時なかつたからでした、女の方で戰爭の運と云ふ事ばかり大層心配しましたので、そのあげくすつかりやせて血色がなくなつて弱りました。それからやうやく軍隊の方から大名の方へ來た使から男の噂を聞きました、それからもう一度別の使から手紙が屆きました。それからさき何の沙汰もありません。待つ身になると一年は長いものです。その一年は過ぎましたが、彼は歸つて參りませんでした。

 『いくつかの季節が過ぎましたが、歸つて參りません。それで女は男を死んだものと思ひ込みました、それで病氣になつて、床について、死んで、葬られました。外に子供のない年老いた兩親は大層悲しんで、うちが淋しくなつたので嫌ひになました。暫らくして二人は持つてゐる物を皆賣拂つて千箇寺に出ようと決心しました。日蓮宗の千箇寺をするには長年かかります。それで小さい家と、家の中の物を一切賣拂ひました。先祖の位牌と、賣つてはならない聖い物と、葬られた娘の位牌だけは別にして旦那寺に預けて行きました、さうするのが、郷里を去る人々の習慣です。このうちは日蓮宗でお寺は妙高寺でした。

 兩親が旅に出てから四日しかたたない日に、娘の許嫁が歸つて參りました。主人の許しを得て、約束を果す事を工夫してゐたのです。しかし途中の國々は到る處戰爭ぐで通りや峠は軍勢で固められてゐました、それで色々の難儀で歸りが長引いたのです。それから自分の不幸を聞いて悲しみの餘り病氣になりました、そして死にかけて居る人のやうに、長い間人事不省になつてゐました。

 『しかし力が出て來ると、色々の苦しい記憶が又歸つて來て、自分も死ななかつた事を殘念に思ひました。それから許嫁の墓の前で自害しようと決心しました、それから人に見られないやうになるとすぐに、刀を取つて少女の葬られた墓地へ參りました。そこの妙高寺の墓地は淋しい場所です。そこで女の墓を見つけて、その前に脆いて、祈りかつ泣いて、これから自害する事を彼女にささやきました。すると不意に彼は女の聲が「あなた」と叫んで、女の手が彼の手に觸れるのを感じました、そこでふり向いて見ると彼のわきに彼女がニコニコにて跪いて居るのを見ましたが、昔通り綺麗で、只少し色が靑ざめて居るだけでした。その時彼の心臟は躍つて、今の不思議と疑ひと嬉しさで言葉が出ませんでした。ところが、女は云ひました『疑がつちやいけません。本當に私です。私死んだのではありません。皆間違です。私死んだと思はれて葬られましたの――早まつて葬られましたの。それで兩親も私を死んだものと早合點して巡禮に出ちまつたのです。でも御覽の通り私死んぢやゐません、――幽靈ぢやありません。私です、疑がつちやいやですよ。そして私、あなたの心、よく分りました、それで苦しんで待つてゐたかひがありました。……とにかく、さあ、すぐに外の町へ行きませう、さうしないと人がこの事を聞きつけてうるさいから、皆私を未だ死んだ者と思つてゐますからね』

 『それで二人は誰にも見られないで、出かけました。そして甲斐國身延村までも出かけました。そこに日蓮宗の名高いお寺があるからです。女はかねて申しました、「私の兩親がきつと巡禮の間に身延に參詣なさると思ひますから、そこに居ると見つかつて皆又一緒になれます」そこで身延に來てから女は「小さい店を開きませう」と申しました。そこで聖い場所へ行く廣い道で、小さい喰べ物店を開いて、子供等のために菓子やおもちやを賣り、巡禮のために食物を賣りました。二年の間そんなにして暮らしましたが店は繁昌しました、それから男の子が一人生れました。

 『ところで子供が一年と二ケ月になつた時、妻の兩親が巡禮の道すがら身延に參りました、そして食物を買ひに小さい店に立寄つて、そこで娘の許嫁を見て、驚き叫んで、泣いて、色々の事を尋ねました。それから男は兩親に入つて貰つて、二人の前でお辭儀をして、かう云つて二人を驚かせました「實はお孃さんは死んぢやゐません、今私の妻になつてゐます、そして私共の間にむすこがあります。どうか行つて喜ばせてやつて下さい、もうかねがねお遇ひする時を待つてゐましたから』

 『子供はゐましたが、母の方は見えません。ほんの一寸出かけたやうで、枕が未だ暖かでした。長い間待つてゐました、それからさがし始めましたが、どうしても分りません。

 『それから、母と子供を蔽ふてあつた蒲團の下に、以前妙高寺に預けて置いた覺えのある物――死んだ娘の位牌――を發見した時に始めて、彼等はさとりました』

 

 話がすんでから、私は考込んだやうに見えたに相違ない、それは老人は、かう云つたから、――

 『多分、旦那はこの話をばかばかしいとお考へなさるでせう』

 『いや、金十郎さん、この話は私の胸にこたヘました』

 

[やぶちゃん注:類話は仏教説話に散在しているが、本話の確実な原話が知りたい。識者の御教授を乞うものである。

「實際そんな話は普通恐ろしい事や無道な事ばかりで綺麗な事や眞面目な事は何にもない」ここの原文は“Surely the common history of them is like that which we have this night seen: much that is horrible and much that is wicked and nothing of that which is beautiful or true.”で、明らかに省略があって日本語としてうまく通じていない。平井呈一氏の訳がよい。『ふつう、そういう話はきまって今夜見た話のようなものばかりで、凄味や非道なことが多いかわりに、美しさや真実味がすこしもありません。』。

「千箇寺」辞書類では「せんがじまゐり(せんがじまいり)」と濁っているが、日蓮宗宗門関連の公式サイト内には「せんかじまいり」と清音の表記も見かける。千社参り(神道の神社参りであるが、後には寺院巡礼でもかく呼んだ)や六十六部(「法華経」を六十六部書写して日本全国六十六ヶ国の国々の霊場に一部ずつ奉納して廻った廻国僧及びそうした巡礼法で、鎌倉時代から流行し始めたが、江戸期になると、白衣に手甲脚絆草鞋履きで背に阿弥陀像を納めた長方形の龕(がん)を背負い、六部笠をかぶった姿で諸国の寺社に参詣する巡礼や遊行聖(ゆぎょうひじり)となり、果ては、そうした風体(ふうてい)で米銭を請い歩くことを目的とした乞食をも、かく言うようになった)などから生じた日蓮宗徒の巡礼法。多くの日蓮宗の寺を巡礼参詣し、自身の生国や名前を記した納札を寺の柱や扉に貼って巡礼した。

「日蓮宗」「妙高寺」不詳。松江市寺町に日蓮宗の妙興寺という寺は現存するが、これを指しているかどうかは全く不明である。

「自分の不幸」ちょっと判り難いが、娘が亡くなってしまい、その両親も千箇寺参りに出て行ったことを聴いたのである。

「『疑がつちやいけません。本當に私です。……皆私を未だ死んだ者と思つてゐますからね』」の前後の二重鍵括弧はママ。誤植とも思ったが、敢えてそのままにしておいた。

「日蓮宗の名高いお寺」現在の山梨県南巨摩郡身延町身延にある日蓮宗総本山身延山久遠寺。日蓮の遺言に従って遺骨はこの身延山に祀られてある。

「いや、金十郎さん、この話は私の胸にこたヘました」これは真実(まっこと)、ハーンの述懐である。……この話は間違いなく、記憶にさえないハーン自身の空想の中の思い出をフラッシュ・バックさせずにはおかぬからである……

 

 

.

   'O Kinjurō,' I said, as we took our way home, 'I have heard and I have read many Japanese stories of the returning of the dead. Likewise you yourself have told me it is still believed the dead return, and why. But according both to that which I have read and that which you have told me, the coming back of the dead is never a thing to be desired. They return because of hate, or because of envy, or because they cannot rest for sorrow. But of any who return for that which is not evil — where is it written? Surely the common history of them is like that which we have this night seen: much that is horrible and much that is wicked and nothing of that which is beautiful or true.'

   Now this I said that I might tempt him. And he made even the answer I desired, by uttering the story which is hereafter set down:

 

   'Long ago, in the days of a daimyō whose name has been forgotten, there lived in this old city a young man and a maid who loved each other very much. Their names are not remembered, but their story remains. From infancy they had been betrothed; and as children they played together, for their parents were neighbors. And as they grew up, they became always fonder of each other.

   'Before the youth had become a man, his parents died. But he was able to enter the service of a rich samurai, an officer of high rank, who had been a friend of his people. And his protector soon took him into great favor, seeing him to be courteous, intelligent, and apt at arms. So the young man hoped to find himself shortly in a position that would make it possible for him to marry his betrothed. But war broke out in the north and east; and he was summoned suddenly to follow his master to the field. Before departing, however, he was able to see the girl; and they exchanged pledges in the presence of her parents; and he promised, should he remain alive, to return within a year from that day to marry his betrothed.

   'After his going much time passed without news of him, for there was no post in that time as now; and the girl grieved so much for thinking of the chances of war that she became all white and thin and weak. Then at last she heard of him through a messenger sent from the army to bear news to the daimyō and once again a letter was brought to her by another messenger. And thereafter there came no word. Long is a year to one who waits. And the year passed, and he did not return.

   'Other seasons passed, and still he did not come; and she thought him dead; and she sickened and lay down, and died, and was buried. Then her old parents, who had no other child, grieved unspeakably, and came to hate their home for the lonesomeness of it. After a time they resolved to sell all they had, and to set out upon a sengaji,— the great pilgrimage to the Thousand Temples of the Nichiren-Shū, which requires many years to perform. So they sold their small house with all that it contained, excepting the ancestral tablets, and the holy things which must never be sold, and the ihai of their buried daughter, which were placed, according to the custom of those about to leave their native place, in the family temple. Now the family was of the Nichiren-Shu; and their temple was Myōkōji.

   'They had been gone only four days when the young man who had been betrothed to their daughter returned to the city. He had attempted, with the permission of his master, to fulfil his promise. But the provinces upon his way were full of war, and the roads and passes were guarded by troops, and he had been long delayed by many difficulties. And when he heard of his misfortune he sickened for grief, and many days remained without knowledge of anything, like one about to die.

   'But when he began to recover his strength, all the pain of memory came back again; and he regretted that he had not died. Then he resolved to kill himself upon the grave of his betrothed; and, as soon as he was able to go out unobserved, he took his sword and went to the cemetery where the girl was buried: it is a lonesome place,— the cemetery of Myōkōji. There he found her tomb, and knelt before it, and prayed and wept, and whispered to her that which he was about to do. And suddenly he heard her voice cry to him: "Anata!" and felt her hand upon his hand; and he turned, and saw her kneeling beside him, smiling, and beautiful as he remembered her, only a little pale. Then his heart leaped so that he could not speak for the wonder and the doubt and the joy of that moment. But she said: "Do not doubt: it is really I. I am not dead. It was all a mistake. I was buried, because my people thought me dead,— buried too soon. And my own parents thought me dead, and went upon a pilgrimage. Yet you see, I am not dead,— not a ghost. It is I: do not doubt it! And I have seen your heart, and that was worth all the waiting, and the pain. . . . But now let us go away at once to another city, so that people may not know this thing and trouble us; for all still believe me dead."

   'And they went away, no one observing them. And they went even to the village of Minobu, which is in the province of Kai. For there is a famous temple of the Nichiren-Shū in that place; and the girl had said: "I know that in the course of their pilgrimage my parents will surely visit Minobu: so that if we dwell there, they will find us, and we shall be all again together." And when they came to Minobu, she said: "Let us open a little shop." And they opened a little food-shop, on the wide way leading to the holy place; and there they sold cakes for children, and toys, and food for pilgrims. For two years they so lived and prospered; and there was a son born to them.

   'Now when the child was a year and two months old, the parents of the wife came in the course of their pilgrimage to Minobu; and they stopped at the little shop to buy food. And seeing their daughter's betrothed, they cried out and wept and asked questions. Then he made them enter, and bowed down before them, and astonished them, saying: "Truly as I speak it, your daughter is not dead; and she is my wife; and we have a son. And she is even now within the farther room, lying down with the child. I pray you go in at once and gladden her, for her heart longs for the moment of seeing you again."

   'So while he busied himself in making all things ready for their comfort, they entered the inner, room very softly,— the mother first.

   'They found the child asleep; but the mother they did not find. She seemed to have gone out for a little while only: her pillow was still warm. They waited long for her: then they began to seek her. But never was she seen again.

   'And they understood only when they found beneath the coverings which had covered the mother and child, something which they remembered having left years before in the temple of Myōkōji,— a little mortuary tablet, the ihai of their buried daughter.'

 

   I suppose I must have looked thoughtful after this tale; for the old man said:

   'Perhaps the Master honourably thinks concerning the story that it is foolish?'

   'Nay, Kinjurō, the story is in my heart.'

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